玉井彰の一言 2003年7月 四国の星ホーム前月翌月

[2003/07/31]  YOSAKOIソーラン祭り

高知のよさこい祭りに感激した若者が、札幌市でYOSAKOIソーラン祭りを興し、日本を代表する祭りに仕立て上げました。

1992年に始まり今年が第12回。6月の5日間、330チーム、4万4千人が踊ります。

短期間でこのような大祭典になった原因を知りたいと思っていました。

岩波アクティブ新書、「YOSAKOIソーラン祭り−街づくりNPOの経済学」(坪井善明・長谷川岳著)では、キーマンである長谷川氏の考え方が率直に語られています。

高知のよさこい祭りでは、踊る人がお金を払って祭りに参加するのが「常識」です。この点を重視した長谷川氏の補助金に頼らない組織を目指す取り組みは、まちづくりを推進する者が参考にすべきものだと思います。


[2003/07/30]  自民党の民主・自由合併の批判マニュアル

自民党は、民主・自由両党の合併を批判する際の手本となるマニュアルを作り、党所属衆院議員に配布しました。以下のような内容。

「民主・自由の合併を野合と言わず、何を野合と言うべきか」

民主党が、自由党を吸収合併することについて、「これまで(自由党を)支持した国民を愚弄していることにならないか」

先の通常国会で両党の法案に対する賛否について、「計32件も違っている」

「政治不信が叫ばれているのに、理念も政策もなく、選挙に勝つためには手段を選ばず、政権さえ交代すれば、後は野となれ山となれということが許されるのか」

冗談のような感じもしますが、自民党のあせりが如実に出ています。これを見ると、民主・自由の合併は、第1幕は成功ということになのでしょう。

「野合」とは、自民党の代名詞です。権力だけを唯一の接着剤とする政党が自民党です。自民党が政権復帰のため、55年体制では相容れなかった社会党の党首を首班として担いだこと(村山政権)は忘却の彼方なのでしょうか。

個々の法案についても、自民党内で相当の違いがあります。「叫ばれている」「政治不信」とは、自民党政治への不信です。

「後は野となれ山となれ」とは、自民党の政策のことではないでしょうか。何故、不必要な公共事業が止められないのかと言えば、自民党議員の利権があるからだということを多くの国民が知っています。

原理原則を考えず、有権者の欲する利益を慎重に見極めて誘導することこそが自民党の真骨頂です。一般的な「正論」は、自分の首を絞めるだけではないでしょうか。


[2003/07/29]  知事を大臣に

菅・民主党代表は、テレビで、知事を大臣にするとの案を披露しています。法律上の制約はなく、県議会が認めれば可能であるとしています。

官僚に取り巻かれている現在の大臣とは違う角度から行政に切り込むことが可能になりますから、面白いと思います。

私は、様々な兼職禁止規定についても見直すべきだと思います。兼職が、即、職務の遂行に支障が生じる、とは言い難い場合も多いでしょう。

政治の分野での人材活用法として、「兼職」という手法をもう少し考えてみるべきではないでしょうか。

首長の場合に、多選の弊害があっても、その人物を政治的に活用するためには首長のポストを維持するしかないということもあります。兼職を認めておけば、多選となる場合に他の公職へ転進するという身の振り方も出て来ます。

選挙に落ちればタダ以下の人、ということが人材払底の原因にもなっています。「地盤・カバン・看板」をそろえる家業政治家を駆逐し、新たな人材を発掘することを真剣に考えるべきであり、その為には、兼職によるリスクの軽減を検討すべきです。


[2003/07/28]  合併の方式

民主・自由両党の合併が吸収合併であったことに違和感を持つ人もいるようです。これに対し、民主党・菅代表は、対等合併はうまく行かないことが多いと語っています。タスキ掛け人事に見られるように、内部の調整に明け暮れるようでは、対外的な推進力は弱まってしまいます。

市町村合併では対等合併が多いようです。対等ということから、迂遠な手続きが必要となり、本質的な議論をする余裕がなくなっているようです。新しい自治体の名前のように、本質とは思えないようなところで右往左往する例も数多く見られます。

合併は、複数の組織が結集することにより「足し算」以上のエネルギーが発生するものでなければなりません。確かな核を持つ既存組織があるのなら、吸収合併の方が組織は強化できます。

多くの市町村合併が「対等」であることは、新しい自治体に多くの矛盾を先送りすることになり、先行きが思いやられます。


[2003/07/27]  塩をまかれる

半年以上前の話です。私の後援者が住宅地を回っていたときのことです。ある家を訪問したとき、「玉井」ということを口にすると、その家の主人は顔色を変え、家族に塩を持ってこさせて私の後援者にまいたそうです。

その家の主人は県職員だそうです。私が県のことを、「無駄な中間団体」と言っていることへの憤りでしょう。

「タイトルしか読んでないな」というのが私の感想です。県という団体は市町村自治のためにあります。「無駄な中間団体」とは、県がその原点を忘れ、不条理な国策の先導役をすることへの非難を込めたタイトルです。

小さな自治を守り育てる役割を忠実に果たすことこそが、県が県たり得る道です。小さな自治のための防波堤になれるか、と県職員に問うてみたいと思います。県のミッション(任務・使命)とは何か、ということです。

市町村(職員)を見下し、君臨したがる県職員は、「穀潰し」です。このことは明確に言っておきたいところです。

この話は、最近になって聞きました。申し訳ないことに、私の知らないところで嫌な思いをされたのだなあと自らの不徳を恥じました。それにしても、塩をまくというのは、君臨型の県職員なのでしょうか。


[2003/07/26]  燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや

民主・自由両党の合併に関しては、小沢一郎氏が政治的に行き詰まって捨て身の決断をしたとする解釈もあります。

自由党が苦しいというのは真実であろうと思います。しかし、一定の勢力を維持することは可能です。問題は、現有勢力を維持しただけでは日本を沈没から救うことが困難だということです。

名も実も捨てて政権交代に賭ける。自民党が最も恐れる男が下した不気味な決断に対して、野中広務氏クラスの政治家は緻密な計算を起こして対策を練っていることでしょう。このクラスの政治家が自民党に少なくなり、バカ殿がエールを送っている状態です。

報道機関の論評は、所詮、「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」ということに尽きます。

*(燕や雀といった小さな鳥には、鴻や鵠のような大きな鳥の気持ちは分からない。)


[2003/07/25]  民主・自由合併への反応

民主・自由両党の合併についての報道機関(新聞社)の反応には興味深いものがあります。

読売、産経、朝日の社説は否定的・懐疑的論調です。毎日は肯定的。

前3社の見解は、自民党への暗黙の支持を前提としたものと、政権の取り方論に及ぶものとがあります。それらを一括して論評させていただくとすれば、規制下に胡座をかき続けている守旧勢力としての立場からの政局的視点なき言説だと思います。

平成のバカ殿・小泉政権の下で国家の地盤沈下が続いています。政権交代が最も有効な国家改造策です。政権交代があり得るとの前提を置けば、高級官僚は中立公正とならざるを得なくなります。また、様々な人材が登場する契機にもなります。「まず、政権交代ありき」の政局論でなければ意味がありません。

この視点なき有職故実(古来からの式典・儀礼等を研究する学問)は、国家にとって有害無益だと思います。


[2003/07/24]  これが本当なら・・

民主党の菅直人代表と自由党の小沢一郎党首が23日夜会談し、9月末までに両党が合流することで合意したとの報道が流れました。

自由党が解散し、所属議員が民主党に合流する方式をとり、菅代表をトップとする民主党の執行部体制は維持される見込みです。両党が合流すれば、衆院136人、参院で66人の計202人の議員数。小沢氏は役職につかない意向とされます。

この際、社民党も解散し合流すれば、日本の政治もスッキリしたものになるのではないでしょうか。

自民党が野に下ることがなければ、この国の道義は地に落ちたままだと思います。半永久政権の腐臭が国全体に漂っています。

菅さんには、ぐらつかないでいただきたい。阪神が優勝するくらいですから、野党も頑張って、政権を取ってもらいたいと思います。


[2003/07/23]  「踊る大捜査線2」

「踊る大捜査線 THE MOVIE2」を見ました。大入りのようです。

私は、織田裕二という役者が好きなので、役者の魅力を満喫するという感覚で見ると大満足の映画です。

筋書きは荒唐無稽です。しかし、本庁と所轄署との対立、キャリア官僚対ノンキャリア組との対立が興味をそそります。集権型の組織と分権型の組織、組織とは言えないフラットな集団、との対比を描いているところも面白く見させてもらいました。

沖田仁美警視正(真矢みき)は印象的。


[2003/07/22]  札幌市の敬老パス

報道によれば、札幌市は、市営地下鉄やバスなどが無料となる敬老優待乗車証(敬老パス)の交付をこのまま続けるかどうか、市民に問題提起するということです。厳しい財政状況の中、上田文雄市長は、「行財政改革の中で避けて通れない問題」として市民と意見交換することにしています。

パスは75年に始めたものです。同市に住民登録か外国人登録をしている70歳以上の人に交付しています。スタート当時のパス対象者は約3万8000人、事業費は約1億3000万円でしたが、高齢化が進み、対象者が増加しました。

今年度は約16万2000人が交付を申告し、事業費は約35億円にのぼると同市はみています。2003年度当初予算の老人福祉費の3分の1以上が敬老パスで占められることになりました。

敬老パス利用者1人当たりの利用料は年間約2万2000円と計算していますが、交通事業者は乗車実績に見合う額への見直しを要求しており、実績見合いでは1人約4万4000円、事業費は約71億円に倍増するといいます。

合併協議の中で、コミュニティバスを「新市建設計画」に盛り込むことを考える自治体が多いと思います。しかし、「先進地」の事例として十分検討すべきでしょう。

これから、超高齢社会に突入します。高齢者のためにも、「集約居住」を促進することが必要です。これからの20年、30年の間に、高齢者が歩いて暮らせる規模の街区を造ることを目標に置いて都市計画を練り直すべきでしょう。

都市が拡大し「戦線」が広がりすぎると、「補給」が間に合いません。持続可能な都市づくりこそが地方自治を担当する者にとって「肝」となるところです。ここを理解できない人がほとんどですが。


[2003/07/21]  「日教組に作られた人格」

森前首相は、講演で、少年による凶悪事件に触れ、その背景について、「この世代の子供たちの父親、母親、学校の教師は、日本の教育の中でもっとも組合運動が盛んだった時期」に教育を受けた。「いわゆる左翼偏向思想、わかりやすく言えば日教組。そういう人たちによって作られてきた人格だ」と発言しています。 

森氏は「両親、国家、地域社会、家族に対し責任を持つことを教えない、教わらない人たちが大人になっている。そこで生まれ、育てられた子供たちは、もっと悪くなるのは当たり前ではないか。そういう意味で、教育基本法の改正をやれと言ってきた」と述べました。 

日教組への過大評価があることはさておき、一面的な見方だと思います。教師に権威があった時代であれば、教育方針が即生徒の人格形成に直結するでしょうが、そうではなくなった時代への認識こそが必要だと思います。

子供から見て、人生の先が見えることの心理的な影響。地域社会が崩壊したことの影響。学校が提供する以上の情報を家庭や子供が持つことの意味。犯罪の多発に見られるような社会全体の規範意識の低下・・・・

考えるべき要素は多々あります。むしろ、森氏に聞いてみたいのは、「教育勅語に作られた人格」はどうだったのか、ということです。彼等が無責任に戦争を始めたことによる「亡国の責任」についてはどう考えるのでしょうか。また、「日教組以前」の人達のモラルハザードをどう理解するのでしょうか。


[2003/07/20]  「政局」的判断

辻元氏逮捕については、「何故この時期に」という反応もあります。衆議院の解散が秒読みに入っている現時点での逮捕は、社民党にとって大きな打撃になります。

これまで、政治家の逮捕には、捜査当局が政局を勘案しながら慎重に時期を探る傾向がありました。

今回は、辻元氏が現職ではないこともあるでしょうが、社民党が「政局」的判断の対象とならないことを示したものかも知れません。

捜査機関の側から見れば、慎重に捜査を行ったが、被疑者の協力を得られなかったのでこの時期の逮捕になったということになるのでしょう。

それが本当なら、与党議員の場合にも「政局」的判断のない強制捜査を行って欲しいと思います。


[2003/07/19]  辻元清美氏・逮捕

警視庁捜査二課は、社民党前衆院議員の辻元清美氏ら4人を詐欺容疑で逮捕しました。辻元氏の政策秘書には労働実態がなく実質的な名義貸しであり、国から支給された政策秘書給与をだまし取ったと判断したものです。

辻元氏が詐欺容疑を否認し続けていることから逮捕に踏み切ったということですが、逃亡の危険性もなく、証拠隠滅も考えられないとすると、逮捕の必要性に疑問があります。

辻元氏のほかに逮捕された3人の中に、社民党の大物秘書だった五島昌子氏がいることからすると、「その先」を見据えて、広い範囲で捜査をするのかも知れません。

55年体制下では、社会党には様々な「お目こぼし」があったのだろうと思います。政権を絶対取らない野党として、与党への甘えがありました。与党にも「甲斐性」がありました。土井党首ら元社会党幹部は、いまだに55年体制の「八百長政治」から抜け出せていないようです。

日本の司法が中立公正だと考えるのはアマチュアだと思います。収賄罪における「職務に関し」の要件は「厳格」に解釈してほとんどの賄賂罪を見逃します。与党議員においては、職務への信頼を損なうことが著しい行為に目をつむり、貧乏な野党議員が秘書と給与を分かち合うことは「詐欺である」と断じて憚らない。これを「正義」と考えることには強い違和感があります。

しかし、司法が不公正であることを前提に自己防衛をしていない社民党の甘えた感覚に、彼等の「平和主義」の無責任さが象徴的に表れていると思います。「私たちは守ってもらえる存在だ」という意識が「平和主義」の中にあるとすれば、それは「自立したくない症候群」とでも言うべき未成年者の病理に過ぎません。


[2003/07/18]  文藝春秋8月号

文藝春秋8月号は面白そうなので、買ってしまいました。

「藤井総裁の嘘と専横を暴く」のタイトル。先頃高松に左遷された日本道路公団幹部・片桐幸雄氏が書いたものです。

藤井総裁が財務諸表の真実を隠蔽していることの告発です。内部から崩壊の兆しを見せる道路公団。小泉総理は、国民の怒り具合を見極めて、総裁を「首」にするかも知れません。

これをやれば点数を稼ぐことが出来ます。格好の「吉良上野介」がいたものです。

片山鳥取県知事が書いた「西室東芝会長は官僚に操られている」も一読の価値があります。


[2003/07/17]  検挙率

犯罪発生件数が異常に増えています。警察庁の資料によると、刑法犯(交通関係の業務上過失致死傷等を除く)の認知件数は、平成10年に203万件だったのが、平成14年には285万件になっています。

検挙率も深刻です。平成10年に38.0%だったのが平成13年には19.8%(14年に若干戻して20.8%)となっています。

凶悪犯認知件数は、平成10年に6991件だったのが、平成14年には7604件。凶悪犯の検挙率は、平成10年84.7%だったのが、平成14年は60.5%。

社会の構造変化なのか、捜査能力の低下なのか、それにしても急激に事態は悪化しています。

犯罪の発生を抑止するために、検挙率を上げることを真剣に考える必要があります。


[2003/07/16]  普通の女の子に戻りたい

かつて、絶大な人気を誇ったキャンディーズは、「普通の女の子に戻りたい」という名台詞を残して解散しました。

この台詞は、「戻る」対象が魅力のある存在(女の子)であってこそ言えるものであって、そうでない場合、例えば「お年寄り」だったら台詞として決まらないだろうと思います。

辞任した埼玉県の土屋知事が、「普通の年寄りに戻りたい」と言ったら受けたかも知れませんが、通常、地位や権力のある高齢者には、戻りたい「普通」はないのでしょう。

高齢の政治家が同年代の高齢者をつかまえて、「おじいちゃん、おばあちゃん」と言っているのを見ると異様な感じがします。しかし、「政治家」から見た風景としては、自分と「おじいちゃん」達とは別物なのでしょう。

権力を持つが故に醜悪な高齢期を迎える例を数多く見ます。日本道路公団の藤井総裁、東芝会長・西室氏、中曽根元首相・・・

年を取って、「普通」でありながら、品格のある存在。若い者に権力を譲っても尊敬され続ける存在。これが私の考える理想の高齢者像です。「権力」を得た者が心すべきは、「普通」へのクールダウンだと思います。


[2003/07/15]  つくりもの

伊予市の夏祭り・住吉まつりは、毎年7月28日29日に行われます。かつて各商店がつくりものを競い合うのが風物詩でした。

それが廃れたのを残念がる有志が呼びかけて、3年前からつくりものを復活させました。いま、各チームが作業にいそしんでいます。

これから夏本番がやってきます。


[2003/07/14]  「喫緊の課題」

6月議会での話。議会決議による政府宛文書の文案中に、「喫緊の課題・・」という一節があり、ある議員から「一般人が分からない難解な言葉は慎むべきであり、緊急かつ重要とでも言い換えるべきだ」との意見がありました。

「喫緊(きっきん)」はお役所用語であり、「デフレ脱却は喫緊の課題である云々」というような使われ方をします。私は反対意見を述べました。確かに一般的には使われない用語ですが、政府宛の文書であることに加えて、微妙なニュアンスを表現する手段(言葉)を確保することが必要だと思ったからです。

色(例えば「黄色」)にも様々な種類があり、その微妙な違いを表現できる言葉が数多く用意される方が色彩に関するイメージは広がりを持つでしょう。人間の思考においても、様々な概念が用いられることにより、より高度な精神世界(あるいは新たな概念枠組み、コンセプト)に到達できる可能性が開けます。

言葉(概念)をより多く持つことが豊かな文化(あるいは高度な文明・経済)を約束するものだと思います。外来語においても、これを排除するのではなく、適切な訳語を探しつつ、微妙なニュアンスを大切にしながら日本語の文脈に同化させることも必要だと思います。我が国は、古来そうやって発展した国です。

「知価社会」と言われます。より微妙なニュアンスを大切にし、日本語を豊かな言語として育てることが、「富国」につながると考えます。

一般向けに分かりやすい表現を用いることは大切です。しかし、「分かり易さ」は、荒削りな思考に結びつく可能性もあります。

「平たく言えない人は本当には分かっていないんだ」などと利いた風なことを言う人が増えています。しかし、複雑なことは簡単には言えないということも真実です。

私は、かつて、このホームページの読者について、高校2年生程度以上を想定していると「一言」(3月31日)に書きました。御批判をいただきました。しかし、分かりやすくする努力と分かろうとする努力とが共に必要ではないでしょうか。この国の将来のためには、国民の国語能力の向上が必要です。外国語によるコミュニケーションの前提として、豊かな国語能力と歴史観、哲学が必要となります。

後日談。当該議員からの個人的な反論。「『喫緊』を読めない議員が多かったので発言したんだよ。」「・・・・・・・・」


[2003/07/13]  美しい国づくりへ 国交省が政策大綱

報道によると、国土交通省は、歴史、文化、風土等、地域の個性を重視しながら美しい国づくりを進めるため、景観の保全や水辺の再生に総合的に取り組む基本法制の制定など、15の具体的な施策を盛り込んだ「美しい国づくり政策大綱」をまとめたとのことです。

社会資本が量的に満たされてきたことから、看板や標識を統一し、ビルの高さを整えるなど、美しさの面から国づくりを見直そうと、発想の転換を迫っています。2004年の通常国会に関係法案を提出する予定です。

大綱は、地域の個性重視に加え、公共事業や建築の際には美しい景観をつくることを目的に含めることとし、行政だけでなく、NPO、住民、企業などが継続的に取り組むことなどを基本姿勢として示しています。

法制面では、市町村単位で良好な景観づくりや保全を図る総合的な計画づくりを盛り込んだ基本法の作成、違法屋外広告物を都道府県などが簡単に取り除くことができる制度の充実、公園整備や緑化、緑地保全を一体的に進めるため都市公園法と都市緑地保全法の統合を図ります。

公共事業では、実施する際には景観を考慮することを原則化するほか、事業の前には景観面に問題があるかをチェックする景観評価システムの確立。水辺・海辺空間の保全や再生、電線地中化の推進、地域住民やNPOによる公共施設管理の検討などを挙げています。

ヨーロッパから見れば2週遅れと言うべきです。しかし、「イマカラデモオソクハナイカラ」 やってください。


[2003/07/12]  拉致問題を考える県民大集会

11日18時〜20時、拉致問題を考える県民大集会に参加。拉致被害者家族連絡会事務局次長・増本照明氏が講師として招かれました。

拉致はテロである。国家主権を侵され、人権を侵害され続けていることを正面から受け止めるべきです。お話の中に出てくる日本政府高官の誠意のなさにはあきれます。

安全地帯で人権を論じる立場を克服すべきであるという増本氏の主張に共感します。北朝鮮への経済制裁をためらうべきではないと思います。「北朝鮮を刺激してはいけない」の論理は、主権放棄の論理です。


[2003/07/11]  化けの皮

「新市建設計画」では、合併後10年までしか想定しません。交付税についての恩典が切れるのが15年後なので15年後までの財政シミュレーションが必要であるとの意見もあります。

私は、少なくとも30年は「保証期間」と考えて、財政だけでなく、人口問題、高齢化問題等についても予測を立て、対策を検討すべきだと思います。

「10年」というのは意味があります。10年経てば誰も文句を言う者がいないし、「責任者」は引退しています。

また、合併後の10年間は人口減少も高齢化もそれほど目立ちません。ほころびが見え始めるのはもう少し立ってからです。

化けの皮が剥がれるころには、誰も問題にしようがなくなります。


[2003/07/10]  「市」と「町村」

従来、「市」は市のお付き合いを、「町村」は町村のお付き合いをしてきました。

「市」が周辺の「町村」と合併しようとする場合、一部のベテラン議員(事務組合の経験が豊富な議員)以外は、相手方に知っている人が少ないということがあります。商工会議所と商工会の関係も同じです。

合併を言う以前に、従来から議会や経済団体の交流を行う必要がありました。

自治体も経済団体も「市」「町村」の縦割りで管理(運営)されてきたことが、地域の円滑な連携を阻害してきました。隣の自治体は何を考えているのか、何をやっているのか、どんな人物がいるのか、分からない状態が続いてきました。

自治体が分立しているから地域の連携できなかったのではありません。連携できない仕組み(あるいは考え方)があったことを指摘しておきます。

議会の行政視察も、遠くの自治体に行くことを考える前に、隣の自治体を視察すべきでしょう。


[2003/07/09]  商工会議所と商工会

概ね、「市」には商工会議所があり、「町村」には商工会があります(例外はあります)。名前が似ているので呼び間違いが多いようですが、商工会議所法と商工会法とがあり、異なる規制があります。商工会議所は会員の負担が大きく、商工会は補助が多いので会員の負担が小さいのが特徴です。

市町村合併により同じ自治体になる商工会議所と商工会は必然的に合併することになるのだと思っていましたが、これが案外難しいようです。これまで商工会の会員だった者に商工会議所会員になれと言っても、負担が重くなるので当事者は気が重いでしょう。法改正による対応がなされているようですが、現場では混乱があるようです。

本来なら、この関係を是正して、筋道を立ててから自治体の合併を問題にすべきところです。自治体を超えて経済団体の交流を行うことが合併の地ならしになるはずなのですが、これが逆になっています。中央の御都合による合併ではありますが、土台を固めていない内に家の建設に着手しているような感じがします。


[2003/07/08]  合併協議・・・「進んでいる」「遅れている」

市町村合併に向けて合併協議が「進んで」います。報道を見ても、合併が「進む」ことが地域にとって「前進」であるというニュアンスになっています。

積極的な地域ビジョンを掲げての戦略的な合併もあるでしょう。しかし、多くの地域での合併は、ビジョンなど取って付けたものであり、お座なりの極みです。新市建設計画はコンサルタント任せです。自分で書くことは不可能です。嘘しか書けないからです(体裁の良い嘘をつくのがコンサルの仕事です)。

強いて言えば、自立心の弱い自治体ほど合併への傾斜が強いということが言えます。

我が愛媛県は、全国レベルで見て合併協議がトップレベルで「進んで」います。しかし、このことが、愛媛の「遅れている」ことの証明になります。「合併しなかったらどんな目に遭うか分からない」ということが自治体にとっても住民にとっても暗黙の前提になっています(めでたい人物もいますが・・)。

「バスに乗り遅れるな」・・・愛媛の合併では、これが「理念」です。


[2003/07/07]  ポテンシャルエネルギー

物理の用語でポテンシャルエネルギー(位置エネルギー)という言葉があります。物体の位置または物体相互の位置関係によって蓄えられたエネルギーを言います。

都市の力というものを考えていくと、この概念を応用したくなります。都市のポテンシャルエネルギーを増加させ、運動エネルギーに替えていくことにより、産業振興への力とするのです。

人口を集約することにより、人的摩擦とともに社会的需要が高まります。人口の集約により社会のポテンシャルエネルギーを増加させることが必要だと考えます。これに対し、現在進行中の都市の拡大は、ポテンシャルエネルギーを削ぐことになります。

大都市だけでなく、地方都市においても都市の集約はポテンシャルエネルギーを生み出します。人口減少社会における都市の実力増進策として、都市の集約ということがもっと語られるべきだと思います。


[2003/07/06]  「反共主義」

共産党の話題が続きますが、平素思っていることをもう一言。

共産党が選挙で負けると、同党幹部は、「反共主義(反共シフト)を克服できなかった」というコメントを発します。

ある時期までは、反共主義により共産党が実力を発揮できないことがありました。その頃は、政治家の間でも共産党コンプレックスがありました。共産党と議論すると言い負かされるという感覚、あるいは、共産党幹部の経歴、信念にかなわないという劣等感があったと思います。

しかし、ソ連崩壊以降は、共産党を侮る感じの方が強くなっていると思います。少なくとも、脅威は感じない。政権を取る現実的可能性がないので「安全パイ」である。自民党サイドから言えば、小選挙区で共産党が出ると批判票が分裂するので、過半数を取らなくても勝てる。こんなところではないでしょうか。今日、共産党が怖いなどと言うのは、申し訳ないが、「田舎のオッサン」くらいでしょう。

共産党が政権の枠組みから排除されていることを「反共」と言うとすれば、これも違います。議論の前提が異なり、話が噛み合わず、延々議論しても着地点が見いだせないので、とりあえず御遠慮したいということに過ぎません。

このような状況で、「反共主義」云々と言っても、所詮は幹部の責任逃れに過ぎません。要は、選挙民に理解されていないということでしょう。これは、単にプロパガンダが浸透しなかったということです。嫌われているということで言えば、公明党も相当のものですが、それでも、公明党はなんとか成績を残しています。むしろ、選挙上手です。

現実を自分の目で見据え、自分の言葉で語ることができなければ説得力はありません。政治は、言葉が命です。中央の指導に従うだけで自分の頭で考えない人物に、人を惹きつける言葉が出てくるものなのでしょうか。

中央集権対地方主権のアナロジー(類推)が妥当すると思います。

私は、自称、「福祉を語らない共産党」と言っているくらいですから、共産党は嫌いな政党ではありません。「反共主義」の言い訳を克服し、個々の党員が自分の言葉を持ち得たとき、同党は躍進するでしょう。


[2003/07/05]  「自宅外飲酒禁止」の撤回 

報道によると、日本共産党の志位和夫委員長は、筆坂元参議院議員のセクハラ問題に関し、幹部・党本部職員に対する自宅外飲酒の原則禁止の内規を徹底するとした発言について事実誤認があったとして撤回しました。また「セクハラの再発防止の一つとして飲酒の問題を述べたのは間違いだった」とも語っているそうです。

自宅外飲酒の原則禁止は内規にはなく、約30年前に節度ある自宅外飲酒を呼びかけた自主的な申し合わせだったということで、志位氏は「誤解を与える発言をしたことは大変申し訳ない」と陳謝しました。

党内外からの批判を受けての判断のようですが、極めて異例の対応です。

素早く間違いを認めるのは大変勇気の要ることです。ミスを認めて方針を変更したことを積極的に評価したいと思います。

某インチキ政党のような、無原則を原則とする政党ではないだけに、不祥事への対応には不慣れだと思われます。しかし、不祥事を含めた危機管理については、逆にチャンスと受け止めるくらいの懐の深さが必要ではないでしょうか。共産党に政権担当能力がつくためには、「受け身」の強さが必要だと思います。

自分のことになるとパニックになるのが常ではありますが・・・


[2003/07/04]  共産党の「飲酒禁止」

筆坂元参議院議員のセクハラ事件が酒席で起こったことから、日本共産党は、国会議員と党本部職員については外部における飲酒を原則禁止とする内部規定を厳格に運用し、公務などで飲酒する場合は事前に許可を必要とすることにすると発表しています。

セクハラ事件は、共産党の国会議員であることから過剰に報じられており、事件が同党の理念と相容れないこと、および、党のイメージダウンが他党の場合より深刻であることは理解できます。

しかし、自立した大人が政治理念を掲げて集合することにより政党が存在していることを考えれば、同党の対応は極めて不自然だと思います。事なかれ主義的対応に終始することは、党から野性味を奪い、議員や職員の官僚化を促進するだけではないでしょうか。

大きな団体になれば、「落ちこぼれ」も出ます。例外的事象にはそれ相応の対応策があるはずです。

「愚策」の典型例を見せていただきました。


[2003/07/03]  志木市の「解放特区」 (続)

志木市のシティーマネージャー制度については、憲法93条項に、「地方公共団体の長、・・・・は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。」と規定していることから、直接選挙による首長制度が憲法上必要とされており、地方自治法改正によって「シティーマネージャー」制度を創設することはできないと解する余地もあります。

しかし、私は2元代表制度を憲法上必須とするのではなく、行政の責任者を住民が直接選ぶ権利があると解釈することによって、シティーマネージャー制度創設は憲法上可能であると考えます。

私は、論文「市町村合併は地域切り捨てである」(合併反対論HP所収)の中で、制度設計としては議院内閣制的な発想もありうると書いています。ここで考えたのは、議会が選任した行政の代表者を首長とすることです。その際、住民の審判(信任投票)を仰ぐことを想定していました。そうすることにより、狭い地域での不必要な対立を回避することが可能になります。

志木市のアイデアは、私の発想とは異なり、地方自治における非効率を除去することに眼目があります。

憲法解釈も、93条は議事機関と執行機関の関係や両機関の組織形態について直接規定していないことを根拠として選挙で選ばれた議員が執行責任者となれば「首長選挙」は不要と考えるようです。

解釈の方法はともかく、国に制度を考えてもらう発想では駄目です。最も良い自治のあり方を地方が自ら創り上げていくべきです。その先陣を切ろうとする志木市の気概に声援を送りたいと思います。


[2003/07/02]  志木市が首長廃止の「解放特区」提案


志木市がまたやってくれました。埼玉県・志木市は、国の第3次構造改革特区構想に、首長の廃止などを盛り込んだ大胆な「地方自治解放特区」を提案しました。

地方自治法を改正し、議員で構成される委員会を現議会とは別の形で設け、その代表が「シティーマネジャー」として首長の代わりに自治体の業務を遂行する制度を提唱しています。これにより、議会と行政がより緊密に連携し、一体となったまちづくりが可能であるとしています。

提案書は、地方自治体が、規模にかかわらず、首長と議会の設置を一律に義務付けられているため、行政効率の低下や、市民と行政のかい離などの問題を引き起こしていると主張します。市町村長の代わりに、「シティーマネジャー」を導入することでこういう問題の解決を図ることにしています。

憲法では、地方公共団体は議事機関として議会を設置することとし、地方公共団体の長と議員は、住民が直接選挙すると定めています。この解釈が問題になります。

提案書では、憲法は議事と執行機関の形態までは規定していないため、両方を統合した委員会と、シティーマネジャーの設置は憲法解釈上可能であるとしています。

穂坂邦夫市長は、「地方自治体が自主独立できるようにしたい。シティーマネジャーを導入すれば、議会の議論も形がい化せず活発化するだろう」と話しているとのことです。

憲法解釈の問題は残りますが、画期的提案だと思います。既存の概念に拘束されない姿勢は立派です。「地方主権」を主張する穂坂市長の面目躍如です。


[2003/07/01]  政権交代の可能性

小泉内閣が依然高い支持率を維持しています。他方、民主党は、政権を取るというのは掛け声だけで、自由党を丸飲みできるチャンスがあっても怖くて出来ない状態ですので、自民党がしばらく安泰という雰囲気になっています。「5年後に政権を取る」などと呑気なことを言っている民主党幹部がいるそうですから、民主党には今すぐ政権を取る気概はなさそうです。

しかし、橋本政権瓦解のときと同じような臭いがしてきました。医療費負担のアップ、消費税の事業者免税点の引き下げ(年間売上3000万円から1000万円に)、簡易課税制度の適用上限の引き下げ(年間売上2億円から5000万円に)、将来の増税・・・

免税点引き下げと簡易課税制度適用上限の引き下げは、零細企業を直撃し、自民党の足元を弱める可能性があります。民主党の腰がふらついていたとしても、「敵失」で政権が転がり込んでくる可能性が否定できません。相手が強力なシフトを敷いているときの方が自民党は警戒しますから、こんな凪状態のときの方が怖いかも知れません。

財務省は、政権の1つや2つ潰れても、将来の財政再建をやり抜こうと考えているように見えます。騙しやすい内閣の時にやってしまえ、ということでしょうか。


玉井彰の一言 2003年7月 四国の星ホーム前月翌月