ことばのお祭り
教育のツボ
彼女とのデートはいい「ふいんき」だった
 私が高校の教壇に立っていた頃、「雰囲気」を「ふいんき」と読む生徒のやたら多かったのを記憶している。
 
 例えば山田詠美『風葬の教室』を教材として扱った時など、仮に《教室の雰囲気》と板書したら必ず「ふんいき」と横に読み仮名を振ることにしていた。それぞれの漢字のつくりを見れば、「分〔ふん〕」「井〔い〕」であることは一目瞭然ではある。無論、これは私の勤務校の実態であって、全国あまねくそうだとは言えないだろう。
 
 そんなことを漠然と考えていたのだが、ずいぶん前にテレビで『電波少年』を見ていた時のこと。具体的なシチュエーションは忘れてしまったが、確か松村邦洋が事前のアポイントメントなしで突撃取材を敢行〔かんこう〕するといった企画だったと思う。そこで彼が「ふんいき」と正しく発音していたにも関わらず、画面に表示されたテロップ(字幕)には(当時、その番組の常であったところの、書きなぐったような手書き文字の)平仮名で「ふいんき」と書かれてあった。
 
 ああいった作業は、ADあたりが担当しているのかも知れないが、(そういう人たちが大卒であるか否かは措くとしても)大人の中にも「雰囲気」を「ふいんき」だと思っている人がいるという事例として興味深かった。
 
 無論、私はえらそぶってものを言いたいわけではない。誰しも学習時にいったん間違いを覚えて、ずっとそう思い込んでいるようなことは、漢字に限らず、よくあるものだ。
 
 かく言う私だって、大人になってからも、解釈の「釈」の字を「ノ・ツ・木」と(つまり「菜」や「彩」の「つくり」と同じように)書いていたし、「妻」という字はずっと「亠(なべぶた)」だと思っていた。
執筆日時:
1998/08/11

PAST INDEX NEXT



アクセス解析&SEM/SEO講座&ブログ for オンラインショップ開業