我家の西側には道路が南北に伸びています。
その道を隔てて向こう側には今ではほとんど使われなくなったこの地区の小さな公民館が建っています。
以前は必ず年2度の集まりがありました。
確か・・・
4月17日の『馬頭観音のお参り』 9月13日の『地域神社のお祭り』
今では、すっかり忘れられた地区の行事ですが、その建物脇には馬頭さんの石碑、奥には小さいですが神社の祠が残っています。
以前、この地区の長老に聞いた話です。
かつては、この地域も一つの町内会として存在していて盛大に祭りもおこなったそうです。
しかし人口減少で町内会統合で4つの班になり、その後さらに減少し現在では2つの班になっています。
統合の影響もあって私の所属する班も、戸数は二十戸もありません。でも、市街地では考えられないくらい広範囲になっており、周囲10キロぐらいあります。
独居の方も多々いて、この地域では回覧板は死語です。
ちなみに月に2回配布の町広報誌は班の広報を配る役目の方が担っていて、自動車でも三十分では配り終えれず一時間近くかかることもあります。
町内会が統合される際、それぞれの町内会にあった神社や馬頭さんは、統合後の集会場の脇に集められました。
しかし当時のここの町内会の方々は、それを拒みました。
『地域の神社や馬頭さんは、ワシら ワタシらが守る』と。
確かに、当時ご健在だった彼らは年2回の集まりを楽しみにしていましたし、
その前日には皆で集まって草刈りなどの環境整備も行っていました。
その後に住み始めた新参者にとっては経緯が定かでない部分もありますが、町内会と地域の違いが理解できませんでした。
さらにその当時から不安に思っていたことがありました。
すでにその当時以前から少子高齢化は進んでいました。そんな状況での町内会統合だったのでしょう。
近い将来、この地域の集まりは続けられるのか。
参加している顔触れの多くが年配者であり、そのご子息やその家族の参加はありませんでした。
今、三十数年の歳月が過ぎ、農業地帯だったこの地域も大型農業や法人化が進み農家戸数は激減しました。
そして専業農家でも兼業農家でもない方々の人数が上回りました。
歳月は集まりを楽しみにしていた方々の多くを知らない遠い世界へと旅立たせました。
さらに少し残念なことに、そんな彼らのご子息さん達がそこをお参りする姿をみたことがありません。
今年も、このエリアの草刈りをしました。
すこしだけ右に傾いた祠の前に立ち、
半ば開いた扉の中を覗いてみると、
黄ばんだお札が数枚置かれてありました。
(2021/9/30)