寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(二十一)

 
 昭和九年八月十五日は浅間山火山観測所の創立記念日で、東京の
 
大学地震研究所員数名が峯の茶屋の観測所に集合して附近の見学を
                                いしもと      まつざわやまぐち
した。翌十六日は一行の中の、石本所長と松沢山口両氏ならびに観
           みなかみ                                       つぼい
測所主任の水上氏と四人が浅間に登山したが、自分と坪井氏とは登
                                                    くつかけ
らなかった。石本松沢山口三氏はその日二時十五分沓掛発の列車で
 
帰京し坪井氏は三時五十三分で立ち、自分だけ星野温泉に居残った。
 
 翌日の東京朝日新開長野版を見ると、石本坪井両氏と寺田が登山
 
し三人とも二時十五分の汽車で帰京したことになっていた。
 
 その後、九月五日にまた星野温泉へ行って七日に帰京したのであ
 
るが、九月十三日の某新開消息欄を見ると、吉村冬彦が軽井沢から
 
帰京したことになっている。
 
 これらの新聞記事は事実の報道としてはみんな途方もないうそで
 
ある。しかしこれをジャーナリズムの中にある「俳諧」と思って見
 
れば別にたいした不都合はないかもしれない。うその中の真実が真
 
実の真実よりもより多くの真実かもしれないからである。
 
(昭和九年十月、渋柿)


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