《ちょっと堅めの読書コーナー》

2002.2.18.Up

目次

A.E.マクグラス『宗教改革の思想』(教文館)click here!

ハワーワス&ウィリモン『旅する神の民(Resident Aliens)』(教文館)click here!

加藤常昭『ヨハネによる福音書講解説教』(ヨルダン社)click here!

富岡幸一郎『使徒的人間−カール・バルト』(講談社)click here!

宮平望『神の和の神学へ向けて』(すぐ書房)click here!

小稿集

私の原点click here!

民事訴訟における処分権主義・はしがきclick here!

フルクテンバウム先生のセミナーに参加してclick here!

映画親分はイエス様試写会をみてclick here!

奥田昌道先生と私click here!

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A.E.マクグラス宗教改革の思想』(教文館)

Reformation Though - An Introduction ; 3rd. Edition

by Alister E. McGrath ; 高柳俊一訳

 ルター、ツヴィングリ、カルヴァンに代表される宗教改革の思想は、信仰義認、神の主権、あるいは、予定説(これは救いにおける窮極のイニシアティヴを神の側に認めるという考え方である)といった概念で知られている。ヨーロッパ中世から近代にかけて起こったこの改革は神学の側からはもちろんのこと、政治学、経済学、社会学などからも重要なトピックとして研究がなされてきた。しかし、ともすれば、ある学問の立場から見た宗教改革でしかなく、当時の神学的、政治学的、社会学的状況の下、何故に改革の火蓋が切られたか、それがどのような展開を見せたのか、など、歴史の文脈(コンテクスト)に即した(ある意味でドライな)研究は少なかったのではないだろうか。本書は、オックスフォード大学で歴史神学・組織神学の教鞭を執るアリスター・E・マクグラス(マグラス)教授の論文集でもあり、また、宗教改革の思想史の教科書でもある(マクグラス教授の著書には、すでに邦訳されたものが2冊あるが、評者もまた『キリスト教の将来と福音主義』(1994年・いのちのことば社)を読む機会に恵まれ、多くの示唆を受けた)。たとえば、当時の人文主義者は「源泉へ戻れ(ad fontes)」のスローガンの下、ギリシャ語やラテン語の古典を読み直すことから学問を再構築しようとした。彼らは現代にいうヒューマニストではなく、学問体系の基礎を遠いギリシャやローマの先達においた、いわば新しい方法論の主唱者であった(この背景には、当時のイスラム文化がギリシャ・ローマ文明の恩恵を受けて、中世ヨーロッパよりも数段先に進んでいたことがあげられよう。そのことに気づいたヨーロッパ人が翻訳によってギリシャ・ローマ文明を再導入しようとした時代(12世紀)を「翻訳の世紀」と呼ぶ。村上陽一郎『新しい科学史の見方』(NHK人間大学テキスト・1997年)33頁〜36頁参照)。この考え方が、ルターやツヴィングリをはじめとする宗教改革者によって、聖書を一般信徒がそれぞれの言葉で読むべきであるとする、いわゆる「聖書のみ(sola scripta)」の思想に結びついた。もちろん、宗教改革者は人文主義者とは一線を画したが、時代的背景の一つとして大いに参考になる。

 逆に、それぞれの宗教改革の多様性、重点の置き方、その背景となった歴史的、学問的、地理的状況もわかりやすく説かれている。たとえば、ルターやツヴィングリ(あるいはカルヴァン)の宗教改革を行政的宗教改革と分類していることがあげられよう。同じくローマ・カトリックの在り方自体(たとえば、ギリシャ語からラテン語への転記に誤訳等が多かったウルガタ聖書に基づき、しかもその聖書にアクセスできる身分を限っていた(「聖職者のみ」)ことなど)を批判した宗教改革者ではあったが、ルターはドイツ諸侯と、ツヴィングリはチューリッヒ市議会と手を組んでカトリック教会を批判した点を強調している。これに反して、再洗礼派は急進的宗教改革路線と評価され、教会と国家との関係については、現代で言えばハワーワスの考え方に近く、ある意味でアナーキーとみなされ、社会の統治者から危険視されるグループでもあった。ところが、同じ行政的宗教改革路線でもルターとツヴィングリが最後まで一致できなかった点、すなわち聖餐のパンの性質に関する議論で、化体説を採るルターは「これはわたしのからだです」という御言葉をそのまま採るのに対して、象徴説(記念説)を採るツヴィングリはキリストは天におられるのであって、地上のパンの中におられるのではないと主張した。キリストは天上におられるという御言葉のほうを言葉どおりに解釈するか、あるいは「これはわたしのからだです」のほうを文字通り採るかの違いで、一致することもできなかったのである。これは、一般の市民が自らの国語で聖書を読んでも、神の御言葉の意味が判るといった安易な楽観主義を一挙に吹き飛ばすものであった。さらには、世俗の国家観や、教会観における相違点なども興味深く読むことができる。

 それにしても、現在の日本のプロテスタント教会を見るとき、宗教改革の生んだ様々な理念が入り乱れるように混在しているのに気がつく。もちろん、これは、それ以降の、とくにイギリスやアメリカに渡って開花したプロテスタントの伝統に由来するものであるのかも知れない。しかし、評者の所属する教団を見てみても、幼児洗礼は認めない(これは急進的宗教改革者であった再洗礼派の考え方)、信仰義認(ルターの考え方)、聖餐式のパンについては象徴説(ツヴィングリあるいはカルヴァン)といったように、その考え方の起源を求めるならば、異なった社会的・経済的・政治的コンテクストの下に生まれたものが、今や一体となって(ある意味で当たり前に)教団の伝統・思想として機能している。もちろん、そのこと自体を批判すべきであるというわけではない。しかし、時に落ち着いて省みるときも必要ではないかと思う。このような反省によって、自らの教派・教団とは異なる伝統に生きる教会についても、同じく「主の教会」として、私たちのうちに位置づけることができるのではないだろうか。


S.ハワーワス/W.ウィリモン旅する神の民』(教文館)

Resident Aliens by Stanley Hauerwas and William H. Willimon

「キリスト教国アメリカ」への挑戦状− 東方敬信伊藤悟訳

 かつてローマ帝国は、その権威・権力により、支配する領土における平和を達成した。これが有名な Pax Romana である。AD313年、コンスタンティヌス帝により、キリスト教は、ついにローマ帝国の国教となり、Pax Romana を背景に、つまり、巨大な権威と権力を味方につけ、何の苦もなく、西欧諸国をキリスト教化していった。今はどうか。アメリカ合衆国が世界の警察として曲がりなりにも君臨する Pax Americana があるとして、そのアメリカにおいて花咲いたプロテスタント諸教派は、アメリカという名の権威・権力を背景に、幅広く発言をすることができる。しかし、である。日本語訳のみにつけられた副題が示すように、「キリスト教国アメリカ」の(とくに)プロテスタント諸教派は、右も左も、保守もリベラルも、AD313年以来引きずってきた「コンスタンティヌス主義」にドップリと浸かっており、妥協的キリスト教であると主張するのが本書である。何について妥協的なのか。細かく言えば、啓蒙主義と功利主義、自由と民主主義、心理学への過剰な傾倒、楽観的・プラグマティックな世界観・価値観、アメリカン・ドリームや消費資本主義を支える物質的豊かさの賛美、などなど。一言で言えば、「キリスト者たちは、アメリカでキリスト教を働かせようとしたが、その結果、キリスト教をアメリカ的にしてしまった」。さらに言えば、近代(modern)の神学者の多くは、神抜きの近代合理主義に対する是非において左右に分かれるものの、神学的問いを「イエスの出来事を単に近代的コンセプトに翻訳(解釈)する」ことであり、神学者の仕事を「近代社会に福音を適合(適用)させる」ことであると考えた。しかし、著者は主張する。神学の問い、神学者の仕事とは、むしろ、「この世を彼(=イエス)に対して翻訳」し、「福音に対して近代社会を適合(適用)させていく」ことである。その際のキー・ワードは「教会」である(おそらく、それは「組織神学」の枠内では収まらず、『教会教義学』を著したカール・バルトのような方向に行くのではないかと思う)。

 著者のスタンレー・ハワーワスとウィリアム・ウィリモンは、ともにデューク大学神学部の教授である。ハワーワスは、神学や政治にも踏み込んだ主張をしている「神学的倫理学者」であり、6月に来日した(クリスチャン新聞2000年8月6日号第3面参照)。ウィリモンは「実践神学者」である。実践神学というと難しく考えがちだが、神学を実際の牧会・伝道で生かすべくなされる学問で、たとえば「説教学」というものもある。先日ご紹介した加藤常昭師も同じく「実践神学者」であり、とくに「説教学」について造詣が深い。その加藤師らが翻訳した『世界説教・説教学事典』原書を編集したのがウィリモンである。もちろん、ハワーワスも著者の一人であった(W.H.ウィリモン/R.リシャー編(加藤常昭・深田未来生日本語版監修;加藤常昭責任監訳)日本基督教団出版局)。

 さて、話を「教会」に戻そう。著者の主張として、「教会」は、天国を本国とするキリスト者が地上に生きている間に、信仰を同じくし、生活をし、また、世に対する証をして行くコロニーである。「わたしたちの本国は天にあります」(新共同訳聖書ピリピ書3:20a)。「本国」とは、口語訳・新改訳では「国籍」と訳されているが、市民権をあらわす言葉であり、また、外国に居留している関係をもあらわす言葉である。キリスト者は「天の故郷にあこがれ」(ヘブル書11:16参照)、「地上では旅人であり寄留者であることを告白」(ヘブル書11:14参照)する者として捉えられる。「旅する神の民」と意訳された本書のタイトルは、Resident Aliens である。アメリカ社会の中にポッカリ空いたコロニーの中で、キリスト者は、人間社会をキリスト教的に変えるのではなく、「教会」の中に働く神の支配を世に示して行く(つまり証する)ことによってのみ、真の意味で「この世」に貢献することができる(いわゆるセクトのように「自分たちだけが救われてさえいればそれで良い」という考え方ではない)。「本国」「国籍」と訳される言葉の動詞形は「市民として生活する」という意味であるが、ピリピ書1:27(新共同訳)では「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい」と訳出されている。どのような生活が福音にふさわしいか。次節にはこう書いてある。「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです」(ピリピ書1:27-28参照)。すなわち、神の義を世に示すのがキリスト者の使命である。

 逆に、この世を支配している近代という思潮、さらに言えば、人間中心の思潮に援助を求めること、そして、その思潮を内部から変容させることはそもそも不可能であり、その思潮に依存してしまうことは、絶対にしてはならない。それどころか、むしろこの世と一線を画すことによって、かえって、この世からの攻撃を受ける。まさに、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと思う者はみな、迫害を受けます」(Uテモテ書3:12)と書いてあるとおりである。それゆえ、エペソ書6:10-20は「神の武具を身に着けよ」と言われている。しかし、この「神の武具」のリストは、もっぱら防御のためにある(たとえば、胸当て、大盾、かぶとなど)。つまり、この世(=主権、力、暗闇の世界の支配者及び天にいる諸々の悪霊。エペソ書6:12参照)に打って出るための武具ではなく、信仰を守り抜くための「神の武具」なのだ。

 本書は、この世に打って出ようとするアメリカのプロテスタント教会に対する批判・警告の書である。アメリカの権威・権力を握るマジョリティとしての教会の状況と、そのような権威・権力とは無縁の日本のキリスト教会の状況とは、同じではないかも知れない。本書の日本語版への序文にも記されていることであるが、日本のキリスト教会は、「小さな宗教的少数者(マイノリティー)として、教会の伝道に協力しているのであって、国家のキリスト教化をしようなどとは考えていないであろう」。しかし、第2次世界大戦後、多くはアメリカからの宣教団体によって形づくられていった日本のプロテスタント教会が、「社会を支配しようという幻想を抱」く可能性はありうる。現に、数少ない信教の自由や政教分離に関する憲法訴訟において、「キリスト教こそ社会を変革するもの」であるという隠れた主張を見ることができるのではないだろうか。また、社会の右傾化に対して、有事立法や国旗・国家法の成立に対する反対集会において、信教の自由・政教分離という基本的人権に依拠する発言が多いのはなぜだろうか。なぜ、キリストの復活・昇天直後の聖徒たちの祈りが聞こえてこないのだろうか。「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行なわせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください」(使徒伝4:29-30)。イエスもまた、「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう」という悪魔の試みに遭われた。しかし、イエスはお答えになった。「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」(新共同訳聖書ルカ伝4:6&8参照)。私たち日本に暮らす Resident Aliens もまた、信教の自由という基本的人権に依拠して生きるのではなく、キリストのうちに、すなわち「教会」のうちに生きるべきである。なぜなら、教会とは、「民主的で、法によって形成された利己心の世界に対して、福音を説き、証しする」ところだからである(訳者でもある東方敬信「スタンリー・ハワーワスの第三の立場」『福音と世界』2000年9月号(新教出版社)29頁以下(とくに33頁)参照)。  


加藤常昭ヨハネによる福音書講解説教1-5』(ヨルダン社)

 加藤常昭師が日本基督教団・鎌倉雪ノ下教会の牧師であったときの礼拝説教集。師は、神学における説教学の重鎮であり、ドイツ語にも造詣が深く、まさに博学の士である。礼拝説教は、神学大学における難しい講義とは異なるが、心温まるものである。師の説教は、聖書を順番に解き明かして行く講解説教。なのに、どうして、こうも感動的なのか。師の説教の根底に、聖書はすべての人に書かれた神からの手紙であるという確信があるからであろうか。しかし、その神の手紙を神ならぬ生身の人間が語らなければならない宿命の下、この講解説教が手厚い準備と祈りに支えられている必要があったことも、また、事実である。

 この5冊の講解説教の中で貫かれていた思想とは何だろうか?。ここでは二つの思想を紹介する。一つは「死」、つまり人間に定められた死を現実に直視する姿勢である。この連続説教が講壇からなされている間に、阪神淡路大震災が発生し、憎むべきオウム教団による大量無差別殺人が起こった。また、師の身近な人々の死を通じて、まことに人間は、自分の力で生き続けることは出来ず、かえって死に至り、神の(義も、善も、聖も、愛も含んだ)絶対的ないのちによってしか生きる希望はないことを、繰り返し、述べている。もう一つは、「罪」に対する厳しい姿勢だ。キリスト教を信じて救われたひとりひとりに問いをぶつける。この罪は、未信者や不信者が犯す罪だと思いますか、それとも、もしかすると、救われたがゆえに感ずる優越感、傲り、高ぶりのため、むしろ信者のほうが犯しやすい罪だとは思いませんか、と。それは、およそ2000年前のゴルゴタの丘で、私自身がどこに立っていたかを問いつめる。私は、今キリストを信じている。だから私は十字架の下でイエスを仰いでいた幾人かの女性のようであったに違いない。いや違う。私も「神の子なら十字架から降りてもらおうか」とイエスを罵っていた人間ではなかったか!。神が神として現れたときに、神など必要ない、お願いだから放っておいて、私の人生における最大の邪魔者として、挙げ句の果てはユダヤ人とローマ人とに加担し、イエスという神を殺した人間ではなかったのか!。「神殺し」という言葉を聞くのは、映画「もののけ姫」以来だが、それよりも早くこの言葉が鎌倉の教会で発せられたとき、人間の罪の深さは、まさに私自身の罪の深さとなった。その罪から逃れる道はいずこにありや。それは、ただイエス・キリストにのみある。人生を考えている若き学生諸君に一読を奨めたい。


富岡幸一郎使徒的人間−カール・バルト』(講談社

 聖書研究会で未信の学生が質問した。「神はなぜアダムとエバに罪を犯させないようにしなかったのか」。既信の学生は答える。「神は人間に自由意志を与えたのです」。私は頭を抱え、心で自問する。「自由意志。それは人間中心主義の時代=近代が与えた回答にすぎないのではないか」。プロテスタントと近代との関係に興味を持ってきた私が新聞の書評欄で知ったのが本書である。書評にはバルトが近代の神学を否定したとある。「福音主義神学の刷新を図ったバルトを知ることで、先の疑問が解き明かされるヒントになるのではないか。バルトの著作は厖大だが、それを一冊にした評伝ならば、何とかなるだろう」。淡い期待に反してやはり堅い食物ではあったが、ポイントは一つである。宗教改革の成果が人間中心の近代において変質させられているが、宗教改革、そして使徒の伝えた福音は、聖書の指し示す神=イエス・キリストがすべてであり、100%である。翻って、神とは絶対的に異なる存在たる人間は零であり、その意志や理性、そのほかなにものも福音理解には必要なく、有害ですらある。神の一方的な恵みに対して、人間はただ感謝しつつ応答するのみである。バルトは、近代神学と鋭く対峙するゆえに誤解をも受けるであろう。しかし、そこには神の言葉に素直に聴く一人の「使徒的人間」の姿がある。乞うご一読!  


宮平望神の和の神学へ向けて』(すぐ書房)

 久々に血湧き肉躍る書物に出逢った。ただし神学に素人の私には窮めて難解。でも著者の意図は窮めて明瞭(目次を読めばすぐわかる)。テルトリアヌス、アウグスティヌス、バルトという3人の神学者の三位一体論を検討した後、これを日本文化の視点から三間一和という概念で説明することを試みている。これは Contextualization の試みであるが、表層的に日本文化から聖書を論じるというところにとどまらず、聖書を読み解くための道具である「間」や「和」を聖書の釈義=適用の視点から変革するように説く点で非常に奥が深い。日本文化に引きずられるのではなく、聖書を中心におく著者の手法は、先の3人の神学者と同じである。彼らも、聖書の真理に反対する者に対して当時存在した哲学的概念という道具を利用して三位一体を論証したが、この概念という道具をも聖書によって変革して用いたのである。三位一体は制約のある人間の言葉では説明不可の神秘でもあるが、神は同時に人間が人間の言葉でこれを追究することを認めておられる。したがって、日本語で三位一体を論じることも許される。とにかく、難解さに閉口しながら、理解できるところから読んでゆく。おそらく2度、3度では理解のレベルに達しないかもしれない。だが、挫折してもいいではないか。人が躓き倒れるとき、三間一和の神は共にいてくださるのであるから。【キリスト者学生会発行の同窓会誌コイノニアに寄稿】


《小稿集》

私の原点

 私は高校1年生で救われました。ルカ伝23章32節〜43節の「降りてはならない十字架」のメッセージでイエス様と出逢いました。しかし、両親の気持ちを気遣って3年間受洗を待ちました。その後の3年余り、私はサンデー・クリスチャンの典型でした。毎週礼拝にはゆくのですが(いや、これだけでも大きな恵みです)、終わると同時に家に帰ってゆくという具合です。自分でも「落ちこぼれのクリスチャンだなあ」と気づいていました。大学4年生の秋、様々の悩みに陥った私が「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ伝6章33節)の御言葉を1週間実行しました。その時に知った神様の祝福の豊かさ、確かさは20年経った今でも変わらず、日増しに大きくなっています。
 この時から私は教会の中に深く浸かってゆきます。先輩の兄弟姉妹たちが「あなたが色々な集会に来られることを祈っていたのですよ」と言われるたびに、神様の憐れみにより恵みを受けていることに感謝しました。青年会会長として、よく休む兄弟姉妹への批判をよく耳にしましたが、「私でさえ神様は見捨てられなかった。だから神の時が来ればこの人たちもきっと参加してくれる」という思いは揺るぎませんでした。現実に主はそのようにしてくださいました。清水ヶ丘教会の今年の標語もまた、互いに励まし、助け合うことを勧めています(Tテサロニケ書5章14節)。この標語こそ、私の原点と言えるでしょう。【日本キリスト教団・清水ヶ丘教会(横浜市)月報 Vol.17 no.11(通巻197号・2002年2月)p.4 に寄稿】

民事訴訟における処分権主義・はしがき

 民事訴訟法は、第一に裁判官のための法律である。裁判官は、民事訴訟法なくして、面前におかれた個別の民事紛争に対する判決をすることができない。では、何故に裁判官は判決しなければならないのか。この問いは、何故に民事訴訟法は必要であるのか、という問いかけに展開されるであろう。法治国家においては、資本主義に立脚する市民社会で生じた紛争を私人が自力によって解決することが、原則として禁じられる。代わって国家が、司法機関である裁判所によって、独占的にこのような紛争を処理し、解決する。このために必要となるのが民事訴訟法である。裏を返せば、私人は自らのかかわる紛争を処理し、解決してもらう利益を国家に対して有している。このような利益を権利と捉えるとき、これは日本国憲法第32条の「裁判を受ける権利」として、あるいは、司法行為請求権としてドイツ法より紹介された「司法付与請求権」という概念で把握される。このように理解するとき、第二次的にではあるが、民事訴訟法は市民のための、当事者のための法律となる。

 本書は、民事訴訟法学における消極的確認訴訟や同時履行関係訴訟に対する引換給付判決を出発点として、主に民事訴訟における処分権主義について発表してきた論文を中心に、若干の書き下ろしを加え、上記の認識に至るまでの過程を一書にまとめたものである。その過程において、訴訟物に関する処分権主義の議論におけるキー・ワードであるイニシアティヴを憲法学上の概念である自己決定権との関係で考察するに至った。民事訴訟における自己決定権とも言うべき当事者の決定を裁判所が尊重するかどうか、換言すれば、当事者の自己決定に裁判所が拘束されるかどうかが処分権主義の問題である。

 本書の構成は、既発表の論文6稿、未発表の論文2稿よりなる。第1章は、「金銭債務不存在確認訴訟に関する一考察−その機能と解釈の指針−」(一)民商法雑誌95巻6号818頁・(二・完)同96巻1号66頁(いずれも1987年)、第2章は、「同時履行関係と引換給付判決」(一)民商法雑誌98巻4号423頁・(二・完)同98巻5号561頁(いずれも1988年)、第3章第1款は、「立退料判決の系譜−代替家屋の提供を条件とする建物明渡判決における立退協力義務−」成田頼明先生退官記念・国際化時代の行政と法(1993年・良書普及会)817頁、第3章第2款は、「立退料判決と民訴法一八六条」奥田昌道先生還暦記念・民事法理論の諸問題(上巻・1993年・成文堂)337頁、第4章は、「権利抗弁概念の再評価−主張共通の原則の例外としての存在意義−」(一)民商法雑誌110巻4-5号795頁・(二・完)同110巻6号973頁(いずれも1994年)、そして終章は、「民事訴訟における情報秘匿の自由と限界−民事訴訟における自己決定権とその制約に関する基礎的考察−」早稲田法学75巻1号339頁(1999年)を初出論文とする。序章と第5章は書き下ろしである。

 「民事訴訟における処分権主義」と題した本書は、その実、一当事者の意思に基づく処分権主義の領域のみを扱っており、いささか羊頭狗肉の感は否めない。しかし、ともかくも漸く本書を世に問うことが許された背景には、実に多くの恩師の先生方、同僚の先生方のお力添えがあった。とりわけ、故 中務 俊昌 京都大学名誉教授、ならびに 谷口 安平 京都大学名誉教授には、大学及び大学院在学中より心温まる御指導を賜り、数多くの学恩に与った。同じく 奥田 昌道 京都大学名誉教授には、民法の視点から有益なる御教示を数知れず賜った。さらに横浜国立大学経営学部の先生方、及び、旧・国際経済法学研究科(現・国際社会科学研究科国際経済法学系)の先生方には、2度の国内・在外研究の機会を与えられ、教育・研究上の御助力を賜った。ここに記して、尽きぬ感謝を申し上げたい。

 本書において、初出論文で採った見解を修正または変更している箇所が少なからずある。とくに第2章においては、初出論文で生じていた迷いというべきものを整理するように努めた。また、引用文献等については、できうるかぎりアップ・トゥ・デイトなものにするよう心がけたつもりである。しかし、本書の内容が多少なりとも洗練され、より正確なものになったとすれば、それは、ひとえに有斐閣第1編集部の木村垂穂氏のお陰である。木村氏の真摯な叱咤激励と惜しみない御尽力なくして本書の刊行はなかった。心よりの感謝を申し上げる。

 なお、私事に属することではあるが、憲法上の自己決定権が聖書において、如何に位置づけられるかについて付言したい。「すべてのことは、わたしに許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは、わたしに許されている。しかし、わたしは何ものにも支配されることはない」(新約聖書(1954年改訳・日本聖書協会)コリント人への第1の手紙6章12節)。「すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。だれでも、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるべきである」(同10章23節・24節)。私的な領域で自ら決定するところに従って生きることを、聖書は禁じていない。しかし、法の世界より一歩踏み出して信仰の世界に移るとき、すべての自己決定が益となるわけではないことを、聖書は説く。では、何をもって益とするか。人の徳を高めるときであり、自分の益を求めないで、ほかの人の益を求めるときである。法の世界は自己の利益に向かう側面を捉えているのに対して、信仰の世界は他者の利益に向かう。このように、他者の利益を求めるときに、ひとりひとりの自己決定は益に変えられるというのが、聖書の主張である。

 最後に、1歳2ヶ月でポリオに罹患し、また30歳直前にして脳内出血の発作に見舞われたときにも傍らにいてくれた父と母に、また妻と4人の子どもたちにも感謝し、神に栄光を帰したい。【『民事訴訟における処分権主義』(2001年12月・有斐閣)/はしがきより】


フルクテンバウム先生のセミナーに参加して

 6月1日・2日とフルクテンバウム先生のセミナー(通訳は中川健一先生)に参加するため、大学の聖研の学生1人を連れて帰って来ました。先生の名前のスペルは、おそらく Fruchtenbaum で、ドイツ系の名前ではないかと思われます。意味は「果物のなる木」、言い換えれば「果樹」です。「ロゴスとラビ」「アブラハム契約の歴史的展開」のテーマでもたれた2日間のセミナーは、さながら御言葉の「果樹園」で実のしっかり詰まった果物をたくさん頂いたような印象です。セミナーの前に披露されるユーモアいっぱいのお話も楽しかったです(オヤジギャグなら負けへんでぇ〜!)。でも、とても印象に残ったのは、セミナー全体の最後に行われた質疑応答です。聖書を学び、また伝えるときに、ユダヤ的な知識がないと全く語れなくなってしまうのではないか、という悲鳴にも似た質問が相次ぎました。神様の導きは豊かです。答は簡単でした。「書いてあるとおりに読めばよい。文脈に忠実に読めばよい。少なくとも、ヨーロッパ的理解から出発することさえなければよい」。最後は "for the Jew first"(まずユダヤ人に)という宣教の大原則が語られました。案外、身近にユダヤ人がいるかも知れないなぁ、というフレッシュなチャレンジを与えられた里帰りでした。(在横浜) 【JEC八尾福音教会(大阪府)月報 Salom 2001年7月号に寄稿】


映画親分はイエス様試写会をみて

 映画「親分はイエス様」試写会に行った。英題は "Jesus is my Boss" である。ヤクザの世界からキリスト信仰の世界へと180度転回した人々の実話(『刺青クリスチャン』(早稲田出版))をもとに、世界的に著名な映画監督である松山善三と斎藤耕一が脚本を書き、渡瀬恒彦、奥田瑛二、渡部裕之、中村嘉葎雄といった一流の配役を敷き、音楽を宮川泰が担当、斎藤耕一自身が監督した作品だ。流石は、一流の監督と役者たちによる一瞬の隙をも許さないフィルムである。ある意味で、予算はたっぷり使い(だって、自動車が一台海に沈んだんだもん!。おそらく、撮影後、その引き上げにもお金がかかったはず…)、配役すべてに十分な報酬を支払ったであろうから、当然と言えば当然だ。だが、かつてのクリスチャン映画の代表とでもいうべき『塩狩峠』や『海嶺』が三浦綾子の原作の深みに決して追いつけなかったことを思うとき、隔世の感がある。無論『塩狩峠』や『海嶺』が多くの人の魂をキリストの下に導いたことも事実であるが、それは、あくまでキリスト教会の内部に関係した(そして祈られていた)人々であろう。『親分…』は、より一般的な人々、否、反社会的な立場にある人々に対するメッセージを掲げた作品であり、もっと端的に言えば、ノン・クリスチャンが撮ったイエス・キリストのメッセージである。そのメッセージとは何か。「極道が神を信じるとき」、「誰だってやり直せます。本当です」。

 ヤクザの世界、キリスト教、韓日交流、この三題話を映画にすると、任侠道あり、信仰の話あり、ラストは文化交流の Happy End に終わるこの映画になると誰が予想したであろうか。当然には交わらない話であるはずの三つのテーマが交わった人生があった。しかしながら、より深く思えば、この三つのテーマは交わらない話ではない。韓国と日本は、ある意味でユダヤ人と異邦人、ユダヤ人とサマリヤ人、キリスト教徒とユダヤ教徒といった問題と同様、神の目には近くにあり、ともに手を携え、愛し合うべき二つの民族が、過去の罪(その多くは日本の犯した罪であり、また現在も犯され続けている罪)、それに対する憎しみ、そして誤解によって、引き裂かれた状態にある。それに対する神の処方箋は、互いの愛であり、赦しであり、憐れみであり、何よりも「隔ての壁」を取り除くキリストである(エペソ書2:13-19)。また、イエスはヤクザの世界とも深い関わりがあったのではないか。十字架上のイエスから「わたしとともにパラダイスにいます」と言われた人は、イエスとともに十字架刑に処せられていた強盗であった(ルカ伝23:39-43)。何よりも、イエスが架けられた十字架は、その強盗の Boss であったバラバのつくべき十字架だったのではないか(マタイ伝27:17-26)。それに、彼らの証を聞いていると、ヤクザの世界とキリスト信仰とは相通ずる側面がある。彼らの身体に彫られた刺青は消えない。その刺青を背負ったままで、ある人は牧師になる道に導かれる。恥ずかしい過去、忌み嫌うべき罪の思い出を暴露してしまう刺青を人前に曝してゆかなければならない。しかし、Boss はイエス・キリスト。そのお方が命ぜられる限り、生命を賭してまでも、自らを曝してゆく。映画の冒頭で、浜辺の十字架に立ち小便をする子どもを諌めた主人公がTシャツを脱ぎ捨てて海に泳いでゆくシーンがあった。刺青を強調しようという監督の意図なのか。いや、このシーンにこそ、彼らの願いが込められていると言うべきではないか!。

 神のご計画に従って、この映画は完成の日を迎えた。だが、ノン・クリスチャンの映画だから、神の御言葉が薄められているのではないか、と心配する向きもあろう。たしかに、痒いところに手の届かない思いをした部分もあった。しかし、それは「キリスト者」としての思い上がりである。この映画は、まだイエスに会ったことのない人々に向けられている。いまだ「キリスト者」でない映画人たちが、一般の人々に、この驚きを見てください、この不思議を見てくださいと問いかける。我々は、そういう人たちにこの映画を紹介すればよい。映画を見た後、答えを求めて教会の戸を叩く人に、聖書の言葉を正確に伝えてあげればいい。いや、教会に入ってきた人に、無言でもいい、十字架に架かったイエスの姿を指し示すだけでもよいのかも知れない。『親分はイエス様』は、今年度のカンヌ映画祭に出品された。ノミネートや受賞を通じての話題性を集めることが祈られてきたが、ノミネートはなかった。しかし、人の賛辞も、また言葉すら、もはや必要でない。復活のイエス・キリストご自身が答えを求めに来た人と、必ずや直接に出会ってくださる。われわれは、Boss が呼ばれるときに、御下に行き、ハイと答える心備えをして待っていればよい。【試写会は2001年5月11日(金)日本キリスト教団・清水ヶ丘教会で行われた。】


奥田昌道先生

 1979年4月、二十歳になったばかりの私は、2回生配当科目である民法総則の講義を、ある感慨をもって聴いていた。「この方が高校の先輩の奥田先生なのだ」。静かな物腰の背後に優しく、かつ真摯なる姿勢が感じられる。初回の講義が終わるとすぐに先生のところに質問にゆき、「八尾高校の後輩の坂田です」と自己紹介したところ、先生は、「八尾からなにものが出るというのですか」と聖書の言葉(ヨハネ伝1:46)をもじって問い返された。それが、奥田昌道先生との出会いであった。

 「奥田先生と私」というテーマで論文を書きなさいといわれれば、喜んで原稿用紙の前に座るだろうと思われるほど、奥田先生との接点は多い。先生は、大阪府立八尾高校の先輩であられ、京都大学法律相談部の顧問であられたばかりでなく、私は先生の本ゼミ生であり、また、京大エマオ会が主催する(実は先生が毎週開かれていた)聖書を読む会にも参加させていただいていた。また、先生がかつて八尾の地で集われていたキリスト教会に私もまた加わっていた。私にとって、奥田先生は学生時代のすべてにわたって恩師であり、またキリストにあるお師匠さんであった。それは大学院時代にまで及び、今は、同じ大学教員として横浜の地にある。ただ一つ、不義理であったのは、私の専攻は民事訴訟法であり、直接の恩師と呼ばせていただくのにためらいを感じることであろうか。

 しかし、かつての先生と同じ教員という立場に立ってみると、この手の学生が一番厄介であったのではないかと思わされる。いつも先生のおそばにいて、他の何人も間に入らせないような高ぶった態度。それは、裏返すと甘えであった。ある時、とあるキリスト信仰を伝える大きな集会が開催されることになり、エマオ会でも案内させていただきたいと先生の研究室を訪ねたことがある。「その主催する団体がどういう団体か、この集会をどういう目的で行うのか、きちんと説明してください」。そう問い返された先生の厳しい声、厳しい表情を忘れることはできない。その時の私がしどろもどろで説明した様子を、きっと奥田先生は覚えておられることだろう。なにしろ、人一倍すぐれた記憶をお持ちの先生であられるからである(本当に「実るほど頭の下がる記憶力」である)。

 今や最高裁判所判事となられた先生を囲んで東京近郊の法相・奥田会同窓生が集まった。お元気である。私もついぞついてゆけなかったマラソンの話題は聴衆一同唖然。平伏して恐れ入り奉りましたと、まるでお白州の大岡越前守を思い起こさせる奥田先生であられた。奥田先生、いつまでも走り続けてください。キャッチ・ボールを続けてください。最高裁の中に私設のブルペン(ガレージ)ではなく本物のブルペンを築くまでに、日本の司法に檄を飛ばし続けてください。 【京都大学法律相談部同窓会誌・法苑(平成11年)15頁】 


Gesegnete Weihnacht und ein gutes neues Jahr!

 在外研究に行ったドイツから帰国してもう10ヶ月が経とうとしているときに原稿依頼が舞い込む。独白:「えっ、もうネタ切れだよ。いろいろなところで『お土産話』というかたちで報告してきたし、横浜経営研究には2本も原稿を載せているのに(読者の皆さんも読んでくださいね!)。なにっ、もう1人の先生にも依頼してある?。誰?。佐倉先生。こいつは仕方ない。だって、ドイツではお互いの滞在先を訪ね合った仲なのだ。しかし、何を書こうかな。そうだ、クリスマスの思い出がいいぞ」。ということで、「祝福されたクリスマスと良き新年を!」という表題になったわけです。

 西欧の諸国と同様に、クリスマス・カードが年賀状の役割を果たすドイツ。普通は、"Frohe Weihnachten und ein glueckliches neues Jahr!" とか "Ein froehliches Weihnachtsfest und ein gutes neues Jahr!" というグリーティングが用いられますが、プロテスタントの雰囲気を出すために "Gesegnete Weihnacht und ein gutes neues Jahr!" としました。ちなみに、ドイツ語でクリスマスは "Weihnachten" と複数で用いられることが多いようです。このことは、クリスマスにはなぜイヴがあるかという問題とも絡みます。それは聖書によれば、イエス・キリストの生誕時刻は夜中から明け方であると類推でき(誕生日については何も書かれていません)、つまり二日にわたった可能性があるのです(当時のユダヤでは一日は日没から始まるとされていたのですが…)。なお、ドイツでは、12月24日は Heiligabend(聖なる夕べ)と呼ばれますが祝日ではありません。25日は Erster Weihnachtstag(第一聖夜の日)、そして26日も Zweiter Weihnachtstag(第二聖夜の日)として祝日です。

 ドイツのクリスマスは Advent(待降節;クリスマスから数えて4週間前の日曜からクリスマス直前まで)から始まります。私のいた Bonn でも、Muenster Platz という中心広場一面に小屋がたち、クリスマスに必要なオーナメントなどを買い求める人々で賑わいます(まるで縁日の市の如し)。この市(Weihnachtsmarkt)で奇妙なものを見つけました。幼子(要するに赤ん坊。緑子ともいう)イエスをその母(Katholik 風にいえば聖母)マリアが抱いている小さなブローチや、父ヨセフ、馬小屋の住人たち(馬、鶏等々)、羊飼いとその羊、東方の三賢人などの登場人物・動物のそろった一大ミニチュアまで、クリスマス物語をイメージするものが売られているのです。しばらくして、政教分離についてのドイツ連邦憲法裁判所の裁判例を調べるうち(参照、横浜経営研究 Vol.17 No.1)ドイツとアメリカを比較考察した論文に出会って判るのですが、これは Krippe(飼い葉桶。Weihnachtskrippe)という代物でした。そういえば、Koeln の大聖堂横の広場にも比較的でっかい Krippe がありましたが、あまりにもわざとらしいというか、幼稚なものでしたので、苦笑したものです。それに比べて Bonn 市の Bad Godesberg という大使館街といえる地域の Weihnachtsmarkt にあった Krippe は立派なものでした。全体が八角柱で、クリスマス物語(受胎告知に始まりエジプト逃避に終わる)を八つのパートに分けて模したものです。ただ、面白かったのは、登場人物がみんなドイツの民族衣装をつけていたことです(もちろんゲルマン人でした)。本来この話は2000年前のユダヤで起こったことですのにね。

 私の Bonn でのクリスマスについては今でも苦笑してしまう思い出があります。もう帰国準備を始めなければならなくなる11月、私の恩師より音信があり「ドイツの裁判所とコンピューターについて調べてほしい」とのこと。「さては」と思い至ることがあって資料を集め始めるとともに、国際電話を差し上げると、「とにかく何か書いたものがほしい」とのこと。「では今ある資料ででっち上げます」というと「いや、ドイツ連邦司法省(Bonn にあります)に Prof. Strempel という知り合いがいるから、彼から資料をもらってくれたらいいよ」とおっしゃるのであります。もちろん、連絡方法はこちらで調べなければならないのです。幸い、在ドイツ日本大使館に友人がいたので、Vorname(first name)もわからぬまま、とにかくアポイントメント(ドイツ語では Termin で通用します)をとるためお手紙を書きました。ドイツ語で電話するのがとても苦手な私は、「連絡は FAX でお願いします」と注意書きを加えて投函しました。ある日、上の娘から「お父さんとお母さんがいないときにドイツ人のおじさんから電話があったけどわからなかった」と聞き、「もしや」と思っていると管理人室(Verwaltung)より「FAX が来ています」と連絡が入りました。ところが、その FAX はあまり感度が良くないうえに手書きだったのです。その日、半日かけて(友人の力も借りて)やっと「解読」。「クリスマスから新年(ドイツでは元日だけが祝日です)にかけてもいますよ」とのことでインタヴューに行ったのが27日。ろくすっぽ分からないドイツ語を使ってようやく第1問を尋ねたところ(「資料くださ〜い」だけじゃ申し訳ありませんからねえ。7・8問作って行ったんです)、「おお、そのことなら私よりももっと適任者がいる。今休暇中なのでまた Termin をとってインタヴューに来られるとよいでしょう」とのこと。Prof. Strempel のインタヴューも実りの多いものでしたが、結局年を越えて、このお話というか苦しみは続いたのであります(なお、このインタヴューに関連することは近々横浜経営研究以外の雑誌(拙稿「ドイツにおける裁判所へのコンピュータ導入の議論の一側面−ドイツ連邦情報保護法との関連で−」横浜国際経済法学5巻2号(1997年3月)165頁)に発表しました)。

 でも、この経験は一つの変化を私にもたらしました。「あと一月しかない在外研究の時間、もっと多くのドイツの人とお話がしたい」と思うようになったのです。しかし、帰国準備と闘病(わが家5人家族がクリスマスを境にそれぞれ2度ずつ発熱をともなう風邪にかかり、最後の子どもが直ったのが帰国の数日前だったのです)のためあっという間に日々は過ぎ去ってしまいました。帰国して10ヶ月、ドイツ語の会話力の衰えが激しい昨今。でも、私は叫びたい。「もう1度(ゆっくり:1年ぐらいかけて)ドイツに行きたいよお!」。字数も尽きました。おあとがよろしいようで…。

【横浜経営学会ニュース5号(1996年12月・横浜国立大学経営学会)6頁】


こどものようにJesus ist Kinderfreund

in Koeln-Bonn27.August 1995,
聖句:マタイ伝18:1-5&マルコ伝10:13-16

T はじめに−挨拶と御礼
 こんにちは。今日8月27日は、私ども一家にとりまして、ちょうど留学期間の折り返し点の主の聖日であります。この礼拝で、聖書を通して私に与えられました恵みをお証しし、ともに分かち合うことができますことを、私たちの主なる神様に感謝するものであります。また、ケルン=ボン教会のみなさまには、ドイツに来て以来、公私にわたり援助、励まし、その他あらゆることでお世話になりました。この場をお借りして御礼申し上げますとともに、相当に賑やかなこどもたちの親といたしまして、親の負う責任を十分に果たせていないことをお詫びいたします。

U ボン初日の出来事
 今日の奨励といいますかメッセージは、このこどもたちに関連するものです。私たちがボンに到着しました初日のことです。私の同僚の先生に案内されて、私たちはお昼に中華料理を食べに行くことになりました。ところが、そこには生け簀がありまして、魚が泳いでおりましたため、こどもたちはキャーキャーはしゃいでしまったのです。もちろん注意こそ受けませんでしたが、静かな店内に響くわが子の叫び声には冷や汗が出る思いでした。そのあとも Marktplatz で、また Kaufhof で、こどもたちは大騒ぎです。公の場でのエチケットといいますか、ヨーロッパ人の躾については、ある程度知識を持っておりましたので、正直、これはまずいことになったと思いました。なにしろ、我が家は野放し状態ですから。同僚の先生も「みんな何事が起こったのだろうという顔でしたよ」と言われました。そのことを Frankfurt にいます学生時代の友人に話す機会がありました。彼は結婚してからドイツで5年目になりますが、まだこどもがありません。その理由を「ドイツは Kinderunfreundlich やからなあ」といったのです。
 大雑把な話をして恐縮ですが、ドイツに限らずヨーロッパの根底には、この Kinderunfreundlichkeit が存在しているように思われます。もちろん「こども憎し」というのではありません。むしろ、こどもを大人の害毒から保護する上では実に重要なものですし、大人になるための教育・しつけを受ける上でもこの Kinderunfreundlichkeit の果たす役割は大きなものであります。その構造は、大人の世界から良い意味でも悪い意味でも隔絶した世界にこどもを置き、その世界から不当に出たときにはその親に責任を問うというふうに説明することが可能でしょう。もちろん、大人とこどもの区別は歴史的に見れば比較的浅いものであるという学者の見解もありますが、この思考が文化的背景を構成していると考えてよいものであると思われます。これはアメリカにもあるかもしれませんが、ただアメリカ流の、メジャーで、ハッピーで、グレートであればすべてOKであるという発想とは、やはり異なるものだと思います。このことを示すドキュメンタリーがNHKで放送されました。それによると、歴史の上でアメリカがヨーロッパ世界と肩を並べる時代に、ヨーロッパ人の持っていたアメリカ人の印象は次のようなものだったということです。「アメリカ人は分からない。ネズミと一緒に大騒ぎをするなんて!」。もちろん、Micky Mouse のことです。
 さて、今日のお話は、イエス様のこどもにまつわるエピソードを採り上げました。とくに、第2のテクストは、Zuerischer Bibel では「Jesus ist Kinderfreund」と題されているのでありまして、さきほどの Kinderunfreundlichkeit と対照的である印象を受けます。しかし、イエス様のおっしゃりたいことが「こどもには何でも自由にさせてあげなさい」ということであると先走って判断してはならないものであると考えます。むしろ、今日の二つのテクストからイエス様の本当におっしゃりたいことを考えてみたいのであります。その意味では、Kinderfreund であろうが、Kinderunfreund であろうが、関係ないものであると思います。  

V テクストの概説
 そこで、早速、今日のテクストの概略をご紹介いたしましょう。第1のテクストは、カペナウムで弟子たちがイエス様に質問した記事であります。「天国では誰が一番偉いのですか?」。マルコ伝・ルカ伝の並行箇所を参考にいたしますと、この直前、イエス様はご自身に起こること、すなわち受難と十字架と復活を予告されています。弟子たちはこの予告の意味を悟ることができず、またイエス様に尋ねるのを恐れていたとマルコ伝9:32に書かれています。聖書の深読みをいたしますと、「何か大変なことになりそうだ。そのとき我々弟子たちのグループを引っ張ってゆける人物は誰なのか?」という、ある意味で素朴な疑問が生じたのでありましょう。しかし、「イエスは彼らの心の思い(あるいは議論)を見抜」いて(ルカ伝9:47)、ひとりの幼子を彼らの真ん中に立たせてこう言われました(マタイ伝18:3ー5)。「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受け入れるのである」。
 第2のテクストは、パリサイ人が次から次へとイエス様に議論を吹きかけてくる、そのような緊張した最中での出来事であります。そのようなときにイエス様に手を置いて祈っていただくために子どもたちが連れてこられたわけです。弟子たちは、彼らを、つまりこどもとそのこどもたちを連れてきた人々をたしなめ、しかったのであります。素朴に考えますと、弟子たちにとっては当然の反応を示したに過ぎないでありましょう。「うちの先生はパリサイ人に試みられているのだ。ちょっとあっちへ行ってもらいたいものだ」。しかし、それを見てイエス様は憤られ、不機嫌そうに、次のように言われたのです。「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれるのでなければ、そこにはいることは決してできない」(マルコ伝10:14ー15)。ルカ伝の並行箇所は「自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされる」というコンテクストの中でこの出来事は紹介されています。
 さて、なぜイエス様は、天国・神の国に入れるかどうかというテーマにつき、「幼子=こども」を引き合いに出したのでしょうか。3点に分けて考えてみましょう。  

W 心をいれかえて
 まず、心をいれかえて幼子のようになるという点にこだわってみましょう。弟子たちの質問は「だれがいちばん偉いか」、つまり der Groeste は誰かというものです。これは、先日の南牧師の説教にありました was の考え方ですね。君は100点とったから一番、君は99点だったから二番だよ、という発想ですね。ところが、その答えとして、イエス様は「心をいれかえて」といわれたのです。新改訳聖書の脚注には直訳として「向きを変えて」とありますし、ドイツ語聖書では umgekehrt となっています(マタイ伝18:3)。この umgekehrt は論文を読むときの曲者でして、何が逆になるのかを読み取らなければなりません。ここで私は、ローマ書1:17及び3:22に出てきます神の義と、その反対の人の義を考えてみようと思います。つまり、人の義から神の義へ「心をいれかえて」見なさいというふうに、この箇所を読み替えてみたいのです。
 人の義、人の考え方は次のように言います。「イエス様、こんな幼子がいちばん偉いとは思えません。だって何か重要な決定をしようにも、アバアバ言うだけなのですから」。あるいは「この幼子がしっかり勉強したらその結果として偉くなることはできるでしょうが…」。このような考え方の一つの根は、因果の法則に従った考え方、すなわち因果応報的な考え方にあると思います。合理主義もこの中に入ってくるかもしれません。しかし、ルカ伝12:54-56では「雲が西に起こるのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る」とか「南風が吹くと、暑くなるだろう」と言って「天地の模様」を見分けることのできる人々に対して、イエス様は「どうして今の時代を見分けることができないのか」と痛烈な批判をなさっています。この因果の法則に従った考え方は人の義・考え方であるといえましょう。しかし、イエス様の指摘のように、人間の罪の性質からいえば人類は滅びるべきものであるはずなのに、そのことを認めず、またあえて無視して生きているのが人間であるのではないでしょうか。この考え方には、その前提において「ごまかし」があるわけですね。そして、何よりも、神様の存在と介入が計算に入っていません。神様は罪人である私たちを神の義によって義と認めるといういわば「裏技の中の裏技」を用いて、この因果の法則に介入してくださったのですから。
 話はかわりますが、「律法は終わった」とお考えの方がいらっしゃるでしょうか?。たしかに律法主義は終わりました。しかし、聖書は、律法は聖なるもので正しく(ローマ書7:12)、かつイエス・キリストによって成就されたものだと主張しているのです(マタイ伝5:17-18&ローマ書8:3)。ところが、律法主義は、これもまた人間のものなのです。先日いただきました7月29日付のドイツニュースダイジェスト・低いアンテナは「清潔な町」と題して次のように言っています。「清潔な街…で生活できるのは快適だ。しかし『清潔』が錦の御旗になり、個人の行動規範を決定することになると話は厄介になる。『清潔なのは気持ちがいい。だからあなたも掃除しなさい』という無言の圧力、または事実上の命令、『清潔全体主義』とでも呼ぶべきそんな風潮もまた、ドイツにはある」。これを書いたのは日本人の記者ですから若干割り引いて考えなければならないと思いますが、もし教会が、「清潔」や「掃除」に関してではなく、一人一人の生き方についてこれと同じような考え方、つまり律法主義をとるならば、キリスト教は「切り捨て教」になってしまいます。
 では神の義とは何でしょうか?。それは神様の基準、神様の考え方に従うということではないでしょうか。ルカ伝5:5にあるペテロの言葉のようです。「(大工の)先生、わたしたち(生まれながらの漁師)は夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。このように、神の御言葉、イエス様の約束の言葉にしっかりと土台を据えて生活をすることが、「心をいれかえて」という言葉の意味ではないでしょうか。これを現実の親子に当てはめてみましょう。イエス様が「幼子」を引き合いに出した理由の一面がお分かりいただけると思います。私がある日、大学のメンザに家族をはじめて連れていったときのことです。デザートにとったカカオムースでしょうか、それが何であるか子どもたちには分かりません。和恵は、良介がソース、ソースというので、「これソースなの?」と尋ねてきました。わたしはちょうど真穂が騒ぎかけていたので、「ああそうだよ」と何気なく答えてしまいました。レタスのサラダの上にカカオムースがかかっているのを見て「おまえ、かけちゃったの?」と尋ねるわたしに、「早く教えてよ」と和恵は言いました。幼子というのは、大人と違い、疑うことを知らないもので、父親のいうことを素直に聞くものだと、イエス様はおっしゃりたいのかもしれません。  

X 自分を低くする
 次に「自分を低くする」(マタイ伝18:4)という点に移りましょう。ドイツ語では erniedrigen という言葉を使いますが、ある独和辞典には「品位を落とす」という訳語があてられています。でも、こども、まして幼子が自ら自分の品位を落とすようなことをするでしょうか?。またまた我が家のある日の一コマを例にとりましょう。このお話は若干脚色をしてあります。ガチャン!。テーブルからガラスのコップが落ちて粉々です。みんなが「落としはしないだろうか」と思っていたコップでした。わたしが第一声:紀志子、君が悪い。あんな端っこにコップを置くからだ。次いで紀志子:和恵、あなたが悪い。あなたがコップをあんなところに置いたからでしょ。ところが和恵:良介、良介が背中を押したからコップを慌てて置いたんじゃないの。すると良介:ぼく悪くなんかないよ。真穂がぼくの背中を押したんだよ。さて、真穂は何と言うでしょう。家族がいきり立っているその中で、ニコニコ笑って立っているだけでした。(後記。紀志子は我が妻、一番上のこどもが和恵(当時5歳)、次いで良介(当時3歳)、真穂(当時1歳9ヶ月)はまだしゃべることをしなかった。なお、帰国後、第4子として理香が与えられ、現在に至っている。)
 責任転嫁は人類が犯した第2番目の罪です。神様との約束に反して善悪を知る木の実を食べたあと、神様からどうしたんだと問われて、まずアダムが、次いでエバが責任転嫁をしたのはもうご存じのことでしょう。アダムは、神様がくださった私の妻が、といい、エバは、この蛇が、といったのですね。創世記の場合は責任を転嫁された最後は蛇であるサタンでしたから、結論からするとあながち不当ではないとお感じの方もあるやもしれません。しかし、真穂の場合は一目見て不当であります。いずれにせよ、アダムもエバも、また我が家の他の4人も、「自分は潔白だ」と言っているのです。しかし、真穂は何もいうことができません。これは、真穂の品性が貶められているといってよい例だと思います。これは、たしかに決して自分から望んで責任を押しつけられているのではありません。しかし、それに対して「自分は潔白だ」といわない、なされるがままにしていることは、自分を低くするということなのではないでしょうか?。私たちは神様の目から見れば、ある意味で虫けらです(詩編22:6)。自分を虫けら同然のものとすることは私たちにとって難しいことではないはずですが、しかし、そのように思えないのが、あるいは、自分を何者かであるように思ってしまうのが、また私たちの実情ではないでしょうか?。ところが、イエス・キリストはこれ以上のことをなしてくださいました。「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた」(ピリピ書2:6-8)。  

Y 受け入れる
 最後に「受けいれる」(マタイ伝18:5&マルコ伝10:15&ルカ伝18:17)にこだわってみましょう。この「受けいれる」対象が、今日の並行箇所である共観福音書を見ますと、「幼な子をわたし(イエス)の名のゆえに」、「わたし(イエス)を」、「幼な子のように神の国を」というふうに多岐にわたっています。しかし、これは一つのキーワードで解くことができるものです。すなわち、神の義=神の考え方であります。それでは、なぜ「幼子を」、あるいは「幼子のように」受けいれなければならないのでしょうか?。それは幼子の背後に神様を、イエス様を見て「受けいれる」必要があるといえるのではないかと思います。差別用語の一つに「女こども」という表現がありますが、まかり間違ってもこんなことを言ってはいけません。「イエス様、いちばん偉いって言ったって、女こどもじゃあないですか!」。これは人を見下す差別用語としても神様の御心に適わないことですが、それ以上に、神様の決めたことを否定するという意味で、より御心に適わないことと言えるのではないでしょうか?。
 以上のように、天国・神の国に入るには、人間的な考え方にすがりつく生活から、神の義、すなわち神様の定められた、あるいは定められようとしている道にすがって生きる必要がある、というのがイエス様のおっしゃりたかったことなのではないかと思います。それは、マルコ伝の第2のテクストで「神の国に入ることは決してできない」と記されているように、ある意味で非常に厳しいレベルのものです。しかし、神の義に基礎をおく生活、つまり神の御心に従って生きようとする日常の生活こそ、神様が私たちに求めておられるものではないでしょうか。神様はそのように生きようとしている私たち一人一人を助け、励まし、祝福してくださるものであると確信いたします。その信頼に基づいて人生を歩んで行くことこそ、神様が、イエス様が私たちに与えようとされている恵みなのではないでしょうか!。  

Z おわりに
 ドイツ人の Kinderunfreundlichkeit から今日のメッセージは始まりましたが、決してそれが悪いという前提でお話ししたのではありません。むしろ、私たちのために神様がドイツの Kinderunfreundlichkeit を与えてくださったのだと理解して、こどもの躾を学んで帰りたいと思っております。ただ私の願いとするところは、律法主義的な躾ではなく、かえってキリストによる完全な律法、すなわち自由の律法(ヤコブ書1:25)に従った躾を目標にしたいのです(あくまで目標でありますが…)。「自由の律法によってさばかるべき者らしく語り、かつ行いなさい」とヤコブ書2:12に書いてあるとおりです。すなわち、神様の御心を日常の生活の中で体験し、また従うことができることを、主の前に願っているのです。これはこどものためというよりは、むしろ自分のために神様に求めている恵みでもあるのです。
 それでは、詩編131篇を新改訳聖書でお読みして今日の奨励を終えたいと思います。 「都上りの歌。ダビデによる。主よ。わたしの心は誇らず、わたしの目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります。イスラエルよ。今よりとこしえまで主を待て」。

【1995年8月27日(日)、ケルン・ボン日本語キリスト教会(Japanische Evangelische Gemeinde Koeln/Bonn e.V.)における礼拝式での奨励より】


オリヴの園
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