・オタクのファッションが冴えないままである理由
   ――オタクにファッションはあり得るか――


  ここのhtmlにおいて、私はオタクの服飾や髪型について少し記述してみた。
 いずれもいびつで金銭的・時間的投資が欠けたものが多いと書いたわけだが、
 では何故、彼らはあんなにモサくて格好悪いファッションを律儀に守っているの
 だろうか?この理由は、きっと一人一人のオタクによって微妙に異なること
 だろう。しかし一応出来る範囲で、少しでも多くのオタクに当てはまりそうな原因
 について考察を試みてみたい。

  その前に、である。
  逆に、人並み程度にお洒落をする人達は、何故人並み程度にお洒落を
 するようになったのだろうか?もちろん両親に無理矢理お洒落にされたと
 いう例だってあるかもしれない。しかし多くの場合、わざわざお洒落になるから
 には、コストをかけるだけの理由が、つまりおしゃれをする事によって何らかの
 利益が期待されるからこそおしゃれになったと考えるのが穏当だろう。
 そう考えると、思春期以降、コミュニケーションスキル(異性も重大な要素と
 して含む)を磨かなければならないという要請があって始めて、大抵の人は
 真にファッションに投資を行うのではないだろうか?

  コミュニケーションを疎外するような服装・見た目は、コミュニケーションを
 維持発展させたい人間にとって、避けたい問題である。お洒落そのものが
 目的化してしまっているファッションマニア以外の場合、お洒落になる理由の
 かなりのウエイトを「コミュニケーション上優位に立つ為のファッション」
 「コミュニケーション上不利を被らない為のファッション」が占めているのでは
 ないかと私は想像する※1

  この手法で考えると、オタクがファッションをしない理由としては、
 ファッションを行う理由が欠落しているか、より優先順位の高い課題が
 存在してファッションに力が回せないか、人並み以上にファッションを
 するのが大変な環境に住んでいるか、とにかく何か、ファッションを阻害
 するような原因や理由があるからこそと考えるのが妥当である。

  では、なぜオタクはファッションを行う理由が欠落しているのか?
 ファッションよりも優先順位の高い何があるのか?どうしてファッションが
 普通の人よりも手こずるのか?

 これらの理由として考えられるものを、以下に挙げてみよう。


 (1)ファッションを気にする相手が存在しない

  大都会の真ん中に済んでいても社会的には山奥の男子校状態、それが
 オタクの中でも特にコミュニケーションスキルがなってないオタク達の
 現状である。物理的・距離的には世間から隔離されておらず、一見、
 どこにでも自由に行ける彼らだが、しかし社会的にはかなり世間から隔離
 されており、同類との人付き合いこそあれ、別個の趣味のコミュニティとの
 接触を職場以外で持つ事はあまりなく、社会的な行動範囲は著しく制限
 されたものである事が多い。

  これが、彼らを山奥の男子校状態に例える所以である。
 多くの職場では、作業着・制服・背広で働く場合が多いわけで、従って
 私服で会う相手というのは、家族以外は皆オタク仲間だけという事になる。
 特に閉鎖的なオタクコミュニティの中では、周囲も自分もファッションを
 あまり気にしないという傾向が強く、ファッションを行う事による利益は、
 正直あまり期待できない。例えば秋葉原の同人ショップ内でどんなに
 オシャレをキメたところで、得られるメリットなどほとんど無いだろう。
 ゆえに、社会的隔離状態を甘受し、狭いコミュニティ内で一生を過ごす
 覚悟があるなら、オタクはファッションに投資する必要性が実際に無い。
 なにせ、やったって金と手間ばかりかかってメリットが無いのだから。
 丁度、洞窟の中で一生を過ごす節足動物が、色素を退化させて真っ白に
 なっても生存上不利にならず、他の所に余力を回せるという、あれと同じだ。
 ファッションを行き着くところまで退化させたって、井戸の中では困らないし
 むしろそうする事が合理的でさえあるのだ。
 お洒落に費やすだけのお金や時間を、DVD代やパソコンのアップグレードに
 全額回したほうが、彼のコミュニティの中ではステータスも向上するというもの
 だし、そうでなくても彼の楽しみは増える。完全に社会的隔離状態を甘受する
 事や、その他の分野の人間関係を放棄する事を前提とするなら、ファッションに
 投資しない事はむしろ適応的とさえ言えるだろう。

  例えばケミカルジーンズにぼろぼろの白Tでも、同人ショップ内では誰も
 白い目で見たりはしないし、むしろオタクの制服と言ってもいいのが実状だ。
 逆にオタク友達しかいない人が、秋葉原で一人だけイタリアンクラシコとか
 カッチリ着てたとしても、奇異の目で見られるのが関の山である。また、
 ある種の集団の中では、不潔であるとか臭いとかいう問題はあまり大きく
 クローズアップされない。それらに実益があるとか必要性があるとか感じて
 いれば、皆で注意するのではないかと思うのだが‥‥彼らの狭いコミュニティの
 中では問題とならないのか‥‥ただし、冴えない格好だけど清潔なオタクの
 ほうが多数派なので、この不潔清潔の問題は、ごく一部の特別に無頓着な
 オタクに限られた現象と推測される。
 
  なお、一部の勘違いファッションなオタクファッションの人達は、そんな
 洞窟的狭小コミュニティの中では自分がお洒落と思いこむ事を志向した、
 ちょっと特殊な適応スタイルをとったオタクである。それはもう汚い長髪でも、
 バンダナの使い方が根本的に間違っていても、そのコミュニティの中では
 (中だけでは、そして気分だけは)十分ファッションリーダーにでもなった気分を
 満喫できるし、それをもって気が大きくなったような心理的優位性を得る事が
 出来る。心理的優位性は、多くの人がファッションから享受する利益の一つ
 であり、そういう意味では、彼らの変てこなオシャレも、彼らの世界の中では
 ある程度ファッションとして機能していると考えていいかもしれない。
 「オレって格好いいぜ」と気を大きくする為の道具としては、彼らの手法で
 あっても十分に有用である。

  ちょっと付け加えておく。以上は全て男性オタクの場合であり、女性オタクは
 この限りではない。最低限の身だしなみを忘れた女性は、醜いアヒルの子
 (しかも一生涯白鳥になれないやつ)としてつまはじき確定である。たとえ、
 オタク同士の間であっても、である。

  女性達は表面的には見た目ウザ系キショオタク女にも優しく分け隔てない
 ように見せなければならないので完璧にそうしているが、実際の彼女たちは
 ドライアイスの如き冷たい心の持ち主ではないにしても現実家で、ウザ系
 キショオタク女をきっちりと嫌悪軽蔑している事が非常に多い。とにかくも
 見た目に関する限り、女性のオタクの殆どが身なりを一定水準以上に
 保っている。そうしなければ女性コミュニティの中で適応していくのが大変だ
 という事を、彼女達は良く知っているようである。

  ゆえに、殆どの女性オタクの場合はこの単元の書き込みが当てはまらない
 事を、ここにお断りしておく。これが当てはまる様な女性オタクは、そうそう
 いるものではない。


 (2)異性を気にする事や、同性との競争を放棄してしまっている

  結婚してからの男性が太って身なりもだらしなくなるのはこのせいだろうか。
 失礼。話が逸れかけた。
 話をオタクに戻すと、ある種のオタクは異性との接触に全く自信が無かったり
 全くあきらめたりして、女遊びの事ばかり考えている男達が大勢蠢くこの社会で
 異性を獲得する事を諦めてしまっている(尤も、異性との接触を内心は渇望
 している例が多数みられる。2ch毒男板、喪男板参照)。彼らは自分がその
 “争奪戦”に勝てない事をよく知っている。否、知った気になって諦めている。
 自分自身の潜在的可能性がどうであれ、自信と勇気が、どちらも無いのだ。

  外の世界の異性との接触・他のコミュニティの男達との恋愛にまつわる競争は、
 「賭けに勝てば最高に嬉しいかもしれないが、賭けに負ければ時間や金を失い」
 「自分が受け入れて貰えなかったり、ともすればけなされたりする」という辛い
 体験を覚悟しなければならない。異性獲得競争を諦めるのは辛い事だが、
 勝ちの薄い賭けに投機するよりは、誰彼構わず媚びを売ってくれるような
 目の大きい女の子が出てくるゲーム代金に宛てたほうがbenefitは確実と
 いえば確実である。投資に見合った確実な利益の確保を考えれば、恋愛など
 しないほうがいいし、わざわざ異性を意識したレベルのファッションを整備
 する事など、無意味である。異性を意識したファッションには、多かれ
 少なかれ、時間、金銭、努力、知恵などを投資しなければならないわけだし、
 しかも、特定の異性に好かれるか否か、というレベルにだけ着目するならば、
 多分に投機的なリスクは避けられない(特定の異性、でないなら投資的だが)
 彼らの異性関連の投資に対する判断は、このように確実性という視点だけ
 見れば非常に合理的と解釈出来なくもない。

  こういう考え方のもとであれば、当然ファッションに対する投資は、異性を
 意識している男性諸氏よりも減少して然るべきである。自分の所属する
 コミュニティで必要最低限とされる以上の服装は、しないほうが合理的で
 適応促進的とさえ言えるだろう。



 (3)ファッションの影響を過小評価している場合や、自分の内面を
 重視しすぎている場合

  人間中身が大切だという主張を突き進めた末に、外見はどうであれ
 中身さえ立派であればいいという考え方に帰着する人もいる。ゆえに、
 外見はどうでもいい→見た目にお金を使う必要がないという論法をもって、
 ファッションを行わない理由としている人達がいる。※2
 このような発想に帰着するオタクは、当然ファッションには殆ど投資しないし、
 する必要があるとは考えない。このような発想が果たして彼らの主張する
 ところの「人間の中身」を精錬するのに実際有利かどうかはともかくとして、
 このような主義を奉じている限りは、外見には殆ど注意を払わない、という
 現象は十分発生しうるだろう。

  また、外部とのコミュニケートを試みてはいるけれどもファッションの効果・
 影響について過少に評価した方針を取っているオタクもまた、ファッションが
 乏しくなることだろう。ファッションの影響力に目をつむる彼らのコミュニ
 ケーションスキルは推して知るべしだが、ともかく、そういう方針を採択して
 いる以上は、その人のファッションはあまり進化しないで停滞することだろう。


 (4)衣食住よりもオタク趣味、という強い邁進性

  オタクの中には、自らの健康よりも社会的地位よりも視野の広さよりも
 ‥‥とにかく全てよりも自分のオタク趣味を優先させる、強い人間も少数いる。
 彼らの或る者は、酷寒の秋葉原に徹夜で並んで特典付きアニメDVDを購入し、
 或る者は食費を削ってハイスコア達成に賭ける。世間的に侮蔑されるオタクと
 なる事なぞ省みずにオタク武勇伝に輝かんとする強者達の中には、求道する
 オタク趣味に一切を捧げ、それゆえ衣食住がおろそかとなる者がいる
 求道を究めんとするオタクは、保有する時間・金額・そのほか全てを自らの
 趣味に捧げるのである。これを求道者と言わず何と言うというのか。私の
 ような中途半端なオタクには出来ない芸当であり、私個人はその態度に
 敬意こそ覚えど、侮蔑の念は沸き起こりようが無い。

  このようなオタクエリート的な修験者達は、己の道をきわめんとするために、
 見た目に手が回らない場合が往々にしてある。私個人は彼らを大変尊敬
 しているが、しかし世間は彼らを「キショオタ」の一言で一蹴してしまう。
 なぜなら、彼らは趣味に全てを捧げていて、粗末な服を買い換える時間も
 お金も無いからである。

  しかし注意すべきは、この手の求道者の中には、求道したくてしている
 尊敬すべき本物の中に、一見本物のように見えて実際は他に能がないから
 仕方なく求道しているようなポーズを取っている哀れな輩も混じっている
 事である。鑑別には人を見る目が必要と思われる。後述する(5)のような
 情けない人間も、しばしばマネをしている事がある。


 (5)服装も整えたいけれども、お金を愉しい事にだけ使っていたい場合

  お酒はやめなきゃいけない。でも、おいしいからやめられない。こういう
 よくある現象と同じように、オタク趣味以外にも投資する事が大切と認め
 つつも、オタク趣味に全てうっちゃってしまう悲しい人達がいる。彼らは、
 こんな事を続けてはならない、他にもマスターすべき事がある、服装も
 一張羅ぐらいは用意しなければならないと分かっていても、自由になる
 お金や時間が入るとその意志の弱さゆえに、欲しかった同人誌や見た
 かったDVDに投資してしまう、というタイプである。

  だらだらと無思慮にオタク趣味に蕩尽する人達の中には、金が無いわけ
 でもなく、ファッションの重要性を理解していないわけでもなく、しかも何かを
 徹底的に求道しているわけでもない、ただ無為無策としか言いようのない
 オタクが混じっている。求道しているわけでもないためか、実際彼らのオタク
 趣味は「安い」「くだらない」「ありきたり」と感じさせる事が多い。

  このような意志の問題でだらだらだらだらとオタクhobbyをブロイラーの如く
 貪っている輩は、オタク趣味の世界以外にも大勢いる(ex.パチンコ屋などに)が、
 どこの世界に住み着いたとて、その意志の弱さゆえにファッションは勿論、
 殆ど全ての自己投資・自己育成が困難であり、だらだらと快感に対して蕩尽し、
 結局はどこの世界でも大した事は出来ない。
 この手の手合いは、ファッションが冴えないのはオタクである事とは直接
 関係せず、厳密にはこのページで扱うべきではないのかもしれない。
 ただ、オタクの中にも、このような意志薄弱の徒が多く混じっているのも
 やはり事実なので、取り上げてみた。


 (6)経済的に極端に貧しく、生きる事で精一杯の場合

  経済的にきわめて貧しい人の中には、オタク趣味云々という以前に、その日
 暮らしゆえにファッションに資金を投入するいかなる余地もない場合が
 あるだろう。それこそ、インターネットやる余裕もないような人達の中には、
 ファッションについて思いを馳せるゆとりがない気の毒な人もいる。そういう
 人がこのテキストを読む事はまず無いだろうが、こういう例もあるであろう
 事は覚えておかなければならない。なお、ここには秋葉原で毎年何万円もの
 買い物(それも、仕事や家事には関係のないようなもの)をするような人々は
 決して含めない。そんな人が「金ねぇ」といっている場合には、おそらく
 この章の他の理由がメインの理由と私は断定してしまおう。


  以上、オタクが人並みのファッションをしない諸々の理由を考えてみた。
 もちろん、これ以外の理由でファッションが阻害されたり不必要となったり
 する事はあるだろうが、そういったの場合も
 
 なぜオタクはファッションを行う理由が欠落しているのか?
 ファッションよりも優先順位の高い何があるのか?
 どうしてファッションが普通の人よりも手こずるのか?

 という観点から理由を考えていけば比較的原因を特定しやすいと考える。

  とにかく、必要ないと思っているものにお金や熱意を傾ける人間などいない
 ※3。例えばゲームに興味のない人間がプレステ2のゲームを買いあさる
 事は無いだろうし、占いに何も期待しない人がタロットカードを購入する事も
 普通は考えられない。オタクとて、それは同じだ。オタクにファッションをやたら
 勧める人がいるが、その場合、勧められる側にファッションを行う事による
 メリットや理由が存在しなければ成功はしないだろう。ファッションをオタクに
 させるには、まずファッションによるメリットを与えなければならないのだ。
 今回挙げたように、彼らは往々にしてファッションなど不要な状況と心理の中を
 生きているので、その世界から出たいと思わない限りは、いかに外部が声高に
 「ムサいよそれ」と言ったところで効果は薄いだろう。

  逆に、オタクが自発的にファッションを意識するようになった場合は、
 ファッションをしなければならない理由が生まれたと考えるのが穏当だ。
 単にファッションに否定的になる理由が消えるだけでは押しが弱い。何か
 肯定的になりたい理由が潜んでいる場合が多いようだ。例えば女の子に
 モテたいだとか、友達が欲しいだとか、そこまでいかなくてもまともに口を
 きいてもらいたいだとか、とにかく理由が生まれたと思ったほうがいいだろう。
 この事は、服装を気にするようになったり“擬態”に成功している隠れオタクの
 心理を理解する上で重要なkeyとなる可能性がある。

  最後に付け加えておく。ここではオタク→だからファッションがダメ 
 という図式で、オタクファッションの低劣な理由について考証してみた。
 しかし、逆の存在する可能性を否定するものではない。
 (ファッション以外も含めた)コミュニケーションスキルが乏しいがゆえに
 オタク人生へと邁進していく人達もいるであろう点、である。これについては、
 「オタクが発生する理由」という項で少し触れてみたい。まあどちらが元々の
 原因でどちらが結果であれ、或る一人のオタクが今現在ファッションに力を
 注がない理由は以上のようなものと推測される。そしてその事は、ただでさえ
 乏しい彼のコミュニケーションの能力と可能性を一層乏しいものにしていると
 考えられるのだ。


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【※1私は想像する。】
  例外が存在する事は、わかっていて欲しい。趣味が服選びという変わった
 子だって存在していいだろう。料理が趣味の小さな男の子だっている事だし、
 バーチャロンに夢中になる小学校の女の子の例もある。

  もっとも、それらの多くとて本人に「興味」があったから始まった事である。
 興味もなく必要もないような分野に投資する人間を、私は世間であまり
 見たことが無い。少なくともどちらか一方があってはじめて、能動的な
 投資が発生するものと考える。
 ただし、子供達は考えて興味や必要に投資するわけではない事には注意。
 子供達は、感情の赴くままにたまたま興味や必要性を覚えるものである。
 また、案外多くの非オタクの人達はああだこうだと考えずに、興味があるから
 というだけで服飾を整えていく。





 【※2理由としている人達がいる。】

  現実世界を考慮すると、狭義の中身――話術などのコミュニケーション
 スキルを含めない本当に他者からは把握できない内面世界――など、
 どうでもいい事として他者からは評価されるものである。というか評価不能。
 逆に、狭義の中身がどうにもならない男性であっても、お洒落でジャニーズ
 顔で女の子にウケる話題を豊富に知っていれば、そこそこ女性にウケが
 いい。また、どんなに性格悪くてわがままで気まぐれで残酷な女性でも、
 アイドル・女優級のルックスとあか抜けた服装、男を惑わす狡猾さなどが
 あればアホ男を何十人も手玉に取れる。狭義の中身とやらではなく、
 他者に対してどのような働きかけが可能なのかが、他者からの評価には
 影響を与えると考えたほうが現実的だ。

  世間の人間、特に大多数の人間とのコミュニケーションにおいて、「その人
 の内面が良いか否か」の判断材料となるのは、実際の内面すべての総和
 ではない。ファッションも含めた表面的なコミュニケーションスキルによって
 それらの判断は形成されはじめ、個人の内側に潜む要素は、付き合いが
 長くなってからじわじわと影響して来る、という場合が多い。内面深くを
 瞬間的に相当判断出来る人もいない事はないが、彼らの殆どは、コミュニ
 ケーションや人間について膨大な経験を有する稀な人間と推測される。

  反面、自分の中身に自信があると主張するコミュニケーション拙劣な
 オタクで、内実がそれなりに伴っている事を確認出来たオタクに会った事は、
 あまりない。いや、彼らの内実は素晴らしい秘宝に満ちているのかもしれない
 が、それを確認するのが困難な場合が多い。外見からも、話の内容からも。





【※3熱意を傾ける人間などいない。】


  これらの要素には経済的な問題が絡んでくる点に留意してもらいたい。
 手にした経済単位が大きくなれば、オタクといえども身なりにお金を回す
 ゆとりが出てくる可能性がある。この場合は、擬態をしたいかしたくないか
 はさておき、ある程度良質のファッションを手にする可能性が浮上してくる。
 最悪コーディネイトについては店の人に任せきりにすればいいわけだし。
 (まあこれは例外中の例外だろうけど)