2.
「つつつつつ次は、食料ひひひひひひ品だね」
まだ、ちょっとしびれたままの奉は、そう言うと、大きな食料品店に入っていった。
「奉。タイムサービスまで、あと五分だよ」
「うん。用意は、万全だよ」
奉は、カゴが乗せられたワゴンを三つ押して歩いていた。
「奉ちゃん、買うものは?」
「え〜っとね。日持ちのするものがいいからね……」
「俺、酒のコーナー行ってんぞ」
「は〜い! あ、あんまし、高いのダメだよ!」
「りょ〜かい!」
と手を振って、魂は、両手にカゴを一つずつ持って、奉たちから離れた。
「奉、時間だよ」
「よし! んじゃ、いっくよぉ〜!」
掛け声とともに、奉たちは、食品コーナーに駆け出した。「お野菜! お野菜!」
「おにーさん! 箱で買うから、コレとコレ、安くしてくれない?」
「香辛料も……黒胡椒、バジル、ナツメグ……」
「あ〜! これ傷よね。とーぜん、値下がるわよねぇ?」
「魂ちゃんのおつまみと巫ちゃんから頼まれたのは……
あ! 聖ちゃん用の紅茶の葉っぱとコーヒー豆も買わなくちゃ!」
「鍋、も一個欲しいな」ヴィ〜ウィン! ヴィ〜ウィン! ヴィ〜ウィン!
突然、店内に耳を突く警戒音が鳴り響いた!
『お客様! お客様!
食肉売り場にて『怪異』が発生いたしました!
店員の指示に従い、すみやかに所定の場所に避難をお願いします!』怪異―世界の穢れが生み出す異形。負の感情または浮上の気に呼応して、生物、無生物を問わず取り付き、それを核として様々な異能力を持った怪異と化し、触れるすべてを飲み込む、世界の脅威である。
「『怪異』だって」
突然の店内放送に店中のお客が我先と逃げる中、虚は、変わらぬ平然とした声で言った。
「きょうは、お肉屋さんとこで、特別セールだったから、お肉の取り合いでも起きたからじゃないの?」
「その程度の感情の変動で、起きないと思うけど……」
「そ、そんなことより、早く行かないと!」
奉一人が焦り、三つのワゴンと一緒にお肉屋さんへ走り出した。「おっせぇぞ! 奉! 斎! 虚!」
「ごっめん! 魂ちゃん!」
「うわぁ! ピクピク、グニグニ……たしかにどこから見ても怪異ねぇ……」
「で、魂姉様、状況は?」
先に到着していた魂に怒鳴られながらも、奉たちは、怪異に対して身構える。
「精肉コーナーの奥から出てきやがったんだ!
もったねぇことに、そこらにあった肉という肉、身体に取り込んで、でっかくなってやがる!」
それは、牛のようなフォルムで、二つある頭部には角が生え、表面は生肉のような色で、ビクビクと動き、ゆっくりとした動作で歩み寄っている。
「素体は、黒毛和牛。強い哀しみの念に囚われてる。
それがお肉の特売セールで膨れ上がったお客さんの負の感情に増幅されて、怪異化したみたいだね」
一目で、その正体を見抜き、奉は、倒す算段を練る。
その間も、ずんっ!と重い音を響かせて、怪異は、奉たち、心を持つ生物を標的に迫ってくる。
床に散らばる豚だか牛だかの肉が、次々と怪異の身体に飲み込まれ、その度に、怪異が大きくなっていく。
「もったない」
「ホント。あれだけあれば、ボクたちの食費かなり浮くもんねぇ」
しみじみと言う虚と奉。
「で? どうすんの?
ギルドから正式な要請出てないから、戦ってもお金になんないわよ?」
「つっても、ほっとくわけにも、いかねぇだろ?」
警戒はしているものの、さほど恐怖を感じていないようすで、魂たちは、対策を練り始めた。
「急げぇ! 早く下がれっ!
民間人は、早く店外に出ろぉ!」
そんな奉たちの後ろから、突然、男の大きな怒鳴り声が聞こえた。
それは、白金製の鎧に身を包んだ三人の騎士だった。
「その鎧!
帝国騎士団剣士隊『シャイン スター シーカー』ね!」
斎の声に、一人の騎士が奉たちを値踏みするように見る。
「なんだ! 貴様らは?」
女子どもの四人に、いぶかしげな顔をする。
「冒険者ギルド『レジン・バニス』の奴らじゃないか?」
「ああ、あのテロ集団か?
ったく……邪魔だけはするなよ!
いいな!」
後ろの二人の言葉に、隊長らしき男がいまいましげに言い放つ。
「……テロ集団って、ひどい言われようね、あたしたち」
「しょうがないよ、斎姉様。
騎士団とギルドって、昔から仲悪いから」
「つっても、ひど過ぎんじゃねぇか?」
「黙れ! だいたい、貴様ら小娘に何ができると言うんだ!
我々の邪魔をせず、おとなしくしていろ!」
「てめ! 小娘だと! バカにすんのもいい加減に……」
怒鳴る魂を無視して、騎士たちは、怪異に突進する。
「うおぉぉぉぉぉ!」
しかし、剣で斬りつけても、怪異の身体に傷一つつけることができず、怪異がうっとうしげにその巨体をよじっただけで、男たちは、跳ね飛ばされてしまった。「押せ! 根性だ!」
「まだ、まだぁ!」
「どぉりゃぁぁぁぁ!」「おーおー、相変わらず、熱ぃよなぁ〜。『SSS』の騎士って」
果敢に挑む騎士たちのようすに燻っていた怒りも冷めたのか、魂は、呆れた声で言った。
「お、おのれ! こーなったら……!」
何度も弾き返され、騎士の隊長が剣の柄のくぼみに一粒のダイヤモンドをはめ込んだ。きぃん!
すると、いきなり、刀身が白くまばゆい光を放った。
「くらえぃ!」
そして、怪異に向かって、勢い良く剣を振り下ろすと、白い光が肉色の巨躯を灼き斬った。
『ぐぎょお!』
怪異の片方の牛頭から、耳を突く深いな悲鳴が上がる。
「あれってなんなの? 斎姉様」
「魔法剣。光を操るタイプみたいね。
通常よりも高い精製を施した精霊石を組み込む事で、魔力を持たない者にも使えるようにした改良型……かしらね」
虚の問いに、斎が即座に答える。
「へえ。本職の魔法使いじゃなくても使えるんだ。
騎士団の開発部門も日夜、頑張ってるってわけだね」
感心したようすの虚の声が聞こえたのか、他の二人の騎士も、自分の剣の柄にダイヤモンドをはめ込み、隊長と同じように、剣の光で怪異を斬りつける。
斬られるたびに、怪異は、その巨体を苦しげに揺らした。
「よぉっし! あと一息だ!
行くぞぉ!」
隊長がそう言って、止めとばかりに剣を振り上げた瞬間、突然、怪異は、痙攣するように焼け焦げた巨体を小刻みに震わせ始めた。
それを見た魂が険しい顔で、隊長に向かって叫ぶ。
「おい! やべぇぞ!
やめとけ! そいつから離れろ! 早く!」
しかし、その警告は、逆効果だった。
「うるさい、小娘! トドメだぁぁぁぁ!」
隊長が叫びながら、白光の剣を振り下ろす。どぉん!
その瞬間、突然、怪異が、その巨躯で騎士たちに向かってぶつかり、吹っ飛ばした。
「う、うわぁ!」
そして、怪異は、闘牛のように足で床を数度蹴り、巨体を支える四本の足で床を蹴り割って、無様に床に転がる騎士たちに標的を定め、激震とともに突っ込んできた。
逃げ出す時間も、身構えるヒマもない。
「ぎゃぁぁぁ!」
あわや、踏み潰される寸前、
「どぉっせぇい!」
魂が騎士たちの前に飛び出し、怪異の双牛頭を抱きかかえるようにして、抑え込む。
「うりゃぁぁぁぁ!」
そして、力を込めて、後方の陳列棚へ思いっ切り投げ飛ばしす。
派手な音を立てて、棚を壊し、怪異は、ガレキの山から起き上がると、突然、肉色にビクビクうごめく身体が、ぶわっと周囲に飛び散った。
「や、やったのか?」
「違う」
怯えたようにつぶやく騎士に、奉は、珍しく厳しい声で短く言った。
飛び散った肉片は、付着した物質を取り込み、本体とは別の怪異として、怪異化を始めた。これが、怪異の特筆すべき点。
核としたものがある程度のダメージを受けたとき―生命体を核とした場合は、瀕死状態―取り付いた穢れは、核から脱出を図るため、飛び散って分裂し、周囲の怪異化を行うのである。「光撃が中途半端過ぎたね」
拳大の黒燿石を手にして、虚は、冷たく言った。
「結局、タダ働きね。
ま、あたしたちらしいって言えば、そーよね」
どこか楽しげな声で、斎は、金に輝く鉄扇を右手で広げた。
「まったく、情けねぇな。
てめえらがバカにした小娘の活躍見ながら、そこで、大人しく座ってな!」
六色に輝く半球状の宝石を貼り付けたグラブを両手につけながら、魂は、傷つき、床に座り込む騎士たちに言った。
「みんな! 来るよ!」
奉の声に、魂たちは、瞬時に身構える。
飛び散った肉片によって怪異化した、たくさんの怪異が次々と襲いかかってきた。
「やぁ!」
斎は、怪異の群れに身を躍らせると、手にした鉄扇による斬撃で、次々と怪異を斬り払う。
「炎応我願!」
叫ぶ魂の手の甲の宝石が、紅く輝いた。
「ぅおらぁ! 炎門・紅煉撃!」
その言葉に応え、魂の両手が紅蓮の炎に包まれた。
「はぁ! だぁ! でぇい!」
そして、飛びかかってくる怪異を殴り飛ばし、その両手の炎で瞬時に炭化させる。
「―黒壊弾!―」
黒燿石の宝珠をかざし、虚が叫ぶと、そこから闇を宿した数個の黒い魔力球が放たれ、怪異を粉々に打ち砕く。
怪異を次々と排除されていく中、一瞬の隙をついた怪異が魂たちの脇をすり抜け、うずくまったままの騎士たちを取り込もうと襲いかかる。
「危ない!」
叫び、奉が駆け出すよりも早く、突如現れた白い影が瞬く間に、怪異を斬り伏せる。
「聖ちゃん!」
驚く奉に、片刃の長剣を手にした聖は、いつもと変わらぬ優しい笑みを向けた。
「いったい、どーし……うわぁ!」
奉が聖に駆け寄ろうとした瞬間、金の光が飛来し、背後から奉に飛びかかろうとした怪異を斬り裂いた。
「油断しないで、奉くん」
戻ってきた金の光―鉄扇をつかみ、巫は、奉に呼びかけた。
「……あ、ありがと、巫ちゃん。
で、でも、ホント、どーしたの?」
「レジン・バニスから依頼が来たんです」
「今、動けるのあたしたちだけみたいなのよ。
至急出てほしいって、緊急連絡が入ったの」
「それじゃ行きますよ! はぁ!」
聖が剣を構えて、気合を込めると、その刀身が騎士たちのものとは比較にならないくらいの白い光を放つ。
一瞬、ふっと身体を低く沈め、聖が怪異に向かって駆け出し、物凄いスピードの斬撃を繰り出す。
「あんたたち、傷見せて」
うずくまる騎士に駆け寄り、メガネをかけ直しながら、巫は、腰に差したいくつもの試験管から傷薬を手にし、騎士たちの治療を始める。
しかし、突然、騎士たちの後ろから、回り込んだ怪異が飛び出しだ。
「伏せて!」
叫びつつ、巫は、別の試験管を投げつけ、手にした金の鉄扇を再び飛ばして、割り砕くと、中身の液体を怪異に浴びせ掛ける。じゅぶぉ!
その液体が触れた瞬間、怪異は、焼けるような音を立てて、煙とともに蒸発する。
「煙、吸い込まないで。
薬草を闇魔術で精製して、一年熟成させた高密度の消滅薬よ」
巫の忠告に、騎士たちの顔が青ざめ、息を止め、這うようにその場から退いた。