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2006年(平成18)丙戌 おぎも

 

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● 2006年(平成18年丙戌)1月1日 
 明けましておめでとう御座います
昨日は除夜の鐘まで起きてました。母も紅白を喜んで見てくれたので大出費だったテレビを買って良かったです。今年は家族が更に健康で居られるように心掛けて行きたいです。

● 2006年01月01日
大晦日は夜更かしして元日も元気にテレビを見て過ごしてたが、歌をやってくれないで、食べる番組ばっかり。懐かしのメロデイーがないからハミングするが
出来ない。DVDも買わないと駄目なようになってるんだなぁ。元日の朝配達される年賀状が届かなかったので局に何度も電話したが夜まで待ち草臥れた。アルバイトが誤配達して留守の隣のポストに入れたと言う。

● 2006年01月02日
今日は亡父の24年目の命日だ。梶山家から行かれ
ないで申し訳ないと電話があった。命日だからどうだと言うこともないのだが仏壇が賑わったのは過去の話になった。四半世紀近くが過ぎたのだから当然だが、自分の年齢は中々理解出来ないものだ。

● 2006年01月04日
今日から母のデイサービス通いが始まった。寒い中元気に出かけて行く姿に頭が下がる。

●  2006年01月06日
娘が孫を連れて遊びに来た。小学三年のテニス少
年が幼稚園児の時に約束した卵焼きを作ってくれた。孫娘は中学一年生、幼稚園児の時の約束は18歳になったら免許を取って迎えに来てくれる事になっている。あと5-6年だ。

●  2006年01月08日
初釣に行こうと思ったが、余りに寒くて風も吹いているので辞めた。だらしの無い話だが渡哲也の映画
“男たちの大和”を見てしまった。大和の巨大な主砲で米軍機を狙う場面は諫早湾の埋め立てや国民年金の巨大施設を思わせて興味深い。高齢者が多勢来ていたが泣いている人が居た。戦闘場面はゲーム好きな層にも楽しめたのだろうが、ここでも、やり過ぎの気がして白けてしまった。戦争は残酷だと言う事を見せたが、大和や武蔵を作った事への反省は感じられなかった。 

●  2006年01月15日
寒くて鼻水と涙で風邪を怖れているが体調は良い。母も更に元気で野末医師の診察でも非情に良い状
態だと言われた。

●  2006年01月27日
大雪の後も寒さが続き路面凍結が見られる。昨日は母を迎えに行って来たが、老健への道は雪が残っていた。本当に運が良かったし母の元気も有りがたい。帰りの車の中では笑顔で答えてくれた。

●  2006年02月05日
毎日が寒すぎて炬燵から出られない。病院の診察を受けるのも億劫で、このままだと春が来ても動けなくなる。人混みは風邪を貰いそうで病院の待合室は怖ろしい。母はデイサービスに通っても風邪をうつされる事もない。見習わなければいけないと心を引き締めているのだが怠けている。

●  2006年02月08日
集中力と記憶力の衰えを実感してしまった。棚卸し
の計算と確定申告書の作成に猛烈な嫌悪を覚えている。パソコンだから手間も掛からず自動的に出来るのに、只管面倒くさい。20日には提出するが、ネット申告せず、税務署へ出かけて行って、一言でも不満を言って来ようと思う。

●  2006年02月09日
宮下クリニック:血圧133−83−101、白血球は三万二千を超え赤血球と血小板も増えている。今日からハイドレアを毎日飲む。

●  2006年02月14日
母を老健に連れて行った。大分足が弱ってしまい、車の乗降には苦労するがドライブは好きで喜んで乗ってくれる。道中は車外の風景を見ているし返事も
するから張り合いがある。

●  2006年02月17日  
車検の時期が来た。抗ガン剤を飲み初めて新車を買ったが、三年間の早かった事・・身体の方も大きな変化はなく経過している。購入時は五年が目標だったが、今は、免許の更新をしたら、新車を買って、と長生きを目標にしている。母も十分に耐えられそうに、元気を維持している。

●  2006年02月23日
昨日は暖かくて道路も渋滞が無く、母はドライブを楽しんでくれた。孫がNHK歌壇中一の部で入選した。「あじさいに 雫したたる この季節 喜び隠せぬ かた
つむりかな」爺様も喜び隠せず目尻が下がってます。

●  2006年02月25日
昨夜から母がゼイゼイ言ってる。今日は朝から下痢が酷く脱水を警戒する。熱は無いが風邪の可能性が高いので感冒薬ペレックス顆粒を処方してもらった。22日に老健でコンサートがあり無用の人の出入りが多かった。風邪引きの外部の人も来たので感染
したと思う。明日は日曜で病院も手薄だから高熱を出した時には命を落とすだろう。主治医に説明をして緊急時には指図をしてもらうように頼んできた。介護には、見舞いと違う配慮が必要だ。今の母には自分勝手な見舞いは不要だから、風邪を持ち込まないで欲しいと弟に言いたい。下痢が治まり発熱が無いように祈るだけ。夜になって39度の発熱があり息も苦しそうなので救急車を要請したが、高齢と高熱でインフルエンザを予想したのか受入れ病院が見付からない。一泊5万円の隔離室に入院出来るか?と打診され、了承すると言って救急車は発進出来た。レントゲンの結果、影があるが肺炎までなっていない。A型インフルエンザだからタミフル、クラリッド、フコステを処方され帰された。

●  2006年02月26日
母が遂に肺炎になってしまった。インフルエンザの予防注射も、肺炎球菌の注射もしているのにA型インフルエンザで肺炎を起した。前日、救急で診察を受けたが部屋が無い事で帰された。タミフルとクラビットを飲んでも高熱とぜい鳴が続き、再度診察を受け
て肺炎と決まり一泊5万円の隔離室に入院となった。支払い能力が無ければ入院出来ないので、予め確認を求められた。命は金より軽い事を知らされ、哀しくてならない。緊急に点滴を受けたが、薬液と血液が漏れてシーツを濡らし着替えをし、改めて点滴を始めたので倍の時間が掛かってしまった。家族が液漏れを発見しなければ気付かれなかった現実を見て、人手の無い休日夜間の病院は怖ろしい所だと思った。

●  2006年02月27日
月曜なので入院手続きをした。病院は駐車場が満車で院内も患者でごった返していた。入院補償金10万円を払い、抗生物質の副作用など承諾書にサインして五階の病室へ行く。入り口でマスクをして手を消毒して特別室に入ると母は点滴を受けて眠っていた。18時間の点滴だけで飲食物は禁止されている。担当医が自己紹介をした後病状は肺の右下に炎症が有り、痰が詰る状態で幾日掛かるかも不明だと言った。

●  2006年03月02日
入院時より元気に見えたが肺炎の数値は悪化に向かっていると言われた。痰が詰り点滴だけの日が続いているので体力は失われるばかりだ。雨が降れば見舞いに行けないし、早く退院出来るように回復して欲しいが見通しは暗い。一般病棟への移動をお願いしているが、本当に介護する家族は私以外に無いのだから母も可哀相だ。

●  2006年03月05日
疲れが出て昨日は見舞いに行けなかった。大部屋に行っても吸入器を付けてる訳でもなく、心配は要らないと思うが、帰宅後の事も考えると頭が痛い。一週間も寝て居れば歩くどころか、座れなくなる。座れないとデイサービスもショートステイも利用出来ないから、完全在宅介護になる。毎日点滴と鼻や口からチューブを入れて痰を吸引するので、今日はヤクルトを飲ませようとしても口を開けなかった。大好物のチョコも要らないと言い、吸引の苦しさで参っているようだ。時間を掛けてチョコを食べてもらい、ヤクルトとヨーグルトを食べてもらったが、知人が看護部に居たので心強い。

●  2006年03月07日
一時ごろ行ったら普通食が出されていたが、歯が無いし自力で食べられないので置いたまま残っていた。直ぐに看護師にジューサー食で無いと食べられない事、自力で食べないから介助が必要である事を告げた。昼食は間に合わないので夕食から対応してくれる。持参したヤクルト、ヨーグルト、チョコレートを元気に食べてくれたが、痰は取れないので、まだ、入院生活が続く。
 

●  2006年03月09日
昨日は都合で行かれなかったが、今日も昼飯を見られた。味噌汁を自分で飲むことが出来た。主治医に逢う事が出来て、食欲も旺盛で回復が順調だと説明された。来週に再検査をしてから退院も可能だと言われた。生命力が強くて、良く頑張ってくれている。今日は雨で行けないが明日も行く。
 

●  2006年03月12日
昨日も主治医に会えた。肺炎は治り点滴も終わるので月曜にはリハビリをしてくれる。母は久し振りに孫娘に名前で呼びかけた。食欲もあるし立ち上がる事が出来れば車椅子で帰宅する。入院は救急車が運んでくれるが退院は寝台車を予約しなければならない上、予約が直ぐには取れ無いと言うので退院日を決めきれないでいる。

●  2006年03月13日
今朝は採血があり点滴が続いているが、明日はリハビリをしてくれるらしい。14、15日にリハビリの後16日に退院だろう。帰宅後の介護も大変だが今度の入退院で動けない患者の退院は搬送が難しい事を確認した。

●  2006年03月15日
まだ、痰が詰り点滴が続いていた。肺炎は治り主治医からは退院の指示が出ているから搬送を依頼し準備が出来たと伝えたが、主治医が休日のため、明日の朝、退院時間確認の電話を入れるように言われた。

●  2006年03月16日
痰は出ているが入院の必要はなく、抗生剤の服用で自宅療養の指示が出た。心配だが見守りを続ける。退院時の搬送が苦労だったが、なんと私が外科病院に入院した時の腰痛持ちの同室者が、助けてくれた。

●  2006年03月19日
18日は元気で食欲もあったのに、夕方になり急な発熱38.5で救急入院となった。まさかの高熱で慌てたが、今日は看護師の説明で肺に痰が溜まっていると言われた。元気に見えても痰を出す力がないから吸引しかない。緊急で外科病棟に入っているが明日には内科へ移されるようだ。僅か二泊三日の退院だったが、入院手続きは必要だ。明後日は休日で病院は休みが続く。彼岸の入りに入院とは縁起が悪いので、何としてでも全快して退院させたい。
 

●  2006年03月20日
主治医が移動で決まっていない。点滴と痰の吸引の毎日が続く。今回は治療に加えリハビリをして貰えるようで、2−3週間を予定している。高齢者は肺炎で亡くなる事が多いので油断は出来ないと思うが、医師の話からは切羽詰った感じはなかった。

●  2006年03月22日
今日は痰も出ないようで食欲もあった。左足の点滴で針を刺した痕が熱を持って赤くなっていたので痛々しかったが脚力が衰えている感じはなかった。抗生剤の点滴と痰の吸引が終わればリハビリをして貰える。
 

●  2006年03月24日
点滴は続いているが朝からリハビリをしてもらい車椅子での昼飯と成る。咳も止まり痰も出ないようになり、左足の注射針跡の腫れが気になるが全般的に元気だ。
 

●  2006年03月28日
微熱が続いているらしいが、目に力があり食欲があると言われる。痰や咳も少なくなって、素人目には退院しても良い状態のように見えた。外の桜が見える部屋に代わり、窓際の明るい場所に移動していた。

●  2006年04月01日
四月七日の退院が内定した。医師の説明は発熱・入退院を繰り返しながらの日が続く・・・だった。仕方ないけれど退院後に問題が起きた。デイサービスもショートステイも受けてくれない状態が迫ってきた。結局、手数の掛かる患者は受入れ場所が無いと言う事だ。

●  2006年04月07日
昨日はリハビリの仕上げで立ち上がりを練習した。今日はタクシーで桜を見ながら無事帰宅できたが、35日分の去痰剤も貰っている。10日には往診してくれる医師も決まり、出きる事は総て準備した。明日は宝泉寺から甘茶を貰って飲ませようと思う。

●  2006年04月10日
初めての往診を受けた。元気な時から病状を知ってくれている先生が直接来てくれたので、心強かった。元気なように見えても感染に抵抗力が衰えているので、暫くはデイサービスも中止の方向で、訪問介護と訪問看護で在宅療養となる。
 

●  2006年04月11日
自分の採血の結果、白血球は30500。他の数値に大きな変動はないが、副作用の少ない抗がん剤が効いて、早くも三年が過ぎた。しかしハイドレアが保険適用されなくなる心配がある。一寸先は闇のような気がする。

●  2006年04月15日
母は40日間の入院生活の後にしては、信じられないほどの回復力である。便秘と下痢を繰り返しているが、食欲は旺盛で気力もある。有り難い事だ。
 

●  2006年04月17日
今日も元気で介護を受けて食欲もあり、水分も充分に摂ったのだが午後6時半ごろ急に痙攣が始まった。二時間ほど冷やしたりマッサージをしたりで経過しているが、熱は39度近くに上がっている。意識があるので、アイスクリームとチョコを食べさせて様子を見ているが、風邪が流行っていると言うから感染してしまったかも知れない。
 

●  2006年04月18日
不安な夜を過ごし朝は37度台に下がったが、昼ごろから39度近くになってしまった。往診してくれた医師に相談したら、原因を調べるために再入院が良いとの事で、夜6時に救急車を呼んだ。検査の結果は肺炎になり、尿路感染で腎盂腎炎で黄疸も出ているから危険な状態だと言われた。救命処置などの説明を受けた上、自宅介護は無理だと宣言され、療養施設に入ることになると言う。これ以上の苦しみは望まないので気管や胃に穴を開ける事を拒否し、心臓マッサージも電気ショックも断った。明日、入院手続きをして様子を見るが、自宅で最期を迎えられないのは残念だ。
 

●  2006年04月19日
熱は下がらないが肺炎ではなかった。主治医の説明が丁寧で判り易かった。胆石が悪さをして発熱や嘔吐になるらしい。明後日まで点滴で様子を見て肝臓の数値が良くなれば食事を再開出来ると言ってくれた。駐車場のガードマンも案内人も顔馴染になって良く面倒を見てくれる。会計の保証金も三度目だから、慣れてしまった。昨晩は暗いパーキングで転倒して右手に怪我してしまったが、母の頑張りに比べれば痛みとは言えない。胆石と腎盂腎炎が発熱の原因だったと判り納得出来た。
 

●  2006年04月21日
酸素吸入は終わり点滴も今週で終了。来週からは食事を摂れる状態になった。栄養状態に不安が無ければ来週中に退院の予定。胆石は取れないので発熱の不安を抱えての在宅介護となる模様。最期の判断は家族の意思で決めなければ成らない。どんなに厳しくても負ける訳には行かない。「しあわせを 教えてくれた 認知症 母の命の 尊さを知る」

●  2006年04月23日
点滴が続いていて禁食の札があり水分だけ許可だったが、食事が運ばれて来た。エンシュアリキッドを飲ませ、粥も食べさせてみたが元気に見えた。血中酸素も97程度で酸素吸入は要らない程回復している。痰が詰る事も無く、万全の対応をしてくれて順調な経過を辿っている。
 

●  2006年04月24日
点滴とミキサー食だが今日は元気が無かった。長い闘病で体力の衰えは仕方が無いが、目に力が無く歌を唄っても拍子を取らなくなっていた。
 

●  2006年04月26日
車椅子に座り元気に見えるが食事の量が極端に減っている。反応も弱く笑顔も無い。昨日も発熱があったと言い、尿も混濁している。何か言いたげな眼差しだが力が無い。食事に一時間以上も掛かる。夕飯は孫娘に介助してもらったが、殆ど口を開けてくれなかった。毎日は無理なので次回は28日になってしまう。
 

●  2006年04月28日
医師が治療は終了したと言ってくれた。胆石は取れないので便秘をさせないように往診医の指導を受けながら静かに介護するようにと丁寧な説明をしてくれた。今日は機嫌も良く、食欲もあった。連休明けの10日頃に退院の目途が立っている。
 

●  2006年04月30日
今日は微熱が有って水枕で冷やしている。食欲もあり元気だが自宅だったら安心は出来ない。連休中で地方からの見舞い客も多く病原菌の持ち込みもあるだろう。胆石からの発熱だと心配が消える事はない。明日も様子を見に行かねばならない。
 

●  2006年05月01日
今日は熱もなく機嫌も良くて昼飯は完食。スープを200cc、ヨーグルトも食べた。左手を手摺に掴らせて指を開くようにした。曲がった膝も伸ばしてマッサージをした。熱海の叔母、小堀の叔母が亡くなったと知らされた。3−4月を乗り越えた母は強い!
 

●  2006年05月03日
軽症患者の部屋の窓際に移動して元気が出ている。食欲があり発熱も無い。今度こそ完治して退院させたい。反応が良く笑顔も見せる姿に感謝だ。
 

●  2006年05月05日
食欲も安定して熱もないので退院可能に見える。今は帰宅の際の搬送方法に頭を痛めている。前回までのようには行かない気がするので、寝台車になるかも知れないが、予約しても即日には利用出来ないらしいので退院日が決まってからのことになる。自分が抱き抱える事が出来さえすれば苦労は無いが、歯痒さで胃が痛む。
 

●  2006年05月07日
小雨の中、母を見に行ったが主治医に会えて話を聞けた。古い胆石なので薬で溶かす事は出来ないが自宅療養は可能で往診医との調整次第で退院の日取りを決めることになる。
 

●  2006年05月08日
今日も小雨だが看護師から説明を聞くために病院に行き、11日から雨の予報なので10日の退院を決めた。22日間、管での排尿だったので管を外す様頼んだ。連休でリハビリも無かったから、普通のタクシーでは困難なので介護付き車椅子タクシーを予約した。
 

●  2006年05月09日
午後入浴の時、車椅子に乗せてくれると言うので、少しでも立たせるようにと頼んだ。食欲はあるが栄養状態は良くないと言われているから、栄養と休養を中心に介護して行こうと思う。
 

●  2006年05月10日
遂に三度目の退院だ。多くの人の助けを借りて目出度く生還できた。暗くなる気持ちを元気にしてくれた菊名病院の人々に感謝しなければならない。前回は10日間で再入院してしまったが、今度こそ再びお世話にならないように頑張りたい。今日は本当に嬉しい日だ。

●  2006年05月11日
熱を出さないかと不安は大きいが、帰宅一日目は無事に目覚めた。自分の病院が疎かにになっているので、晴れたら行こうと思う。

●  2006年05月12日
白血球は少し減り、血小板も赤血球も大きな変化は無かった。呼吸器も心臓も特に異常は無く、不安感は介護疲れによるものと思われる。夕食で母が誤嚥をして驚いた。

●  2006年05月13日
薬屋さんがカーネーションを呉れて、孫娘からケーキをプレゼントされて、母の顔は輝いている。闘病は家族にも辛かったけれど、駄目かも知れないと宣告された患者とは思えない回復振りで、本当に助かってよかった。何時までもと欲張る心算はないが、命ある限り許された時間を最大限愉しみたい。
 

●  2006年05月14日
思いがけない来客で、久し振りに楽しいひと時を過ごした。92歳の母の日は賑やかに過ごせ、二週間ほど前の悪夢から開放された。

●  2006年05月15日
往診を受けた。一応安定しているが、衰弱は進んでいて、夏を乗り越えるのが目標だと思った。午後は訪問入浴が来るが、駐車場所が無いのも苦労だ。「ありがとう」を言う母に、頭が下がる。
 

●  2006年05月16日
孫娘が見舞いに来た。このところ睡眠時間が長くなって疲れがあるようだが、椅子に座って声掛けに笑顔で応えている。午後はリハビリで頑張ってくれた。まさか立てるとは思わなかったので感激だ。

●  2006年05月18日
訪問看護の契約をした。往診は隔週だが、毎週の訪問看護と訪問入浴で在宅介護を継続する。母の意識はかなり明瞭で、身体の衰弱は激しいが懸命に応えてくれる。
 

●  2006年05月23日
昨日は入浴日だったが、37度5分の発熱でも衰弱した身体なので入浴は危険と判断された。水枕で見守り不安な夜を過ごしたが、今日は平熱に戻り笑顔は出ないが、返事はしてくれる。

●  2005年05月25日
昨日は往診があった。多少の熱でも入浴は尿毒症を防ぐと言われて驚いた。心音も脈も確りしているが、左手の硬縮が始まったので右手にも起きないか心配だ。四肢に硬縮が起きると嚥下不能にも成ると言う。
 

●  2006年05月26日
在宅医療の契約をして緊急時の看護もしてもらうことになり採血をした。訪問介護士も来て足浴と清拭をしてくれた。午後は訪問看護師が来て手足の硬直状態を見てくれた。一日に1000cc程度の水分を摂らなければ脱水や尿毒症の不安があるとのことだ。
 

●  2006年05月31日
穏やかな日が続いている。言葉も増えて驚くほどの回復は会話のある在宅介護でしか望めない治療効果だ。
 

●  2006年06月01日
訪問看護で血圧、脈拍、心音も正常で機嫌も良かった。介護を通じて親切な人に接する機会が増えて、心も休まる。

●  2006年06月02日
母の妹が見舞いに来てくれた。酉年の叔母は、ひところの老化を吹き飛ばして元気であった。数年前に母が歩いて叔母宅を訪ねた時とは別人になっていた。九歳年上の姉が頑張っている姿を見て、叔母にも更に元気を取り戻して、一人で遊びに来られる程になって欲しいと願う。

●  2006年06月05日
長い歴史の中で始めてリコール車に当たった。母をレントゲン撮影に連れて行く為、タクシー券を請求に行ったら制度が変更になり母の権利は無くなったと言われた。職員がガムを噛みながら作業をしていたので、窓口で30分も噛み付いてしまい無駄な時間を費やしてしまった。券を発行出来ないで残念ですと言うから、それは私が言う言葉であり、あなたに言われる言葉ではない!とキレてみせた。本牧で「嫌われ松子の一生」を見た。松子よりずっと幸せなのに、この国の制度に不満を持ち過ぎている。母も妻もこんな自分を頼りにしている。飽食の人間にものを言うのは止めたい。
 

●  2006年06月09日
梅雨入りで今日は朝から大雨だ。レントゲンとCT検査のため予約があるので濡れながらの病院行き。昨日は晴れ、明日からも晴れだ。見放された気分だが無事に終了した。苦労があれば克服する楽しみがある。何があっても負けはしない。

●  2006年06月13日
自分の採血で赤血球が増加した事が判明したが、白血球は2万6千程度で、呼吸器の方も安定しているので頑張る。午後、野菜の買出しがてら三崎まで行き、今年初めての三崎港で良型のベラを釣った。タナゴ1、念仏鯛8。
 

●  2006年06月20日
家族の愛情ほど効く薬はないと医師が言う通り、母の状態は非常に良い。戸塚の友が鶴見区の事情を調べて施設の不備を嘆いてくれた。母の状態を心配してくれて調べてくれたらしい。力になれることはないのか? と言ってくれる。嬉しい事だった。

●  2006年06月24日
戸塚の友を訪ねて行って来た。普通は時間を持て余すような年代なのに我が家には、そんな時間が全く無かった。久し振りに言いたい放題を言って羽を伸ばし胸の痞えを癒してもらった。

●  2006年06月26日
一週間のショートステイが終わり元気に帰宅したが、目を瞑る事が多い。特養に入れれば楽なのにと言われたが、暢気な意見で落胆した。
 

●  2006年06月27日
昨日とは違い周囲を見回し反応も良い。在宅の生活は刺激もあって居眠りする暇も無い。最後まで輝いて燃え尽きさせたい。
 

●  2006年06月28日
往診を受けた。問題なく順調である。便秘を心配したが夜には解消した。優子が介護に気を配ってくれるので心強い。午後一人で大黒へメジナ狙いに行ったが、木っ端カレイ一枚しか釣れなかった。春に10万匹放流した内の一匹だと言うから縁起が良かった。

●  2006年07月15日
93歳の誕生日を祝えた母に感謝である。家族四人で水入らずの時間を愉しんだ。

●  2006年07月21日
夏休みで曾孫たちが母を激励に来た。今月もショートステイに行く事が出来た。食は細くなっているが気丈に笑顔を見せる姿に頭が下がる。
 

●  2006年07月27日
ショートから帰宅したが衰弱が見える。在宅の介護では食事にも時間を掛けてやれるが、集団生活では最低限の世話しか受けられないからだ。意思表示の出来る患者は良いが一時間も食事に掛かる無言の患者は殆ど残したまま「食欲無し」と判断されてしまう。その挙句一週間の便秘になっている。
 

●  2006年07月29日
水分を大量に摂らせ食事も一時間半ほど掛けて食べてもらった。食欲が無いのではなく飲み込みに時間が掛かるので健康な人から見れば食欲が無いように見える。26日夕飯から懸命に食べて、医師から禁じられた立たせる仕草をし、便座に座らせた。28日夕方には驚くほどの大量の便が出た。表情を失っていた母が「有難う」と言った。本当の介護で薬よりも良い結果が出る事を証明した。

●  2006年08月19日
体調も良いので母は老健に行った。娘が我々を気遣い外食に誘ってくれた。家族での外食は母が倒れてから初めてだから五年振りだろうか。母と共に色々な所へ行き思い出を残しているが、介護生活を始めてからは普通の生活が無くなっている。日航ホテルのしゃぶ禅で軟らかい肉を食べた。歯が無くても食べられる肉を母にもっと食べさせてやりたかった。母がくれた丈夫な体と胃に感謝だ。

●  2006年08月28日
母の送迎に車椅子を借りたが、返しに行ったら部品を紛失したと言われ困った。移動困難だから介護車を依頼しているのに、毎回、車椅子を借りに行き、返しに行くので負担が大きい。午後うみかぜ公園に行き片口イワシでカサゴを狙った。夕方の一時間ほどの間に二十センチ越えのカサゴが連続して釣れた。更に二十五センチほどのソイも釣れた。ストレスは吹っ飛んだ。

●  2006年09月25日
21日には血液科の採血を受けハイドレアを朝晩服用が継続となる。25日は内科の肺レントゲンで陰が見つかりCT撮影となる。心電図も取り10月13日に胃カメラを呑むことに成った。午後、母を老健へ迎えに行った。21日には居眠りばかりで食欲もなかったが、今日は家に着くと笑顔も見せてくれている。体調は良くないが負ける訳には行かない。

●  2006年10月01日
大黒埠頭へメジナ釣に行ったが雨に降られて、僅か一匹で退散した。昨日は沢山釣れたらしいが今日は駄目だと常連さんが話してくれた。
 

●  2006年10月08日
朝晩は寒くなって母の清拭も大変に成る。木造家屋では完全冷暖房は無いから着替も辛いだろう。明日は祝日だが、この所の障害者自立法だとか介護保険の改正だとかで重症の老人には呪いの日でしかない。若い人たちに負の遺産を残さないためと言うが、貧しい高齢者を切捨て御免の社会に明るい未来などあるわけがない。身勝手な言分で責任を逃れ、祝日だからと鱈腹食べて遊んでいるのは人とは言えないだろう。

●  2006年10月13日
胃の具合が悪いので胃カメラを呑んだ。キシロカインを噴霧されて麻酔が効いたからカメラは難なく通過して胃の中が画面に映された。爛れた部分が見つかり、悪い予感がしたが即座に細い針金が差込まれ、その部分の細胞を採取された。生検と言うそうで悪質なものかどうか検査に回された。検査に苦痛は無いが、慢性胃潰瘍らしいので生活を改めなければならない。肺も心臓も肝臓も腎臓もレントゲン、CT、エコー、心電図、採血の検査で異常なしとされた。肺の陰は脂肪だったと言われたから、食生活には注意が必要だ。

●  2006年10月14日
○○の××ですがと優しい声の電話が来た。ご主人様ですかと言うので、留守番の者ですと答え用件は?と訊いた。エアコン清掃が六千円のところ、お宅が選ばれたので五百円やると言う。誰にでも五百円でやってたら会社が潰れるのでお宅様は特別だと言うので話を聞いていたら、二〇歳から六十九歳までの人に限ると言う。困った声で、ここの主は七十一歳ですよと言うと、あなたは?と訊くので、私は七十九歳の者だと言うと、奥様とか娘さんとかは居ないのかと言うので、身寄りがないから私が面倒を見てると言ったら、ご縁がありませんねと言われて電話が切れた。私は暇だから相手をしているが、電話で勧誘の話は多い。それにしても、お粗末で今流行の話ではないか?相手は仕事で一生懸命なのに、こんな応対をして居る私は悪い人なのだろうか?

●  2006年10月16日
うみかぜ公園にカレイを狙いに行った。風が強くて人も疎らだったが頑張った。結果はギンポ2、イイダコ2、ゴンズイ2、ヒトデ5。カレイもカサゴも相手にしてくれなかった。暗くなると北風が骨身に沁みた。胃カメラ検査の後、食事を制限しているので馬力が出ない気がする。早めに撤退した。

●  2006年10月25日 
朝晩は寒いし風邪を引いている人たちが沢山居る。母は元気に暮しているが、二月の寒さの中でインフルエンザ→肺炎で死にかけた記憶が蘇る。予防注射の予約はしたが風邪を防げるわけではないことを知ってしまった。栄養を付けて頑張って貰うが、悪い病気が流行しないことを願うばかり。

●  2006年10月27日 
胃カメラ検査で自分の胃の画像を見ていたら赤く爛れていた。細胞を採るというので納得してしまうほど悪かった。胃潰瘍と言うことで帰ってきたが、今日、生検の結果が判った。悪性の細胞では無くて、大丈夫と言う事だった。心配が無くなり、母の顔を見ると、母も穏やかな顔をしている。
 

●  2006年10月31日
昨日は採血の結果白血球が僅かに減っていて安定を示した。薬は従来通りだが安心して良いと感じた。助からないと思われた母の元気さを見るにつけ、自分も丈夫な身体を貰ったものだと思う。無駄にせぬよう充実した暮しを過す。
 

●  2006年11月07日
明日は母と範代がインフルエンザの予防注射を受ける。今年は二月末にインフルエンザで母が死の淵を彷徨ったので、感染防止が第一だと心得ているが流行しないことを祈りたい。今のところ食欲もあるし椅子に座って居られる時間も長くなっている。三月の医師の説明では在宅は無理と言われ、夏を乗越えないとまで説明されたが、最近の状態を見せてやりたい。介護に勝る治療無し!良質の介護で医学の常識を破って居ると思う。
 

●  2006年11月13日
久しぶりに三崎港へ行って来た。二人の斉藤が居てトウゴロー鰯やボラの群泳も見られた。いきなり当りが来て小型のカレイが釣れた。久しぶりだから魚が気を遣って呉れたなどと冗談を言っていると大きなフグが釣れた。結局イサキは釣れなかったが、カレイ3、フグ1、タナゴ1、サビハゼ2、ゴンズイ4、念仏鯛2。大満足の一日だった。
 

●  2006年11月18日
昨日は介護保険の更新のため状況調査が来た。介護度四から五になりそうだが、使える金額が増えても負担が増えるだけでメリットはない。更に、昨日から母の下痢は酷くて今朝も熱はないが、下痢は続いている。水分補給も大変なのに下痢で衰弱するのは怖ろしい。午後から老健に入るから看護師が附いて安心だが、長い冬が憂鬱だ。
 

●  2006年11月25日
 
大病を乗切り信じられない復活を成し遂げた母。表情は乏しいが確実に理解しているから介護も楽だ。命の大切さ、生き方を教えてくれている。血液検査の結果は栄養不足だが、飲込み困難だから止むを得ない。
 

●  2006年12月4日
新鶴見の三日間のショートステイを終え元気に帰宅。ショートの予約が来年の分まで決って居る。毎月七日間だけ老健で過して貰う。今年二月の入院騒ぎの時は、クリスマスや除夜の鐘など絶対無理だと思われていたのに、来年三月の予約申込みも出来る。母よ!あなたは強かった!今年も年末年始は楽しくなるだろう。

●   2006年12月21日
介護度が四から五に変更になったので、介護計画の立直しのため担当者が三人来て話合い、午後は老健へ母を迎えに行って来た。今回のショートステイも無事に済み元気に帰宅できた。年末年始を楽しんで、来年も家族元気で過したい。血液の病気で青島幸夫が急死した。お笑い芸人も白血病で死んだ。母の介護があるから、悪い血液が増えないようにしたい。

 ● 2006年12月27日
木村医師の往診を受けて異常なし、良好との診察結果だ。念の為にセフゾンを処方されたが、笑顔も見せるし唄うと声も出る。左手親指の硬縮が可哀想だが、本当に良く頑張ってくれる。

鶴工同窓会