四国の星 掲示板
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(No Subject) / 長屋の隠居 引用

「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」
戦陣訓の中に「名を惜しむ」の項があります。
捕虜は死よりも恥ずべきこととして兵隊は教育され、強制されました。
ところが戦争を指導した責任者は捕虜として裁かれましたが、彼らが靖国神社に祭られることは納得の行かない問題です。

No.31 2006/06/12(Mon) 20:49:31

 
Re: (No Subject) / 玉井彰 引用

「恥を知る」、「名を惜しむ」という我が国古来の美学に目を塞ぎ、「心の問題」などと強弁する恥知らずの政権には、退場してもらいたいものです。

太平洋戦争(大東亜戦争)が正しい戦争だったと言いたくて仕方がない人たちが、A級戦犯の方々が合祀されている靖国に(A級戦犯がいるからこそ)、わざわざ参拝したいという側面もあるのだろうと思います。巻き込まれている戦犯の方々にとっても不幸な話です。

No.32 2006/06/12(Mon) 22:14:47


自治体の単位 / 安倍川餅 引用

http://blogs.yahoo.co.jp/shikokunohoshijp/5525226.html
>東京の方が地域コミュニティづくりを意識しているのに対し、地方はむしろ「都市化」して、コミュニティが崩壊しつつあるように見えます。

 私が前々から疑問に思ってる点は、東京には「東京市役所」が存在しない事です。東京の血縁関係の都市を見ても、岡崎には「岡崎市役所」が在りますし、旧静岡市にも「静岡市役所 (〜2003年3月)」が在りました。

 東京都庁は、制度上では「東京市役所」兼「東京県庁」であるように、基礎自治体なのか広域自治体なのかが曖昧です。しかも、地方自治法には、「都」「県」「市」「町」「村」「区」などの定義すら明記されていません。
 一方で、外国の首都を見ると、ソウルにもベルリンにもワシントンDCにも、それぞれ「ソウル市役所」「ベルリン市役所」「ワシントンDC市役所」が存在します。これらは一市単独で「道 (region)」を形成してる自治体ですが、日本のように基礎自治体と広域自治体が曖昧になっているという事は無い。

 今の東京都制度が発足した時期は1943年7月1日で、63年前の軍事政権によって設置された制度です。これによって、東京市(基礎自治体)と東京府(広域自治体)が廃止されて、基礎自治体なのか広域自治体なのかが曖昧な「東京都」が設置されました。そして、軍事政権下で設置された曖昧な制度が、終戦後の地方自治法でも廃止されずに残っています。
 何よりも、旧東京市の中央政府は、旧東京市以外の基礎自治体には合併を強制するくせに、東京市は解体されて好い気になっています。「不公平だ、ふざけんな!」って言いたいですね。東京都の特別区を廃止して、「東京市」を設置するのが本来の都市(基礎自治体)という物です。

 何度でも言います。廃止すべきは「区」!設置すべきは「市」!

No.29 2006/06/11(Sun) 23:40:08

 
Re: 自治体の単位 / 玉井彰 引用

東京都と23区の関係については、じっくり考えてみる必要があります。

東京の各区は、基礎自治体として進化してきた歴史があります。各区が数十万人の人口を抱える「都市」であると考えると、「東京市」は、屋上屋を架すということにもなりかねません。

ただし、「東京都」が「東京市」を演じている面もあるので、このあたりの整理整頓は必要です。東京都が強大すぎるのではないかというのが、私の感想です。

No.30 2006/06/12(Mon) 09:39:58

 
自治体の単位(2) / 安倍川餅 引用

>東京の各区は、基礎自治体として進化してきた歴史があります。

 それは違うと思います。本来、東京(幕末までの江戸)は城下町から発達した都市で、初めから大きかったわけではありません。京都やベルリンなども同様です。
 東京は徳川将軍家の城が中心点となって、京都は天皇の王宮が中心点になって、ベルリンはプロイセン王国の王宮が中心点になって、それから次第に大きくなって過密化した歴史をたどっています。
 一般に、都市は城や港などから興って、それが大きくなって発達するように、「小から大へ」で大きくなる物でしょう。となると、城や港などから発達した「本来の都市」が基礎自治体となるのは、自然な事ではないでしょうか?

 以前に私は、都市を、「基礎自治体」「コミュニティー」の同義語で、「コムーネ」(伊:comune) という言い方をしました。日本と同じ規模で中央集権国家と目されるフランスでは、パリのような首都(過密都市)でも、カンヌのような小都市でも、カマンベールのような村落でも、全部が同じ「コミューン」という単位です。イタリアも同様で、ミラノのような過密都市でも、ペルージャのような中都市でも、全部が「コムーネ」という単位です。
 自治体の単位と階層も棲み分けされていて、一階が「コミューン」、二階が「県」、三階が「道」、四階が「国家」へと至るように、明確です。中二階として「郡」もあります。

 日本史でも、律令制による中央集権体制での地方統治の単位系は、「統一国家>道>国 (令制国)>郡>郷」という風に、明確でした(首都のみが「○○京」)。この単位系においては、東京は「東海道 武蔵国 豊島郡 江戸郷」、飯田は「東山道 信濃国 伊那郡 飯田郷」、京都は「畿内 山城国 葛野郡 平安京」という風に、階層が明確で、「郷」や「京」が現在の基礎自治体にほぼ相当します。

 要するに、フランスやイタリアなどの事例や、律令制の日本に共通する特徴は、自治体の単位や階層が明確だという点です。今の日本みたいに、自治体の単位が無秩序で、その単位の定義や階層すら曖昧で、その上に基礎自治体は人口だけで差別される、という事は、初めから都市や自治の概念が軽視されてるという事ではないでしょうか?

No.33 2006/06/12(Mon) 22:41:10

 
Re: 自治体の単位 / 玉井彰 引用

「江戸」と「東京」は違うのではないでしょうか。

江戸は徳川幕府の本拠地であり、首都ではありませんでした。東京は明治維新後、中央集権国家の首都として形成された都市です。

戦後、東京地区における民主主義実践の成果として、区長が公選になるなど、民主化が進展し、「区」が基礎自治体としての実質を備えてきたということは、積極的に評価すべきだと思います。

No.34 2006/06/13(Tue) 21:29:25

 
自治体の単位(3) / 安倍川餅 引用

 中央集権国家の首都として形成された都市なら、平城京(奈良)や平安京(京都)も、第二次大戦後のソウルも、明治以後の東京も、皆同じだと思いますよ。

 それに、土地を区別する上で、「明確さ」は大事な要素だと思います。土地の単位が明確で、「点」(都市や村落)の名称と「面」(広域自治体)の名称が容易に区別できる事は、それだけ土地に対する意識を持てて、土地の区別ができるという事にも通じます。

 住所表記を見ると、日本だけですよ、地方自治体の単位系が無秩序で曖昧な国家は。外国を見ると、台北市にも「松山区」、ベルリン市にも「中央区 (Mitte)」といった「区」が存在しますが、住所表記では「区」を書く必要が無いのです。つまり、「台北市 松山区 慶城街」「Mitte,Berlin」じゃなく、単に「台北市 慶城街」「Berlin」だけで通用するように、実に明確です。
 又、ミュンヘン市も、面積310km2、人口130万人の過密都市ですが、「区役所」は存在しません。従って、住所表記も都市名と町名だけ記せば充分です。
 つまり、外国においては、「東京都 台東区 秋葉原」じゃなくて「東京市 秋葉原」、「広島県 広島市 中区 八丁堀」じゃなくて「広島市 八丁堀」という風に、都市名と町名だけで充分なんです。

 そもそも、「区」とは「出張所」の発想であって、「都市や村落」の発想ではありません。「区」を設ける位なら、分離して新しい「市」「村」を設置するのが条理です。例えば、「区」が基礎自治体になりたいなら、「中野区」(東京都)じゃなく「中野市」に、「安塚区」(新上越市)じゃなく「安塚村」になるべきです。

 中央政府主導で都市名を県名にされて、地方自治体の単位が「都」「道」「府」「県」「市」「町」「村」「区」…という風に無秩序で、定義も曖昧になっているという、缺陥制度としか言いようがない日本の地方自治システムを、大多数の日本人は「しょうがない」としか思っていないのでしょうか?だとすれば、大多数の日本人は土地(なかんずく都市や村落)を軽んじてる、と言っても言い過ぎではない。

(*本日は仕事が代休の為、この時間帯の投稿となっています。)

No.44 2006/06/23(Fri) 09:36:40

 
Re: 自治体の単位 / 玉井彰 引用

東京の「区」という奴は難しい存在で、機能的には基礎自治体的な存在になりつつあるにもかかわらず、東京都23区の1つという面が濃厚にあり、いわば、団子が23個引き離せない状態でくっついたような状態になっています。

そういうところからすれば、おっしゃるように「東京市」の一部という感じです。しかし、「東京市」という基礎自治体の自治をどうやるのかと考えると、巨大すぎて手に負えないような気もします。

横浜市を例に取ると、この巨大都市も「自治」になっているのかどうか怪しい感じがします。市長選挙の投票率が35%。これって自治なんでしょうか。

無関心な浮遊市民と関心を持っている市民とが完全に遊離した状態の都市においては、全体丸ごとでは自治を実感しにくいのではないでしょうか。地域地域での顔の見える単位を模索すると、巨大都市においては「区」という存在に意味を持たせることに一定の意義があると思います。

自治の単位から出発するのか、自治が可能な範囲から出発するのかで、見え方が違うように思います。

No.46 2006/06/23(Fri) 16:42:15

 
首都の基準って… / 安倍川餅 引用

 東京特別区のような首都の場合、ベルリン特別市やソウル特別市と同様に「東京特別市」にして、一個の市で単独の道(或いは県)を形成する、というのも一つの案です。百歩譲って「区」を設置して良い、となれば、こういう首都みたいな例外に限定されるべきです。それに、「区」レベルの事なら、議会を設けず、住民投票で決めた方が安上がりでしょう。

 横浜市や川崎市ですと、地図を見れば判る通り、東海道線(国道1号)沿いと田園都市線(国道246号)沿いが一緒にされています。これでは総まるはずがありません。
 又、市長選挙の投票率1/3という現象は、何も横浜市だけじゃなく、取手市などの茨城県南部や、柏市などの千葉県東葛飾郡でも同じ現象です。これらの都市に共通して見られる、地方選挙では低く、国政選挙では高い投票率は、「○○都民」(神奈川都民、茨城都民など)が多い為に発生してる現象だと思います。

 これに加えて、日本には、「『区』を造る為に合併する」という本末転倒な自治体が多過ぎます。中央も地方も、自治の単位という根本を軽んじて、「何の為に『市 (都市)』や『村 (村落)』が在るのか?」という根本的な問に答えず、曖昧・無秩序な中央政府(首都)の基準を、数合わせで当て嵌める事しか考えていないように思います。
 一方で、フランスやイタリアのように、首都であれ小都市であれ村落であれ、基礎自治体を「コミューン」「コムーネ」で一括する発想は、「自治の単位を明確にする」「都市も村落も、所詮は基礎自治体」という考えが表れてるように見えます。

http://www.ne.jp/asahi/shikoku/hoshi/bbs/420.html
横浜市と川崎市の分割論については、過去ログの第408号も御覧下さい。

No.48 2006/06/25(Sun) 10:16:31

 
Re: 自治体の単位 / 玉井彰 引用

大きすぎる自治体については、分割は有効な手段であると考えています。ただし、ネーミングで躓く可能性があります。ネームバリューのある都市との合併が比較的受け入れられやすいのは、名前に対する憧れがあるからです。

横浜市の場合で言えば、「横浜」に住んでいるのがいいのであって、「都筑市」では納得がいかないという人が出てくるでしょう。平成の合併がある程度進んだ背景には、合併で有名な都市の住民になれたり、「町」「村」が「市」になれるといった詐術に引っかかったという面があります。「田中荘」より、「レジデンス・タナカ」が好まれるのです。

自治の本旨から言えば、一体感を醸成できる地域がひとまとまりになって自治体を形成していくべきだと思います。

東京に関して言えば、特別市はあり得る選択肢だと思いますが、「区」が自治体としての実質を備えているという側面は無視できないと思います。

それ以外の都市の「区」については、詳細を知りませんので何とも言えませんが、「○○地区」「大字○○」をおしゃれに言っているだけという気もします。

No.49 2006/06/25(Sun) 20:49:27

 
自治体の単位(4) / 安倍川餅 引用

 自治体の階層を見ると、「東京都庁」の下には「東京市役所」が無く、いきなり「出張所」の概念である「区」が来ています。そして、八王子や武蔵府中や三宅島といった多摩地方の都市や離島の村落には、「東京都庁」の下に「八王子市役所」「府中市役所」「三宅村役場」が来ています。

 一方で、岡崎の場合、「愛知県庁」の下に「岡崎市役所」が来ています。又、京都には「京都市役所」が在り、その上に「京都府庁」が存在します。水戸にも「水戸市役所」が在り、その上に「茨城県庁」が存在します。
 このように、岡崎や京都や水戸には、歴とした「市役所」が存在し、その上に広域自治体が来るように、自治体の階層が明確になっています。しかし、地方自治法には、広域自治体の単位である「県」と「府」の違いが明記されていません。

 「弊政の大合併」では、基礎自治体だか広域自治体だか判らない「東京都」の猿真似が横行しています。「日本平市葵区」(旧静岡市)なんて「東京都千代田区」(旧東京市)の猿真似で、日本平市役所は「日本平都庁」みたいなもんです。
 「新高山市」も「東京都」の猿真似です。新高山市は、飛騨地方の基礎自治体の大半を、高山市(〜2005年1月)に吸収する発想ですし;東京都は、本来の東京(=江戸)に該当しない多摩地方の基礎自治体を、東京市に吸収する発想です。面積を見ると、新高山市は2175km2、東京都は2190km2ですから、ほぼ同じです。

 「東京都庁」の下に「東京市役所」が無い多摩地方では、「八王子は東京(=江戸)じゃない」「(武蔵)府中は東京じゃない」というように、東京都分割論が存在します。同じく、旧高山市以外の村落も、「荘川は高山じゃない」「開田は高山じゃない」と思っているでしょう。東京都の猿真似である日本平市も分割されて、「清水区」が「清水市」に復るのが当然です。

 一般的に、組織を運営する際には、「○○局」「○○係」「○○事業本部」という風に、下層と上層、内局と外局という「管理階層」を明確にするはずです。ところが、日本には、国家を運営する際の「管理階層」という概念が存在しません。これはハッキリ言って異常です。

【跋】大前研一著「平成官僚論」の自治省の章にも、「曖昧な『市区町村』の定義と役割」が掲載されていますので、御覧下さい。「自治体の単位」で私が述べてる事と似た内容です。

No.82 2006/07/25(Tue) 11:35:38

 
Re: 自治体の単位 / 玉井彰 引用

確かに、市区町村の定義と役割が曖昧な状態だと思います。

東京の場合、「区」が完全自治体になったときには、「市」と改名すべきかもしれません。

「平成官僚論」が行方不明です。他の本は見つかるのですが。そのうち、読んでおきます。

No.83 2006/07/25(Tue) 17:17:46


「生きて虜囚の辱めを受けず」について / Reffi 引用

はじめまして
ブログでの文面に意見あって、こちらに記載します。

>しかし彼らは、「生きて虜囚の辱めを受けた」方々ではないか。この一点で、靖国に祀られる英霊たちと合祀されるべきではないと思います。

との事ですが

「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」(衆議院会議録情報 第016回国会 本会議 第35号)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0512/01608030512035c.html

この決議によって戦犯の名誉回復はされており、靖国神社もこの決議を元に合祀に踏み切ったと思ったのですが、違いましたでしょうか?
戦場で勇敢に戦うことと、裁判で勇敢に戦うことは違うのでしょうか?
その死に違いがあるのでしょうか?

どうも違和感を覚えます。

兵士には強制的に死ぬ事を言いながら、のうのうと生きて終戦を迎えた人が靖国に合祀されるのは間違いだという内容だと思うのですが、裁判で自己の主張を延べ、その結果死んだ軍属(戦犯ではなくなったわけですし)が靖国で祀られる事はおかしいのでしょうか?

>本人たちが一番分かっている

なぜそう思うのでしょう?本人たちの日記でも発見されたのでしょうか?
貴方はそう思うかもしれませんが、彼らがそう思うかは別と思います。


政治家でブログを開いている方は尊敬に値します。
がんばってください。

No.24 2006/06/11(Sun) 14:39:08

 
Re: 「生きて虜囚の辱めを受けず」について / 玉井彰 引用

「名誉回復」というと良いイメージになりますが、「戦争犯罪による受刑者の赦免」ということです。刑法に「刑の消滅」の規定があり、刑の執行を終わり一定期間経過後、「刑の言渡しは、効力を失う」とされています。また、「恩赦」という制度もあります。戦犯の「赦免」は後者に類するものであり、犯した行為が遡って犯罪でなくなったということではなく、「犯罪者」として社会生活上の不利益を受けることなく生活できるようになるという意味合いのものです。

殺人罪で処罰された者が、刑の言い渡しを受け、一定期間後に「刑の消滅」により「刑の言い渡しが消滅した」といっても、あるいは、恩赦により赦免されても、やはり十字架を背負って生きることには変わりありません。

粛々と刑の執行を受けた「戦犯」たちの無念を察する心情は、同じ日本人として持つべきです。しかし、国家の命運を決する決断に直接間接関与した指導者としての、国家・国民に対する政治責任は免除されるべきものではないと思います。(この「責任」は、我々日本国民が判定すべきです)

「捕虜になるくらいなら死になさい」と言われ死んでいった末端の兵卒と、そう言っておきながら死ねなかった指導者が、あの世で「やーやー」と言って再会して談笑することが美しい光景だと思われるのであれば、そういう感性なのでしょうねとしか言いようがありません。

私なら、どちらの立場であったとしても、「合祀」は遠慮したいと思います。もちろん、死者の感情については、推測の域を出ないということは自明です。

戦争で死んだのと、平時に死んだのとでは、意味合いは全く異なると思います。裁判で戦って死んだのが「戦死」だとすれば、サラリーマンとして「企業戦争」の犠牲になった方々も、「戦死者」として靖国に祀るべきものになります。それもいいでしょう。そうだとすれば、人生は戦いなのだから、死んでいった方々は全て「戦死者」として靖国神社に祀られることにしてもいいでしょう。そうすれば、問題は個々人の宗教上の問題になるだけです。政治的には何の問題もなくなるかもしれません。

No.26 2006/06/11(Sun) 17:32:38

 
Re: 「生きて虜囚の辱めを受けず」について / Reffi 引用

ご返答に感謝します。

なるほど。「赦免」と「指導者としての、国家・国民に対する政治責任」の認識の違いなのですね。
まだまだ勉強不足でした。

あと、死者に対する感情の部分は不要な論議でした。

正直、政治家の方に直接意見するのは初めてなもので、緊張しました。
問題点も把握できて、意見できた事を嬉しく思います。
また意見あれば発言をしたいと思います。


更新がんばってください。

No.27 2006/06/11(Sun) 18:44:37

 
Re: 「生きて虜囚の辱めを受けず」について / 玉井彰 引用

「戦犯」にも、同情すべき点は多々あります。英霊たちも戦犯たちも、共に時代の犠牲者だと考えて大らかに包む、一視同仁の態度もあり得ると思います。

実際、戦犯たちの一部は、死ぬよりつらい軍事法廷で堂々たる態度を取りました。評判の悪い東條英機ですが、軍事法廷で天皇の戦争責任を否定する戦いをしたと言われています。また東條が、 日米開戦が決した日、和平を熱望していた昭和天皇の期待に答えることができず、懺悔の念に耐えかねて号泣したという話もあります。

しかし、それはそれ。我が国がけじめのない国であってはなりません。私は、当時の国家や指導者に、「死ぬな。生きて国家の礎となれ。」というメッセージを国民に託して欲しかったなあと思います。

貴重な問題提起、ありがとうございました。

No.28 2006/06/11(Sun) 21:14:42


財源 / 安倍川餅 引用

 中央による地方潰しの手段が、地方交付税の削減です。とりわけ本社や工場の立地に乏しい地方の基礎自治体からすれば、地方交付税が降りないと財源が確保できないともいえるでしょう。
 もしも全ての基礎自治体が、「自分の土地だけから上がって来る財源でのみやり繰りせよ」となると、十九/二十の基礎自治体は潰れるでしょう。本社も無い、況して村落には工場も無いんですから。

 「自治」や「地方主権」は、基礎自治体に自由な財源を与えないと成り立ちません。本来なら、基礎自治体が自前で財源を確保するのが理想的ですが、企業本社の地方移転が無い限り、現状では難しいだろうと思います。
 地方主権型で分散型の国家を築く為の財源は、中央や裕な広域自治体から余分に財源を取るなどして一旦中央が全国一律に集めて、余分に取った分を貧しい基礎自治体や貧しい広域自治体に回す、といった財源調整制度(地方交付税みたいな制度)を維持しないと、難しいのではないかと思います。

No.20 2006/05/25(Thu) 21:44:36

 
Re: 財源 / 玉井彰 引用

例えば、「首都税」「県都税」というようなものを構想してみたいと思います。首都であり、県都であることは、それだけで優位に立てる条件です。その条件を得ている対価として、他の地域の地域振興に向けた賦課金を課すことにします。嫌なら「首都」「県都」を降りてくれればいいだけです。

「税」といっても、国が仲介者として他の地域に賦課金を振り分けるだけです。首都や県都を譲ってやっているのだから当然だ。国からの仕送りではない。こういうことも考えていいだろうと思っています。

人口10万人以上集めた都市には、「10万都市税」。こういうことも含めた実質的な対等条件確保のための「配分制度」が必要です。

その前に、「権限よこせ」です。国の補助金をなくし、地方が全てを決める。国家公務員から人材を引き抜き、地方活性化に役立てる。「権限・財源・人材」の「三位一体」改革が必要です。

そもそも条件が違うのです。そのことを直視すべきです。

No.21 2006/05/26(Fri) 08:22:15

 
財源(2) / 安倍川餅 引用

 いわゆる「三位一体」改革は、(1)国庫支出補助金を減らす、(2)地方交付税を減らす、(3)税源を地方に譲る、というのが大雑把な内容です。中央(国)と地方の攻防を見ると、こんな感じでしょう。

中央:「地方は金食い虫だから潰したい。地方交付税を減らせば手っ取り早い。『地方の自立』という甘言を弄べば、地方を潰すのは簡単だ。地方を潰したら、都市住民もさぞかし悦ぶだろう。」
地方:「『財源を地方に譲る』というが、きちんと財源の保障をするのか?中央は合併ブームを煽って基礎自治体をトコトン潰してるから、中央にとって『効率』の悪い地方の村や小都市を潰す為に、『地方分権』と呼んで瞞(ごまか)してるんだろう。権限だけ降りて財源は降りない、にする魂胆かもな。今じゃ、小泉政権によるアメリカ化で生活保護世帯も急増してて、基礎自治体レベルでは負担も大きいですからね。」

 恐らくこんな風で、地方に配分する財源を減らして、基礎自治体、なかんずく地方の基礎自治体を干上がらせる為の美辞麗句として、中央(国)は「三位一体」を使ってるように思いますが…。

http://www.pref.saga.lg.jp/at-contents/kenseijoho/sanmi/sannminojikann-04.09.htm
佐賀県庁 「三位一体改革」に関する見解

No.22 2006/05/29(Mon) 20:06:55

 
Re: 財源 / 玉井彰 引用

悪意の有無はさておき、地方での支出が過大であるというのが、現政府の「診断」です。

効果効率を至上命題であるとすれば、都市部に投資を集中し、地方を切り捨てるのが合理的です。

長期的に見て国が全体として豊かになるにはどうすればいいかという視点は、彼らにはありません。

No.23 2006/05/29(Mon) 22:22:52


分割の勧め / 安倍川餅 引用

http://www.ksky.ne.jp/~juju/GIIN/gappei_koike.htm
>合併は簡単です。分割はむずかしい。(談:小池清彦・加茂市長)

 市町村分割の有名な例としては、山口市と小郡町の分割が有りますが、こういう分割をもっと増やした方が好い。特に、飛地合併をやった所(高崎市、飯田市など)、利権型合併で巨大な面積になった所(いわき市、日本平市、新高山市など)、同じ軸の交通体系が複数存在する所(横浜市、川崎市など)は、即刻分割すべきです。

 もし分割をする場合には、地方自治法第七条以外に、考えられる法的手続きには何が有りますか?

 現在、青森市で旧浪岡町の分離運動が起こっていますが、住民投票で分離を決定する方法が予想されます。このケースの場合:
(1)法的な住民投票の対象は、旧浪岡町のみで実施されるのか、旧浪岡町を含む青森市全体で実施されるのか、のどちらなのでしょうか?
(2)投票の結果、旧浪岡町のみで過半数を超えた場合に分離が決定されるのか、旧浪岡町を含む青森市全体全体で過半数を超えた場合に分離が決定されるのか、のどちらなのでしょうか?

No.18 2006/05/21(Sun) 05:48:49

 
Re: 分割の勧め / 玉井彰 引用

合併のように「特例法」がないので、地方自治法7条の解釈運用の問題になります。

自治体内での分離決定は、地方自治法7条6項により自治体の意思決定機関である議会の議決で決まります。その議決を受け、県に分離の「申請」(7条1項)をします。

議会の議決を行うについては住民の意向を確認する必要があるでしょうが、分離を求める地域の住民投票の結果を参考にするのか、自治体全域の住民の意思を確認するのか、議会が独自に判断するのかは、地方自治法7条の解釈・運用の問題になります。結局、地域内の「政治」の問題になるのではないでしょうか。

ともあれ、合併には推進するための「特例法」があり細かいルールがありますが、分離にはそれが明示されないというのは、合併に向けた住民意思は尊重するが、分離に向けた住民意思はないがしろにすることですから、「法の下の平等」に反するのではないかと思います。

No.19 2006/05/21(Sun) 08:38:10

 
区割りの謎 / 安倍川餅 引用

 中央政府が道州制の区割りを勝手に決めていますが、3月1日に、敦賀や小浜の市長が、「嶺南(若狭湾沿岸)は近畿に入る。嶺北(福井市などの越前地方)が北陸に入るならば縁を切る。」と発言しています。
 このように、どの地方なのかが曖昧な地方は幾つか在って、若狭湾沿岸と富士山麓(静岡県伊豆地方、駿河地方、山梨県)が代表的です。沼津や三島などは東京都区部の通勤圏となっていますが、市長たちからは、「伊豆は関東に入る。富士川以西とは断絶する。」という発言は聞かれません。

 それにしても不可解なのは、中央政府による地方区分の区割りです。雇傭統計が「北関東(三県)・甲信(二県)」で、NHKなどが「関東・甲信越」「東海・北陸」とかいう区割りです。
 特に、雇傭統計の「北関東・甲信」や、地方制度調査会の「長野県全域は北関東へ」という区割りは、地方的特色で誤解を与える物です。関東平野の一角と日本アルプス界隈がなんで一緒なのか、理解に苦しみます。水戸から松本まで行くより、水戸から仙台までの方が近くて便利です。

 又、「甲信越」という名称もメチャクチャです。大体、富士山麓の甲府と日本海沿岸の新潟市なんて疎遠も甚だしいですし、山梨県からは、東京都区部か中信州か駿河地方の方が近くて便利です。新潟市や長野市なんて「北陸(日本海沿岸)じゃないか?」って言いたいです。NTTドコモのモバイル天気予報も「関東・甲信越」という、太平洋沿岸(関東平野)、日本海沿岸、本州中部内陸側がい一緒というメチャクチャな区割りです。

 関東地方に住んでる身からすると、日本海側の新潟市や長野市、中央アルプスに近い松本や、天竜川流域の飯田を「関東」に入れる位なら、太平洋側で富士山麓の沼津や旧静岡市を「関東」に入れた方が、よっぽど適宜だと思いますが…。

 中央政府には、「分割」や「同質性」という発想が無いんでしょうか?

No.51 2006/06/29(Thu) 06:21:43

 
Re: 分割の勧め / 玉井彰 引用

政府が試案、案を出したとして、最終的には地方が決定することになります。この点は市町村合併と同じです。各地で、県の案と異なる合併が行われています。

その地方の人でないと、この地域と一体となりうるのかのニュアンスが分かりにくいので、中央が押しつけるわけにはいかないだろうと思います。

ただし、道州制という名の県の合併に向けての圧力は強まってくるでしょう。

No.52 2006/06/29(Thu) 11:06:15

 
分割の勧め(2) / 安倍川餅 引用

 合併には「住民発議」が制度化されているのに、分割には「住民発議」が制度化されていない事は不公平です。
 非効率の代名詞のように言われる中央省庁ですら、合併したり分割したりしています。例えば、労働省が厚生省から分離される(第二次大戦後)、みたいに。つまり、合併・統合(編入)じゃなく、分割・分離した方が効率が良い場合が在るって事です。

 となれば、自治体が分割する事は、なんら悪い行為ではない。基礎自治体でも広域自治体でも同じです。にも拘らず、「合併=善」「分割=悪」という風潮が蔓延していますが、どう考えても異常です。

 いわき市や新高山市のごとき誇大妄想市町村を、「面積が広過ぎ!気質が大違い!分割ってできないの?」って思ってる方は、きっといると思います。又、伊那地方や中信州には「北陸扱いするな」、多摩地方には「多摩は東京(市)じゃない」、日本平市には「清水(市)は静岡(市)じゃない」と思ってる住民が、少なからずいると思います。
 これらの地方の住民は、市町村や県の分割が可能なのかを知らないまま、不満にも耐えているのでしょう。

 前述の「嶺南は近畿に入る」という敦賀市長の発言も同様で、若狭湾沿岸を福井県から分離して、「若狭県」を設置すれば済む話です。多摩地方についても、東京都を分割して、「多摩県」と「東京市」と「大島県」(伊豆小笠原諸島)を設置すれば良い。静岡県にも分割論が存在します。
 合併特例法を即刻廃止して、「嶺南は近畿に入る」「多摩は東京じゃない」「清水は静岡じゃない」という、分割の住民発議を可能にすべきです。つまり、合併発議と分割発議の、両方が明示されている法律でなきゃダメです。

No.67 2006/07/06(Thu) 06:06:37

 
Re: 分割の勧め / 玉井彰 引用

(メールが来るので書き込みの存在が分かるのですが、今回は探すのに苦労しました。関連事項に留意されているのでしょうが、一番上に書いた方がいいのではないでしょうか。)

それはさておき、「自治の最適単位」を実現するための手段が、「合併」であり、「分割」であると考えるべきです。

合併に向けた住民意思しか尊重しない現行法制度は、法の下の平等に反するものです。

No.68 2006/07/06(Thu) 08:45:25


どこで明暗が分かれたか / 安倍川餅 引用

 三年前にも述べましたが、大規模な行政市同士(例:静岡市と清水市、京都市と大津市、柏市と松戸市など)が合併すると、合併後の都市は衰えるのが定説です。共倒れするか、片方だけが優遇されて片方が冷遇される、という風に、不均衡になって衰えます。

 とりわけ大宮市と清水市は、合併後には、周りから「死んでる」って嘲われています。ある新聞社が実施したアンケートでも、旧大宮市からは、「合併して悪くなった」という声が3/5と大きい。この要因として、旧浦和市出身の市長・相川宗一が、旧大宮市出身の候補を潰す為に、大宮駅周辺の商店街を潰してるという政治的圧力が動いています。
 日本平市(以降は、新静岡市を「日本平市」、旧静岡市を「静岡市」と呼ぶ)でも、予算配分が旧静岡市に偏っています。合併協議会のメンバーも、静岡市は「編入合併だ」、清水市は「対等合併だ」と大揉めして、足の引っ張り合いでした。そして、天下り知事・石川嘉延が介入した政治決着で、実態は編入合併で、「静岡市」とは名ばかりの「日本平エリア」に成り下がりました。そして、合併後の日本平市は金回りも悪くなり、旧静岡市と旧清水市の両方とも、個性が弱まって衰えています。

 一方で、同じ駿河地方でも、清水市のライバル・藤枝市は、合併をしなかった為に、皮肉にも活気を保っています。合併せず、小さく総まってるからこそ衰えない、と見る事もできます。

 では、大宮市と清水市が衰えて、藤枝市が衰えなかった要因は何か。大宮市と清水市は、市長や市議たちが、外見(人口と面積)に溺れて、自治的に都市を造ろうという気概を投げ棄てて、大きな力を持つ浦和市や静岡市の市長に擦り寄った結果です。
 自治的に都市を発展させようとするなら、「実質、吸収=屈辱合併」をやろうとしたら、「合併は白紙撤回だ」と迫ったり、合併を強行されたら「分割しろ」と迫るのが当然です。
 いずれにせよ広域行政体は残るんですから、成立も機能も性格も違う大きな都市同士なら、合併して足の引っ張り合いをせずに、広域連合体(一部事務組合など)でも結成した方が良い。そして、合併して「一市二制度」を作る加算的発想じゃなく、「一市一制度」として分割する除算的発想の方が、自治や都市は高上します。市民の目線や都市の個性を重んじるなら。

<詳しくはこちらを読んでください>
http://www.kokuminrengo.net/giinban/g15-sn.htm
日本平市議・佐野慶子による裏話。2003年の合併前には静岡市の市議。
http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/tanakayasuo-col0160.html
日刊ゲンダイに載った、田中康夫「平成の合併は世紀の愚行」の記事

No.12 2006/05/15(Mon) 07:13:11

 
Re: どこで明暗が分かれたか / 玉井彰 引用

平成の合併は、「効率」の悪い「町村」を抹殺するためのものですが、特例債と政令指定都市の関係から、大きな都市同志の利権型合併や悪乗り合併が出てきました。

都市としては、人口10万〜20万で、面積の狭い都市が一番効率がいいと思われます。然るに、何十万規模の都市同志の大型合併(しかも、かれこれ面積の広い)が出てくるというのは、普通の想像力では、「越後屋、その方も悪よのう、はっはっはっ・・」の世界かなと思います。

「そうじゃないよ」と言うのなら、給与は低い方に合わせ、サービスは高い方に合わす努力が必要です。

No.13 2006/05/15(Mon) 10:31:00

 
合併したら嘲われ者 / 安倍川餅 引用

「旧浦和市民だけど、『大宮市』浦和区で良いよ。なぜなら、『さいたま市』よりはマシだから。」
「『さいたま地裁』で裁かれる人は可哀相。」

 いずれも、匿名掲示板に載った投稿です。何の由来も知らずに、単に県名を“ひらがな”にしただけの『さいたま市』は、発足から五年経っても、天下の嘲われ者です。
 これに加えて、『西東京市』も嘲われ者の常連です。「西東京市東町」「西東京市中町」という風に、無味乾燥な方角の羅列ばかり。

 関東地方に住んでると、天気予報や道路案内で「さいたま」「みなかみ」とか、ニュースで「さいたま地裁」「○○新聞社さいたま支局」とか見ると、余りにも格好悪くて不快指数百%です。群馬県の水上町も、合併でひらがなの「みなかみ町」に改悪されました。道路案内の「原町(市)」も、合併で頭に方角の「南相馬(市)」に改悪されました。『東広島市』と全く同じ、ナンセンスな発想です。この発想なら、『西東京市』の西の自治体が合併したら、『西西東京市』にするんでしょうかね。

 無味乾燥な方角やひらがなにした所は、ヒンシュクを買って衰えるか、合併前の旧称で呼ばれています。基礎自治体は、合併させるのはダメ。無味乾燥な方角やひらがな(例:東かがわ市)なら、改名させたり、それが無理なら分割させないとダメですね。

No.14 2006/05/17(Wed) 17:43:48

 
Re: どこで明暗が分かれたか / 玉井彰 引用

酷な言い方ですが、実質的に吸収された自治体は自治体としてのアイデンティティが弱かったということです。

名前で妥協してしまった自治体は、新しい自治体はどういう自治体であるべきかという根元的な問いから逃げてしまったのだと思います。安易な気持ちが安易な名前に表れています。

No.15 2006/05/17(Wed) 19:58:31

 
どこで明暗が分かれたか(2) / 安倍川餅 引用

>自治体としての「アイデンティティが弱かった」ということです。

 自治体としての「アイデンティティを投げ棄てた」、と言った方が妥当だと思います。縦え規模が小さくても、アイデンティティを投げ棄てない所は、活気が残っています。栄村(北信州)や加茂市(北陸東半分)のように。

 津軽地方で、浪岡町(人口約二万一千人)が青森市(人口約二十九万人)に編入されましたが、編入された後には、浪岡町の分離を求める運動が起こっています。浪岡町では買収工作が起こって、編入を進めた旧浪岡町長・加藤新吉が収賄罪で捕まるなど、縄付き議員まで出す程です。浪岡町の住民が分離を望んでる理由として、地元の浪岡町で買物を済ませるか、青森市よりは常盤村(隣村)や弘前市へ出かける者が多い為らしい。
 分離を求める浪岡町の方が、自治体としての「アイデンティティを持っている」とも言えます。

No.16 2006/05/18(Thu) 10:40:30

 
Re: どこで明暗が分かれたか(2) / 玉井彰 引用

ころんでから「痛い」と分かった訳です。

ころぶ前に痛いことになることを予測し、対策を練るのが政治であると思います。

残念なことですが、地方にはそのレベルの人材がいません。東京にはいるのかと言えば、いません。東京には地方で能力を発揮できる素質を持った人材はいますが、組織に埋没してしまっており、実際には役に立ちません。

官僚の中の人材を開花させるためにも、地方主権型社会をつくらなければなりません。17日のブログ <「群雄割拠」で行こう>を御覧ください。


http://blogs.yahoo.co.jp/shikokunohoshijp/5065223.html

No.17 2006/05/18(Thu) 19:09:27


「点」と「面」の混同(3) / 安倍川餅 引用

>都市とエリアとの区別は重要です。「都市」という場合、人口と都市機能が集中する街区のみを指すべきです。

 「都市 (コミュニティー)」と「エリア」が混同されている例として、「首都」と「首都圏」、「城下町」と「藩」があります。そもそも、「藩」や「首都圏」はエリアであって、「城下町」や「首都」が都市です。

 あたかも「藩」が個性的で地方主権であるかのような主張がありますが、これは大錯いで、実際には城下町が個性的であるに過ぎません。つまり、「藩」という単位は、巨大な面積の多極状態で、城下町に富を集めるシステムになっています。富を手にする地域は「城下町」という点(都市、コミュニティー)に過ぎません。
 「首都圏」も同じで、東京という「首都」のみが富を掻き集めて、千葉市や八王子といった周辺都市は、「首都圏」というエリアの周辺部として、立場を軽視されています。

 それに、「藩」を基礎自治体だと錯覚してる者も多過ぎます。「藩」を基礎自治体にすると、新高山市やいわき市のような誇大妄想市町村を生むだけで、住民も行政も、移動だけで莫大な経費を費やす事になります。
 例えば、土佐藩の行政区画を基礎自治体にすると、ムチャクチャです。なんせ土佐藩の行政区画は、現在の高知県と同一です。中心商業地は城下町・高知だけで、中村から高知までは130kmで、沼津から東京までと同じ遠さ。中村から室戸までは200kmもかかります(東京から磐城平までと同じ距離)。こんな物のどこが基礎自治体(コミュニティー)でしょうか?これは「市 (コミュニティー)」じゃなくて「県 (エリア)」でしょう。

 「藩」のように何もかも併合すると、小回りが利かなくなり、周辺部が軽視されて、結果として地域の個性を殺ぐ事にもなります。例えば、城下町・鶴岡と港町・酒田が合併しても、都市の性質も成立形態も違いますから、総まるはずがない。コミュニティー(城下町、宿場町など)とエリア(藩)は、全くの別物です。

No.8 2006/05/08(Mon) 18:12:46

 
Re: 「点」と「面」の混同(3) / 玉井彰 引用

昭和の合併時点で、基礎自治体としては広すぎる区画になっています。本来の基礎自治体とは、お互いに顔の見える人的関係がある区域で自らが地域の課題に取り組む団体ですから、通常数千人程度の地域を考えるべきです。

そうした自治を大切に維持していくという問題と、広域のエリアを経営する問題、「都市」を経営する問題とは、分けて議論すべきだと思います。

藩=県、城下町=県都、と考えると、県に主権があった江戸時代の分権ないしは地方主権も1つの地域経営のやり方です。城下町に富や人材が集積するのは、エリア全体の繁栄にとってはむしろ必要なことであり、それを否定するとエリア=藩全体が疲弊することになります。

現在の「都市経営」も、広すぎてエリア化した自治体の中で、人・モノ・金の集積点としての「都市部分」=中心市街地の活性化問題として議論していく必要があります。中心市街地活性化は、自治体が「特区」的位置付けで取り組むべきテーマです。

No.9 2006/05/09(Tue) 07:27:25

 
一階と二階 / 安倍川餅 引用

 日本の藩やドイツの地方王国みたいな広域自治体(県、道)が主権を持つのも一つの形態ではありますが、その広域の中には幾つもの底辺(都市、村落)が存在するという事も軽んじてはならないでしょう。

 一階が狭くて二階や三階が広い建物が歪になるように;一階(都市、村落)が多く、二階(県)や三階(道)に上るに順って少なくなるのが自然でしょう。二階が広くて一階が狭いと、自ずと建物は脆くなります。年も取れば、二階に行くのも面倒になります。
 広い一階(多数で小さい都市や村落)があって、初めて二階(県)が成り立ち、三階(道)が成り立ち、最も狭い四階(一つの大きい国家)に至るという事です。必要に応じて、中二階(郡)を設置するのも一つの方法。

 それ故に、どんなに合併や分割が実施されても、どんなに基礎自治体の数が多くても少なくても、広域自治体や広域連合体は残って行きます。となれば、一階が優先的に主権を持って、その上で各室や各階がどこまでを範囲とするか、という「棲み分け」が必要になります。
 片山虎之助や諸井虔といった、大規模合併を唱える人たちの特徴として、「棲み分け」という発想が無い。都市・村落の歴史的・機能的な「棲み分け」も無ければ、自治体の単位別の「棲み分け」も無い。況わんや、住民からの利便性や小回りなんて。

No.10 2006/05/10(Wed) 09:51:56

 
Re: 「点」と「面」の混同(3) / 玉井彰 引用

悲しいかな、というか当然というか、自民党型の分権論は地方統治の合理化を目指すものであって、地方が主人公という考え方にはなり得ません。中央集権の一形態としての分権であって、地方への仕事の割り当てではあっても、重要な決定権の地方移譲ではありません。よって、棲み分けもきちんとしたものにはなりません。

国が上位、市町村に対して県が上位、という刷り込みは強烈であって、ここから自由になっている方はほとんどいないのが現状です。

No.11 2006/05/10(Wed) 16:17:44


めずらしい / 四家立直 引用

プログに掲示板があるのってめずらしいのでは?
その努力に敬意を表します。

No.5 2006/05/02(Tue) 23:10:45

 
Re: めずらしい / 玉井彰 引用

「四国の星」HPでは、「伝言板」で可能な限り「返信」していました。

http://www.ne.jp/asahi/shikoku/hoshi/

ブログの「コメント」「トラックバック」には、今ひとつなじめないので、「掲示板」でコミュニケーションを図りたいと考えています。

No.7 2006/05/03(Wed) 07:46:04


十二年半の総括 / 安倍川餅 引用

<序>旧掲示板によく投稿していました、安倍川餅です。当掲示板でも宜しく。

<以下本文>
 細川政権の発足、1993年米騒動、小沢一郎著『日本改造計画』の出版、サッカー日本代表の「ドーハの悲劇」といったビッグな出来事から、十二年半(百五十ヶ月)が経ちました。

 小沢一郎・現民主党党首は、小泉・竹中政権を「無責任体質」「正直者が報われない不公正な社会を作った」とまくし立てています。アメリカ流の冷酷な市場原理主義(新自由主義)と軍事霸権主義の国家、言わゆる「普通の国」を作り上げた者は、小泉・竹中政権でした。しかし、「普通の国」の言い出しっぺは、『日本改造計画』を著した小沢党首ではないでしょうか?

 十二年半前の『日本改造計画』を見ると、「東京からの自由」を唱える一方で、「全国を三百の『市』に再編する」という節があります。この「三百『市』再編」が、片山虎之助・前総無大臣を初めとする市町村合併推進論者の理論的支柱となっている事は確実でしょう。

 今の国会答辯を聞いていると、小沢党首は「普通の国」路線を百八十度覆すような言い方をしています。しかし、十二年半前には、小泉・竹中路線を先取りする発言をしていました。

 小沢党首は、十二年半前に唱えてた事を忘れたのでしょうか?それとも、それとも、十二年半前に唱えてた事をキッパリ止めるつもりなのでしょうか?「変革」を唱えるのは良いんですが、それなら、旧自由党時代も含めて、百五十ヶ月間の「総括」が求められると思います。

No.4 2006/05/02(Tue) 22:34:32

 
Re: 十二年半の総括 / 玉井彰 引用

小沢氏の著書をもう一度読み直そうかと思っているところです。

当時の状況下では、ベクトルの向きとしては、自己責任と自由競争の方に向かわなければ、社会の閉塞状況を打破できないと考えられたのだろうと思います。

今日の状況は、振り子が振れすぎたということになります。

地方分権につては、300自治体という、江戸幕府型地方主権を考えているのでしょう。

ここらについては、後日、ブログのテーマとさせてください。

No.6 2006/05/03(Wed) 07:42:11


掲示板とともに復活グリーンマン / グリーンマン 引用

お久しぶりです!お蔭様で普通免許を取得し、無事地元に帰って来れました。

一月ほどネットに接続していない内に、HPがblogにリニューアルされており驚きました。

新制小沢民主党の動向も含め、これからもちょこちょこ参加しますのでよろしくお願い致します。

松山市議選は投票率も低く、残念な結果に終わりましたが、千葉の補選は僅差ながら勝利を収めることができ、小沢代表の底力を見せつける結果になったように思います。

首相を派手に暴れ廻るライオン(獅子)だとすれば、小沢氏はどしりと構えた龍が如くであると、表現してもよろしいでしょうか。

自民党のような一過性で排他的な政策でなく、龍の尻尾のように長期的で安定した日本の将来像を描ける新政権が、1日も早く誕生するよう期待しております。

長くなりましたので、それでは、失礼します。

No.2 2006/05/02(Tue) 12:39:51

 
Re: 掲示板とともに復活グリーンマン / 玉井彰 引用

経費節減のため、リニューアルさせていただきました。

小沢氏の登場で、政治が大人のものとなってきた感があります。

この5年間の思いつき政治から、我が国の未来を見つめた重厚な政治に転換すべきだと思います。

No.3 2006/05/02(Tue) 16:27:10

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