玉井彰の一言 2003年4月 四国の星ホーム前月翌月

[2003/04/30]  人口減少と人口の水増し

昭和の合併は右肩上がりの時代の企画でしたが、平成の合併は、デフレ、国家財政破綻、人口減少という右肩下がりの状況が背景にあります。

本来なら国家財政破綻の責任を取らなければならない立場の政府が、逆に、おとなしい国民(地方住民)を甘く見て、自治体の整理統合によるリストラを企図しているのです。

また、人口減少による先細りの懸念を抱える各自治体にとっては、人口の水増しによる「上げ底型」の都市規模拡大路線の採用が可能になったことを意味します(町村部の「店じまい」と表裏の関係にあります)。

結果、「張り子の虎型」の都市が量産されます。○○万都市と言っても、従来のイメージでは捉えられない虚弱な都市になります。数字のトリックに引っかかりやすい単純な人は、「大きな都市になった」と喜びます。

「境界線を消しゴムで消しただけ」という本質(というほどでもない身も蓋もない現実)を語れる人がほとんどいない、惨憺たる地方の人材枯渇を目の当たりに見ることが出来ます。


[2003/04/29]  小都市コンプレックス

自治体関係者の人口規模拡大欲求には驚きます。人口規模が小さいと卑屈にもなるようです。

規模の利益を追求するということには一定の合理性があります。しかし、同じ面積のまま人口規模が拡大するのと、広域で合併して人口を水増しするのとでは本質が異なります。

都市の「格」というものは、単純に人口規模が増えただけではどうにもなりません。その都市の「ブランド」を確立できるかどうかがポイントです。住民が都市のブランドに自信を持っているところでは合併反対論・慎重論が優勢のようです(もう少し自信を持てばいいのにと思う都市もありますが)。

「大きいことがいいことだ」ということが心の底まで刷り込まれている人達の価値観を変えるには、小都市でのまちづくりの成功事例を納得のいくまで見せつけるしかありません。小都市コンプレックスの克服方法は今のところそれしかないようです。


[2003/04/28]  鷹巣町長落選

昨年、秋田県鷹巣町を視察しました。全国でも最高の高齢者福祉を実現した町として知られます。

その鷹巣町で、4選を目指した岩川徹町長が新人に3000票以上の大差で敗れました(有権者数17827人、投票率87.5%)。

(1)福祉にお金を掛けすぎて産業振興が手薄になっているとの商工業者の批判(2)合併問題(岩川氏は合併消極派)が争点になりました。

底流として、91年の町長選で7選を目指した現職に新人・岩川氏が勝利して以来の政争があります。合併に絡み、対象となっている周辺の首長が新人の応援に回ったこと(許されていいものではありません)を含め、舞台裏は大変であったと推察されます。

岩川氏が行ってきた鷹巣町の福祉は、地域づくりの面で参考にすべきものが多々あります。

「貧すれば鈍する」と言いますが、鷹巣町の住民は、目先の公共事業や補助金のために大きなものを失ったと思います。残念です。


[2003/04/27]  地方議員選挙の意味合い

統一地方選挙で各地方の選挙が行われています。その内、地方議員選挙は、活力のある都市では激戦が繰り広げられていますが、概ね、当落はある程度決まっています。

1回の議員選挙で地域の将来が決定づけられるということはありません。愛媛のような地方では、大半が保守系です。何かビジョンを持っている人を捜すのは困難です。

有権者も、地縁・血縁・友人・知人、頭を下げに来た人という程度の判断基準しか持てないでいます。

政治に期待する必要がないというのなら幸せなことです。しかし、自分のことだけではなく、地域の将来について考えた投票行動を確立していただきたいと思います。

候補者も、自分の主張を明確にして戦っていただきたい。「地方政党」ないし「地域政党」を結成して旗印を掲げ、有権者に違いをアピールすることも考えられて良いのではないでしょうか。


[2003/04/26]  桐生

桐生市は人口11万6千人の都市。北北西に赤城山が見えます。昭和50年の人口13万人をピークに人口減少が進んでいます。

関東平野に位置する10万都市が昭和の時代から人口が減少に転じているということは意外でした。

近隣に様々な都市があり、「都市間競争」という言葉が現実味を持ちます。

桐生から東京へは高崎に出て上越新幹線なのか、小山に出て東北新幹線なのか、地元の人はどちらを使うのだろうかと思い聞いてみたところ、「皆、東武線で浅草に出ます」との答えが返ってきました。なるほど。


[2003/04/25]  須坂

長野市の東に位置する須坂市は、人口5万4千人の都市です。古くは繭の生産で富の蓄積がありました。往時を偲ばせる蔵の街並みが残っています。

街並み環境整備事業が10年来行われ、街並みの保全が進んでいます。ここ1、2年は予算が減額されているとのことでしたが、平成5年以降10年近く毎年5千万円の予算が町家の補修や修景事業の補助に使われてきたそうです。

思っていた以上の街並みです。繭蔵をうまく活用した施設が印象的でした。田中本家は須坂を代表する町家で、豪商としての風格を持った屋敷です。

須坂市の北隣が小布施町。独特のまちづくりで全国に情報発信しています。


[2003/04/24]  松本城

松本城は平城であり、松本市役所の隣にあります。市役所の庭のようでした。国宝になっている立派な城です。桜満開、最高の季節に見させていただきました。

この城が競売にかかったことがあるという話を聞いてびっくりしました。ボロボロだった城が修復されたのだということでした。

素晴らしい地域資源を見捨てるところもあれば、修復して活用するところもあります。その土地の人の力量が問われるのが「まちづくり」です。


[2003/04/22〜24]  視察

議会運営委員会の視察研修で、長野、群馬を訪問します。

22日松本市、23日須坂市(以上長野県)、24日桐生市(群馬県)。各市議会のホームページ作成状況、会議録検索システム、一般質問席の状況(一般質問を対面でやろうという提案が出ているので)等を視察します。


[2003/04/21]  地方議員における実質的表現の自由

最近、選挙で街宣車を自粛しようとする動きがあります。平穏な生活を脅かすものだから遠慮してはどうかということのようです。

単なる連呼は、何の意味もない騒音です。しかし、自分の主張を有権者に述べることを「騒音」呼ばわりすべきではないと思います。

主張すべき事柄がない候補者が「自粛」などときれい事を言うのでしょう。

チラシ折込が販売店によっては拒否されます。チラシ折込業者は拒否しています。安価な表現伝達手段のない地方議員の表現の自由は実質的に制約されています。

主張することのない議員の方が俄然有利ということです。有権者は、何も知らされない「平穏」を楽しむことになります。


[2003/04/20]  自主憲法制定

日本国憲法には、米国製の憲法であり、日本国民が自主的に創ったものではないとの批判があります。

制定後半世紀を超え、国民が納得している憲法に対して、自主憲法ではないとの批判は当たらないと思います。しかし、憲法について議論することは必要です。改憲を無条件に警戒する発想も問題です。憲法については、常に議論し、改めるべき点が出来れば、恐れず改正すべきです。常に、自分達の憲法であると意識できる状態にしておくことが民主国家として健全ではないでしょうか。

私は、現憲法の内容には手を付けず、日本語としてこなれない部分のみを改訂した憲法改正をすべきだと考えます。内容について改正すべき点があれば、その後で議論すればいいと思います。

もし、このような提案に対して「自主憲法制定論者」が反対するとすれば、それは論者が憲法制定の「経緯」を問題にしているのではなく、現憲法の「内容」に反対しているのだということが明確になります。


[2003/04/19]  職員採用

総務省は、市町村職員の処遇に関する事務を扱う公平委員会が市町村職員の採用試験を行うことができるよう、地方公務員法を改正する方針を固めたと報道されています。第三者機関が試験を実施することで、縁故採用が多いとされる市町村職員採用の透明度を高めるのが狙いです。

地方の職員採用については、都道府県、政令市などは人事委員会が試験を行いますが、一般の市町村は市町村長が試験を実施することになっています。

職員の不祥事が後を絶たない自治体があります。かつて、採用にからんで500万円、1000万円のお金が動いたとの噂があったその自治体では、職員の不祥事が起こるたびにそのことを市民が連想するようです。

これからの自治体は、職員の質が自治体の将来を決めると言っても過言ではありません。その意味では、縁故採用を出来なくすることは良いことだと思います。

しかし、何故中央集権的な解決しかないのでしょうか。結局、自治体は信用できない存在だという前提での議論です。

自治体の「倒産」を認め、縁故採用をするような自治体は倒産することで淘汰する方が良いと思います。あるいは、市民が監視することで悪しき縁故採用をなくすことを考えるべきです。


[2003/04/18]  警察の能力

新たにイベントを行おうとする際、一番障害になるのが警察です。通行止め(歩行者天国)をなかなか認めません。

確かに、一部の住民が道路を独占的に利用することについては何らかの制約は必要です。その道路を通行したい車との調整が求められる場面もあるでしょう。

しかし、警察はそういう最低限度の調整ということを超えて規制したがります。「事なかれ主義」が底流にあると思います。

日本の警察は、諸外国の警察と比べても要人警護がものものしいと言われます。外国の要人が来ると東京の道路事情は極端に悪化します。

これは、ある意味で警察の警備能力が低いことを表しています。「何かあっては大変」というところから出発するのは結構ですが、費用対効果を考えるという発想がないのでしょう。

「独占企業」として競争にさらされてこなかった警察の能力は極めて低くなっていると思います。国際化が進み、あるいは都市型の犯罪が増えてくると、捜査能力が追いついてきません。これは近年の統計が顕著に物語っています。

市民が自由に楽しく暮らせる社会を裏側から支えるという警察本来の使命を忘れ、何かあってはいけないからと歩行者天国を原則禁止にして住民の楽しみを奪うことを奇異に思わない感覚を是正することが警察の能力アップの第一歩ではないでしょうか。


[2003/04/17]  安全保障

自民党という政党は、腐敗しており、自堕落であり、人権感覚が希薄であり・・・・幾ら言っても足りないほど駄目な政党ですが、安全保障の問題についてはクールに考えています。

野党は、いいところが多々あるのに、結局、安全保障問題をクールに考えることが苦手な人が多く、多数派形成に失敗しています。哲学や人生観に関わるだけに難しいものがあります。

政治家として、政権を取れないこと自体が無責任なのだということをどれだけ分かっているかの問題かも知れません。民主党の自由党アレルギーなどという話を聞くとがっかりします。


[2003/04/16]  組織体としての行政の論理

本日、伊予地区の庁舎の位置を決める小委員会が開催され、事務所の位置は松前町と決まりました。

どこが新市の中心地かという議論もなされないままに採決が強行されました。審議不十分だと思います。

庁舎は地域づくりの拠点であり、地域づくりの将来展望を描いた後に事務所の位置も決めるべきです。それがない庁舎の位置の議論は無意味です。

結局、組織体としての「行政」がどのようにして生き残るかだけの話に矮小化されることになります。行政あって住民なし、庁舎あって地域なし、ということになってしまう恐れがあります。

「庁舎が新しくていいね」という低レベルの議論には閉口します。ここ10年程度が良ければそれでいいという感覚の委員が多いように思いました。それにしても、双海町、中山町の委員の無気力ぶりには驚きました。負け犬根性というべきでしょうか。


[2003/04/15]  明日の小委員会

伊予地区の合併協議の中で、庁舎の位置を決める小委員会が明日、午前10時より、松前町の総合福祉センターであります。

これまで、子供の議論程度しか審議が進んでいません。事務局が庁舎の床面積等の情報について報告し、庁舎の位置を決める基準なるものを提出して、議論を促す形式を取っています。

傍聴してみると、ほとんど議論の名に値するものはありません。私が提出している論点について審議されるかどうか、じっくり傍聴させていただきます。

双海、中山地区の超高齢化、人口激減問題をどう考えているのか?超高齢化に伴い車社会不適応者が増えるが、車社会適応型庁舎でいいのか?人口7万都市をどのようにイメージするのか?新市の中心部はどこであるのか?都市機能集約型の都市づくりを目指すのか、都市機能分散型の都市にするのか?何故、急いで庁舎の位置を決めねばならないのか?等々、議論すべき点は多岐にのぼります。

松前町長、双海町長、中山町長の御意見を聞きたいものです。


[2003/04/14]  候補者がいない

東京都知事選挙は、石原慎太郎氏の圧勝でした。人格的にも問題があり、さほどの見識があるとも思われない石原氏に票が集まるのは、都市部住民の不満をうまく取り込む演出力もさることながら、対立候補が弱すぎたことも大きな理由になります。このことは投票率に表れています。

首都の知事なのですから、もっと凄い人物が候補として出て来ても良さそうなものですが、ここに我が国の深刻な人材不足が象徴的に表れています。

もっとも、石原氏のように選挙直前でもテレビに出放題の人物が相手では(石原氏の場合、マスコミが大きな虚像をつくりだしている面を無視できません)、幾ら有能でも、知名度がなければ相手になりません。有権者に主張を理解してもらう手段もなかなかありません。

また、候補になると、通常の社会人にとっては失うものがあまりにも多く、まっとうな人物が踏み込めるような状態にはなっていません。各地の地方選挙でも候補者のなり手が少ないことに愕然とします。地域ボス的県議が何期も無投票で当選することに腹立たしさを感じます。

政治を常識的な有権者の手元に引き寄せる為には、有能な人材が選挙に出やすい環境を整備していくことが必要です。供託金制度の見直し、事前運動禁止の基準の見直し、戸別訪問の解禁等々、考えるべきことがかなりあります。


[2003/04/13]  無報酬でやれ

小規模自治体が雪崩を打って合併に向かっています。ここで立ち止まって考えてみてはどうでしょうか。

本当にこれから地域経営が出来なくなるのでしょうか?切りつめるところがまだあるのではないでしょうか?

自治体の首長、議員は無報酬でやってみてはどうでしょうか。その代わり、幹部職員(ないし助役)は高給で雇います。首長は非常勤で十分です。式典等どうでもいい仕事はやらないようにします。自治体の管理する道路は材料のみ支給し、住民がボランティアでやります。

「そんな馬鹿なことはやれない」という根性だから、合併に走るのではないでしょうか。


[2003/04/12]  人口減少と超高齢化に見舞われる近隣自治体

65歳以上を高齢者、75歳以上を後期高齢者と言います。我が地域で合併することになっている近隣自治体の将来像を検討すべく、調べてみました。

伊予市の隣、双海町と中山町の将来は気掛かりです。合併10年後、両地区の高齢化率は44%、後期高齢者比率は27%になります。合併20年後の両地区は、高齢化率53%、後期高齢者比率32%ととなります。合併40年後は、高齢化率59%、後期高齢者比率41%。

ちなみに、両地区の人口減少率は、2000年の人口との比較で、合併10年後27%減、合併20年後45%減、合併40年後72%減という予測です。

人口が激減し、60歳台は若手という超高齢社会になります。地域崩壊も危惧されます。

合併協議の中で是非とも議論して欲しい問題です。どうもやる気がなさそうなので、協議会の委員に問題提起をしておきました。


[2003/04/11]  場末か中心か

大きな都市(私たちの地域で言えば松山市)の「市民」になりたがる人がかなりの数います。松山市と比べると自分のまちがみすぼらしく感じるのでしょう。また、余所に行ったときに「松山から来ました」と言える「メリット」があると言います。

しかし、松山市と合併しても、所詮は松山市の場末に過ぎません。

発想を変えてみると面白いでしょう。現在、松山市の場末になっているところの住民が、自分達の地域を盛り上げて面白くしたいと思うのなら、新たに自治体を創ることを考えてみるべきでしょう。大きな都市は動かしづらいけれども、小さな自治体なら「有志」で動かすことが可能です。そして、そこは「中心」なのです。

平成の合併への地滑り的な動き(特に愛媛県)は、地域を動かしてやろうとする地域活力の減退を象徴するものとして見ることも可能です。


[2003/04/10]  ホームページ縮小計画

3つのホームページは管理が困難になりました。「四国の星」にまとめる予定です。

合併反対コーナー」「玉井彰のページ」(いずれも仮称)として残します。


[2003/04/09]  自治体はカモ

自治体財政がひっ迫していると言われます。原因の1つとして、国の公共事業にお付き合いをして借金を重ねたことがあげられます。国の助成は一部であることが多く、残りは地方の負担になります。

「やめればいいじゃないか」というのが簡単明瞭な結論です。しかし、一部負担ですむ魅力もあり、有権者に対する「実績」づくりにもなるので、「分かっちゃいるけどやめられない」でやってきました。

その借金が問題です。郵貯等からの財政投融資の金利が馬鹿になりません。この低金利の時代に5%、6%の金利で借りている部分があります。

「返せばいいじゃないか」「返して低金利で借り換えればいいじゃないか」という簡単明瞭な結論があります。ところが、返せないのです。返すことを認めてくれないのです。返すと、今度は国の方が辻褄が合わなくなるのでしょう。


[2003/04/08]  クリーンハンド

バグダッドを支配しつつあるアメリカは、正義の味方として意気軒昂です。しかし、アメリカには本当に正義を語る資格があるのでしょうか。

あるときは、ビン・ラディンの力を付けさせ、あるときはフセインを利用し、また、あるときはクルド族を裏切りました。

正義を語るには、アメリカの手は汚れすぎていると思います。


[2003/04/07]  庁舎の位置

「新市の事務所の位置検討小委員会」を傍聴しました。これは大変だと思いました。どの自治体の庁舎が構造的に優れているでしょうかということの報告があり(見れば分かるじゃないか!)、これで議論は出尽くしたという感じで結論を急ごうとする動きがありました。なんとか、伊予市の委員が止めてくれましたが、議論があまりに粗雑なのにあきれかえります。こんなことではボンクラ合併の典型になります。

小委員会の結論が尊重されねばならないことは当然です。しかし、それには前提があります。審議を尽くしたということです。

これから到来する超高齢社会において必要とされる庁舎の条件とは何か(論ずべき点の1つにすぎません!)。このことが検討される気配がありません。

伊予市、松前町、双海町、中山町の1市3町の高齢化率(65歳以上の高齢者の比率)は10年後に30%を超えます。双海町、中山町では50%を超えます。この2町は、75歳以上の後期高齢者の比率が30%を超えます(大変な事態です)。

「庁舎は駐車場が広くて車で行けるところが便利でいいね」などという発想で大丈夫なのでしょうか。

双海町、中山町の委員は、庁舎の位置如何によって自分達の町の人口減少率が相当程度左右されるであろうとの危機感はまるでなさそうでした。事務局(どうも、自分の仕事が楽に進めばいいと言う感じに見える。それとも、マニュアル遵守なのかナ)にマインドコントロールされているのではないかと危ぶまれる場面もありました。

言っておきますが、結論を問題にしているのではないんです。多角的・多面的に議論を尽くせるかどうかです。「この庁舎が新しいからこれにしよう」という議論ですむのなら、小学生を委員にすればいいのです。


[2003/04/06]  マニフェストと公職選挙法

前三重県知事・北川正恭氏が、知事在職中に、マニフェスト(政策綱領)を掲げて選挙を戦うべきであると主張し、波紋を呼びました。

しかし、これは現行の公職選挙法には抵触する可能性があります。禁止されている事前運動になる可能性があるからです。

現在の公職選挙法を遵守すると、まともな選挙運動は出来ません。知名度のある人か、違反覚悟の人々でなければ選挙戦を戦い抜くことは出来ません。堂々と政策を掲げ、有権者に訴えていくことが禁止されるような現行法のあり方を変えなければ真の民主主義を実現することは困難です。

選挙違反かどうかは警察の胸先三寸で決まります。これが民主主義でしょうか?


[2003/04/05]  県議選無投票当選

統一地方選挙での無投票当選が目立っています。特に、県議会議員選挙での無投票が多いのは問題です。

1人区をどうするのかを検討すべきではないでしょうか。1人区の場合、首長選挙と同様の構図になります。しかし、あえて選挙に持ち込もうとするほどの動機付けに乏しい面があります。

ある程度広域の選挙区にして3人区以上の選挙区にする方が選挙になりやすいと思います。


[2003/04/04]  ここはどこ?

合併に伴う新しい自治体の名称を公募することがはやっています。民主的な手法のようにも見えます。

しかし、伝統を無視した名称を採用するのは、地名の連続性を無視することになります。過去との連続性を断ち切った地名は、もはや「地名」という範疇で捉えられるものではなく、「団体名」になります。

名称を抽象化することで、ここは一体何処なのかということが実感として湧かなくなるのではないでしょうか。「○○市(町・村)」から「市(町・村)」を引いたもの、即ち、「○○」がその地域の領域を表す意義を有すると実感できるのかどうかがポイントです。「希望市」という自治体が出来たとします。では、「希望」とは何処でしょうか?

公募するにしても、過去との連続性、地に足がついた名称、ということを要件とすべきでしょう。


[2003/04/03]  合併協議の手法

新市建設計画検討小委員会を傍聴しました。傍聴者には資料をくれません。事務局の都合が第一のようです。市民の盛り上がりによる合併という建前ですが、傍聴に来ても無駄だよという無言の意思表示をされた形です。

コンサルタントに委託して知恵を借りることになっています。ある新聞でコンサルタント依存を批判していました。しかし、知恵のある者にはドンドン知恵を借りるべきです。

自分達が自主的に議論すれば素晴らしい計画が出来るなどという、美しい錯覚から自由になるべきです。コンサルタントは他の地区で経験を積んでいるか、それに代わるような情報を持っているのですから、アンケートを採ったり議論をしたりした後に計画案を示してもらうよりも、端的に冒頭から彼等なりの「計画」を示してもらったらいいと思います。ある程度のイメージを持って参加しているのでしょうから無理ではないと思います。

「計画」に引きずられる恐れもありますが、むしろイメージが湧いて来て、より良いアイデアが出るきっかけになると思います。家を建てるときにモデルハウスに行ってイメージを豊かにするのと同じです。

自然発生的に合併へのうねりが出来たわけではないのですから、他の地区の事例を徹底的に真似て、それを自分達の実情に合わせて改善していくべきです。


[2003/04/02]  日本共産党

日本共産党は、筋の通った議論の出来る政党です。共産党がいなければ日本の政治(特に地方政治)は著しく緊張を欠いたものになる恐れがあります。

ただ、近年の同党の様子を見ると、当分の間政権獲得をしない方針ではないかと思います。弱者保護を旗印にしている限り数%程度の支持が安定して得られます。「福祉はより高水準にして、負担はより少なくする」ということを叫ぶと、常識的な人は首を傾げますが、一定数の「固定客」の熱烈な支持が得られます。

見方を変えると保守化です。現体制下で必然的に落ちこぼれる弱者を「顧客」と考えれば、低い支持率であっても安定した力を保つことが出来ます。関連事業の経営を含めた「産業」としての安定が至上命題になっているのではないでしょうか。自民党政治は敗者を必然的に生み出しますから、顧客には事欠きません。

「非自民政権をつくるためには何でもやる。誰とでも組む。」というところまで腹をくくれないのは、平和な57年間で守るべきものが多くなり過ぎたことによるのではないでしょうか。そこまで腹をくくるほど自民党政治は悪くないとの判断かも知れません。


[2003/04/01]  合併への道筋

多くの地域で合併協議が行われています。我が地域でも法定協議会に向けて協議がなされています。

注意しておきたい点があります。協議会の委員には合併についての知識がそれほどない方も多く、事務局の説明を信じるしかない場合がたびたび出て来ます。事務局が自分達にとって仕事がやりやすいように委員を誘導しようと考えれば、それが可能な素地があります。

新市の市役所(本所)の位置について、14年度中(あるいは15年度の早期)に決めることになっているような印象が持たれています。(議会の特別委員会では、そうでないと法定協議会に移行できないと思っている方もいました)。

協議会の資料として、15年度に入った段階では市役所の位置は決まっているかのようにスケジュール表が造られています。分庁方式をとるかどうかを含めて、これが決まらないと合併のスケジュールが立たないというのが事務局の考え方のようです。これは、事務局の都合という以上の意味はないと思います。本末の転倒した状況です。

合併の手続きにおいて事務局の都合が優先されるべきではなく、委員が納得いく議論が出来るような環境整備(資料の提供)に徹することが事務局本来の仕事だと思います。


玉井彰の一言 2003年4月 四国の星ホーム前月翌月