山田詠美「蝉」の授業




   
はしがき

 この作品を教科書に採用しようとした出版社に対し、文部省(当時)は別作品への差し替えを促〔うなが〕したそうです。単行本・文庫本の『晩年の子供』におさめられていますので、あなたも一読後、本当に高校の国語の教材として不適切な作品なのかどうか、是非、考えてみていただきたいと思います。
 入学してきたばかりの生徒たちと教科書収載の候補にあげられながらも不採用となったこの作品を読んでみました。当時使用していた高1の教科書では芥川龍之介「羅生門」が最初の小説教材でしたが、この授業は「羅生門」の読解に入る前の取り組みとなったのでした。
 全5章。『日文協・国語教育』第27号に発表。『《読み》のたちあがる場をめざして』に収載。




.□ 第1章 □.

 田中実氏が、山田詠美の「風葬の教室」について論じ、その「排除のメカニズム」と題する章に次のごとく書き記したのは、1991年のことである。
    『風葬の教室』の刺は教育の現場に突き刺さっているのではないか。これが論じられていることを聞かないが、とりわけ国語教育界はこれをどう受け止めているのかが気になる(注1)。

 私自身もかつて「風葬の教室」の授業に取り組んだことがある(注2)が、この田中氏の言に応ずるかたちで現場における授業実践をいちはやく呈示したのは、成安女子高校の深谷純一氏であった(注3)。このほか、大阪南高校における梨木昭平氏の授業実践(注4)も明記しておかねばなるまい。さらに、彼女の他の作品を扱ったものとして、和光高校の松本議生氏による「ジェシーの背骨」の授業実践(注5)や、大谷高校の木村好宏氏による「ぼくは勉強ができない」の授業実践(注6)などがある。

 ただし、これらは、すべて自主教材としての取り組みであり、山田詠美の作品が国語教育現場における市民権を広く獲得しているとは決して言い難い。既に周知ではあろうが、実際のところ、彼女の短篇小説のいくつかは高等学校国語教科書の収載候補となりながら、いずれも最終的に不採用とされてきた。

 例えば、その中の1篇に「晩年の子供」という短篇がある。この小説は、主人公(私)が10歳の頃を回想するかたちで描かれており、梗概は次のようになっている。

 伯母の家の飼い犬に噛まれた主人公は、少年忍者が狂犬病に犯されて6ヶ月後に死ぬという「テレビの続き漫画」をみて、自分も同じ運命を迎えることを確信する。自分の死を意識したとき、彼女は、それまで気づかなかった季節や時間の移ろいや細やかな家族の愛情などをはじめて自覚し、クラスの「おしゃまさん」としてふるまってきた自身の虚偽性や残酷性をも捉え返していくことになる。

 この作品が教科書収載の候補として検討された際、問題となったのは、

    (a) 図書室で、手続きをせずに本を鞄に入れた。つまり、盗んだ。音楽室のピアノを勝手に開けて、白い鍵盤を絵具で染め上げた。 つまり、悪戯をした。男子便所で、立って、おしっこをしてみようと新しい方法に挑戦してみた。結果として、単に汚した。 私は、ありとあらゆる、それまでしたことのない未知の行動というものに、しばらくの間、自分を賭けた。けれど、長続きはしなかった。 朝礼で、原因不明の惨事が取り上げられたからだ。 私は、もちろん、心の中で詫びていた。でも、仕方がない。私は、晩年を迎えて、常軌を逸していたのだもの。/私は、これを最後にしようと、ある日の夕方、理科準備室に忍び込んだ。 そこには、授業に使う、さまざまな石があった。石灰岩や凝灰岩や雲母、なんと水晶まで無造作に箱に放り込まれて、棚で息をひそめていた。(中略) その他のさまざまな石も取り出し、私は、順番に、それらを床に並べた。マグマの欠片もあった。名も知れない銀色の粉を隠し持ったすみに置けない石もあった。 水晶にいたっては、その角ばった氷砂糖のような高貴な姿に興奮し、すんでのところで、口に入れてしまうところであった。 石は、皆、死んでいた。そして、私は、それらを、心から愛した。/私は、鞄の中に、丁寧に、それらを入れた。 眠りから覚めていない子供たちを扱うように、ひっそりと、鞄の奥深くに、私はそれらをしまい込んだ。そして、何くわぬ顔をして、理科準備室を出た。

という箇所であったという。これは、突然訪れた「晩年」に主人公が当惑し、残された僅かな時間に「心を使うことに多忙」で「訳が解らなくな」っている姿を描いた場面だが(やがて死の必然を感得した彼女は「平静」を獲得し、残された晩年を「明るい気持」で過ごす「決意」を心の中に抱くに至る)、ここに含まれる理科室で石を盗む件、学校のピアノの鍵盤にイタズラをする件、図書室から本を手続きをせずに持ち出す件の三カ所が検定審議会で「教材として不適切」ということになったらしい。 具体的な論議の経過を詳細に知りえぬ私にとっては、《死の自覚と他者の生(死)に対する慈しみの発見》という全篇の主題に照らして細部を捉え返すことの放棄、あるいは主題から遊離した観点からの瑣末なあらさがしに堕してしまっているかにみえる。

 今回、授業で取り上げた「蝉」についても同様のことが言える。「蝉」は上記の表題作とともに短篇集『晩年の子供』(講談社、1991年10月)に収載されており、この小説もまた、主人公(岡田真実)の小学校4年生の頃の回想というかたちで書かれている。梗概は次の通りである。

 ある夏の日の昼下がり、真実は目前で急死した蝉の腹を裂いてみた。やかましい鳴き声の正体を知りたい衝動にかられてのことである。はたして中は空洞であった。彼女は蝉の死骸を眺めながら、それが「憎しみの対象から、ただのはかない生き物として」感じられるようになる。同じ頃、母が弟を妊娠・出産し、愛情を一身に受けている弟に苛立ちを覚えた彼女は「あんたなんか死んじゃえばいいのに!」と罵声を浴びせてしまう。真実は目の前で泣き叫ぶ弟の姿に「蝉」を感じ、さらに叱られて母の胸で泣きじゃくる自分もまた空洞をおなかに抱えた「蝉」であること――「私自身も同じ身の上であるということ」――に気付いていく。

 この小説で問題とされたのは「セックスにまつわる内容表現」だった由、編集に関わった男女の「先生方」の間で「作品としては評価できるけれども、教室で自分が教えるとなると躊躇してしまう」という意見が大勢を占めたという。その該当箇所と思われるのは、

    (b)「どうして、急に、お姉さんになるの? どうして、お母さんのおなかに赤ちゃんが入り込んだんだろう。変なの? お父さん、訳、知ってる?」/父は私の問いに面食らった様子で、 しばらくの間、言葉を捜していました。/「お母さんのおなか、 少しずつ大きくなって行ったけど、あれは赤ちゃんだったの?」 (中略)「赤ちゃんが、段々、育っていたんだよ」/「へえ。 赤ちゃんておなかん中で育つんだ。でも、どうして、お母さん のおなかを、すみかにしようと思いつくのかなあ。赤ちゃん、 おなかの中にわいて来るのかなあ」/「ち、違うんだよ、真実、 赤ちゃんの種があって、お母さんのおなかで芽を出したんだよ」 /「へえ。誰が種まきしたの」/「そ、それは、お父さんに決 まっているじゃないか」/「ふーん。お父さんの仕業だったのか」/父の顔は真っ赤になりました。今、思うと、まだ若い父を質問責めにしたのは可哀相だったと思うのですが、その時の私には、意地悪な気持がわいていました。漠然とですが、子供の出来る原因を追求するのは、父を窮地に落とし入れることだと、私は解っていました。

    (c)「岡田んち、赤ちゃん、生まれんの?」/「そうだよ」/私が答えると、彼らは、どっと笑いました。/「へえーっ、岡田んちのお父ちゃんとお母ちゃんて、すけべだぞー」/「何それ」 /「岡田、どうやったら、子供生まれるか知ってる?」

    (d)「あんたは知ってるの?」/「えっ? 何がだよお」/「どうやったら、子供が生まれんのか知ってんの?」/「知ってる よ」/「誰に教えてもらったの?」/「松本がおもしろがって、 皆に言ってたんだよ。兄ちゃんの本を読んだって言ってたよ」 (中略)「私にも教えてよ」/「やだ」/「教えないと、またぶつよ」/男の子は、渋々と、私の耳許に顔を寄せ、内緒話でもするように囁きました。誰が聞いているという訳でもないのに、彼は声をひそめるのでした。私たちは、それが、小声で話されるべきことであるのを、既に、悟っていたのでした。

    (e)「おばちゃん、どうやったら子供が出来るか知ってる?」/「知ってるよ」/叔母は、さも、おかしそうに私を見ました。 そして、こう付け加えたのです。/「すっごく楽しいことするんだよ。真実も、大人になったら解るよ。なあんてね、あはは」

といった部分のほかない。コンドーム等を用いての性教育の重要性すら取り沙汰される昨今、これが高等学校の国語教室で避けて通らねばならぬほどの「セックスにまつわる文章表現」なのだろうか。のみならず、1篇の完結した作品世界を検討の対象とする作業からは、これまた懸隔のある瑣末な論議だと言わざるをえまい(「作品としては評価できるけれども云々」の「先生方」に、この短篇のどのような点を「作品として」「評価」しておられるのか、ぜひ1度お聞きしてみたいものである)。

 ともあれ、こうしてみると――どちらかと言えば、所謂「無難な作品」の部類に属する(と私には思われる)「晩年の子供」や「蝉」でさえ上記のごとき次第であるから、「風葬の教室」もまた、単純に「長過ぎる」という理由か、あるいは「セックスにまつわる内容表現」という基準を適用されることになるのだろう――候補として推す声は一定あるにせよ、前掲の田中実氏の言に対する「国語教育界」からの回答が、「教育の現場に突き刺さ」る棘(山田詠美作品)の斯界への公的な(すなわち教科書における)登場をはばむという、まさに「排除のメカニズム」を作動させるかたちで示されていると言っても、あながち見当はずれではなさそうである。




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.▽ 注 ▽.

(1)田中実「フェティシズムの誕生――『風葬の教室』」(『解釈と鑑賞』第56巻第8号、至文堂、1991年8月)。

(2)拙稿「山田詠美『風葬の教室』の授業をめぐって――高1国語・現代文――」(『研究紀要』第30号、1993年12月)。

(3)深谷純一「『風葬の教室』(山田詠美)を授業で読む」(『日本文学』第42巻第4号、日本文学協会、1993年4月)。

(4)梨木昭平「大阪府高等学校国語研究会第1部会――《教材研究集会》報告資料」(1994年1月29日)、「フェミニズム文学批評の可能性(2)――女性作家・山田詠美『風葬の教室』の場合」(『月刊国語教育』第14巻第7号、東京法令出版、1994年8月)。

(5)松本議生「山田詠美著『ジェシーの背骨』」(『「ことば」をひらく 国語教室の現場から』、同時代社、1992年)。

(6)木村好宏「大阪府高等学校国語研究会第1部会――《戦後文学を読む》報告資料」(1994年12月3日)。





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