【オンラインゲームが侮蔑されやすいオタクにもたらす影響への、危機感の
  表明】2004. 1/24

  コミュニケーションスキルが低いオタク達が憩い集う場所は絶えず変化して
 おり、二十一世紀に入って新たな局面を迎えつつある。

  2004年1/20放送のNHK『クローズアップ現代』では、現在プレイヤーが急増
 しているオンラインゲームにまつわる問題を取り扱っていた。番組の内容中、
 ラグナロクオンラインなどを取りあげて、これまでのゲームとの相違点を列挙し、
 それによって引き起こされる新しいコミュニケーションの在り方や、様々な弊害に
 ついてわかりやすく解説していた。わかりやすい分だけ粗描は免れないものの、
 オンラインゲームに親しんでいない人達の好奇心を満たすには、十分な内容
 だったと思う。私もまた、当サイトの『オタクの適応技術研究』上、オンライン
 ゲーム中毒に対して強い興味を抱いていたため、随分刺激を頂くことが出来た。
 そこで、今回はオンラインゲームがコミュニケーションスキルに与える影響に
 ついて、特にオタクに与える影響について、考えてみることにした。

  既にゲームが国家的産業として認められ、ゲーム大学まで存在する韓国を
 はじめ、オンラインゲームaddiction(過剰嗜癖)に対する対策は既に世界各地で
 始まりつつある。オンラインゲーム先進国・アメリカでは、2001年には早くも
 『エバークエストに夫を取られた反対者の団体』という形で、夫やボーイフレンド
 をエバークエスト中毒に“奪われた”人達の反対運動が開始されている。そして
 今回紹介されていた韓国の場合、オンラインゲームに年齢制限を設けたり
 熱中症に対する治療プログラムを研究したりといった対策が国家レベルで推進
 されている。国家レベルでオンラインゲーム中毒に警戒する抱く彼の国では、
 オンラインゲーム熱中症者は40万人以上と推計しているそうで、ゲーム産業の
 育成と熱中症対策の両立が真剣に討論されている。例えば青少年育成の観点
 からオンラインゲーム『Lineage』を十八禁ゲームとする法的判断(もちろん
 Lineageはエロゲーではない)が下されるなど、実行力のある行政的処置が実際
 に行われているわけである。ちなみにこの法的判断は、彼の国らしく、ユーザー
 の実に五割から支持されている※1。さらに、タイ議会でもオンラインゲームに
 対する危機感から、あの悪名高きラグナロクやリネージュをはじめとする韓国製
 オンラインゲームへの接続を夜間十二時〜朝六時まで停止させる法案が提出
 されているそうだ。このように、オンラインゲームに対するある種の警戒感は、
 ゲームが普及している一部の国々において高まりつつある。


  一方、我が国ではどうかというと、まだまだブロードバンドが普及期に入って
 間もない事、(アニメオタクで言えば宮崎勤級の)社会的大問題を提起するような
 事件が発生していないこともあり、オンラインゲームプレイヤーのごくごく一部と
 それによって損害を受けている一部家族以外には問題意識はみられない。
 このため業界全体としては、ゲームに長時間接続しまくるカモを大量生産する事
 に対して何も規制を設けられない状態※2であり、それをいいことに各メーカーが
 ユーザーの奪い合いをやっている。そこには何の規制もなければ、ユーザー側
 の危機感もみられない。ただ、面白いゲームを求めるユーザーと売れるゲーム
 を求めるメーカーが存在するだけである。いや、もしかしたら危機感はあるの
 かもしれないが、誰もが見て見ぬふりをしているように感じられる。そして、一日
 あたり何百人単位の新規ユーザーが、『行きは良い良い帰りは怖い』の
 とおりゃんせ街道だという事も知らずに、架空世界の門をくぐっていく

  では、オンラインゲームはどんな点で『ヤバい』のだろう?
 まず、グーグル検索で引っかかる、オンラインゲームの弊害を指摘した文章を
 ざっと眺めてみた。すると多くのテキストは、大きく分けて次の二つに注意を喚起
 し、それらが本人に悪影響を及ぼす可能性があると主張しているようだった。

 1.プレイが長時間化・深夜化することによって、現実社会での生活が
   障害される可能性がある

 2.それに伴って、(特に子供の場合は)成長に悪影響を及ぼす可能性がある


  どのテキストも、オンラインゲームには長時間プレイするような中毒性がある
 ことに着目し、その中毒性によってプレイヤーが現実社会での対人接触や学習、
 就労を阻害され、時には健康まで阻害されるという事に警告している。そして、
 プレイヤーはオンラインゲームに対して一定の距離を保ちながらプレイする事
 子供が長時間のめり込むような事があったら親がきちんと止めること、などなど
 の提案をしている。全くの正論だ。事実そうしたほうが、オンラインゲームの
 中毒性から身を守ることができるのは確かだろう。だが、オンラインゲームの
 中毒者は後を絶たない。我が国では表だって社会問題化していないが、実際
 には既にかなりの数の人間が『オンラインゲームにログアウトし、現実世界に
 ログインする』と揶揄されるような、ゲームの中心の生活、ゲームのほうが
 張り合いのある生活に身を委ねている。

  とりわけ、私のサイトのnerd studyで取りあげているオタク達、特にコミュニ
 ケーションスキル/スペックがあまり高くないオタクの大多数が、ここ最近オン
 ラインゲームに流れているようなのだ。ちょうどアニメやエロゲー業界でオタクを
 鷲掴みにするような突出したヒット作が出ていない事も相まって、多くのオタク達
 にとってFF11やラグナロクオンラインは格好の越冬地を与えている……この
 “越冬地は素敵な温室なので一度入ったらなかなか出られない”という事を
 知ってか知らずか、彼らはこの温室内で、凍えるような現実世界とは異なった
 物語を満喫している。
 【2006年1月注:既に上記のゲームが古典となりつつある現在、オンラインゲーム
 は様々なジャンルのものが百花繚乱の状況にある。一度ラグナロクやFF11を
 プレイしたプレイヤーは、仮にそれらのゲームをやめても他のオンラインゲーム
 をプレイしている事が多く、ここに新規プレイヤーがさらに加わるという構図が
 できています。】


  中毒性があり、それに伴って弊害があることまでは、グーグルの検索結果や
 クローズアップ現代を見ていれば十分に理解することはできる。しかしそれだけ
 では「なんでこんなに中毒になるのか」今ひとつ釈然としない。中毒になるほど
 楽しいからだ、というのが答えだろうが、それでは何故中毒になるほど楽しいの
 だろう?現実生活を放り出すほどのめり込むゲームなのは何故だろうか?その
 要因はやはり、オンラインゲームが持つ特性にあるだろうと思われる。テレビ
 中毒やラジオ中毒なんてあまり聞かない。また、一時期かなりオタクの間で隆盛
 を誇った二次元美少女エロゲームも、中毒性云々という点ではオンラインゲーム
 ほどの強烈な求心力を持っていなかったように思える。一体何がオンライン
 ゲームをそこまでヤクっぽくしているのだろうか?

 以下、それについていつものように私なりに考えられる要素を列挙してみた。
 なお、このリストは今後追加されたり更新されたりする可能性がある。


 ・コミュニケーションツールとしての簡便性と、それが提供する容易で楽しい
 コミュニケーション

  オンラインゲームといえば、やはり不特定多数の人間達が集まって遊ぶ
 ゲームである点が、他のいかなるゲームとも異なっている。ゲーム世界内では、
 ゲームキャラ同士のコミュニケーションが生まれやすく、またそうしたほうが楽しい
 ように様々な工夫がなされている。そして、UOをはじめとする多くのオンライン
 ゲームではそのようなコミュニケーションがゲーム世界内部で一つまたは複数の
 共同体を形成するに至るようなシステムになっており、プレイヤーはゲームを
 通して様々な他人とのコミュニケーションを楽しむことが出来る。そして、ゲーム
 上におけるプレイヤー同士の協力作業を通して、コミュニケーションが自然と促
 進されやすい雰囲気がプレイヤー間に生み出される。このときプレイヤーは、
 現実世界でコミュニケーションに必要とされがちな様々のスキルや資源(話題・
 流行・表情づくり・話し方)をそれほど必要としない。なぜなら、話題も流行も
 ゲームの中に存在して、トピックスは常にゲームの進行の中で生まれてくるから、
 話題不足に困る事は無い。今倒したドラゴンが強かっただとか、どこそこの街の
 誰々が凄い武器を持っていただとか、ゲーム内で積極的に活動する限り、
 プレイヤーは話題に事欠く事がない。別に流行や芸能などの話題なんて知らなく
 ていいし、ファッションや身なりを整える必要も無い。コミュニケーションを円滑に
 進めるうえで、現実世界ではあったほうが便利な技術・知識の多くは、このような
 理由によりオンラインゲーム上ではあまり必要無い。余程の馬鹿や余程の
 無礼者はいざしらず、一通りの敬語とゲームに対する知識と経験さえあれば、
 どんなに口べたなプレイヤーでも、どんなに不潔なプレイヤーでも、ゲーム上
 では容易に人気者になったり、いっぱしの語り手となることができる。感情は
 キーひとつでキャラクターに表明させることが出来るし、あとは文字を介した
 ゲームの話題・ゲームの世界中心の話題に没頭すればそれでみんな友達
 ある。通常のチャットなどとは異なり、話題不足に困ることなんてあまり無い。
 なぜなら話題はゲームとゲーム内の人間関係(キャラクター関係)がつねに提供
 してくれるからだ。そのうえ、強敵との戦いや様々なゲーム内イベントを通じて、
 彼らはさらにコミュニケーションを促進させることもできる。このような営みのなか
 で、彼らはコミュニケーションに四苦八苦する必要があまりない――ゲームの
 システム上、四苦八苦しなくていいようにできているんだから当然だ。少なくとも、
 現実世界で彼らが遭遇する苦難に比べれば遙かに少ない苦労で、円滑な
 コミュニケーションを実現するチャンスが得られる。こんなに簡単に、見知らぬ
 第三者と円滑にコミュニケーションを行い、達成感や連帯感を共有出来るツール
 というものは、そりゃぁ誰にだって面白い娯楽になるのも当然というものである。
 ラクして楽しい思いが出来るのは、娯楽として優れている。

  まして日常のコミュニケーションに問題を抱えているオタクや、自分のコミュニ
 ケーション能力に自信の無いオタクがオンラインゲームの世界に飛び込めば、
 そこは天国である。ゲーム世界でも弾かれる途方もない馬鹿や厨房でない限り、
 オンラインゲームの世界では円滑なコミュニケーションが保証されている。自分の
 話法や容姿にコンプレックスを抱く必要も無い!必要なのは、ゲームへの関心と
 ゲームそのものの経験、そして最低限のマナー意識と僅かな日本語能力だけなの
 だから、本当はコミュニケーションが取りたいけれど取れないオタク(つまり、この
 サイトがまさに問題としているようなオタク)にとっては、これほど心地よい経験は
 無い。だとすれば、これらのコミュニケーション能力の低いオタクがオンライン
 ゲームに飛びついた場合、彼らは現実よりもゲームの世界を愛するようになる
 のは自然な成り行きである。しかも上手くやればオフ会という形で現実世界でも
 知人を作る機会すら得られるのだからウハウハ(死語!汚いコトバだ!)である。
 だとしたら、現実世界の自分のコミュニケーションスキルや生活環境を辛い思い
 をして改善するより、楽しいゲームに時間を充ててその内部でのコミュニケーション
 や生活環境(この場合はキャラクターのステータスなど)をサクサク改善するほうが
 遙かにやりがいがあって、しかも楽しい作業となるだろう。ゆえにこそ、彼らは
 現実世界よりもオンライン世界を愛するようになり、現実世界を疎かにしやすく
 なると考えられる。そしてこの傾向は、オンライン世界の楽しさやコミュニケーション
 の豊富さ⇔現実世界の辛さやコミュニケーションの乏しさとの落差が激しい人ほど
 強くなるだろうし、そういう人ほど現実世界を無視してオンライン世界に遊ぶ事を
 強く嗜好し、そこから離れようとしないだろう。なぜならそういう人ほど、オンライン
 ゲームに時間と労力を投資する事によって得られるコミュニケーション(pleasure)の
 ほうが、現実世界に時間と労力を投資する事によって得られるpleasureよりも
 期待値が大きくなるからである。

  しかも、現実世界ではコミュニケーションは失敗した時に挽回するのが大変
 なのに、オンラインゲームではそれが比較的カバーしやすく、またゲームを中心
 にコミュニケーションが展開される都合上、コミュニケーション下手なプレイヤー
 でも簡単には大失敗しないようになっている点も見逃せない。現実世界の
 コミュニケーションには常に「失敗」「喪失」のリスクがついて廻るし、大切な
 コミュニケーションほどリスクに対して敏感にならざるを得ない。しかし、オンライン
 ゲーム内のコミュニケーションにおいてはこれらのリスクは小さく、しかも万が一
 ドロップアウトしてもキャラクターリセットや他のゲームへの移籍などの手段で
 容易に再出発出来てしまう。


 ・誰もがなりたい自分を確実に達成できるというシステム

  現代の社会制度では、現実生活の中で自己実現出来ていると実感している人
 は実に少ない。社会機構の歯車として人々は生きている今、誰もが子供時代に
 憧れたヒーローやスペシャリストになれるわけではない。また、恋愛が出来る人
 もいれば出来ない人もいるし、経済的に豊かな人もいれば貧しい人もいる。
 特にコミュニケーションが拙劣な人は、その多くが上記のような「自己実現」「自己
 達成感」を味わえない境遇を生きている。なぜならコミュニケーション能力が拙劣
 な人の多くは、コミュニケーションという作業が不得意な分、恋愛やビジネスや
 学習においてチャンスを掴むことができる確率が低いからである。ましてや自慢
 の種がエロゲーの所有本数だけといった風情のオタクの場合や、引きこもりを
 合併している人の場合は尚更である。

  しかし、オンラインゲームの世界ではこれらの問題は殆ど全て解決できる。
 キャラクターをきちんと育成すれば、なりたい自分になれる。鍛冶屋にも、勇者
 にも、弁護士にも、医者にも、犯罪者にだってなれる。そして、ゲームの世界では
 基本的に「誰でも頑張れば育つ事ができるし目標を達成できる」システムとなって
 いるので(現実とは好対照だ)、時間と手間さえかければ、目指すものになることが
 出来る。そして、これまでのコンピューター相手の単なるRPGと異なり、成長した
 ゲーム内のキャラクターは他のプレイヤーとのコミュニケーションにも多大な
 影響を及ぼす。そして、それはとても気持ちのいいことなのである※3
 自分が成長して、周囲の見る目が変わり、自分が世界に対して行使出来る事も
 どんどん増えていく。そして現実世界とは違って、努力をすればそれは間違いなく
 裏切られない成果となって現れる。また、現実では気弱だがインモラルな自分に
 悩んでいるプレイヤーでも、ゲームの世界では天使のような人格を演じ、実際に
 回復魔法などで他のプレイヤーに慈善的な行為を行って感謝されることも出来る。
 さらに、人格以上に変更が難しい先天的な問題――足の長さや顔の形、髪型や
 声音など※4――も思いのままに変更することが出来る!
 このため、オンラインゲームでは失敗の心配をすることなく、自己実現に邁進し、
 そしてその夢を自分と仲間の力で叶えることができるのだ!だったら、嫌な現実の
 自分を必死に何とかするより、ゲームの世界で楽しく勇者や天使になっていたい
 と思うのが自然な傾向だろう。

  この傾向は、現実における自己実現や自己達成が乏しさと、ゲーム内での
 自己実現や自己達成の豊かさの落差が大きいプレイヤーほど顕著だろう。
 なぜならそういう人ほど、オンラインゲームに時間と労力を投資する事によって
 得られる自己達成や自己実現(pleasure)が、現実世界に時間と労力を投資する
 事によって得られるpleasureよりも期待値が大きくなりやすいからである。とどの
 つまり、この点に関しても、コミュニケーションが拙劣なほど深くはまりこんで
 抜けだしにくい傾向にあると言えるだろう。


 ・失敗の少ない他者との交流と、比較的とっつきやすい他者との交流

  前の二つの項目にもチラチラと書いたが、ゲーム内ではコミュニケーションが
 促進されやすい雰囲気が漂っていうえ、話題に困る事も滅多に起こらないため、
 よほど馬鹿な事をしない限りはゲーム内でコミュニケーションに失敗する事は
 ほとんど無いと言える。また万が一失敗しても、それを簡単に挽回したりチャラに
 したり出来る。その最たるものが、キャラクターリセットである。この点が、恋愛
 ゲーム(エロゲー)やロールプレイングゲームと共通している点であり、特に臆病
 な性質のオタク(臆病な性質のオタクがコミュニケーションに優れている事はまず
 無い)にとって飛びつきたくなる要件のひとつと私は推測する。コミュニケーション
 スキルが低劣なオタクは全体的にシャイで、コミュニケーションを踏み出すため
 の一歩や、外の世界に踏み出す一歩が踏みづらいわけだが、ゲームの世界
 ではこの問題は回避できる。また、多くのオンラインゲームに登場するゲーム
 専門用語や世界観、アイテムやキャラクターは、オタクの世界では比較的馴染み
 の深い概念だったり世界観だったりするので、例えば華道の世界に一歩踏み
 込むとか交響楽団に入団するとかに比べて、遙かにオタクにとって心理的抵抗
 が少なく、ゲームスタート時のコミュニケーションにおいても、アニメや他ゲーム
 から手に入れたオタク的知識を生かしやすい。さらに、元々のオタクコミュニティ
 何人かが同時にゲーム世界に加わるようにすれば、最初から一人ぼっちでは
 なく、仲間と一緒に新世界に慣れていくことができる※5ので益々とっつきやすい。

  これらに加えて、現在の日本のオンラインゲームの中毒者達の大部分は、
 元々は二次元美少女ゲームをはじめとするPCゲームやアニメのコンシューマ
 だった比較的共通した層が占めているため、余計に話がシンクロしやすい。
 オタクの間やネット上では許容されるやりとりや記号(wや2ちゃんねる用語、
 アニメの台詞など)も、オンラインゲームではネガティブファクターとしてではなく
 ポジティブファクターとして働くかもしれない。ますますもって、コミュニケーション
 スキルの拙劣なオタクでもとっつきやすいコミュニケーションメディアと言えるわけ
 である。


 ・たくさんのプレイヤーが集まってゲームが成立するがゆえの多彩な反応

  オンラインゲームは猛烈な数のプレイヤーによって構成され、ゲーム内で複数の
 コミュニティを形成しているため、プログラマーが予想すらしなかった遊び方を
 ユーザー達が考えて、ゲーム世界内で楽しんだり、自分達でイベントや行事を
 企画して遊んだりするという現象が発生してくる。これは、今までエロゲーや
 RPGにおけるコンピューターの紋切り型の反応に飽きていたオタク達にとって、
 大変魅力的な要素と映るに違いない。そして、そのようなクリエイティブでユニーク
 な遊びに、多くのオタクは飢えていた。どだい、コンピューター相手との一対一の
 やりとりと、大勢の人間が集まって起こすやりとりとでは、多彩さのレベルが全く
 違うし、多彩であるがゆえにプレイヤーはこれまでの二次元美少女あたりが相手
 のゲームよりも遙かに濃密なコミュニケーションを感じ取る事ができる(とりもなお
 さず、それは多くのプレイヤーにとってpleasure以外の何者でもない)。いや、
 多彩な反応はプレイヤーが何十人も集まった状況下だけで得られるものでは
 ない。たまたま自分ともう一人誰かと二人だけで探検に出掛けただけでも、今
 までの一人遊びゲームに比べて遙かに複雑で多彩な反応を得ることが出来る。
 現在、オンラインゲームの世界では結婚式や不倫、殺人、集会と演説、芸、など
 などのありとあらゆる社会的イベントが発生している。ゲームをあまり知らない癖
 に首を突っ込みたがる偉い人達が見たら、賢しげに「バーチャルリアリティだネ」
 と言いたくなるような、現実世界ほどではないにしてもかなりそれに近い多様性
 を経験することができる。このような現実ばりの多様性もまた、日々の生活が
 仕事とオタク趣味と週末の秋葉原だけで構成されているような、鬱々としたオタク
 を有頂天にしてしまう大きな要素と言えるだろう。



 【総括】

  以上、オンラインゲームが中毒性を示す理由、ことにコミュニケーションが拙劣な
 オタク達が大量になだれ込んでいる現象についての理由について、オタクの一人
 として考えてみた。オンラインゲームはそれ自体、単なるチャットや一人遊び
 ゲーム以上に人間を魅了してやまない要素に満ちた、つまりゲームとして非常に
 優れた機構であると言えるだろう。しかし、中毒性を引き起こすまでに魅力的な
 オンラインゲームの中毒性の源について考察してみると、それらの多くはコミュニ
 ケーションスキルが低劣なタイプのオタクに対してとりわけ親和性が高いもの
 であると結論づけられそうだ。もちろんコミュニケーションスキルが高い人でも、
 これほど簡便で楽しいコミュニケーションと仮想自己実現をもたらすゲームは
 楽しいと思うが、そういう人は現実世界でのコミュニケーションも楽しんでいるし、
 現実世界から手を離すことによって被る損害も大きい※6ため歯止めが比較的
 かかりやすい。しかし、現実世界でのコミュニケーションが上手くいっておらず
 自己実現も低い人の場合、オンラインゲームだけがコミュニケーションや自己
 実現・自己達成を与えてくれる世界になってしまう可能性が非常に高いので、
 もうこうなったら絶対にやめることなど出来はしないだろう。いったんハマった
 彼らにとって、最早こちらの世界よりもオンラインゲームの世界が現実と呼ぶに
 相応しい世界なわけで、だったらわざわざお荷物同然の『本当の自分』など
 二の次になるのはむしろ理に適っている。オンラインゲームで恋愛も結婚も
 サクセスストーリーも、いや老いや子育て(出来ないものもある)さえ経験できる
 ようになった現在、コミュニケーションスキルに乏しいオタクがオンラインゲームに
 一度はまったら二度と抜け出せず、それに伴って現実世界の本人のコミュニ
 ケーションスキルや生活環境が低下する事は避けられないと推測される。そして
 彼らの中でも最重症な人々は、実際にこう語るだろう――『オンラインゲームは
 確かに現実世界じゃない。だけど、単調で色あせた現実世界よりも、オンライン
 ゲームの世界の中のほうがずっと現実味があって、リアルで、僕は生き生きと
 呼吸できるんだ』

  色あせて生きているのか死んでいるのかも判らないオタクの日常よりも、空想
 だけど生き生きと躍動していて自己実現と様々なライフイベントに満ちた夢の
 世界。もし現在の私が、(かつてそうであったように)死んだ魚のような目をして
 秋葉原を回遊するオタクの一人だったとしたら、今頃この文章は書いていない
 だろう。オンラインゲームの中に埋没して、せいぜいそこに偽りの光明を見い
 だしてすがりついていたに違いない。私は必死で現実世界とのアクセスを開拓
 したクチだから、あの世界に帰るのがとても怖いし、この問題は他人事ではない
 (だからこんなページを作るのだ)。

  遅かれ早かれ、日本でもどこかの馬鹿がオンラインゲーム絡みで事件を
 起こすことが予想される。例によって起こるであろうマスコミの過剰反応と
 知識人の解釈が見物だが、その日まで、多くのオタク達が誰の警告も警戒も
 受けることなくゲームに耽溺した生活を送り続けることだろう。ただでさえ
 日本の男子は周辺国の男子よりも無気力で夢の無い傾向が強い昨今、
 オンラインゲームに伴う弊害が水面下で広がっていくさまは一層深刻と推測
 される。今後、私なりに知見を集めて、コミュニケーションスキルが乏しい
 オタクとオンラインゲームに関してさらに考察を深めていきたいと考えている。

 関連リンク:
 →オンラインゲームに関する専門家の誤った言説
 →ラグナロクオンライン中間報告(コミュニケーション的視点から)
 →福祉ネットワーク第一回放送のRO廃人――自己実現は蜜の味
 →ネトゲストッパー(外部リンクさん)

 ★そんなわけで、皆様のご意見ご見解をお待ちしております★


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 【※1五割から支持されている】
  ちなみに、韓国ではこんな風にネットゲーム中毒の社会問題化に伴って
 Lineageが規制の対象となった一方、日本語版のリネージュは「CECA GAME
 AWARDS特別賞」を受賞するなど高い評価を受けている。私はリネージュは
 やったことがないが、実際ゲームとしては出来が良いのだろう。後続の
 Lineage2も、かなりの人気を集めている。




 【※2何の規制も設けられない】
  仮に一社がゲーム中毒を防止するような何らかのアクセス制限を設けた場合、
 その会社の業績が悪化して、他社がその分のニーズを吸収するだけであり何の
 意味も無い。結局のところ、法的処置や行政指導といった全社一律の強制圧力
 が加わらない無い限り、それぞれのメーカーの自助努力に任せるのは現状では
 不可能で無意味である。そんな事をすれば、メーカー自身が保たない。もちろん、
 右肩上がりのこの業界が、まだ社会問題化していない状況下において「私達の
 ゲームはやりすぎると社会的に不利益を被る可能性があります」などとわざわざ
 喧伝するとは考えられない。そんなの自殺行為だ。

  少なくとも私が業界の人間なら、絶対にそんな事はしない。むしろ、ゲーム無し
 では生きていけない太ったブロイラーを大量に確保する事に全精力をそそぎ、
 大量にブロイラーを確保すれば多分社会問題化するから、その時になって
 はじめて規制を設けるだろう。そうした方が、仮に規制が加わってもブロイラー
 達はゲームから離れられないので業界は少ないダメージで済ませる事が出来る




 【※3とても気持ちのいいことなのである。】
  ちょうどオンラインゲームで言えるような事を、現実世界でそっくりそのまま
 実行するというドクトリンを2000年ごろから私は持っていた。オンラインゲームで
 体験することに似た経験を現実世界で味わった。だから、私はこう言い切って
 しまう事が出来る。

 「自分を磨く行為によってコミュニケーションスキルをはじめとする自分を成長
 させ、それに伴って周囲の評価が変わっていくというのはまさに自己達成感を
 湯水のように与えてくれる強烈な麻薬である」と。

 だから私は、現実世界でオンラインゲームのキャラ育成のように自分自身を
 鍛えて遊んでいる。だから私は疲れた時だけオンラインゲームをプレイする。

 しかし、今後調査の為に、リラクゼーション以外の目的でオンラインゲームを
 プレイしなければならないことが増えそうだ…。
【2006年補足:なんかミイラとりがミイラになってしまってます】




 【※4足の長さや顔の形、髪型や声音など】
  しかしこれは半分嘘である。容姿にコンプレックスを持っているオタクの多くは
 信じてくれないが、実際は、ファッションと表情・話法・目の使い方などによって
 見てくれの半分ぐらいはカバーできる。ただし、その方法を多くの男性、特に
 コミュニケーションスキルの低い男性は知らないに過ぎない。実際は、容姿の
 うちある程度の部分は自助努力でカバーできるし、それでも全く駄目という人は
 存外少ない。コミケなどに行くと、顔つきなどの素材は凄くいいのに、自信
 なさそうな表情と汚い服装で全てが台無しになっている男性を多く見かける。
 服飾に気をつけて、適切なコミュニケーションスキルを身につければ随分
 見栄えのする好青年になるだろうに、勿体ないと思うことがしばしばである。




 【※5新世界に慣れていくことができる】
  ちなみに同じ事を合コンとかでやろうとしても、仲間はついてきてくれない。
 だが、オンラインゲームなら、ついてきてくれる。なぜならここで挙げている
 通り、オンラインゲームは彼らにとっても非常にとっつきやすいものだからだ。




  【※6被る損害も大きい】
  オタクの中でも特にコミュニケーションスキルが低劣な場合、例えば引きこもり
 を合併している場合などは、この好対照である。彼らは現実世界に対する時間的
 ・労力的・金銭的投資を怠ったとしても、最初から失うべきものを何も持って
 いないわけだから、それほど痛くは感じられない。つまり、オンラインゲームに
 滅茶苦茶に時間とお金を投資しても、失うものが無いんだから尚更歯止めが
 かからない。

  実際はかけがえのない「時間」を蕩尽しているわけだが、時間の浪費は自己
 欺瞞で何とか何とか出来てしまうようである。