玉井彰の一言 2003年8月 四国の星ホーム前月翌月

[2003/08/31] 10万人以下の市で助役の収入役兼務容認へ

総務省は、人口10万人以下の市について、収入役を置かず、助役が兼務する構造改革特区を認めることを決めました。特区に限らず、全国規模で一律に認めることも検討します。鴻池特区担当大臣が、神戸市で開かれたタウンミーティングで明らかにしたものです。

地方自治法では、町村においては助役による兼務を認めていますが、市については収入役を必ず置くことにしています。しかし、総務省は、人口10万人以下の市であれば適正に会計事務を処理出来ると判断、歳出削減にもつながるとして特区で認めることにしました。

収入役と助役の兼務については、埼玉県志木市と大阪府大阪狭山市が行革推進を理由とした特区構想を政府に提案しています。

こんなことを国に許可してもらう必要があるのでしょうか。各自治体の理事者が提案したときに、その自治体の議会が判断すれば良いことです(判断能力なしということなんでしょう!)。私は、地方自治法は「地方自治規制法」であると繰り返し主張しています。これがその一例です。

規制しておいて、部分解除で恩を売る。こんな子供だましの政治を何時まで続けるのでしょうか。


[2003/08/30]  笑う中国人

北朝鮮脱出者を支援するNGO代表で、今月7日から上海市公安当局に身柄を拘束されていた山田文明・大阪経済大助教授が国外強制退去処分となりました。

山田氏がインタビューに答えて発言した内容に注目しました。脱北者が北朝鮮に送還されることが彼等の生命に極めて危険な事態をもたらすことについて説明しようとしても、まず、通訳が笑うのだそうです。公安当局者も通訳から聞いて笑うのだそうです。本気にしないのです。

かつて、「拉致問題」について多くの日本人は荒唐無稽な話だと考えていました。特に朝鮮労働党の「友党」であった社民党はこの問題を反北朝鮮キャンペーンだという程度の認識しか持ちませんでした。

思いこみとは恐ろしいものです。命からがら逃げてきた人を送還するとどういう事態になるのかということへの想像力が欠如しているのでしょうが、「そんなことがあるはずがない」との固定観念が率直に聞き取ることを邪魔するのです。

根拠なく一方的な決めつけをしないようにしたいものだと思います。もって、他山の石とします。


[2003/08/29]  1億2668万8364人

総務省が住民基本台帳に基づき発表した今年3月31日現在の日本の人口は1億2668万8364人でした。昨年より20万9692人(0・17%)増。

出生者は115万1507人で過去最低。高齢化率は過去最高の18・82%。少子高齢化。

2006年以降人口の減少が予測されています。右肩上がりから右肩下がりへ。高齢化率も上昇を続けます。人口減少社会、高齢社会を前提とした政治経済のあり方が問われています。

人口減少を認めたくない自治体が多いようです。厳しい予測を受け入れ、将来の構想を練っていくべきです。気持ちの切り替えは早いほうが良いと思います。


[2003/08/28]  開かずの踏切

何気なく民放を見ていると、東京都内の「開かずの踏切」が取り上げられていました。通勤ラッシュ時の1時間の内55分閉まっていて5分だけ開くのだそうです。急ぐ人達が踏切が閉まっていても通り抜けるため、極めて危険な状態になります。

これまで国家財政を傾かせるほどの公共事業をやって来て、この程度のことが解決できなかったということに驚きを感じます。怒らない国民。基本的な問題すら解決できない政治。

某国の異常な政治を批判できるのでしょうか。この国も相当異常です。

政治で解決できるメニューを提示し、有権者の支持を得て問題解決を図っていくという「常道」を確立すべきです。所有権者の抵抗があって出来ないことがあるのならば、法的な措置をためらうべきではありません。

「最大多数の最大幸福」を追求する政治でなければなりません。他面、少数者の思想信条を尊重する政治でなければなりません。財産権については若干厳しくすべきです。「ダブルスタンダード」で臨むべきだと思います。


[2003/08/27]  ガッカリ候補

衆議院議員選挙が近づき、各党の候補者が発表されています。

発表があった瞬間に「勝負あり」の選挙区があります。無名であっても、国会議員にすればかなりやれるかもしれないと思える候補なら勝ち目がなくても文句は言いません。しかし、「批判票の受け皿」と顔に書いてあるような候補では気持ちが萎えてしまいます。

国民のための候補ではなく、党のための候補ではないかと思われるような人物を出してくるのは有権者に失礼ではないでしょうか。「アリバイ作り」のための候補しか出せなかったということでしょうか。比例区で得票するために選挙区を空白に出来ないということでしょうか。

確かに、選挙に出るというのは大変なことです。負けを覚悟で出なければならない場合、職業を犠牲にし生活を犠牲にして出てくれる人は余りいないと思います。外野席から軽々しい論評をすべきものではないと思います。

しかし、野党が弱いことが明白な選挙区の場合、野党から複数出るということは、その選挙区の有権者から見れば政権選択の可能性を実質的に奪われたも同然です。せめて、野党の候補を一本化し二者択一の選挙にしてもらわなければ意味がありません。弱体選挙区対策を野党各党にお願いしたいと思います。多少は面白くしてくれないと困ります。

政治をサービス産業として見た場合、サービス供給者の立場からではなく、「消費者」(有権者)の立場に立って考えていただきたいものです。

ガッカリ候補反対! 恵まれない選挙区に愛の手を!


[2003/08/26]  サービスを買え

平成の市町村合併は、全国一律という固定観念で強行されており、ある自治体が実際上どうすれば一番うまく自治体運営が出来るかという観点からの考察がありません。

自治が首長、議員、住民によって食い物にされているような自治体もあります。このような自治体は整理統合されても仕方ありません。この場合の合併に反対するものではありません(自業自得)。

しかし、山間部、離島の自治体では、合併という手法で経営の合理化は出来ません。合併しても行政の効率は上がらず、過疎化に拍車が掛かるだけになる可能性が高いと思います。

合併という手法を用いなくても他の手段で経営の合理化が図れる自治体もあります。強力な自治体が近隣にある場合では、ある種類の行政サービスを自治体が買うということも考えて良いのではないでしょうか。8つの行政サービスの項目があるとして、その内3つに特化して5つのサービスを買うことにすれば、自治体がスリム化し、行政サービスの内容も高度化させることが出来ます。

勿論、「値段」によりけりです。しかし、様々な可能性を考慮し、自治の効率化を追求すべきです。然るに、国が合併それ自体を自己目的としているため、地方自治の向上には程遠い結末になりそうです。

指揮官が、頭の悪いやり方でひたすら「進め」「進め」と命じる日本の軍隊の方式が戦後も続きます。


[2003/08/25]  「無職」

雑誌の投稿欄に、年長退職者(定年退職者)が職業欄に記入する際、「無職」と書かざるを得ないことに異議を述べ、年長退職者を総称する呼称が必要であるとの提言がなされていました。

なるほど、と思いました。ふと思い出したのが、夏目漱石の小説・「それから」の主人公、代助です。代助は恵まれた境遇の下で、敢えて職業に就かず自分の好むところに時間を消費する生活を送ります。彼の生活ぶりを指して「高等遊民」と言うのだったと思います。

様々な局面で、職業の有無、職業の如何によって人は分類されます。「無職」に限らず、プライドを保持しがたい分類に甘んじなければならない側からの発想に留意する必要があります。

そもそも、そのような分類作業をしようとする人達は、分類されるにあたり心に痛みを覚えることのないポジションの方達なのでしょう。

個々の人物の尊厳に配慮した適切な概念が必要です。「悠々人」、「自遊人」・・・色々考えてみましたが、難問です。


[2003/08/24]  白河の関

夏の高校野球(全国高校野球選手権大会)は、茨城・常総学院が優勝し、東北高校は無念の涙を飲みました。

春の選抜・紫紺の大優勝旗も夏の選手権大会・深紅の大優勝旗も白河の関を越えたことがありません(東北・北海道のチームの優勝はゼロ)。

ダルビッシュ投手を見ていて、昭和44年夏の三沢高校・太田幸司投手を思い出しました。あのとき、深紅の大優勝旗は白河の関に差しかかっていました。延長戦で後攻めの三沢、ノーアウト満塁ノースリーという場面が2度。トイレに立つことが出来ず困りました。

あれから34年・・・


[2003/08/23]  夜市

伊予市では、夏の初めに土曜夜市が3週行われます。夏の最後にも夜市があります。と言っても、今年は夏がやっとやって来たという感じですが。

今日は、その夜市です(みなみ夜市)。私は、タウンモビリティの募金活動を行います。

来年4月、JR伊予市駅前に出来る「街の交流拠点」では、電動四輪カート貸出事業(タウンモビリティ)が開始される予定です。その前提として、事業遂行の為の資金づくり、ボランティアの体制の確立等の課題を克服する必要があります。

ボランティア希望の方募集中!


[2003/08/22]  ハーメルンの笛吹き男

全国各地の(市町村)合併狂想曲を聴いていると、皆さん正気なんだろうかと首を傾げたくなります。

国の財政難への思いやりなのでしょうか。「大きいことは良いことだ」という単純な発想なのでしょうか。

世界標準より遙かに大きな基礎自治体(フランスでは人口5000人以下の自治体が9割以上)を形成することについて、国際的な比較をする視点など欠片もなく、自治の本質に迫る議論もありません。間抜けな「メリット・デメリット論」で切り抜けられる程度の甘い自治意識しか地方にはありません。

それにしても、多くの人々が何か理性を狂わすメロディーに魅せられているような印象を持ちます。戦前の「満蒙開拓団」のときも、国の大宣伝に庶民は見事に騙されました(結果は中国残留孤児)。冷静に考えた人は、満州や蒙古に「王道楽土」があるなどというのはおかしいと思ったそうです(私は、祖母がそう思って祖父を思いとどまらせたという話を昔聞きました)。

ドイツにハーメルンの笛吹き男の話があります。ネズミの被害に泣いていたハーメルンの町は、「まだら色の服の笛吹き男(パイドパイパー)」にネズミ退治を依頼します。その男が
笛を吹くと、ネズミたちは集団でついて行き、川で溺れて全て死んでしまいました。(町の人が約束を守らなかったので子供達がいなくなってしまう話が後に続きます・・)

集団で動きたがる国民性をうまく利用されている感じがします。合併賛成派の住民が慎重派の首長を落選させたり、リコールしたりするのを見聞きすると、国家によるマインドコントロールが成功した事例なんだなぁ、と半ば感心してしまいます。

「なんで」「どうして」と問いつめると、合併の必然性について答えられる人はほとんどいないと思います(公開討論会をやるのなら討論者として喜んで参加させていただきます)。少なくとも、全国一律に合併する必然性はどこにもありません。

もっとも、平成の日本では国の思うほどマインドコントロールが徹底せず、「脱落」も相次いでいます。


[2003/08/21]  自殺者3万人

毎年の自殺者が、1998年以降3万人以上になっています。それまでが2万人台の前半だったことを思うと、異常な数字です。交通事故の死者が、かつて1万人台だったのが8千人にまで減少したのと対照的です。

長期に及ぶ不況と人員削減(リストラ)が原因の1つだと考えられます。善良な市民が自殺に至る心理状態を思うと心が痛みます。他人事とは言いきれないものがあります。

人を自殺に追い込む構造的要因が現在の我が国にあるとすれば、その要因を取り除くことにより最低1万人の命とその家族の不幸を救済できることになります。

苦しくなったら、「ギブアップ」して再起を期すことが許される社会にする必要があります。破産などの法制度は整いつつありますが、まだまだ不十分です。

事業に失敗した場合など、弁護士などを補助者として雇い、債権者と交渉してもらう。失業に当たっては、専門家のアドバイスを受け人生の戦略を練り直す。孤独な一個人として放り出されるのではなく、立ち直りを援助する仕組みが必要です。

個人の人生を考えても、失敗を人生の一局面として折り込んでおくということも必要ではないでしょうか。人生を完封勝利で飾るという発想ではなく、「8勝7敗」で良しとする(御の字だと考える)感覚を持つべきです。

「板子一枚下は地獄」という緊張感なしにビジネスがやれるのか、という疑問もあり得るところです。しかし、「プロで挫折しても草野球があるさ」という感覚で人生を楽しむ発想を併せ持つ複線型の人生観を持っても良いのではないでしょうか。


[2003/08/20]  高齢者の兵役

過日、ジェームス三木氏の講演で面白い話を聞きました(終始面白かったのですが)。

高齢者を自衛隊員にせよ、というものです。高齢者が自衛隊員になれば、高齢者の年金、介護問題が全て国費(防衛費)でまかなわれる。しかも、どうせ早晩死ぬのだからと命を惜しまないのではないか、というものです。

勿論、冗談で述べられたものですが、一考に値する話だと思いました。現代の戦争は兵士の体力勝負というより兵器の性能競争という感があります。

そうだとすれば、若者の貴重な命を犠牲にするより、既に十分生きてきて、「全損」になっても惜しくない年代が兵役を担当するのが本当かも知れません。

国会議員も抽選で兵役を務めることにすれば、政治家の防衛論議も少しは真剣味を帯びると思います。

少なくとも、イラクへの派兵(「派遣」)について小泉総理のように、「イラク国内の地名とかを把握しているわけではない。どこが非戦闘地域かと、今私に聞かれても、分かるわけないじゃないですか。」などという他人事の答弁をする政治家はいなくなるでしょう。


[2003/08/19]  トヨタがマイカー通勤自粛呼びかけ 

トヨタ自動車が愛知県豊田市の本社と本社工場の従業員2万8000人に「マイカー通勤自粛」を呼びかけているというニュースがありました。

豊田市トヨタ町の本社と本社工場周辺の国道では、毎朝2〜3キロの渋滞が起き、東名高速豊田インターから本社まで5キロ足らずの距離を1時間近くかかることもあるといいます。社員1万9000人と派遣社員9000人の大半がマイカー通勤しているのが大きな原因です。 

そこで、最寄り駅からのシャトルバスを導入したところ、鉄道やバスを利用する従業員が半年間で3000人から5000人に増えました。自動車メーカーとしては矛盾するような行動ですが、本社周辺で悪化する一方の渋滞の解消と環境対策を考えての決断です。

車がその本来の機能を発揮するためにも、道路の機能回復、および環境との調和が必要です。我が国に存在する全ての車が路上に出れば、車は1センチも前に進むことは出来ないそうです。

そうだとすると、車をどう走らせるか、どう走らせないか、その調和点を考える必要があります。車が走るべき領域、走るべきではない領域を区画整理することが、真に便利で快適な社会をつくることにもつながります。


[2003/08/18]  2つの自民党

「小泉総理対抵抗勢力」のことではありません。本人達は真剣であったとしても、客観的に見れば、これは政治的コントに過ぎません。

17日、テレビ朝日系「サンデープロジェクト」で、民主党の政権奪取についてコメンテーターが、「地方での草の根保守の克服」を課題のひとつとして挙げていた点に関心を持ちました。

地方の自民党は、実のところ「自民党」ではありません。「政権陳情党」なのです。自民党が政権から転落して息の根が止まったと判断したら、簡単に衣替えが出来ます。

民主党政権になれば、「20年前から支持していました」と、恥も外聞もなく言ってのけられるタフな人達の集まりです。10年前は、息の根が止まったのかどうか確かめている間に自民党が甦生してしまいました。

それだけに、民主党サイドに立った場合、地方の人達が自民党の安泰を信じている現状を打破するのは大変です。大字の「区長」は自民党員でなければならないという不文律のある地域もあるようです。自民党でなければ仕事にならない。生活がかかった「政治活動」であり、生活そのものと言ってもいいでしょう。

それにしても、地方は小泉内閣成立後、疲弊の度合いが深刻です。正面から自民党を支持する余力がない状態なのかも知れません。


[2003/08/17]  愛国心について

(16日の成層圏氏の投稿に触発されて、愛国心について論じてみます。)

「愛国心とは、ならず者の最後のよりどころである」という言葉を聞いた記憶があります。「愛国心」を叫ぶ者を警戒せよとの意味を含むのでしょう。

戦前(戦中)の日本では、「愛国心」「天皇のため」という言葉で多くの人が犠牲を払いました。このことが、「愛国心」への警戒感を生み出すとともに、「防衛」あるいは「戦争」への強い拒否感情を誘発しました。

そもそも、個人には侵すべからざる「尊厳」があり、国家権力による侵害から個人の尊厳を護るために基本的人権が保障されるということになっています。一方、個人を尊重するが故に、国家が個人を保護する必要があり、その為には国家という存在を認め、国家のために個人が何らかの犠牲を払う(税金など)ということにもなります。

そういうことを前提として、私は、個人に何らかの行動を求める場合は、具体的な根拠を持つ「義務」として構成すべきであり、「愛国心」という抽象概念を大上段に振りかざすべきではないと考えます。

「愛国心」という無限定な概念は、射程距離が不明確であるが故に、際限ない拡張解釈を伴います。結果、「非国民」「アカ」などという不条理な概念(あるいは、レッテル)により恐怖政治を生み出すことにもなります。

人を愛し、家族を愛し、郷土を愛する延長線上にある愛国心を否定する必要はありません。しかし、この言葉の副作用を認識する必要があります。その認識を欠いている方々が「愛国心」を振り回すとき、それはたんなるやり場のない感情のはけ口であったり、嫉妬感情の別表現であったり、自分だけが不利益を蒙りたくない「道連れの論理」であったりする可能性があります。

「愛国心」を掲げる人に、その概念を大前提とせず、「内容を具体的に述べよ」「論理的に説明せよ」「だからどうなんだ」と問いたいと思います。論理的な思考を徹底した上で残る、国や郷土への純粋な感情を尊重したいと思います。これを愛国心と呼ぶとしても、抑制的に使用すべき概念であることを忘れてはならないと思います。

「愛国心」を語る前に、有事に際し、命を捨てて防衛するに足りる国家や地域社会を築いていくことこそが重要だと思います。


[2003/08/16]  「兵は優秀、指揮官は無能」

8月15日、日本経済新聞社説、「悲惨な敗戦の教訓を生かすには」は、敗戦の日の教訓として興味深い記述をしています。

「1939年、日本の関東軍は当時の満州・モンゴル国境でソ連軍と戦い、大敗を喫した。ノモンハン事件である。ソ連軍を率いた当時のジューコフ中将はスターリンに日本軍の評価を尋ねられ『兵は勇敢かつ優秀だが、指揮官は無能』と答えている。」

「ノモンハン事件から6年後、空前の大軍を率いてベルリンに攻め込みナチス・ドイツを壊滅させたジューコフ元帥は西側記者団にドイツ軍と日本軍の比較を聞かれ、こう答えている。『ドイツ軍は指揮官も兵も優秀である。日本軍は兵は優秀だが、指揮官は無能である』。こうした見方は日本軍とドイツ軍両方と戦った米軍首脳の評価とも一致する。」

「『兵は優秀、指揮官は無能』というのは日本軍に限らず官僚機構などの日本型組織の最大の特徴」です。「霞が関で最も仕事をするのは課長補佐であり」、局長、次官になると仕事をしなくなり、「部下に任せる」スタイルになります。

「こういう組織は失敗した場合、誰も責任を取らない無責任組織である。組織を守るために失敗の事実さえ隠そうとする。」ノモンハン事件の大敗、ミッドウェー海戦の大敗などの隠匿。

「日本型組織は戦後もしぶとく生き残り、戦後の復興や高度成長には大きな役割を果たした。」「しかし、東西冷戦が終結し、変化の激しい世界的規模の大競争時代になるとたちまち機能不全に陥った。その結果が『第二の敗戦』であり、巨額の財政赤字と不良債権の山である。」

「激しい変化と競争を生き抜くにはリーダー、指揮官が明確な方向を示し、果断に決断し、失敗したら責任をとることが不可欠である。優れたリーダーはエリート信仰、学歴信仰、派閥信仰からは生まれないことも2度の敗戦の貴重な教訓である。 」

システムの問題、リーダーの育成と選抜のあり方の問題等々、考えることはたくさんあります。また、国民が、失敗した組織(政党)の責任を追及する姿勢に欠けるということも指摘したいところです。水に流してはいけない問題もあります。


[2003/08/15]  敗戦

「終戦記念日」と言うべきでしょうか、「敗戦記念日」と言うべきでしょうか。率直に「敗戦」を認め、我が国が何故無謀な戦争をしたのかについて考える日にしたいものです。

この国は、58年前に惨憺たる敗北を喫しました。「武」の官僚機構は崩壊しましたが、「文」の官僚機構はゾンビの如く生き残りました。そして現在、官僚機構の自己保存本能のままに国の営みが続いています。

政治は、官僚機構に手を付けることが出来ていません。長期不況について「失われた10年」と言われることがありますが、ある意味では、「失われた58年」と言うべきかも知れません。

少なくとも、55年体制成立以降、政治は官僚機構にぶら下がってきただけではないでしょうか。

官僚機構を国民の意思(=政治)が支配すること、即ち、民主主義を貫徹させることが出来なければ、この国は衰退します。

死んでいった英霊達に恥ずかしくない国づくりができたのかどうか。靖国神社に参拝すればこと足れりとする欺瞞的な政治家にこの国を任せて良いのかどうか。

元旦より意義ある日だと思います。


[2003/08/14]  ゴールデン・ゴール

高齢者の望みとして、「ポックリ死にたい」ということがあるそうです。その為のお参りなどもあるようです。長く患って周囲に迷惑をかけたくない、長生きすることが経済的にも不安である等々・・

長生きすることへ漠然と不安を持つ人は多いと思います。年金生活に入る年齢の方で、将来が安泰であるという方は少数です。何歳まで生きるのかが不明であり、幾らお金を持っていれば安泰なのかが分かりません。しかも、年金制度が将来的に維持可能なのか、疑問が持たれています。

「この年まで生きたら絶対に安全圏に逃げ込める」というような制度は出来ないものでしょうか。例えば、100歳まで生きたら、どんな人でもそれ以降の生活は標準レベルが公的に保障される(生活保護ではなく)というものです。

100歳というと一般の方は途方に暮れてしまいますから、85歳とか90歳くらいで線を引くことが考えられます。ここを人生の「ゴールデン・ゴール」とし、人生設計はその年までを描いておけば良く、それまでに財産を全部使い果たしておくことを奨励すれば(財産を使い切った人は表彰される)、将来不安の多くが吹き飛ぶのではないでしょうか。1400兆円とも言われる貯蓄の多くがはき出され、景気刺激策にもなります。

こんなことをつらつら考えていたら、既に誰かが主張しているようです(具体的な主張がどんなものかは知りませんが)。問題は、国や自治体が信用してもらえるかどうかというところにあります。


[2003/08/13]  国土防衛寄付制度

「愛国心」を強調したり、憲法を改正し「軍隊」を持つべきだと声高に叫んだりする人がいます。それはそれで結構だと思います。

そういう人は、きちんと税金を払っているのだろうと思います。なにしろ、国を愛しているのですから。国を守ることを真剣に考えているのですから。

とは思うものの、私の偏見かも知れませんが、そういう人達を今ひとつ信用しきれないというのも本音です。

そこで提案ですが、国を愛する人のために「国土防衛寄付制度」を創設するというのはどうでしょうか。「愛国者」は喜んで寄付をするでしょう。

この場合、寄付を所得から控除せず、「手取り」から払ってもらいます。「痛み」を感じることにより、真に愛国心を持っていることが明確になります。

「愛国心」「国防への犠牲的態度」を数値で図ることが出来ますから、「愛国心」を語る前に自分が幾ら寄付したかを明示すれば議論が簡単になります(証明書を発行し、一定の累計寄付額に達すれば叙勲の対象とします。勲一等も可)。

「手取り収入の○○%の愛国心」という言い方は面白いのではないでしょうか。

私は2%払います。愛国心が少ないかな?


[2003/08/12]  四番打者

現在進行中の市町村合併の多くは、「偽善合併」と言いたくなります。どう考えても実力差のある自治体が、「対等合併」を目指しています。強い側がへりくだって「対等」だと言うと、美しく見えます。

しかし、誰もが認めるその地域の中心地を、「対等」の名において軽視することは、中心地でない地域にとっても、結果として不利益をもたらします。

野球で「四番打者」や「エース」の存在には特別の意味があります。中心となって責任を担う存在。攻撃の中心が「四番」であり、守りの中心が「エース」です。「四番」も「八番」も平等ということで本当の攻撃力が出るとは思えません。

地域の中心地を大切に育てることがなければ地域全体が沈んでしまうということが理解できず、平らにならしていけば地域全体が繁栄すると考えることの不条理を理解していただくことは、現在の地方では極めて困難な作業になります。

これが政治である、と割り切るには余りにも残念な状況です。


[2003/08/11]  「地域通貨」導入支援

地域でのサービスや物の交換に使う「地域通貨」を導入する自治体やNPOへの支援に、総務省が来年度から乗り出す模様です。

住民のボランティア活動への意欲を高め、商店街の協力で割引を受けられるようにするなどして地域経済の活性化にもつなげる狙いがあります。

住民基本台帳ネットワークの「住基カード」の情報蓄積機能を利用した「電子地域通貨システム」を開発し、導入自治体を財政面で後押しすることが考えられています。 

地域通貨の使われ方と機能は次のようになります。介護や福祉、子育てなどのボランティアをした場合、活動に応じて報酬の代わりに「通貨」を交付します。その通貨を使って行政サービスを受けることが出来ます。地元商店街で割引券代わりに使えるようにすれば、住民の購買意欲が高まり、地域経済の活性化にもつながります。 

少子高齢化や核家族化によって介護・福祉や育児など様々な分野で住民の自治体への要求が高まっており、行政だけでは対応しきれない状況も生まれています。地域通貨を利用して、行政が担っていた分野でボランティア活動が促進され、自治体の負担が減る可能性が見込まれます。 

総務省の支援の具体例としては、自治体独自で地域通貨システムを検討する場合の経費補助があります。住民基本台帳ネットワークが本格稼働した後、住基カードの持つICカードとしての側面を利用し、住基カードで「通貨」の出し入れや残高照会ができるようにするシステムを、早ければ今年度中に開発します。そのシステムを導入する自治体やNPOなどを交付税などで財政支援する方針です。 

住基カードの利便性を強調することで、住基カードへの批判をやわらげる意味合いもありそうですが、この面での情報を地域限定情報として囲い込めば面白いのではないでしょうか。勿論、情報管理の重要性が格段に増すことは言うまでもありません。

グローバル経済から地域を防衛する必要があります。農作物の「地産地消」の意義とも絡んできますが、地域経済の防衛手段としての地域通貨に注目したいと思います。


  [2003/08/10]  細川政権発足から10年

福田康夫官房長官は、6日の記者会見で、細川護煕・非自民党政権発足から10年を迎えることに関連して、「(平成5年当時は)不良債権処理を急ぐべきだという議論があっが、政権交代で手がつかなかった結果、その後の経済停滞につながった」と述べ、自民党下野が景気低迷の遠因になったとの見方を示しました。

さらに「政権交代すればいい、という話ではない。政権はある一定期間安定しないと政策を打ち出しても実行できない」と語り、政権交代を掲げて合併を目指す民主、自由両党をけん制しています。

「自民党下野」の期間は1年もありませんでした。その後は、自民党が政権に参加しており、政権交代を不良債権処理が出来なかったことの原因とすることには無理があります。少なくとも橋本内閣以降自民党総裁が政権の首班となっています。小泉首相になってからでも2年以上経っています。小泉内閣は「構造改革」の念仏を唱えながら、政策を食い散らかし、何がなんだか分からない状態をつくっています。

事態は、同一権力の中での「改革」で収拾がつくものではないことを証明しています。もう一度政権交代をし、よどんだ空気を一掃する必要があります。存在意義を失った社民党が合流すれば、政権交代の可能性は高くなります。小選挙区制では、野党の数を整理することが政権交代を現実化します。

細川政権の教訓は「短命」だったことです。予算をあと2回(あと1回でも)組んでいれば自民党は消滅していました。


[2003/08/09]  「一兵卒」

小沢一郎氏が、民主党との合併に際し、役職に就かず、「一兵卒」として政権交代に向けて全力を尽くすと述べたことが、大きなインパクトを与えています。

小沢氏は、野党の役職など何の意味もないと言い切っています。全く同感です。野党でどんな肩書きを持っていても、国民から見て何の意味もありません。従来、野党でも国会議員で居続けることが出来れば嬉しいと感じる議員が多すぎました。

小沢氏の履歴からすれば、「役職」が自由を制約することにもなるでしょう。肩書きから自由であることが、より大きな可能性を期待させるということを、「一兵卒」という言葉から学びました。

なお、政権交代の可能性について、政治評論家・森田実氏の論評が面白いので、一部を紹介します。

「自民党政権は、この秋の総選挙で大敗北を喫し、小泉内閣とともに滅亡する」

・・・・自民党は急速に弱体化している。中央政界はこのことに気づいていない。私の机の上に永田町を震え上がらせた「総選挙予測」がある。この8月上旬に作成されたものである。すでに永田町には出回っていて、衝撃をもたらしている。
 この「予測」によると――

(1)2003年7月の自民党支持率は21.3%。3年前の森内閣時代の衆院選前の自民党支持率は23.6%。内閣支持率は小泉内閣44.1%(2003 年7月)、森内閣18.2%(2000年6月)。内閣支持率が高い現小泉内閣の方が自民党支持率は低い。小泉首相の「自民党をぶっつぶせ」が実行された結果、地方・地域の自民党は崩壊状態になっている。小泉首相は自民党崩壊の面でのみ大きな“成果”を上げた。

(2)この秋と予想されている次の総選挙を予測すると、小選挙区の獲得議席数は、「自民・公明」合計57議席、民主・自由・社民・共産4野党が選挙協力したときの野党合計は243議席。野党圧勝である。野党選挙協力から共産党のみ離脱した場合は、「自民・公明」合計121、「民主・自由・社民」3党合計179。この場合も「自民・公明」大敗北。すでに民主党・自由党の合体は決まり、民主党と社民党の選挙協力も決まった。共産党も今回は民主党政権樹立に協力する可能性があり、与党合計の獲得議席数は243と179の中間(211)になると予想される。いずれの場合も自公保連立政権は滅亡する。

(3)「民主・自由・社民」協力の場合、岩手県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、静岡県、愛知県、兵庫県、福岡県では、「自・公・保」の議席はほとんどなくなってしまう。大都市で「自・公」が健闘する可能性があるのは公明党の強い大阪だけである(与野党伯仲)。

小泉内閣は9月20日の自民党総裁選で小泉再選に成功したら、ただちに臨時国会を召集し、10月9日衆院解散、11月9日ないし16日に投票という政治スケジュールを実行する構えだが、これはあたかも「石を抱きて淵に入る」がごとき自殺行為である。

長期間にわたって君臨した巨大な権力が崩壊するのは、往々にして、このような自殺行為によることが少なくない。ソ連共産党体制の崩壊が思い出される。自民党政権も最期の時を迎えつつある、と言えるかもしれない。・・・

http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/ 


[2003/08/08]  大検なしでも大学受験可能に

文部科学省は、朝鮮学校やフリースクールなど各種学校の卒業生について、大学入学資格検定(大検)に合格していなくても、各大学が学習歴などを審査し、個別判断で受験を認めるよう制度改正する考えを明らかにしています。欧米系のインターナショナルスクールなどの卒業生にも条件つきで受験資格を与える方針です。 

早ければ来年度入試から実施されます。実現すれば、大検の位置づけは従来の「資格取得試験」から「高校卒業レベルの学力認定試験」へと大きく性格を変えることになります。 

日本の高校に相当する課程がある外国人学校は41校あり、朝鮮学校(12校)の卒業生について、各大学が学習歴や社会での実務経験などを審査し、学力などが日本の高校卒業と同等以上と認めた場合、大学の判断で受験資格を認めるようになります。

この報道を知り、「追完」という法律用語を思い出しました。要件が欠如していて,一定の法律効果を生じない行為が,のちに要件を備え効果を生じることを言います。

文部科学省の考えをもう一歩進め、教育課程の各段階を充たしていなくても、後の段階を充足していれば、「大は小を兼ねる」の発想で、前の段階の要件欠如も是正されるという風にしていくべきだと思います。

「留年」も翌年頑張れば挽回可能ということで良いのではないでしょうか。大学の「入学資格」の審査より、大学「卒業資格」審査の充実に重点を移すべきでしょう。


[2003/08/07]  モーニング討論会

昨年10月の研修会に引き続き、平成市議の会2日目はモーニング討論会。これを研修会の目玉に出来れば面白いと思います。

「モーニング付き討論会」と勘違いして、私を含む多くの会員が討論会の始まる時刻を待っていたら、朝食はあらかじめレストランで食べるようになっていたので、無念の遅刻。

研修の最後は、八幡浜名物・おさかな牧場、「シーロード八幡浜」。釣った魚の代金を払います。餌を入れるか入れない内に食いつくので、財布と相談の上で釣り糸を垂れる必要があります。鯛1匹、イサキ4匹捕獲。

前夜のカラオケで、森進一の「港町ブルース」の詩の中に、「港〜高知、高松、八幡浜」とあることを再確認。いい街なんだがなぁ・・・


[2003/08/06]  愛媛平成市議の会八幡浜市での研修会

5日、6日と八幡浜市で愛媛平成市議の会の15年度総会と第15回研修会がありました。

八幡浜市の1期目の議員さん達が研修会を主催してくださり、充実した研修会になりました。初日は愛媛県経済労働部管理局長・上甲啓二氏の講演「地場産業の抱える問題と対策」。

経済の好調な地域が元気な内に次の産業を育成していくことの重要性を説かれました。地域振興の方法として、北上市と花巻市の産業政策が紹介されました。

私は、講演を聴きながら、産業の問題と人口の動向について考えました。工業立地に付随して人口が増加するというパターンがあります。これに対して、古くから人が集まる地域であって、工業がそれ程でもない地域があります。

その地域に魅力があり中心地として誰からも認知され、そこに住む必然性を自覚する人が多い地域(地域アイデンティティが強いとでも言いましょうか)では、そこに住み続けるために屋台を引っ張ってでも何かをやって生計を立てようとしますが、雇用の場があるからやって来た人が主流の地域では、雇い手がいなくなれば人は雲散霧消してしまうことになります(研修で伊方原発を視察しました。2000人の雇用があるそうです。しかし、仮に原発が不要になったら、「2000人」はいなくなります)。

そこに住む必然性のある人を増やす。地域固有の良好なイメージを形成して地域ブランドを確立する。「地域」での中心性を維持する。このような作業が必要です。このことが「産業基盤」となりうると考えます。

これに対し、現在進行中の偽善的「対等」合併は、地域の輪郭を弱め、イメージを拡散することになります。さらに、内向きの勢力争い(=「地域内三国志」)が生じることになれば、対外的な推進力を弱める恐れもあります。


[2003/08/05]  住民参加型の地方行政検討  ・・・・総務省が研究会設置へ 

私が5月の総務委員会の視察研修でテーマとしたことが、政府でも検討されることになりそうです。

住民が行政サービスを受けるだけではなく、担い手にもなるという考え方を総務省が検討しようとしています。

財政難、地方分権、少子高齢化の中で、拡大する行政サービスを住民に担ってもらうことが必要です。「住民が職員」といった発想から、住民参加を実践している埼玉県・志木市などの例を参考にし、自治体の在り方を根本的に問い直す方針です。 

自治体の行政改革は、これまで、職員の定数削減や部局の統廃合、公共事業抑制、単純業務の外部委託など、行政のスリム化が主流でした。

少子高齢化により、介護・福祉などでサービスを受ける側は急速に増加しています。自治体がこれに対応するためには、他分野のスリム化を進め、介護・福祉分野でサービスを供給する人数を増やすことになりますが、従来の行革では限界があります。 

志木市は、今後20年間原則として正規職員の新規採用をせず、時給700円の「行政パートナー」で補うことにより、2021年には正規職員301人(半減)、行政パートナー523人の構成とし、67億円の経費削減を計画しています。 

群馬県・太田市では、主婦や退職サラリーマンら約160人が「行政サポーターズ」として、図書館や福祉・文化施設、市役所の市政情報コーナーなどで働いています。 

今月下旬に発足する研究会で、先進的な自治体の事例を参考にしながら議論を進めます。その上で、「団塊の世代」が定年を迎えた後、その知識や経験を生かし、一定の報酬を得て行政に参加する仕組みをどうつくるか、住民参加に伴って役所の組織や運用をどう見直すか、市町村合併で役場がなくなり、手薄になりがちな地域のコミュニティーを支える役割を住民がどう果たすか、などを主要研究テーマとします。 

研究会は、8月22日に設置され、2004年3月に中間報告、2005年3月に最終報告をまとめる予定です。

期待して見守りたいと思います。「自治とは何か」というところまで掘り下げて研究していただきたい。


[2003/08/04]  市街化区域全域で高さ制限

大阪府箕面市は、市街化区域全域で建物の高さを制限する都市計画案を発表しました。建物の高さ制限を地域ごとに均等化し、町並みを守るのが狙いです。

市街化区域を8種類に分け、10〜31メートルの5段階で高さ制限します。戸建て住宅など低層住宅が建つ区域を第一種(10メートル)、中高層のマンションが建つ区域を第六種(22メートル)、市として積極的に土地利用を進める地域を第八種(31メートル)というように区域分けします。 

8月18日から市役所で公告、縦覧し、市民の意見を聞いた上で、10月中旬に都市計画審議会を開き、11月から施行の予定です。

国立市で見られるように、高層マンションの建設が始まった後に高さ規制を求めて訴えを起こす事例もあります。 紛争予防のためには、事前に明確な基準を自治体が決めておく必要があります。

土地の高度利用が必要な地域もあります。しかし、平穏な住環境との調和が必要であり、また、景観への配慮も必要です。町並み景観を大切にすることを重視する人が増えてきています。美しい町並みづくりは、人に例えれば、身だしなみに相当するものです。建築における「何でもあり」の感覚は、卒業すべき時期だと思います。

「我が家」も景観の一部であることを住民や建設業者が自覚することにより、品格ある都市になります。町並みがその都市住民のレベルを測定する物差しになる日が来るかも知れません。


[2003/08/03]  「言葉は届いているか」

昨日の続き。

子規記念博物館の館長、天野祐吉氏の講演もありました。「言葉は届いているか」の演題。

近年、言葉は、音声としては届くが、「言葉」としては届いていないのではないか、との問題提起をされました。

言葉は、その「意味」だけではなく、「思い」がこもらなければならない。そうでなければ、人の心を捉えることが出来ない、との論旨。

思うに、言葉には「周波数」があり、その周波数が人の心に共鳴現象を起こすことが出来れば大きな力になるのでしょう。微妙な振動を呼び起こす「思い」というものを大切にしたいものです。

人と人とが直接的に関わり合い、「言葉を交わす」ことの重要性の指摘もありました。

これが出来ない現実があります。余計なことを言って不利益を蒙ることが予想される場合、「3手の読み」により自己規制をかける社会の貧困を思います。

ひまで、お節介なオジサンになろうか。「ボランティアとは、究極のレジャーである」というお話もありましたが、そうだろうな、と思う心のゆとりが欲しいところです。


[2003/08/02]  愛媛県市議会議員研修会

1日、松山市で県下市議会議員の研修会がありました。

合併表明から11ヶ月で合併にこぎ着けた岩手県・大船渡市の市長、甘竹勝郎氏の講演。通常、任意協議会から22ヶ月かかると言われる合併手続きのあり方からすると、異例の短期間で合併をなしとげた市長の体験談。

1市1町での編入合併、在任特例の活用、助役2人制、特例債の全面活用による600億円を超える投資。大幅な妥協をしながらも、「国の資金を引っ張って来る」という市長の「信念」により、合併特例法を徹底的に利用して開発型行政を展開しています。

この「投資」により、都市のグレードが大幅にアップすれば、より大きなリターンが見込めますが、そうでない場合には、10年後には借金で首が回らなくなります。10年後の大船渡市に注目したいと思います。

1歩も2歩も遅れて「先進地」を真似ることにどの程度の意義があるのか不明です。国家財政の破綻状況を考えると、マルチ商法の説明会で、儲かった人の体験談を聞く場合に似ている気がしました。先にいい思いをした人がいて、後から参加して泣く人がいる。そんなことにならなければいいが、と心配します。しかも、この「体験談」自体が、儲かった話なのかどうか確定していないのです。

(西条市議の一色達夫氏が、「けちょんけちょんに書いてやる」と語っておられたが、これをアップしたら一色氏のHPを覗いてみるか・・)


[2003/08/01]  合併特例法の延長を

「期限切れ」が迫り、泥縄式の合併協議が進行しています。長期的な見通しがなく、地方交付税が減らされることへの恐怖と合併特例債への甘い期待だけで合併が論じられる風潮にはあきれます。

50億円の予算を組んでいる首長が、200億円の予算を組んでみたいと考えたりする程度の動機で、地域の将来を台無しにしてしまう可能性もあります。

ここで、少し立ち止まって考えてみるべきではないでしょうか。「合併特例法」の期限をあと5年延長し、近隣自治体同士の交流促進を行い、かつ、しっかりとした地域ビジョンを創る時間を与えるべきだと思います。

民主党が、マニフェストに「合併特例法の延期」を掲げれば、地方で「匿名」(自治体関係者)の支持者が多数現れるでしょう。

大都市重視路線と相俟って、「まず合併ありき」の零細自治体潰しの悪政に、地方の不満も蓄積しています。自民党政府が倒れれば、各地で快哉を叫ぶ声が聞かれると思います。


玉井彰の一言 2003年8月 四国の星ホーム前月翌月