今となっては地味な認知度なので、カーゾンの事を知っている人は余程のピアノ曲の愛好家かもしれない。しかし初めてその録音を聴いた時から僕はカーゾンのプレイに魅了され続けている。派手な演奏でアッと言わせる様な事はまずありえない人だが、何度も聴ける・・・いや聴けば聴くほどに様々な味わいがこの人の演奏からは感じられる。
カーゾンのピアノ演奏の素晴らしさはひとえにそのタッチと音色にある。これほど澄んだ美しいタッチのピアノ弾きはそうざらにはいない(別項で触れているバックハウスくらいしか浮かばない)。
清流の小魚がピチピチと跳ねるような躍動感と、清流の透明感を同時に感じさせてくれるような実に美しいタッチのピアノである。タッチがとびきり美しいのだからその音色そのものも美しい事は言うまでもない。しかも透明感に加ええもいわれぬ深さもある。申し上げておくがここで言っている「深さ」とは他で聴かれるような深刻な「深さ」ではなく、どこまでも透き通ったピュアな感覚の「深さ」である。(この種の「深さ」を醸し出す音楽家は実に少ない。僕が思う限りでは前述のバックハウス、バリトン歌手のフィッシャー=ディースカウ、ヴァイオリンのメニューヒンくらいしか思い浮かばない) |
モーツァルト:ピアノ協奏曲集(第20,23,24,26,27番) |
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カーゾンの十八番で最も彼らしさが発揮されたレパートリーがモーツァルト。初めて耳にしたときから相変わらず僕を魅了し続ける珠玉の名演。どこまでも透明で、そしてそこはかとなく哀しさを含ませているくれているあたりが若手からは絶対に聴けない魅力。ここまで素晴らしい演奏だと演奏者云々よりも、作品の素晴らしさがひたすら迫ってくる。
また、これらの演奏は伴奏も実に上手いもので、20〜26番まででは今は亡きハンガリーの名指揮者ケルテス(&ロンドン交響楽団)が弾力的なリズム感に満ちた魅力的なバックを付けているが、特筆すべきは27番のブリテンの指揮(&イギリス室内管弦楽団)によるもの。作曲家としてだけでなく指揮者としての才能もずば抜けていたことを痛感させる誠に持って音楽的な伴奏をつけている。死の前年に書かれた27番協奏曲の枯淡な世界が余すことなく描かれている宝物のような名演奏。 |
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シューベルトピアノ曲集(ピアノソナタ第17番、楽興の時、即興曲第3,4番)) |
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カーゾンでもう一つはずせないのがシューベルト。
シューベルト特有の淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。下手をすれば退屈なだけになりかねない恐ろしさを持った音楽だが、カーゾンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれる。
僕はシューベルトを聴くときはカーゾンとルーマニアのラドゥ・ルプーと決めている。
(ルプーは別の機会で触れます)
ところで吹奏楽の人達は演奏の機会が無いこともあって、ほとんどの方がシューベルトを聴かずにいます。実に残念な事です。これほどはかない美しさを湛えた音楽は他にありません。何とも言えないいとおしさを感じさせる音楽です。 |
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