北原白秋
 

「思ひ出」より

  
 黒い小猫




  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ    ゆ り
 ちゆうまえんだの百合の花、
 
 その花赤く、根はにがし。
  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
 ちゆうまえんだに来てみれば
  ゑとどう      みち   は
 豌豆のつる逕に匍ひ、
             きんちや
 黒い小猫の金茶の眼
 
 鬼百合の根に昼光る。

          ぞめ
 べんがら染めか、血のいろか、
  かのこ        はなびら
 鹿子まだらの花弁は裂けてしづかに傾きぬ。
                       くり         まば
 裂けてしずかに輝ける褐の花粉の眩ゆさに、
 
 人の秘密を知るとてや
                      きそ
 よその女のぢつと見し昨の眼つきか、金茶の眼、
         み つ
 なにか凝視むる、金茶の眼。

 
 黒い小猫の爪はまた
 
 鋭く土をかきむしる。
               きうこん      なま       うすにが
 百合の疲れし球根のその生じろさ、薄苦さ、
                 たはむ
 掻きさがしつつ、戯れつつ、
  あとしざ
 後退りつつ、をののきつつ、
 
 なにか探せる、金茶の眼。

        お ろ                   あたま
 そつと堕胎したあかんぼの蒼い頭か、金茶の眼、
                            いきうめ      み そ か ご
 ある日、あるとき、ある人が生埋にした私生児の、 
 
 その児さがすや、金茶の眼、
 
 百合の根かたをよく見れば
  りん            まと
 燐は湿りてつき纏ひ、
  たま           さら           か
 球のあたまは曝されて爪に掻かれて日に光る。
 
 なにか恐つつ、金茶の眼。

  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
 ちゆうまえんだの百合の花、
 
 その花赤く、根はにがし。
  ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
 ちゆうまえんだに来てみれば
 
 なにがをかしき、きよときよとと。
     し                        は
 心痴れたるふところ手、半ば禿げたるわが叔父の
             ひとりごと      ひねもす
 歩むともなき独言、ひとり終日、畑をあちこち。

        ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
   註。ちゆうまえんだ。わが家の菜園の名なり。



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