北原白秋
 

「東京景物詩」より

  
 露台




            ゆあ
 やはらかに浴みする女子のにほひのごとく、
                       バルコン
 暮れてゆく、ほの白き露台のなつかしきかな。
  たそがれ               うすあかり
 黄昏のとりあつめたる薄明
 
 そのもろもろのせはしなきどよみのなかに、
  な          きた  よ
 汝は絶えず来る夜のよき香料をふりそそぐ。
 
 また古き日のかなしみをふりそそぐ。
 

  な         もろて
 汝がもとに両手をあてて眼病の少女はゆめみ、
  うこんかう
 鬱金香くゆれるかげに忘られし人もささやく、
                 さはり
 げに白き椅子の感触はふたつなき夢のさかひに、
            うなじ            かなしみ かひな
 官能の甘き頸を捲きしむる悲愁の腕に似たり。
 

 
 いつしかに、暮るとしもなき窓あかり、
        よる
 七月の夜の銀座となりぬれば
              い き
 静こころなく呼吸しつつ、柳のかげの
         ガ ス   とも    なれ
 銀緑の瓦斯の点りに汝もまた優になまめく、
                にほひ
 四輪車の馬の臭気のただよひに黄なる夕月
          はなくちなし くゆり
 もの甘き花梔子の薫してふりもそそげば、
 
 病める児のこころもとなきハモニカも物語のなかに起りぬ。



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