ハンニチの国〜韓国紀行〜

平成18年8月23〜26日


第一日


 15年振りに馴れない海外旅行に。以前は完全団体旅行だったので、牛後の如く付いていくだけの御気楽旅行だったが、今度はたった一人の鶏口。

 出発前に「ソウルナビ」というホームページで情報をかき集めて過ごしているうちに午前2時過ぎになってしまった。今更寝ても朝5時起きで、万一寝坊でもしたらと考えると、一睡もせず。朦朧としながら駅へ。
 日暮里まで来て京成線スカイライナーに乗り換えようとしたら、「スカイライナーは満席です」との電光表示。立席も不可とのことで、スカイライナーより10分遅れの8時1分で空港に到着する無料特急に乗車。停車駅毎に、鈍行からの乗換客を拾っていく。朝なのに、下りなのに、立っている客が着席客以上になるくらいに。

 結局、予定の8時より10分遅れで「集合場所」に到着。現地についてからは完全自由行動という建前だが、現地に着くまでは一応「ツアー」という建前なので、成田空港の集合場所では旗を持った係員が待っているかと思いきや、見当たらず。旅行会社の緊急電話番号に電話したら、窓口の列に並べとのことだった。え、形式上団体の筈なのに、その形式すらないの?と愕然とした。
 行列は結構長くて、受付を済ますだけで8時35分くらいになった。少しヒヤヒヤする。次は航空会社の受付に並ぶ。これも、当初電光掲示板の刑事に従っていたら、どうも様子が変。暇そうにしていた係員に聞いたら、ここではなく隣の列に並べとのこと。ここでも10分程度のロス。

 ここでとりあえず若干の時間の余裕が出来たので、トイレでコンタクトを着けようとしたら、コンタクトを洗面台に流してしまった。栓を閉めたつもりが開けてしまったらしい。寝不足の祟りか?

 諦めて今度は税関へ。日本の税関は「出る」分には厳しくないのか、X線検査のみで、バッグを開けての手荷物検査や金属探知機ゲートはなかった(あったのかもしれないが、少なくとも、うっかり指にシルバーリングをはめたままだったのに、ブザーは鳴らなかった。) 

 税関から搭乗口までは遠かった。300メートルくらい歩いたように思う。朝飯を少ししか食べていなかったので、マクドに寄ったのだが、このマクド自体が、通路から170メートルも離れていた(実際に「170m」と表示板に記されていた)。この寄り道が祟ったのか、搭乗口に辿り着く前に「アシアナ航空○○便 仁川行き 搭乗手続を始めました」と放送が入った。買ったマクドを頬張りつつ、動く歩道の上を速足で歩く。更に、搭乗口に辿り着く100メートルくらい前で「現在、最終の搭乗受付をしております」となった。ようやく搭乗口に辿り着いたのは出発15分前だったが無事乗れた。ベンチでのんびり待っていた時間はゼロだった。やれやれ。

 さて、乗って暫くして機内食。2時間半の飛行時間なのに結構ボリュームがある。先程マクドを買って食べたのは失敗だと思った。見た目は日本の弁当風に、四角く区切られた一角にライスが入っているのに、食器がライスとフォークというのは妙な気分。米国の航空会社程テロに神経質ではないのか、ナイフもフォークも金属製だった。メインの肉は、一見美味しそうに見えたが、食べてみると、ジューシーさがなく、完全に火が通ったレトルティーな感じ。食感が重く、美味しくない。

干潟(仁川空港島への取付道路から見たもの)

 飛行機は、成田から一旦東に離陸、ぐるっと回って八ヶ岳、諏訪、東尋坊、隠岐の島を見下ろしつつ進み、やがて韓国の東部山岳地帯に入った。高度を下げつつソウルを眼下に通り過ぎ、黄海に出る。黄海は正にその名の通り、緑と黄色が混じったような海の色。干潟がとんでもなく広く、恐ろしく海が遠浅と分かる。先程空から見た、東部山岳地帯は日本の中国地方あたりとそう変わらない眺めだという印象を受けたが、この干潟だけは大陸的な眺めだなと思った。行った事はないが、日本で最大の有明海の干潟よりも広いのではないか?

「成田空港の強力なライバル」仁川空港。
写っているのは、乗ってきたアシアナ航空機。

 到着して、入国手続の前にトイレに立ち寄る。トイレを見れば、その国の文化の程度が分かるという話を以前読んだことがある。一見、綺麗なトイレなのだが、洗面台の脇の紙タオルが切れていた。「私が責任を持って掃除してます」という意味とみられる、従業員の写真が紙タオルホルダーに掲示されているのにもかかわらず、である。

問題の、紙タオルホルダー

 入国は予想していたよりスムーズに済み、現地ガイドともすぐに落ち合うことが出来た。一部の人の入国手続が、ほぼ同時に到着した別便の搭乗者とぶつかって長くなってしまった為、ロビーで30分位待たされることになった。漢字オンリーのラベルのお茶のペットボトルを飲む中国人の子供の脇で、俺も、日本から持ってきた「お茶」と大書きされたペットボトルを取り出し、飲む。

仁川空港内

 現地ガイドに導かれ、空港連絡バスに案内される。バスに乗って暫くすると、さっき上空から見た干潟。片側だけで4車線ある広い高速道路を進む。成田〜東京間では考えられない程、道は空いていて、100キロ近いと思われるスピードでバスは飛ばす。ソウル市街地に入って車が増えてからも、バス優先車線が設定されているらしく、他の車が渋滞している中で、バスだけはスイスイ進む。と、ここに至って漸く、「韓国は日本と逆で、車は右側通行」という事実に気付く。かつて日本統治を経験しているのに何故?米軍統治下の沖縄と同様に、数年間の米軍統治時代(注1)の間に右側通行に変更され、米軍統治終了後そのまま現在に至っているということなのだろうか?

片側4車線道路

 ソウル市街地の第一印象は、「茶色い建物が多くてなんか暗〜い感じ。」煉瓦造りなんだろうか?実際は、たまたま最初に見かけた市街地だけの特徴だったのだが。
 ホテルに着く前に、「特産のサファイヤ」の免税店に立ち寄らされたせいもあり、ホテル着は、飛行機自体は遅れなかったにもかかわらず、予定より1時間以上遅れた。午後4時半くらい。汗をかいて、体もTシャツもべたついたので、客室内のユニットバスで一風呂浴びて着替える。

 まずは最初の、そして今日唯一となる目的地、「安重根記念館」へと徒歩で出掛ける。ここは、韓国に来たら真っ先にでも訪れようと決めていた場所だった。何しろ、俺にとって尊敬すべき人物の中でも5本の指に入る方だから。

 途中、華僑が住んでいると見られる地区を通る。かなりスラムな感じで不潔で臭い。坂道で思いの外、汗をかき、Tシャツがびしょびしょになった。

多少道を間違えたが、何とか閉館予定時刻の約30分前に建物に到着。韓国にとっては英雄だから、一日中来館客で賑わっているだろおうとの予想に反して、観客は俺の他、僅か1組の男女だけ。建物自体も、縦横20メートル程度の、ちょっとしたお寺程度の平屋の建物。はっきり言って、この閑散ぶりには拍子抜けした。




スラム同然の華僑地区→


 事前にネットで調べたとおり、館長(というより、一人しかいないようである。)が、「イルボンナムどうのこうの?」と聞いてきた。イルボンナム(日本人)以下の言葉は全く分からないが、要は「あなたは日本人か」ということを聞かれているに決まっているので、日本語で「日本人」と答えると、ビデオルームに案内されたが、「歓迎します」敵な態度は全くなく、日本語版ビデオのスイッチを入れるとすぐにいなくなってしまい、後は放置。館長にとっての「敵国言語」であろう日本語はおろか、英語すらしゃべろうとしない館長の姿勢はどうかと思う、俺がもし韓国人だったとして館長の立場だったら、日本人が来たら絶対歓迎するのに。(だって、例えば、アメリカ人の観光客が、広島の原爆ドームに行きたいと言ったら、普通、日本人として嬉しく思うでしょう?)そして是非、相手が、率直にどんな感想を持ったかを聞きたい。

安重根記念館。
韓国にしては珍しく、
漢字で表示されている。


 ビデオの内容は予想がついていたので詳しく触れないが、最後、安重根が処刑される直前、「残酷な拷問が加えられたという噂が伝わった」と、怪しげな刑具の画像と共に、単なる「噂」を、さも事実であったかのように言うのは、歴史を語る者としては失格であると思う。

 ビデオの後、6時の閉館時間になるまで多くもない展示物をのんびり見た。日本ではこういった施設ではお決まりの、「退出を促すメロディー」は鳴らなかったが、見るべきものは見たので外に出た。

退館後、前庭の、どれも巨大な石碑の数々を、暫く眺めて休んだ後、徒歩で南大門市場に向かった。怪しげな日本のコピー商品が溢れているだろうと予想していたが、期待に反してあまり見当たらなかった。まず、ネット上「ソウルナビ」で、「クーポン券をプリントアウトして持参した方にプレゼント」という、「ノリのり天国」いう店を探し出そうとしたが見つからず、ウロウロしていたら、「のり世界」という店の客引きに遭った。価格は高めだったが、店員の接客態度に好感を持ち、海苔を買った。

石碑の数々

 さて、その後、「のりノリ天国」の店舗を発見した。喜んでクーポンを渡した。
「海苔はもう買ったので、これ(韓国風お好み焼きの粉)とか置いてないですか?」
と、プリントアウトしてきた商品写真を指差しつつ聞くと、
「この時間は海苔しか扱っていない」
との素っ気無い答え。さらに、クーポンに「来店しただけでさしあげます」との触れ込みだったプレゼントをくれる気配もなし。失望した。はるばる海外から、自分の店を尋ねてきた客に対し、余りにも無神経な態度だと思った。

南大門市場前の地下鉄出入口
南大門市場。
手前の色とりどりのものは
Tシャツ。
南大門市場にて
多分日本のアニメキャラ

 眼鏡屋の客引きに遭った。この地区はどういう訳か、眼鏡屋が多く、それも、店の入口に「日本語できます」とか書かれていて、日本人を相手にしている場合が多いようである。
 成田でコンタクトを落としてしまったこともあるし、もし、安くて安全ならば作ってもいいと思ったのだが、その店では、1分と立たずに検眼終わり。杜撰では?と思い、もう一回検眼してくれないかと言っても、「大丈夫、ちゃんと調べたから」の一言で済まされた。どこが大丈夫なんだよ、手っ取り早く売りたいだけじゃないかと思い、要りませんと言って店を出た。

 また暫くして別の眼鏡屋の客引きに遭った。今度の店員は自分とおおむね同年代に見える、若い店員。先程の杜撰な検眼の店とは違い、「出来るだけ短い時間で売りつけよう」という態度がなく、世間話にも応じてくれる。検眼とその後の度付レンズでのテストも根気強く、左右の見え方がほぼ同じになるまで応じてくれる。可能な限り薄い薄型レンズにしてくれと言ったら、それにも応じてくれた。不安はあったものの、日本でも同等のものが2万円で買えるので、それよりある程度安くなくては意味がないと言って値引きさせた上で、日本円1万4千円で購入。(引渡しは翌日)

南大門市場。
日本人観光客が多い地区ということもあり、
思いのほか日本語で書かれた看板が多い。
奥の方には、何やら政治的スローガンが書かれている横断幕が・・・。
わざわざ日本人観光客が多い地区で、この種のスローガンって、
煽りたい訳?

 夕食は参鶏湯(サムゲタン)。当初、市場内の安い店で済まそうかと考えていたが、参鶏湯は専門店とそうでない店で全然味が違うということが、ホテルで入手した無料観光マップの片隅に書かれていた為、専門店に行くこと。
 その中でも最高級の「烏骨鶏参鶏湯」を頼んだが、残念ながら、味は期待した程でもなかった。以前、日本国内で買ったレトルト食品の参鶏湯の方が美味しいのではないかと感じた。が、スープの中の餅米だけは美味しかった。
 で、ここでも失望する出来事が。この店も事前にネットで見つけて、クーポン券を印刷して持参しており、渡したのだが、「高麗人参酒サービス」とクーポンには記されているのに、それを持ってきてくれない。いつもらえるのか、もしや、忘れているのではと気を揉んでいたところ、食事が終わる頃に、何故かコーラが運ばれてきて、「コーラでいいですか」と言われた。(注文程度の日本語は話してくれるし、通じる。)違うと言ったら、今度はコップに入った飲み物を持ってきた。受け取ってみたら今度はコーヒーだった。先程のコーラと違って、既にコップに入っているので、今更替えてくれとは言えなかった。それに、店の老夫婦、わざととぼけているのでもなく、どうやら天然ぼけで、気付いていないらしかったから。
 会計時に、「お酒をサービスしてもらえず残念です」と書いた紙切れを渡し、日本語が分かる人に読んでもらうように伝え、店を出た。

烏骨鶏参鶏湯

 ホテルに着くまでもまた、じっとりとした空気で汗をかいた。体全体が、先程の南大門市場の時から既に、自分でもはっきり分かる程に汗臭くなっていた。そのせいで下層階級のように見えたのだろうか?ホテルの玄関先で守衛に「どこに行く?」と日本語で詰問された。非常に腹が立った。不審者かもしれないと思うのは勝手だし、それが守衛の仕事なのだから仕方がない。しかし、宿泊者であるかもしれないのだから、「宿泊者の方ですか?」と訊くのが礼儀というものだろう。

 そんなこんなで、一日目は終わった。部屋に着いたら寝巻が見当たらなかった。実は、引き出しの中にあったことを、3泊目になってようやく知ったのだが、タオル等と一緒に目に付く場所に置いてもらわないと、ないのかと思ってしまう。又、タオルも、バスタオルがないので、風呂に入った後、普通のタオルで体を拭くしかなかった。ネット上では、ホテル備品として、「バスタオル・タオル・小タオル」とあったのに。

第二日へ

(注1)韓国政府が主張するように、韓国は太平洋戦争後、日本から独立したのではない。米軍による占領を経て、その後独立を与えられたのである。韓国人(北朝鮮も含めて)は日本の敗戦を「光復」と呼ぶが、8月15日は単に支配者が米軍に置き換わっただけであり、本来、「光復」でもなんでもない。