京都独り旅 平成19年12月8日


 8日に安城、9日に大阪に用事があったため、京都で一泊して紅葉を楽しもうと旅行を計画。
前夜は京都市内のホテルの直前予約を試み、数軒電話であたってみたが、どこも満室か受付終了。こういう予約を何日か前に計画的にしておくっていうことは苦手だ。
 それでもめげずにネットで調べてみたところ、京都って意外にも安宿がいっぱいあることに気づく。とりあえず8日朝、新幹線のデッキで2軒ほど電話で当たって、予約完了。これで一安心。
 新幹線こだま号は各駅停車するたびに「のぞみ」や「ひかり」に決まって追い抜かされる。10本は追い抜かれただろうか?停車駅数よりも多く抜かされたような気がする。辟易。

 安城での用事は午後1時半過ぎに終わり、昼飯タイム。地元の惣菜屋で売られていた「どて弁」を試しに購入。「どて」って大阪深南部(新世界とか)で売られている「どて焼」と同じものだろうか?と思って、「どてって何ですか」と聞いたら、大なべの中に煮えている茶色いシチュー状のものを見せてくれた。具の大半はモツ。モツ煮込みに近い。「どて」は大阪方言だとばかり思っていたが、実はそうでもないのかな?
 安城駅には新幹線切符を買える自動券売機が設置されていないので、ひとつしかない有人窓口へ。自分の前のおばさんが手間取っていたため、新快速に乗り遅れてしまった。10数分のロス。

 名古屋で「ひかり」に乗り換え、京都までは一駅。快適。
京都着15時40分。京都駅から徒歩10分足らずの安宿に着いて荷物を置いてから向かおうと当初は考えていたが、寺院の拝観時間がおおむね4時半か5時くらいに終わるだろうことを考えると、荷物を持ったまま寺に直行するべきだろうと考え、奈良線で一駅。東福寺へ。15時50分着。
そのまま降りようとしたら自動改札が閉まった。「清算が必要です」とのこと。「京都市内の駅なのにどうして?」と駅員に聞いたら、片道200キロないので「市内均一料金」は適用されないとのこと。200キロないとは・・・。そんなに近い距離なのかとびっくりした。

寺の壁の落書き 東福寺


 寺の入口付近では、警備員か警察官かが、「本日の入場は終わりました」と言っていたが、あきらめず山門にたどりつく。山門はまだ閉められておらず、中にはまだ観光客の姿があり、山門をくぐっている人の姿もあったので、後に続き入場。

石庭 苔庭


 境内は広く、建物は巨大だった。正直なところを言わせてもらうと、以前ソウルを観光した際に見てきた王宮の建物よりも明らかに大きく、立派だった。歴史の教科にも出てこない一寺院なのに。で、庭園は別途400円を払って拝観。ここはギリギリセーフだった。石庭と苔庭があり、石庭は白い小石を敷き詰めて海を表現した中に、島を表現した岩がいくつか置かれている禅庭タイプ。苔庭は、四角く白い石と緑の苔が市松模様を作っていて、現代アートを思わせる、斬新な感じ。ただ、こういった規則的な配置は俺好みではないかも。紅葉を見渡せる懸崖作りの屋根付きバルコニーと、紅葉が舞い散る谷を橋渡ししている屋根付き渡り廊下がおしゃれだった。

屋根付バルコニー 渡り廊下
市松模様の苔 ガラス窓に映る夕日

 
 いよいよ閉門時間が迫り、山門の外に出る。やや暗くなってきたが、まだそれなりに明るい。坂を下りながら、もう一箇所、まだ開いている寺を見つけた。雪舟寺。ここは小さい寺。庭の手水鉢に水滴がポタンポタンと垂れる音が癒される。庭に接して何人かの、多くはカップルからなる観光客が、思い思いに、まるで瞑想にふけっているかのように静かに座っているが、その庭は、隣接する敷地に立つ、伸び放題の木々が圧迫感を与えており、借景としてのコンデションは悪い。したがって写真を撮るには値しないが、まさか自分の寺の敷地の木でないものについて、この寺の責任にするのは間違ってるだろう。敷地奥には、二重の外輪山を持つ山を表現した岩が並べられていた。間違いなく須弥山を表現したのだろう。(注:仏教の世界観で、この世界の中央に聳えるとされた霊山)

これも東福寺の紅葉 なにげなく置かれている年代物の屏風(花鳥風月もの)


 ここの寺のふすまは、どれもとても古びているが、一体いつごろのものだろうか?ガラスケースに入った古美術品といっていいようなものが、現役のふすまとして、ガラスなしの、「生」の状態で目の前にある。大寺院ではありえないお得感を感じた。


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