寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 元素には今では原子番号数というものができて、何番の元素と言
 
えばそれで事柄は完全に確定する。それだのに今でも科学者はやは
 
り水素とか酸素とかテルリウムとかウラニウムとか、言わば一種の
  げん じ な
「源氏名」のようなものをつけて平気でそれを使っているのである。
 
人間味をできるだけ脱却しよう、すべての記載をできるだけ数学的
 
抽象的なものにしようという清教徒的科学者の捨てようとしてやは
                ぼんのう
り捨て切れない煩悩の悲哀がこういうところにも認められるであろ
 
う。
 
 科学といえども人間の産んだ愛児の中の愛児である。血の気を絞
                     ひ ぼ                                   な
り取ってしまったら乾干しになって、孫を産む活力などは亡くなっ
 
てしまいはしないかという気がする。
                                    きりつぼ    ははきぎ
 それはとにかく、元素の名前に「桐壺」「寄木」などというのを
 
つけてひとりで喜んでいる変わった男も若干はあってもおもしろい
 
ではないかと思うことがある。しかしもしそんなのがあったらさぞ
 
や大学教授たちに怒られることであろう。


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