大手拓次
『藍色の蟇』

薔薇の散策

  
 薔薇の散策


 
     序
 
 こゑはこゑをよんで、とほくをつなぎ、香芬のまぶたに羽ばたく過去を塗
                                 かたど
  り、青く吹雪きする想ひの麗貌を象る
 
 舟はしきりにも噴水して、ゆれて、空に微笑をうゑる。みえざる月の胎児
 
  よ。時のうつろひのおもてに 鏡を供へよう。

 
     1
 
 地上のかげをふかめて、昏昏とねむる薔薇の唇。

     2
 
 白熱の俎上にをどる薔薇、薔薇、薔薇。

     3
                                    ごんぎやう
 しろくなよなよとひらく あけがた色の勤行の薔薇の花。

     4
  とげ          とげ
 刺をかさね、刺をかさね、いよいよに にほひをそだてる薔薇の花。

     5
 つばさ                    みづかがみ    さうしん
 翅のおとを聴かんとして 水鏡する 喪心のあゆみゆく薔薇

     6
             は                                    きりいろ
 ひひらぎの葉のねむるやうに ゆめをおひかける 霧色の薔薇の花。

     7
           かげ
 いらくさの影にかこまれ 茫茫とした色をぬけでる 真珠色の薔薇の花。

     8
                                かたち             ほつたい
 黙祷の禁忌のなかにさきいでる 形なき 蒼白の 法体の薔薇の花。

     9
 
 欝金色の月に釣られる 盲目の ただよへる薔薇。

     10
                こ だち
 ひそまりしづむ木立に 鐘をこもらせる うすゆきいろの薔薇の花。

     11
 
 すぎさりし月光にみなぎる 雨の薔薇の花。

     12
                                 あへ
 吐息をひらかせる ゆふぐれの 喘ぎの薔薇の花。

     13
 
 ひねもすを嗟嘆する 南の色の薔薇の花。

     14
 
 火のなかにたはむれる 真昼の靴をはいた 黒耀石の薔薇の花。

     15
       び                    まど
 くもり日の顔に映る 大空の窗の薔薇の花。

     16
  て                 そよかぜ                 みしやう
 掌はみづにかくれ 微風の夢をゆめみる 未生の薔薇の花。

     17
  がもう                                    あさげしやう
 鵞毛のやうにゆききする 風にさそはれて朝化粧する薔薇の花。

     18
                  お
 みどりのなかに 生ひいでた 手も足も風にあふれる薔薇の花。

     19
 
 眼にみえぬ ゆふぐれのなみだをためて ひとつひとつにつづりあはせた
   こうぎよくいろ 
  紅玉色の薔薇の花。

     20
 うつつ                   うつつ
 現なるにほひのなかに 現ならぬ思ひをやどす 一輪のしづまりかへる薔
 
  薇の花。

     21
                                                  あか  こがね
 眼と眼のなかに 空色の時をはこぶ ゆれてゐる 紅と黄金の薔薇の花。

     22
                                              みみたぶいろ
 朝な朝な ふしぎなねむりをつくる わすられた耳朶色のばらのはな。

     23
                                                                 ひとみいろ
 かなしみをつみかさねて みうごきもできない 影と影とのむらがる 瞳色
 
  のばらのはな。

     24
 
 ゆたゆたに にほひをたたへ 青春を羽ばたく 風のうへのばらのはな。

     25
  ひ
 陽の色のふかまるなかに 突風のもえたつなかに なほあはあはと手をひ
        うすづきいろ
  らく 薄月色の薔薇の花。

     26
                    か
 またたきのうちに 香をこめて みちにちらばふ むなしい大輪のばらのは
 
  な。

     27
 
 はだらの雪のやうに 傷心の夢に刻まれた 類のない美貌のばらのはな。 

     28
 
 悔恨の虹におびえて ゆふべの星をのがれようとする 時をわすれた 内
 
  気な内気な ばらのはな。

     29
  うを                        れんえん
 魚のやうにねむりつづける 瀲灔としたみづのなかの かげろふ色のばら
 
  の花。

     30
  はくてう                                        めしひ
 白鳥をよんでたはむれ 夜の霧にながされる 盲目のばらのはな。

     31
                           ば ら                                にほひ   かね
 あをうみの 底にひそめる薔薇の花、とげとげとしてやはらかく 香気の鐘
 
  をうちならす薔薇の花。

     32
 
 けはひにさへも 心ときめき しぐれする ゆふぐれの 風にもまれるばら
 
  のはな。

     33
                    こがねいろ  ぬの
 あをぞらのなかに 黄金色の布もて めかくしをされた薔薇の花。

     34
        とりで
 微笑の砦もて 心を奥へ奥へと包んだ 薄倖のばらのはな。

     35
                      さ
 欝積する笛のねに 去りがての思慕をつのらせる 青磁色のばらのはな。

     36
 
 さかしらに みづからをほこりしはかなさに くづほれ 無明の涙に さめざ
 
  めとよみがへる薔薇の花。