玉井彰の一言 2003年2月 四国の星ホーム前月翌月

[2003/02/28]  自治体の尊厳、地域の尊厳

個人には侵すべからざる尊厳があります。日本国憲法は個人の尊厳をその基礎としています。

個々人の集合体である自治体あるいは地域にも尊厳があると考えます。自治体、地域を強制的に切り捨てようとする今回の合併推進のあり方は、自治体、地域の尊厳を傷つけるものです。

民主国家における基礎的単位への冒涜であり、民主主義への間接侵害であると考えます。


[2003/02/27]  利息と元本

私は、「保守」を標榜しています。言ってることが共産党に似ているなどと言われますが、自分では「福祉を語らない共産党だ」などとやり返しています。共産党は嫌いではありません。国家の主権ということに関して自民党のように軟弱ではないからです。

「福祉」というのは、大切ですけれども、「利息」に相当するものであり、その前に国民の生命、財産という「元本」を守るのが政治の第一義だと考えます。

安全保障ということを軽視してはならないと考えます。侵略されてから人民が蜂起するというシナリオは著しく困難だと考えます。しかし、途方もない妄想(考えられないような侵略のシナリオ)を根拠として安全保障を論ずることの不合理も指摘しておきたいと思います。


[2003/02/26]  義務教育から生涯学習権へ

私は、義務教育を見直すべきだと考えています。「義務」ということが公教育を窮屈なものにしているのではないかと思います。

学習権を基礎において社会の仕組みを考えるべきです。中学2年までは「義務」でも仕方ないと思います。そこから先は、本人が考えればよいことです。中学校も「卒業証書」を出す責任から解放されるべきです。

その代わり、生涯学習の拠点を造ります。そこでは、年齢に関係なく学習意欲に応じて教育を受けられるようにします。原則有償とし、民間委託を含めて対応すればよいと思います。

やる気のない少年を学校の不良資産として抱える義務は公の側にはないと思います。やる気の出た段階で、やり直しが出来る社会にすべきです。

子供達や親達が「みんなと一緒」という横並び意識から決別することも必要です。「世の中甘くないよ」ということは、子供の頃から知っておくべきでしょう。


[2003/02/25]  玄冬の時代

人生を四季にたとえる東洋の伝統的な思想では、幼少期を玄冬(黒い冬)とし、青春がこれに続き、中年期を朱夏、高齢期を白秋とするのだそうです。

高齢期を実りの秋にたとえるのは素晴らしいと思います。幼少期を厳しい冬にたとえることは、我々の感覚とは異なるかも知れませんが、むしろ、そうあるべきものだと思います。

種はまかれているが、地表は黒い土である。幼児期に厳しく人生の基礎を学ぶことがなければ実りの秋を迎えることはない。このような人生観を前提とした教育が必要なのではないでしょうか。


[2003/02/24]  NPO土曜学校

「ゆとり教育」にはかなりの批判があります。私も学力低下への危惧を感じています。特に、地方の子供は都会の子供より勉強しておかないと、職業選択の面で相当に苦労すると思います。

これまでの地方は恵まれていました。私たちの年代はそれほど勉強しなくても何とかやってこれました。これからは、中国では出来ないことをやらなければならないのですから大変です。

もし、一緒にやろうという方があれば、NPO土曜学校を設立したいと思います。私だけでは到底不可能です。同志を求む。


[2003/02/23]  道州制と県

私は、地方主権的な地方自治を進めることが望ましいと考えています。道州制を採用し、産業振興等の大きな仕事は州の仕事にするのです。生活に関わる仕事を市町村が行います。

その際、県という単位も必要に応じて残すべきではないかと思います。道州制を採用した場合の市町村の単位は、現在進行形の市町村合併で出来る自治体よりよりも大きな単位にすることになります。そのケースを想定すると、自治体内部に自治体をつくる(近隣政府)必要が出てくるでしょう。

私は、これ以上の合併はせず、県に自治体の事務の補完機能と地域シンクタンク機能を担ってもらうことも選択肢にしておくべきだと考えます。いずれ人口減少により合併した自治体の人口規模も合併前の自治体の人口規模と同じになります。そうだとすると、県の自治補完機能に依拠する必要があります。そこまで想定しておくべきです。

むしろ、今回の市町村合併を止め、県を小さな市町村の下部機構と捉え直した上で、道州制に進む方が良いのではないかと思います。県は小さな市町村の事務を補完するのです。必要性を感じない都市は県との関係を持たないようにします。

小さな自治を補完する組織としての県の機能には捨てがたいものがあると感じています。


[2003/02/22]  視察と観光

上海に行く際、視察ではなく観光であると述べました。議会(委員会)の行政視察は、観光旅行であると揶揄されます。視察と観光の違いは何処にあるのでしょうか。勿論、相手方が「行政」であるという違いがあります。しかし、この点は本質的なものではないと思います。仮に、民間の団体や観光行事を視察しても「公務」であることを否定すべきではありません。逆に、行政を視察することを一種のアリバイ工作のように位置付ける「視察」が横行することこそが問題です。目的意識の違いということを強調したいと思います。同じように見えても、目的意識の違いこそが重要だと思います。

問題意識を持ち、解決策を模索しながら、他の地域の体験を追体験するために視察を位置付ければ、極めて投資効率の高いものになるでしょう。私は、自分の所属する委員会では、研修目的の明確化、予習・復習の必要性を口やかましく主張しています。

私の今回の「観光」はその様な緊張感を持ちたくない旅行でした。そのため、わざわざ「観光」を強調させていただきました。


[2003/02/21]  論文を書きました

自治労の出版物で月刊「自治研」という雑誌があります。その2月号に私の論文を載せていただきました。

タイトルは「市町村合併は地域切り捨てか?−中央と地方のあり方の再検討−」です。

編集発行所:自治研中央推進委員会事務局 東京都千代田区六番町1自治労本部内 TEL03−3263−0274 定価600円

いずれ、ホームページにも原稿を載せる予定です。


[2003/02/20]  強気の者が優先

旅行から帰りました。上海で驚くのは、交通マナーです。とにかく皆さん強気です。ルール無用といった感じです。

車も自転車も歩行者も強引でなければ前に進めません。強気の者が優先されるとガイドの方も言っていました。

上海という大都市を一度見たかったのが旅行の動機です。妻が地元スーパーの企画に応募して当たったので、安い料金で行ってきました。ビルが次々と建ち活気にあふれています。何かやれそうな都市、ビジネスチャンスがありそうな都市という印象を持ちました。なんでもあり的な雰囲気が交通マナー同様伝わってきました。


[2003/02/17〜02/20]  上海

移動日を含めて4日間、上海に行って来ます。視察ではありません。観光です。


[2003/02/16]  「県」の使い道

私は、県を「無駄な中間団体」と表現することがあります。しかし、100%そう思っているわけではありません。

小さな自治を守る砦だと考えると、県は実に頼もしい団体です。西尾私案のように地域の尊厳を無視した発想ではなく、地域を主人公と考え、小さな自治体の下請け機関として県を再構成すれば、有意義な存在になりうるでしょう(道州制との関係は後日)。

主役は住民であり、住民が組織する自治体が基本的なサービスを住民に提供し、自治体が提供することが困難な分野については補完的に県がサービスを提供するという発想になります。

全てのサービスを提供できる規模の団体を基礎自治体であると定義し、それに満たない団体は整理統合の対象とするという発想は、自治の本質を見損なっているのではないでしょうか。 


[2003/02/15]  新しい自治体の名前

各地で合併が進んでくると、新しい自治体の名前をどうするかが問題になってきます。歴史性ということを考えると、従来の名前を承継するのが一番落ち着きます。しかし、それでは治まらないことが多いでしょう。

そこで、足して2で割ってみたり、公募をしてみたりすることになります。「未来志向」の名前を「創造」することもあります。

私は、地名の歴史性・連続性が重視されるべきであるということ、地名により地域のアイデンティティーが確認されることの意義が大きいこと、地名が外部に向けて発信される地域情報の一つであること等を勘案して、新たな地名の創造は慎重に行うべきであると考えます。

内部の政治的妥協を重視していい加減な名前を付けると、外部への訴求力を失い、地域イメージを損なうことにもなります。

有名な都市には、その名前にブランド力があります。先輩達が築いてきたものがその名前に込められているのです(有名でなくても同様です)。そのことの意義が理解できない都市が発展することは困難であると考えます。合併の真摯性が疑われることもあるでしょう。

平成の市町村合併が、洞察力の乏しい総務省、ヒラメ族的な県の指導によるものだけに、つまらない名前が横行することへの歯止めがありません。


[2003/02/14]  このホームページの対象は?

「ホームページ見たよ。難しい。もっとやさしい内容、面白い内容にしないと伊予市の人は読んでくれないよ。」というアドバイスを受けます。

私は、「伊予市の有権者の皆さんも対象にしているけれど、それ以外にも読んで欲しい人達がいるんです。」と答えています。このホームページで票が増えることを期待している訳ではありません。

これからの時代、目先の利益(当選落選を含めて)より、同好の士を求める方が自分の人生にとってはるかに有意義ではないでしょうか。

私としては、生き方が固定され、柔軟性を失っている私と同世代の国家公務員、地方公務員、あるいは民間のサラリーマンへのメッセージを含んでいるつもりです。出来れば、彼等と、この国の将来のこと、我々の人生のことについて、利害を超えて話し合いたいと思っています(同世代という限定はいけないと思います。年齢は関係ありません。本当は職業の限定も不要なのでしょう。)

「田舎の自由人が何を言うか」と思われているのでしょうが。


[2003/02/13]  インフレターゲット

インフレターゲット論者は、日銀がインフレ目標を設定し大規模な金融緩和を断行すれば、国民はインフレを期待して消費に火がつくことになるというシナリオを描いているようです。

なかなか、そうはならないでしょう。仮にヘリコプターでお金をまいたとします。これをすぐに使う人もいるでしょうが、この国では、借金の返済に充てたり、貯金したりする人もかなり多いのではないでしょうか。

この国の真面目な強盗は、強取したお金をサラ金の返済に充てることが多いのです。もっと真面目な国民は、拾ったお金も貯金するでしょう(まず、警察に持って行くでしょうが)。将来不安を抱えながら消費に励むのは難しいと思います。

供給過剰であるのに、期待感だけでインフレにするというのは無理がありそうです。戦争をやれば供給不足になりインフレになる訳ですが。

万一、インフレになったときの歯止めはどうなるのでしょう。完全に制御できるのなら、それは社会主義経済(あるいは計画経済)と言うのではないでしょうか。


[2003/02/12]  インフレはデフレよりよいのか

「デフレ克服」ということが経済問題の大テーマになっています。インフレターゲットなどという奇策まで議論の俎上に上っています。

かつての議論を思い出すと、インフレは庶民にとって辛いものであり、インフレを抑制することこそが政治的な課題のはずでした。ここに来て、デフレよりインフレの方がいいものだというように受け取れるような論調が多いのはどういうことでしょうか。余りに刹那的な議論のように思えます。

私の場合、借金が多いので、個人的にはインフレを願っています。しかし、このことを公の議論にしていこうとは思いません。企業経営者としても、緩やかなインフレの方がいいと思います。だからといって、環境のみを経営不振の原因と考える安直な考えには同調したくありません。

国の意図は、借金の帳消しだと思います(インフレを目標にすることにより、結果としてハイパーインフレになれば借金は消えます)。

誰が得をするかということを冷静に見つめるべきでしょう。


[2003/02/11]  合併と議員定数

合併により議員の数は大幅に減ります。このことは、住民自治の観点からすると問題があります。しかし、現在の自治では、「地区代表」という狭い意識しか持てない代表者、および、有権者の意識が変わらないことも事実です。

合併する自治体のシナリオとして、最初は法定数いっぱいの議員定数にして、徐々に定数を削減することが想定されます。

このやり方だと、現職優位の制度になり、多選議員を生み出す温床になります。合併に意味を持たせたいなら、一気に大幅な議員定数削減をするという方法もあるのではないでしょうか。

伊予市の合併を例に取れば、想定される合併(人口7万人)では、合計約60人の議員が、法定数だと30人になります。これでも、旧来型の議員が多数当選します。「地区」を若干拡大すれば生き残ることが出来ます(引退する議員がいるので、引退議員の票を現職が分け合うことになります)。

将来、定数20人にするのであれば、最初から20人にすればどうでしょうか。その代わり、「1回目は選挙区制」というのではなく、最初から選挙区制のない全市的な選挙により少数派の意見を反映することにすべきでしょう。

私の本来の考え方とは違います。しかし、固定観念を取り払い、様々な発想を持つべきだと思います。旧来型議員が地方の改革の阻害要因であることも事実です。旧来型議員の排除を戦略的に追求することも必要だと思います。議員の体験を踏まえて、痛切に感じるところです。


[2003/02/10]  大差の時代

人口減少と超高齢社会とが同時にやってくる時代において、地方は自治能力の違いで大差が付くことになるでしょう。

右肩上がりの時代は、誰がやってもそれほど目立った差が出ませんでした。しかし、これからは、自治のやり方如何で結果に大きな違いが出ます。

従来横並びだった大企業でも、デフレ下で企業の盛衰が明らかになっています。地方自治経営も同様に理解すべきでしょう。「地域の盛衰」という次元の話になります。有権者の資質も問われます。「お任せ自治」を卒業していただきたい。


[2003/02/09]  官僚の退職金

政府は、国家公務員の退職金を削減し、次官級で最大1割削減する方針のようです。

私は、むしろ、退職金を増額してはどうかと考えています。その代わり、地方でボランティア活動をしてもらうのです。退職金は割増にして、活動期間中分割支給します。

どうこう言っても、官僚は普通の人よりは優秀です。彼等の実力をボランティアの世界で活用すれば社会的に有用ですし、地方の実力もアップすると思います。


[2003/02/08]  優遇措置の延長

片山総務大臣が、2005年3月に期限切れとなる市町村合併特例法について、合併の意思決定ができていて合併の手続きだけ残るのなら、優遇措置の対象にすることも検討していいと述べ、期限内に合併手続きが終わらなくても優遇措置を受けられるように同法を改正する考えを明らかにしたと報じられています。

全国的に見て、市町村合併は当局の思惑通りには進んでいないようです。東北の自治体は、現在でもかなり面積が広く、西日本の自治体の「合併後」という感じです。

今後、あの手この手の粗末なアイデアが出てくるでしょう。しかし、もう少し地域の実態を直視すべきだと思います。全国一律に行うことが無理な事柄を強引に行おうとするところに根本的な問題があるのですから。 


[2003/02/07]  全会一致のメカニズム

愛媛県議会の議会運営委員会が全員一致で反対討論を封じ込めたことについて昨日述べました。

愛媛県議会では、自民党に限定した議論ではありますが、機械的に「昇進」するシステムがあるようです。自民党としての統一を乱す議員は、「出世」の道を閉ざされることになります。

言論より「出世」を取るという悲しいサラリーマン的議員人生を歩む彼等自民党議員には、大義などという言葉はインプットされていないのでしょう。「小市民としての議員」というのは、いったい何なんでしょうか。愛媛という県は、異様な県ではあります。

ところで、自民党以外の会派はどうなのでしょう。自民以外の与党会派は、与党で居続けることに汲々としているのでしょう。「下駄の雪」という言葉がかつての連立政権での社会党に浴びせられていたことを思い出しました。


[2003/02/06]  田舎のオッサン政治・・・愛媛県議会

愛媛県議会では、副知事選任議案に対し、当該候補が教育長を務めていたときに扶桑社版歴史教科書採択に関与したことを理由として反対討論の申し出がなされました。これに対し、議会運営委員会は全会一致で反対討論をさせないことに決定しました。「副知事になる人を傷つけるので必要ない」という理由を述べる者もいます。

教科書問題よりこのことの方が大問題ではないでしょうか。言論の府としての自殺行為でしょう。

もっとも、愛媛県議会を「言論の府」と言うこと自体が噴飯ものかも知れません。選挙に強いだけが取り柄の田舎のオッサン達の集まりと見るべきなのでしょう。ところで、彼等を選んだのは誰か?このことも大問題です。

議会運営委員会の委員は以下の顔ぶれです(県議会のホームページより、敬称略)。

越智 忍(自民)  帽子 敏信(自民)  井原 巧(自民)
岡田 志朗(自民)  岡田 稔(自民)  亀岡 秀雄(自民)
菊池 平以(自民)  篠原 実(自民)  谷本 永年(自民)
中矢民三郎(公民)  村上 要(社民)


[2003/02/05]  1400兆円

我が国には1400兆円の金融資産があります。この1%が使われると14兆円の消費が発生し、GDPは3%近く上昇します・・・・・

このような議論がなされることが多いようです。しかし、この金融資産が国家の緩やかな衰退の原因になるかも知れません。

資産があるだけに、国民に危機感が欠如し、政治的な変革の声も挙がらず、資産を食いつぶすまでダラダラと下り坂を転がり落ちることになるかも知れません。一番あり得るシナリオです。

この「資産」も不良資産化しているのではないかと心配です。財政投融資等の資産運用は大丈夫なのでしょうか?


[2003/02/04]  「議長」

市議会議員選挙が終わると、議員の関心事は人事になります。色々と動き回る人が出て来ます。

期数を重ねると、「議長」になりたいとの欲求が強まるようです。なれなかったら恥だとの思いも強いようです。1度やると2度やっておかなければとエスカレートします。議長になる為の工作は手が込んでいます。

結局、人を肩書きでしか見ることが出来ないので、自分もその尺度でしか評価されないと思いこむのでしょう。

自分の価値観に忠実に生きることが必要ではないでしょうか。私は、議員としての任務に忠実に生きたいと思います。


[2003/02/03]  個人名で生きる

名刺に色々な肩書きを書くことを生き甲斐にする人がいます。私も色々と書いています。

しかし、個人名で生きる訓練をしていかないと、人生の後半戦を戦えないのではないでしょうか。名刺に個人名のみを書いて悠々とする生き方に憧れます。

このホームページでも、ときどき、元総理・中曽根氏の情けない生き様を指摘しています。「個人名で生きろ」と彼には言いたいと思います。充分すぎるくらいのビッグネームです。国会議員の肩書きにしがみつく醜くさは、国民にとっての反面教師としての意義しかないと思います。


[2003/02/02]  地方主権的地方自治

「主権」という語には、幾つかの意味があるのですが、「最高独立性」という意味があります。それを前提として「地方主権」という言い方をすると、国家との関係をどう考えるのかという疑問が出て来ます。

私は、住民の生活領域における事務については基礎自治体が国・県の上位機関だと考えます。他方、外交・防衛・国内の総合調整機能の面では国が上位機関だと考えます。国家としての中核機能の分野で上位機関たり得るのであれば、「主権」概念には抵触しないと考えます。

そのような発想から、「地方主権的地方自治」というのが適切ではないかと思っています(ちょっと難しいかな?いつも難しいとの批判も聞いています)。


[2003/02/01]  客車

これまでの地方は、客車でよかったというか、機関車としての役割を与えられませんでした。考える自由を奪われていたとも言えます。

テレビのキー局は東京に限られ、地方は地方らしさを求められ、ほのぼのとした話題を提供できればよかったのです。

これからは、地方が機関車の役割を果たさなければなりません。その為には、財源、権限、人材が必要です。この点になると寡黙になる政府の「地方分権」は、眉唾物です。


玉井彰の一言 2003年2月 四国の星ホーム前月翌月