上田敏「海潮音」

 やれがね
 破鐘

シャルル・ボドレエル




                                   ゐろり   もと
 悲しくもまたあはれなり、冬の夜の地炉の下に、
 
 燃えあがり、燃え尽きにたる柴の火に耳傾けて、
 
 夜霧だつ闇夜の空の寺の鐘、きゝつゝあれば、
 
 過ぎし日のそこはかとなき物思ひやをら浮びぬ。
 

 のどぶと  ふるがね
 喉太の古鐘きけば、その身こそうらやましけれ。
  おい      とし            すこ        まめ
 老らくの齢にもめげず、健やかに、忠なる声の、
  い つ          ぼんのんたへ          おほ
 何時もいつも、梵音妙に深くして、穏どかなるは、
         ほしよう
 陣営の歩哨にたてる老兵の姿に似たり。
 

 
 そも、われは心破れぬ。鬱憂のすさびごこちに、
  さむぞら  よる
 寒空の夜に響けと、いとせめて、鳴りよそふとも、
 おぼつか    ね              よわごゑ  ほそね
 覚束な、音にこそたてれ、弱声の細音も哀れ、
 

          いまは   こゑ
 哀れなる臨終の声は、血の波の湖の岸、
         かばね  もと    みじろぎ           う
 小山なす屍の下に、身動もえならで死する、
            ておひ                つひ   うめき
 棄てられし負傷の兵の息絶ゆる終の呻吟か。



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