寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




   うち
 宅の前に風呂屋ができて、いろいろな迷惑を感ずることがある。
 
しかし、どんな悪いことにでも何かしら善いことがある。第一には、
 
宅へ始めて尋ねて来る人にはこの風呂屋の高い煙突を目当てにして
 
来るように教えるとわかりが早い。それから、第二には夜の門前が
              どろぼう  はいかい
明るくなって泥坊の徘徊には不便である。第三には、この風呂屋が
 
できてから門前に近く新たに消火栓が設けられた。もっとも、これ
 
は近くに高官の邸宅があるおかげかもしれない。


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