Forest Page


過去のページ




地区の小さな公民館で   (2021/09/30)


北新得 元15区公民館にある馬頭観音と神社 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下

 我家の西側には道路が南北に伸びています。
その道を隔てて向こう側には今ではほとんど使われなくなったこの地区の小さな公民館が建っています。

以前は必ず年2度の集まりがありました。
確か・・・
   4月17日の『馬頭観音のお参り』  9月13日の『地域神社のお祭り』
今では、すっかり忘れられた地区の行事ですが、その建物脇には馬頭さんの石碑、奥には小さいですが神社の祠が残っています。

 以前、この地区の長老に聞いた話です。
かつては、この地域も一つの町内会として存在していて盛大に祭りもおこなったそうです。 しかし人口減少で町内会統合で4つの班になり、その後さらに減少し現在では2つの班になっています。 統合の影響もあって私の所属する班も、戸数は二十戸もありません。でも、市街地では考えられないくらい広範囲になっており、周囲10キロぐらいあります。 独居の方も多々いて、この地域では回覧板は死語です。 ちなみに月に2回配布の町広報誌は班の広報を配る役目の方が担っていて、自動車でも三十分では配り終えれず一時間近くかかることもあります。

 町内会が統合される際、それぞれの町内会にあった神社や馬頭さんは、統合後の集会場の脇に集められました。
しかし当時のここの町内会の方々は、それを拒みました。

『地域の神社や馬頭さんは、ワシら ワタシらが守る』と。

 確かに、当時ご健在だった彼らは年2回の集まりを楽しみにしていましたし、 その前日には皆で集まって草刈りなどの環境整備も行っていました。 その後に住み始めた新参者にとっては経緯が定かでない部分もありますが、町内会と地域の違いが理解できませんでした。 さらにその当時から不安に思っていたことがありました。 すでにその当時以前から少子高齢化は進んでいました。そんな状況での町内会統合だったのでしょう。 近い将来、この地域の集まりは続けられるのか。 参加している顔触れの多くが年配者であり、そのご子息やその家族の参加はありませんでした。

 今、三十数年の歳月が過ぎ、農業地帯だったこの地域も大型農業や法人化が進み農家戸数は激減しました。 そして専業農家でも兼業農家でもない方々の人数が上回りました。 歳月は集まりを楽しみにしていた方々の多くを知らない遠い世界へと旅立たせました。 さらに少し残念なことに、そんな彼らのご子息さん達がそこをお参りする姿をみたことがありません。


今年も、このエリアの草刈りをしました。
すこしだけ右に傾いた祠の前に立ち、
半ば開いた扉の中を覗いてみると、
黄ばんだお札が数枚置かれてありました。

(2021/9/30)



<Topに戻る>


念願の軍艦島   (2019/06/16)


上陸した軍艦島の眺め 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 初春、念願の軍艦島に上陸しました。
ツァー船から降り立った島には、日々朽ちていく建造物群がありました。

 ツァー船に乗り込む前に、その会社が経営しているというミュージアムの見学をしました。
あちこちから集められた写真や現在は立ち入り禁止区域で調査中に写したであろう映像も、バーチャル映像体験させて頂きました。 それらの写真や映像には、そこで生活する沢山の方々の姿もありました。 さらには、船内でお話頂いたツァーガイドの方のかつての生活体験談も興味深く聞かせて頂きました。 人々は笑い、活気があったことが想像できました。

 しかし、そこに同じように生きていたであろう外国人労働者の姿の映像も、彼らの話もありません。 国策に振り回された石炭産業の歴史は、最底辺で働いていた名も知らぬ方々に支えてられていたはずなのですが、 こういう所では出てこない話題なのでしょうかね。残念です。

軍艦島に現存する建物 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 
 長崎は一大観光都市です。
ここは軍艦島のように、悲しい歴史の上に成り立っているように感じました。
今では観光資源になっている大浦天主堂も平和公園も、そこには悲しい歴史の上に成り立っています。

海からの軍艦島の眺め 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 稲佐山にロープウェイであがってみました。
『世界新三大夜景』長崎の夜景は流石に素敵でした。
街の明かりに、列車が走るが明かり、そして港の明かり。まるで玩具の世界ですが、そこには沢山の方々が生きているんですよね。

そして、
夜景を堪能し、展望台をあとにする時、
何気なく、目線を向けた方向に見た、暗闇の空に刺さるテレビ塔に釘付けになってしまいました。

稲佐山のテレビ塔 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

(2019/6/16)



<Topに戻る>


5年ぶりの気仙沼   (2016/04/03)


気仙沼 安波山からの眺め 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

5年ぶりに訪れた東北。気仙沼が一望できる安波山に登りました。
海の色がかつて以上の色に戻り、穏やかな入江でした。将来、大島へは橋が架かるようです。

只々雑然としていた風景・走り回るダンプの姿はすっかり少なくなりました。きっと地盤沈下した港周りの土地のかさ上げ工事はほぼ終了したのでしょう。
道路が整備され、それと並行して電柱が立てられ、電線が張られ、その風景が異様に目立っていました。 脇には未だ取り残された建物もあるのですが・・・。

少し離れて高層の復興住宅ができて、すでに入居しているようでした。 山の方に目を向けると、今まさに復興団地住宅の建設中でした。

地元の働き手の方々は復興関連土木事業の仕事を選び、なかなか地場産業に戻ってこない現実があるようです。
そういえば、取りやめる町が多いのかと、勝手に想像していたスーパー堤防は、やっぱり三陸海岸沿いのあちらこちらで建設ラッシュでした。 将来、港町なのに海の見えない港町になっていくかもしれない東北太平洋側海岸沿いの観光は、いったいどうなるのか暗い気持になりました。

現実といえば、整備された土地に目立つのは都会資本のお店でした。 まだまだ地元商店は仮店舗営業か休業・廃業状態でした。
山の手の復興団地は、事前の募集で全て決まっているようです。 しかし、冬季、障害物のない山からの吹き下ろしは厳しいと想像されます。 又、そのエリアには商店はなく、買い物は山を下りなければなりません。 高齢者の多いこの土地で、足の確保は大丈夫なのか。結局はこの場所を諦め、山を下りる方々が増えるのではないかと感じました。


規模はかなり違えど、わが町新得町も同じかもしれません。
台風10号の影響で、小川が暴れて川幅が5倍にも10倍にもなりました。 沢山のものも流されました。もう大雨が降ると怖くて、この川の近くでは住めないという方もいると聞きました。 しかし、少なからず、川に今まで恩恵を受けてきました。川と人間を完全に遮断する方法ではなく、共存していける道を選んでほしいと思います。 それは、いざ、お怒りになった自然が鎮まった際に、元の生活に戻れるように、行政を筆頭に、迅速な対応ができるように、日々の準備だと思うのですが、難しいでしょうか。

(2016/10/13)


<Topに戻る>


青海島の朝   (2016/04/03)


青海島の朝 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 三十数年ぶりに訪れたこの島は、タイムスリップしたように静かな風景が流れていました。

かつては沿岸捕鯨で賑やかだった鯨資料館のある通浦(かよいうら)。その港も今はすっかり静かな時間が流れていました。

地元の方々が朝市の準備中でした。しかし北長門海岸国定公園の代表的な景勝地のある地とはいえ、この港に観光客の姿は見えず、カメラのシャッタを切っていると、地元の方でしょう、不思議そうにこちらを見ていました。そんな場所だから、朝市もきっと地元の方々のコミュニティの場なんですね。



 青海島は金子みすゞさんのふるさと長門市仙崎の北にあり、青海大橋により本土と連絡されていて、島を渡った感がありませんが、仙崎の金子みすゞ記念館の周りでの観光客の姿が見受けられるのとは対照的な場所でした。


三十数年以上前に、その地にユースホステルが在る事に興味を感じて訪れた「青海島ユースホステル」。
その建物はもうありませんが、その後、その建物の後ろの裏山に「ペンションおおみじま」が営業しています。現在は息子さんにオーナーを譲られたようですが、すでに八十歳を超えられたかつてのユースホステルのペアレントさんも、昭和の色を感じる雰囲気、佇まいの中で現役で切盛りされていました。

 この空間、大切にして欲しいなぁ。と、勝手な思いを抱いたペンションでした。


 新得町は特急が停車する鉄道の町と言いつつ一時間に一本程度の汽車が発着する程度なので不便な地域かもしれません。しかし山陰地方の山口県、島根県西部は、比べ物にならないくらいJRの便が悪いのです。

ただ、その影響なのでしょうか。時間の流れが本当に緩やかで、素晴らしい観光地でした。

機会を見つけて、今度は、もう少し滞在したいものです。

(2016/04/03)

青海島の絶景 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下


<Topに戻る>


鎌倉   (2015/06/09)


鎌倉長谷寺のガクアジサイ 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 アジアの国々からの観光客があふれていました。

本当に久しぶりに訪れた鎌倉の町でしたが、さすがに観光の町です。JR鎌倉駅に近い鶴岡八幡宮は外国人観光客と修学旅行の団体であふれていました。

鎌倉駅から江ノ電に乗りました。
以前この電車を利用した時は、TVの青春ドラマで一部で有名になっていたのですが、こんなに人が乗車していた記憶がありません。 多分、乗車の方々は地元の雰囲気が強かったような気がします。

長谷寺で下車しました。
あじさい満開にはまだの長谷寺でしたが、遠くに海が見えました。太平洋のどのあたりの湾が見えているのか定かでありませんが、ガクあじさいの青色と相まってとても綺麗でした。
あじさいの花が、境内に広がる頃には、整理券を配るほどの人であふれるようですが、それでも沢山の人でした。

 

 もう何十年も前に奈良県桜井にある長谷寺を訪問したことがありました。いつ頃の季節に訪れたのかも忘れてしまいましたが、あじさいのことも、牡丹のことも全然覚えていません。 沢山の方々がお参りに訪れていたというよりも静かな雰囲気だったような。もしかして花の季節ではなかったのかもしれません。 登廊(のぼりろう)の印象が微かに記憶に残ります。

 鎌倉のあじさいの季節はもう少し後のようでしたが、奈良の長谷寺のものと同様だといわれている本尊の木造十一面観音立像はとても迫力があり感動しました。 決して仏像オタクではないのですが、しばし見惚れていました。

 

 梅雨の、あまりイメージの宜しくない季節と重なる内地のあじさいですが、我家のあじさいの花が咲く7月は暑くなる初夏です。 その前の6月の北海道は、雨はあっても過ごし易く、花も競うように咲いています。しかしそんな花の北海道の季節には、鎌倉のように、これだけの方々が訪れていません。

   そこには歴史ある神社仏閣があって、その背景として花がある。

北海道にはどうあがいても敵わない観光遺産なのですが、これも日々地味な積み重ねの結果であって、新しいものを追いかける傾向の強いこの地では難しいかもしれません。

今度は、奈良の長谷寺を訪れてみようかな。

(2015/6/9)

鎌倉長谷寺の良縁地蔵 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下


<Topに戻る>


紋別 カニの爪   (2014/03/01)


紋別 カニの爪のオブジェ 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

 
 
 巨大なカニの爪を見ました。
 
 紋別で、流氷のオホーツク海を砕きながら進むガリンコ号に乗った、とても天気の良い日でした。まぁ、流氷といっても、2月にやっとこさシベリアからやってきた紋別の流氷は、数日前からのよい天気で、ほとんどが遙か沖に戻ってしまって、湾内に取り残された残骸流氷がある、ちょっぴり残念なガリンコ号乗船体験だったのですけれど・・・。

 ガリンコ号の乗船場あたりは、国籍豊かに沢山の観光客で賑わっていましたが、このカニの爪のオブジェのあたりは、時々ポツっと見学者が訪れている程度で概ね閑散としていました。昭和50年に製作されたこのオブジェ、どうしてカニの爪だけなの?と、思いつつ、それでも少々痛み出しているこのオブジェは、なかなかの迫力を感じました。

それにしてもこのオブジェはガリンコ号の乗り場からも、近くにある道の駅からも離れた場所にありました。あまり人に来て見てもらいたくないのでしょうか。もう少し人目に付く場所に移動してあげたら、もっと話題になりそうに感じるのですが、やはりオホーツクの海をバックに一人孤独に耐えて居るのが絵になるのでしょうかね。

 

 もう少し、流氷が近くに来ていないか東に向かってみました。
湧別に入って海沿いにある展望台に登ってみると、遙か知床の方面には白い塊が望めましたが、この辺りには、取り残された流氷が海岸線に固まっているだけでした。でも折角だからと海岸まで行ってみることにしました。
そこには折り重なるように氷の塊が留まっていしました。海岸線が埋め尽くされるほどの流氷ではありませんが、静かなオホーツクの海にあるそれはそれなりに迫力を感じる光景でした。

ふとテトラポットを見ると、オジロワシが私達を見ていました。

 「残念だったねぇ」

って、言っているような・・・。そう、きっと空耳です。

紋別のカニの爪がそうだったように、ワシはその後もズーとその場所にいました。

(2014/3/1)

オホーツクの海 湧別にて 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

<Topに戻る>


参拝 中尊寺   (2011/10/08)


平泉 中尊寺参道にて 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下




多分、中学以来の訪問だった。


すっかり忘れている。
何も思い出せない。

中学生だった私には寺院仏閣など興味の対象ではなかったのだ。


今この年齢になっても、やはりたいして寺院仏閣に興味を持てない自分がいるのだが、二百数十メートルの上りの続く参道の杉の大木には心躍る。

平泉 中尊寺参道にて 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下


 金色堂は世界遺産に認定されたものの、外国人の姿はほとんどない。

フクシマから150Km以上離れているこの地だが、外国からみるとフクシマもイワテも同じエリアなのだ。まして隣りの県の稲わらからも放射能騒ぎがあったり、この辺りがホットスポットに近いということもあるのだろう。

遠い外国の地に同じような事が起こっていたら、ほとんどの日本人もやっぱり行かないだろう。これは仕方ないように思う。

 ただし、中尊寺の関係者には申し訳ないけれど、私には、これくらいの方々の参拝者で充分だ。特にアジア系の方々が来られると文化の違いもあってその周りは煩くてしかたが無い。

この程度の静寂さは、この地にあって欲しいと思うのだ。

(2011/10/8)

<Topに戻る>


再会 太陽の塔   (2010/04/10)


大阪万博記念公園にそびえる太陽の塔 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

いつ以来だろう、『太陽の塔』に再会したのは。

たしか記憶では、壊されるはずだったのに、
40年経った今、
周りの風景はどんどん変化してしまったのに、
40年経っても、
やっぱり青い空に向かって仁王立ちの彼でした。

あれだけ人々が行列をなしていたアメリカ館も、ソ連館も、そして桜の花びらの日本館も、今はもうありません。彼こそが大阪万国博覧会だったのかもしれません。

今は入口も出口も無いのだけれど、淋しいことにその足もとにはフェンスが張られて彼に触れることが許されません。

そして、たしか『お祭り広場』だった彼の眼下に広がる『立ち入り禁止』の芝生は、とっても理解に苦しむ光景でした。

40年前、そこでは色々な国々の方々が、歌ったり踊ったりしていました。
屋根が無くなってこれだけの青い空を彼と一緒に見上げることが出来るのに、そこではもう誰も歌ったり、飛び跳ねたりできません。


ただただ、静かに空を見上げましょうか。

大阪万博記念公園にそびえる太陽の塔 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下


時4月
彼の眼下には、満開の桜の花咲く万博公園。
その淡い淡い桜色の木が続くその下には、沢山の人達。
大道芸人のひろとさんの姿もあって、多くの見物人が、その大道芸を楽しんで観ていました。

そう、新得なら、会う人の何十年分の人々。
決してピンク色ではない極めて白に近いピンク色の花が溢れていました。

(2010/4/10)

<Topに戻る>


旭山 男山自然公園   (2009/05/05)


カタクリの花が満開の男山 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

5月初旬、旭川市東山にある男山自然公園に出かけました。

こんなに沢山のカタクリの絨毯を見たのは初めてでした。
恥ずかしながら、この山は旭川市が管理しているのもだと思っておりましたが、ここに来て、一企業である男山株式会社さんが管理されているということを知りました。

白い花のカタクリ
白花カタクリ 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

あまりにカタクリの花が多いので、隠れてしまいがちですが、イチリンソウ、エゾエンゴサク、ヒトリシズカ、エゾエンレイソウ等々、沢山の草花が育っていて、とっても行届いた林でした。

もしかしたら、企業のイメージUPなのかもしれません。それでも、とても素晴らしい空間作りに日々努力されていることにとても感動しました。

残念ながら我家の林にはカタクリの花はありません。でも、エゾエンゴサクやエゾノオオバナノエンレイソウをはじめ、それなりに草花が咲いてくれています。男山自然公園に少しでも近づけるような可憐な林に育てられたらと思った一日でした。



男山で見たウルトラセブン 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下
男山で見たミラーマン 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下


男山自然公園の中のちょこっと外れたところに、感動の英雄が静かに待機していました。
幼き頃の憧れ、ウルトラセブン(左)と、ミラーマン(右)です。

コンセントが挿されていたので、きっと現役でしょう。さすがに幼児の体重ではありませんので、実際に作動命令はしませんでしたが、美しく整備された英雄でした。できれば、我家に来て頂きたいお二人でした。

名残惜しさいっぱいで、なかなか離れることができませんでした。(2009/05/05)

<Topに戻る>


湿原ノロッコ号と旧相生駅   (2008/09/01)


釧網線を走るノロッコ号(釧路湿原駅) 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

夏休み1泊2日の屈斜路湖砂湯キャンプに出かけました。

こんなに空いていたかなあ。
「お盆あたりは一杯ですよ。」と言う話ですが、記憶にある夏場の砂湯は、道路まではみ出すほどテントが所狭しと張られている風景です。
見渡すと、年配のご夫婦。孫達と泊まるおじいさんおばあさん。もちろん、何組か、子づれ家族のテントもあるにはあるのですが・・・。アウトドアーなどいう面倒なものは興味の対象ではもう無いのでしょうか。
このまま日本中携帯電話とバーチャルな世界だらけになっていくかもしれないと思うと怖い。

突然の塘路駅。
決して鉄チャンではないのですが、駅に惹かれていきます。それがまさしく鉄要素なのか?

キャンプの帰り道。引き寄せられるように塘路駅に行くと、そこには発車を待つ「ノロッコ号」がいました。
駅に着くまですっかり忘れていました。この駅は夏の「ノロッコ号」の始発駅であり終着駅なのでした。

しかし駅の中も外も人だらけ。ふと、見上げると、駅横のやぐらの上にも人そして人。

そして、引き寄せられるように車内へ・・・予定にまったく無かった乗車をしていました。



北見相生駅跡 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下

一度行ってみたかった津別の「相生鉄道公園」。
そこには、今は亡き小川さんが中心になって静態保存された車両が数多くあります。
雨ざらしとはいえ良く整備された車両の中の一つはライダーハウスになっています。

土や草で覆い被さられたターンテーブル。その線路後方にある機関車庫。その昔はSLが活躍していたのでしょう。美幌から釧路まで続く線路を夢見て・・・

「おがえもん廃線研究所 国鉄相生線」

<Topに戻る>


尾道そして竹原へ   (2007/04/23)


尾道の初春風景 枠上
枠右 space
枠左下 枠下 枠右下

春休みのある日、何十年ぶりの尾道へ。

「青春18切符」をフルに利用して、降り立った尾道駅前は、以前の素朴なイメージを見事に潰しくれる不釣合いの建物が建っていました。

きっと宣伝が上手なのでしょう。向島にある映画のロケセット見学に訪れるたくさんの観光客がいました。

内地を旅していると時として歴史は偉大だと感じる時があります。歴史が観光地になっている。新得では難しい話で、お寺や神社があることで大観光地として君臨し、その影響で周りのお店が潤っているのです。

それにしても、林芙美子が言う「海が見える・・・。」の静かな瀬戸内の海を車窓から堪能するにはあまりに建物が立ち過ぎました。そして山の上から見える町並みに、今は昔の話となった気分となりました。


気になるサイト:きっと行って見たく写真集です。尾道デジカメ紀行



竹原駅前商店街で見つけた春の花 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下

少し足を伸ばして、呉線沿いの竹原へ行ってみました。程好く保存された町並み保存地区。町並み保存は結局行政がバックアップしてくれないと難しいことです。

新得では古い建物を壊す為の補助金は出てもなかなか古い建物を保存する補助金は?です。そして、古いものイコール汚らしいもののイメージが残る新得の現実があります。

竹原の駅前商店街は町並み保存地区ではありません。新得駅前と変わらないくらいさびれていました。でも、さりげなく植えられ飾られたお花達を見ていると、その辺は新得とは違うところかも知れないと思いました。そして親切な観光案内所の方が印象的でした。

<Topに戻る>


大阪 住吉大社   (2005/05/05)


雨の住吉大社 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下


春休みのある日、大阪の住吉大社に行ってきました。日頃から神信心の薄い私達家族ですが、雑踏・雑然とした大阪にあって静かで緑の多い所といえば神社やお寺の敷地でしょう。シーズンでもなく小雨も降っていたせいもあってとても落ち着ける場所でした。

太鼓橋が水面に映る様子は瞳から涙が流れているように見えるそうです。最近は特に涙の零れる話題の尽きない関西ですね。

今では誰でも渡れる太鼓橋。明治時代までは神様しか渡れなかったそうです。渡る事によって「おはらい」になるそうですが、実際渡ってみると結構急でやっぱり神様しか渡れないと思うほどの迫力がありました。

結構なお金をかけているのが想像できる住吉大社のサイトは、もしブロードバンド対応の方なら参拝した気分にさせてくれます。(そうでない方は不快な気分になるかもしれませんが・・・。)

<Topに戻る>


美深トロッコ王国   (2004/11/23)
美深トロッコ王国にて 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下

美深トロッコ王国に行って来ました。その日は生憎の台風の近づくドシャブリの雨でしたが、色々な方面から、沢山の方々がトロッコに乗りに来ていました。

廃線のレールをよくぞ残してくれたものです。

「4号車から北海へ・・・」

と、無線で駅舎に合図して、片道5Kmのトロッコの旅は充分満足の出来るものでした。
トロッコに乗車する人はもちろんですが、そこで働く方々も楽しそうなのが印象的でした。

<Topに戻る>


イグル―でしゃぶしゃぶ   (2003/03/09)
イグルー完成 しゃぶしゃぶパーティー 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下
イグルー完成記念パーティで豚シャブをしました。豚肉といってもただの豚肉ではありません。新得の誇る!でも新得町内でも知らない人も多い道立畜産試験場で研究開発しているSPFの豚肉です。無菌状態で育った豚なので生でも食べられます。しゃぶしゃぶにすると口の中でとろけます。
マイナス4度のイグルーの中ではカセットコンロも嫌がって勢いがありませんが、とってもおいしく頂きました。
<Topに戻る>


銀河鉄道発車駅 旧国鉄富内線   (2002/11/01)
銀河鉄道の里にある看板 枠上
枠右
枠左下 枠下 枠右下


空に向かって伸びている線路 SLを静態保存する町は結構見るけれど、「ほべつ銀河鉄道の里」では、レールを残していました。そしてそのレールは空に向かって伸びていました。
旧国鉄富内線は、かなり前に廃線になってしまいましたが、レールの先に、この鉄道を愛する人々の希望を見た気がしました。



<Topに戻る>


(2009/11/17)

Forest Page