・Eさんの家族的背景

 東京出身、父母及び母方の祖父母と暮らす。小学校までは公立、中学高校は私立の男子校で過ごしていた。大学は都内の理系大学へ進学。大学院修士課程修了後、メーカー開発部門(東京)勤務。



 ・Eさんの幼少期

 母方は比較的裕福であったため、小学校時代まではだまっていてもおしゃれは。させていてもらえた模様。たびたび喘息を発症して入院。同年代の友人と遊んだ記憶は少ない。




 ・Eさんの小学校時代

 4年生までは比較的安定した時代が続く。運動は苦手であったものの学業は優秀だったせいか、クラス内でのポジションも安定し、男性女性ともに友人はいた。5年生のとき、生徒と教員が衝突する事案が何度か起こる。教員は古いタイプのおばあさん先生で、お昼の校内放送でいまどきの歌が流れると勝手にスピーカーをオフにしたことがあった。衝突は何度もあったが、あるときたまたま教員の肩をもったことから、立場が悪くなる。特に女子から悪態をつかれるなどのいじめを受けた。6年生への進級時、学級の運営困難との理由で担任が変わった。20代の物分りのよさそうな男性の先生で、女子に人気があった。自分は新しいクラスの雰囲気になじめず、急速に孤立する。教員・クラスメイトともにうまくいかず、早く卒業したかった記憶がある。

 5年生・6年生の時期は、中学受験のために塾通いをしていた時期でもあった。こちらの人間関係は学校とはまったく別だったため、良好であった。4年のときに一緒のクラスで、5年で別々になってしまった女子とも親しく会話をしていた。塾では一番上のクラスにいたものの、受験そのものはあまりよい結果に終わらなかった。第4志望の中堅校に進学することになる。両親の失望は激しかった。特に、母方の祖母の落ち込みようはひどかったと聞いている。






 ・Dさんの中学校時代

 既に中学時代から大学受験を意識して塾に通った。二年生のときにここで知り合った女子と「つきあう」ようになる。といっても肉体関係があったわけではなく、いっしょに遊びに行くだけの関係であった。当時は携帯などなかったため、連絡はもっぱら家の電話からであった。しかし、あまりにも頻繁に連絡をとったせいか、家族、特に母方の祖母から交際はやめるよう指示があった。向こうの家族でも何かあった模様。先方からもあまりいい反応が返ってこなくなる。それでもしつこく連絡を取った結果、ついに関係は終わった。しかもその一部始終が別の友人経由で学校に広まり、難渋する。「○○さん(彼女の名前)おまえのことうざいっていってたぞ」とクラスメートから言われたときの感覚は忘れられない。なぜこんな個人的なことを言いふらすのか、ショックをうけた。背中からしびれの波があがってきて、舌先がびりびりしたのを覚えている。この後、急速にオタク化が進む。






 ・Eさんの高校時代

 まず手を出したのは18禁の美少女ゲームであった。当時、学校には理科教育用のパソコン(PC9801)が大量に保管されており、文科系の部活の際に利用が可能であった。あろうことか、自分はその部活を美少女ゲーム交換会として利用し、大量のゲームを交換するネットワークを校内に作った。昼食代を浮かしてまで秋葉原に足しげく通うようになったのはこのころからである。当時、ドラゴンナイトシリーズ・同級生2シリーズ猟奇の檻シリーズきゃんきゃんバニーシリーズなどにはまりまくった(ドラゴンナイトシリーズは大量のセーブデータがCDRに残っていることから、相当のパターンをやり尽くしていたと思う)。キャラは、ロリよりはおねぇ系・熟女系にこだわっていた記憶がある。例えば猟奇の檻では真琴のような。

 次に目をつけたのがエロマンガであった。美少女ゲームはパソコンがないと楽しめない一方、マンガは紙媒体であるためどこででも活用できる。主に秋葉原、ときにはコンビニで購入した。学校・自宅ともに都内であったため、秋葉原へのアクセスは簡便であった。自分の性的嗜好は主にこの時期に方向付けられたものと考えられる。但し、幸か不幸かいわゆるロリコンやレイプ願望とは無縁であった。そのテの路線のエロ媒体は無数にあったにもかかわらず、自分の食指が向かなかったのは不思議である。そのかわり、いわゆるおねぇ系・年上系嗜好が強められたようだ。これはいまも変わらない。高校に入ると貯金でパソコンを購入し、自宅でもゲームを楽しむようになった。

 自分の高校は基本的には男子進学校であり、成績順で一番上のクラスに所属していたため、周りにはまじめな人間が多かったように思う。しかし一部のクラスメートはすでにおしゃれに開眼していたようであり、修学旅行の服装を見てみるとかなりの差がついている。また、男女交際についてもかなりの成果を上げていた一団があり、毎日合コンの話で盛り上がっているのを遠くから見ていた記憶がある。コンドームを学校に持ってきていた人間もいた。とはいえ、当時の自分はクラス内の地味系グループに所属していたため居場所が全くなかったわけではなかった。そのためファッション等のスキルの遅れに危機感を抱かなくて済んだとも言える。あるいはクラスで孤立していたほうが、「なんとかしなくては」という焦りからファッション・カラオケなど非勉強系の努力をしたかもしれない。むしろ当時の自分にとっては来るべき大学受験のほうが注目すべき大問題であった。中学受験に事実上失敗した二の舞にならないようにと、勉強にエネルギーを注いでいた。





 シロクマ注:

 これまでの脱オタ症例研究を通読なさっている方は、Eさんのストーリーに既視感を感じていらっしゃるんではないでしょうか。これまでの症例との類似点が多々みられることに、私は注目せざるを得ません。

 ・教育熱心な家系(ひょっとして文化も?)、幼少期から勉強を身につけさせられた
 ・よってスポーツよりも学業に傾いたスペックで思春期突入
 ・小学校高学年〜高校生にかけて、コミュニケーションに使えるリソースが乏しい
  (特にスクール内カーストで下層に位置せざるを得ないタイプで、クラスの女の子 からは不人気)
 ・高校生以降、オタクの道に入るなり不適応を起こすなりしている

  これらは症例2症例4、そして私自身の経験とも共通しています(症例1の方は情報不足ですし、症例3の方は繰り返すように色んな意味で例外かと)。こういった経緯を踏んでオタクになった者は、思春期の中盤以降に脱オタする傾向があるのでしょうか?統計がとれるわけでもなく、あくまで症例検討なのでこの疑問に答えることは出来ませんが、気になって仕方のないところです。これらのケースで、幼少期の学習が直接脱オタに貢献しているか否かは分かりませんが、少なくとも問題解決のプロセスを考える癖や問題解決に向けて邁進する癖を身につけるチャンスを得ている可能性はあるかもしれません(若い脳のうちにそういうプロセスに慣れている?)。あるいは問題解決と知的好奇心を結合させて突っ走る癖というべきか?脳のネットワークの後天的形成のうち、最も重要かつ柔軟な時期において共通点がある点には一応目をつけておきたいです。Eさんのような型の脱オタ者においては、学習への偏倚・愛好によって思春期前期に適応バランスを崩したり(年代相応の)コミュニケーションスキル/スペック獲得が後手に回る原因になっているかもしれない一方、脱オタという“頭と時間を使いまくる活動”“好奇心が必須の活動”を後押ししているかもしれないと疑っています。まだ、根拠が十分ではないですけどね。

 次に、Eさんの中学時代以降に目を向けてみましょう。中学生時代に異性と交際がある事自体は問題ありませんが、相手女性との関係にせよクラス内での立ち回りにせよ、“適切に対応”しなければ同性からも異性からも疎まれてしまうのは避けられません。小学校高学年の件もそうですが、当時のEさんはこういった立ち回りがあまり上手くなかったと推定されます(或いは、交際を周囲や女性自身がどう思っているかの想像力が不足していた、と表現すべきでしょうか)。もちろんEさんの行動に責任はないでしょうが、Eさんの行動には原因が含まれていたのではないかと推定します。思春期前期から急速に複雑化するコミュニケーションシーンに追随しきれなかったことがEさんを躓かせ、高校時代以降のオタクとしての人生を約束したのでしょう。

 それにしても、中学校から高校への“転身”は凄まじいものがあります。学校のPC-98がエロゲー交換の場になるというのは、どこの進学校のパソコン部屋でもあったことではないでしょうか。このような高校のエロゲー部屋で人生を狂わせたオタクが数多く存在する事は私もよく知っています。特に進学校という“場”は、当時まだまだ難しい(とされていた)パソコン操作が可能な、一握りの男子生徒の集団を生み出しやすく、表向きはマイコン研究会・その実はエロゲーの坩堝というグループをつくりやすかったのでしょう。エロゲーを動かせる高価なマシンを無料で提供してくれる、しかも同級生が集まる学校のパソコン部屋は、PC-88時代〜MS-DOS時代の中高生オタクの孵卵器として機能していて、Eさんのような男子生徒の聖域(性域?)になっていたのです。


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 ※本報告は、Eさんのご厚意により、掲載させて頂きました。今後、Eさんの御意向によっては、予告なく変更・削除される場合があります。ご了承下さい。