ことばのお祭り
教育のツボ
私がはじめて買ったレコードはカーペンターズ「さん」のLPだった!!
 いつものことながら、たまたまテレビをつけたら『速報! 歌の大辞テン!!』(日本テレビ系)という番組に出食わした。昭和60年9月のトップ10と現在のトップ10を同時に見せるという趣向の番組だが、どうやら間もなく終了近い時刻のようだった。しかし、《ことばオヤジ》の私としては、またまた気になる表現にぶつかってしまった。(小姑みたいにごちゃごちゃ言わんと、もっと心を広く持ちなはれ!という読者諸氏の声が聞こえてきそうだが…。)
 
 中山エミリが、元気な声で(しかし何ともぎこちない口調で)次のように曲の紹介をしていた。ちょうどそれは、徳光和夫が「今週の第2位は、ポケットビスケッツの…」、「今週の第1位は、KinKi Kidsの…」と述べていたのと対照的だった。
  • 「昭和60年9月の第2位は、サザンオールスターズさんの『メロディ』です!」
  • 「昭和60年9月の第1位は、安全地帯さんの『悲しみにさよなら』です!」
 
 視聴者あるいは聴衆を相手にした所謂(いわゆる)「公」の場で、司会者(プログラムの進行者)がグループ名に敬称「〜さん」を付けて紹介するというのは、何だか少し違うのではないか。もちろん、かく言う私だって、学校の日常の中で、例えば初対面の教科書会社の営業の人に「これはどうも。〜出版さんでしたかあ。」といった言い方を全くしないわけではない。
 
 しかし、視聴者(=「公」の対象)に向かってグループを「さん」付けで紹介するというやり方を敷衍〔ふえん〕するならば、野球中継では「さあ、3回のウラ、阪神タイガースさんの攻撃です。」、演芸場では「多いに笑っていただきましょう。次はダウンタウンさんの漫才です。」といった具合になるわけだ。
 
 こう書いているうちに、おかしな用例が思い浮かんで困った。私は人生の半分以上を京都の地で過ごしてきたことになるが、こんな用例に何度も出会っている。
  • 「風邪で食欲ないんやったら、お粥〔かゆ〕さんでも食べとくか。」
  • 「おい、そこの飴ちゃん取ってくれへんか。」
  • 「あら、あの子ったら、あんなとこでウンコさんしてはるわ。」
 
 これらはすべて無生物に付された敬称であり、ただし詩魂に基づき擬人法的に発話されているというわけでもなさそうだ。(なんせ、『ウンコさん』やしなあ。)上に述べてきたグループ名への「〜さん」付けの場合とは言うまでもなく位相は異なるものの、意外と今回の「〜さん」問題を解き明かす手がかりを孕〔はら〕んでいると言えなくもあるまい。
 
 日本語を使っている私たちってのは、時を溯〔さかのぼ〕れば「唯一絶対神」ではなく「八百万の神」の存在を認知してきた(すなわち、あらゆるものに神性を読み取ってきた)者たちの末裔〔まつえい〕なわけだ。だとすれば、所謂《個》としての人格を持たないグループや無生物を「〜さん」として捉える心性とは、あらゆる存在を意義あるものとして認める姿勢の名残であるのかも知れない。
 
 考えてみれば、汚物であるところのウンコまでもウンコさんと呼んでしまえば、忌避〔きひ〕する対象というよりも何となく微笑ましい存在のように感じられてくる。この感覚ってのは、ひょっとしてスカトロジィへと連なっていくのだろうか? いや、ともあれ、アラレちゃんのようにそれで遊びたいとは、私には到底思えないが…。んっ、だとすると、アラレちゃんはスカトロジストだったのか? まあいい、脇道に逸れるのはこのへんにしておこう。
 
 だが待てよ。あらゆる存在を意義あるものとして認める姿勢の名残…。はたしてそうなんだろうか。これって、むしろ逆なのかも知れない。グループや無生物を「〜さん」とする心性とは、結局のところ、グループや無生物のほうを重視してそこに《個》としての「〜さん」を埋没(喪失)させてしまうという心性の産物なのだとしたら…。
執筆日時:
1998/09/02

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