寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 髪を短くしている人は大概髪を延ばすと醜くなるようなたちの人
 
だと床屋が言う。それはそういう場合もあるかもしれないが、また
 
そうでない場合があるかもしれない。
 
 いつもとりすました顔をしている女は、たぶんすましたときのほ
                                                   えがお
うがいちばん美しく見えるような型であり、始終笑顔を見せている
 
女は、やはりそうしたほうがすましているより美しく見えるような
 
型の顔であるかもしれない。少なくも当人がそう信じていることだ
     たし
けは慥かであろうと思われる。
 
 めいめいで口をきいてめいめいの意見を吐露すべき会合の席上で
 
いつでも黙々として始めからおしまいまで口を利かない人がある。
 
もしかするとそれは口をきくと自分の美と尊厳をそこなうことを恐
                                                                いちげん
れる人ではないかという気がする。またこれと反対にいわゆる一言
 こ じ
居士と称するのもある。これはもちろん自分の一言の真と美を信ず
 
るからのことであろう。しかし、自分の「我」に固執する点ではど
 
ちらも似たものである。
 
 公人としての会議ではやはり公の問題そのものの前に自分の私を
 
忘れるべきであろう。「顔」を気にする女の場合とはちがうとおも
 
われる。


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