玉井彰の一言 2004年11月 四国の星ホーム前月翌月

[2004/11/30]  総中流から格差拡大の社会へ

(ニュース)

一億総中流といわれた日本で、貧富の差が拡大していると感じる人が過半数に達していることが、読売新聞社の全国世論調査で分かりました。

「中流」意識は依然として9割を超えるものの、自分の生活レベルを「中の下」「下」と答える人が10年前より10ポイント以上増えています。バブル崩壊後の厳しい経済情勢の中で、成果主義の導入や、「勝ち組」「負け組」意識などの広がりを背景に、日本人の「中流意識」に揺らぎが見え始めているようです。

「貧富の差」が「大きくなっている」という人は、「どちらかといえば」を合わせ55%。「小さくなっている」は計8%。「変わっていない」は34%です。

格差が「大きくなっている」は、大都市部では62%にのぼるなど、大きな都市の住民ほど強く感じる傾向があります。年代別では、50歳代が61%と最も格差を実感しています。

現在の自分の生活水準を、「上」「中の上」「中の中」「中の下」「下」の5段階から選んでもらったところ、「中の中」51%が最多だったものの、10年前の同調査より2ポイント減少。「中の下」と「下」は計34%で、11ポイント増えた一方で、「中の上」と「上」は計14%で9ポイント減少しており、自分の生活レベルを下の方に位置づける人が増えています。

第2次オイルショックの1979年以降を5年ごとに見ると、こうした傾向は、経済環境が悪化したバブル崩壊後の94年以降、目立ってきています。中流意識の変化について、所得格差でみれば、厚生労働省の所得再分配調査でも、日本の所得格差を示す「ジニ係数」が2002年に過去最高の数値となっており、所得格差の拡大が、国民意識の面でも裏付けられた形になっています。

また、経済・社会構造の変化の中で、終身雇用、年功序列賃金といった日本社会特有の構造が崩れ、競争・能力重視の社会に変容していることも、意識の変化に影響を与えているようです。

(コメント)
格差の拡大ということが、これからの我が国の大問題になってくるでしょう。

森永卓郎氏がいう、年収300万円以下の層と年収3億円以上の層とに二極分解した社会が我が国にやって来る可能性があります。

小泉構造改革の目指す社会とは、そういう社会です。そのことを国民が肌で感じ始めたということなのでしょう。

100億円稼ぎますと豪語するライブドアの社長と、人生の展望が見えないフリーターとの格差。更には、職業も学業も放棄したニートの存在。恐ろしい格差が現実のものとなりつつあります。

インスタントラーメン業界が、年収700万以上の層を対象としたラーメンと年収400万円以下の層を対象としたラーメンの商品開発を行っているという話もあります。


[2004/11/29]  丸飲み政党・自民党の限界

自民党が長期政権を維持してきた秘訣は、野党案を丸飲みできるいい加減さ、ないしは懐の深さにあります。

社会主義政党も真っ青な政策も丸飲みできる自民党にも、丸飲みできない政策があります。

それが、民主党がマニフェストに掲げる「20兆円にのぼる国の補助金の内、18兆円を地方の財源とする」という政策です。

これを丸飲みすると、もはや自民党は自民党ではなくなってしまいます。中央集権、官僚支配を維持するためには国のひも付き補助金が不可欠です。それがなければ、自民党の政治家にはリベートがなくなり、選挙での押しも効かないことになります。

三位一体改革なる欺瞞でお茶を濁すしかないところが、自民党政治の限界です。国と地方の正しい役割分担は、政権交代によってしか実現しません。

ところで政権交代が起こった場合に心配なことが一つ。自民党の政治家がこぞって地方政治家になりはしないかということです。

「利権は地方にあり」で、地方を荒らしにかかることが懸念されます。そんな地方は破滅してしまいますが・・


[2004/11/28]  地方自治を面白くするために

三位一体改革なる出鱈目が進行中です。

私は、地方議員を辞め国政を目指していますが、本来は地方政治の方が面白いと思っています。

では、何故国政なのか?

それは、現状では地域を良くするための材料が地方に与えられていないからです。

権限、財源、人材が与えられれば、地方・地域をより良くするためのレシピが書けます。

しかしながら、現状では無理です。霞ヶ関に頭を下げ、自民党に頭を下げ、結果としてサイズの合わない既製服を無理矢理着込むような話にしかなりません。

自民党幕府を倒さなければ真に地方のためになる政策を実現できない・・ その思いから倒幕運動に立ち上がったわけです。

自民党を倒せば地方政治も面白くなります。地方自治関係者の皆さんも、打倒自民党のために(陰ながらでも)応援して下さい。


[2004/11/24〜27]  東京出張

民主党新人研修等。


[2004/11/24]  政権交代なくして憲法改正なし

民主党若手の中に、憲法改正を強く主張する方々がいます。

この方々が、自民党に騙されるのではないかと心配しています。小泉政権の狙っているのは、改憲論で民主党を揺さぶり、あわよくば民主党の若手を取り込もうということです。

政策の優先順位のトップに改憲がくると考えるところが問題です。それはさておき、民主党を割るための策動であることを是非とも見破っていただきたいと思っています。

私は改憲論者ですが、改憲の前に政権交代が必要だという立場です。真に国民が主人公になり得ていない我が国では、民主主義の徹底、国民主権の確立が先行すべきです。

国民が政権交代の決断が出来ないままに憲法改正に引きずられるようでは、この国に真の民主主義は根付かないでしょう。

野党の中にも、「自民党でいいじゃないか。その中で党の独自性を出していけばいい。」という負け犬根性の考え方があります。

このような考え方を克服していくべきです。政権交代をして3年待てば、自民党が解体消滅します。その後で、考え方の違いで政界再編を行うべきです。

政権交代は準決勝。決勝戦で戦うために、ここは団結して勝ちに行くべきだと思います。


[2004/11/23]  地方議員の広報手段

このところ、市町村合併に伴う在任特例で巨大議会ができることへの住民の不満が各地で爆発しています。地方議会議員への不信感は根強いようです。

新聞記事を見ていても、記者の皆さんが厳しい意見を書いています。

しかし、記者の皆さん。

厳しい意見を言われるなら、地方議員の資質向上のために新聞紙面で工夫をしてみてください。

たとえば、地方議員コーナーを設けて、地方議員に発言の機会(投書の機会)を与えてみてはどうですか?

議員が街頭演説をしても、多くの人が聴くことはできません。ビラを配るのもかなりの労力ないし費用が必要です。

意見を述べるビラを新聞に折り込もうとすると、販売店から拒否されます。

議会の広報も各議員の質問は掲載されても、議会の性格上議員の主張を述べるという点では限界があります。(各議員の発言が掲載されない自治体もある!)

各地の選挙で、市町村議員候補者の経歴紹介はあっても、政策や理念は載せてもらえません。

地方議員(候補)にもっと発言の機会を与えていただきたい。そして、住民に知る権利があることもお忘れなく。


[2004/11/22]  クレオパトラの鼻

パスカルが「パンセ」で「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史も変わっていたであろう」と書いたことがときどき引用されます。

大事に大きな影響を及ぼす些細(ささい)な物事のたとえとして使われる言葉です。

アメリカの大統領選挙の結果を見て、ケリー候補の顎がもう少し短ければどうなっていたのだろうかと考えてしまいました。

ほんのちょっとの差。顎の差?いや、鼻の差?


[2004/11/21〜22]  四国中央市出張

四国中央市議選挙、合田陽子候補の応援。


[2004/11/21]  テレビによるリーダーづくり

平日夜や日曜日午前中の報道番組で、政治家を登場させてインタビューする形式の放送があります。

ある政治家の場合はインタビューされる領域が狭く、その政治家の最も得意とする分野に集中して質問があるような気がします。辛口で鳴るキャスターも「変化球」を投げないようにしているのではないかとの疑問を持ってしまいます。

打ちやすい球を投げ、ホームランを打つシーンを演出する。要するに、八百長。

意図的に政権党の次期リーダーをつくろうとしているのではないでしょうか。そういえば、芸能系の番組に出演した後、人気が急上昇したケースもあるようです。

「次期リーダー」に「貸し」をつくる。そういう意図を持った番組づくりがテレビという強力なメディアで行われるとすれば問題です。「政商」的な企画をメディアが持つことは、報道の堕落以外の何者でもありません。

無能な政治家を持ち上げてリーダーとして奉り、国を危うくする事態になるとすれば、それは犯罪行為と言うべきです。

そういう目で、これからの報道番組を見る必要がありそうです。キャスターの「配球」をじっくり見極めたいものです。あらかじめ、「答え」ないしは「カンニングぺーパー」が用意されていないかどうかも。


[2004/11/20]  白馬は馬にあらず(続)

宋の国の弁論家・児説(げいえつ)が、「白馬は馬にあらず」を持論として、斉の国に集まっていた天下一流の弁論家達を抑え付け、得意になって白馬にまたがって関所を通ったところ、あっさり馬の税金を取られてしまったという笑い話があります。

空中戦のような議論をしていても、銃弾一発で掻き消されることがありうるということを強調しておきたいと思います。


[2004/11/19]  白馬は馬にあらず

「自衛隊が活動しているところが非戦闘地域である。」

この首相答弁を了解できるでしょうか。

非行少年諸君、喜びなさい。夜の繁華街で補導されかかったらこう言いなさい。

「生徒は夜繁華街を歩いてはいけないことになっています。私は生徒です。従って、私が歩いているところは夜の繁華街ではありません。僕は小泉総理を尊敬しています」と。 

公孫竜に代表される名家は、名(言葉)と実(実体)の関係を明らかにしようとする論理学派でした。しかし、言葉の概念にとらわれ、「白馬は馬にあらず」(馬とは形についての概念であり、白い馬とは色についての概念であるから、白馬と馬とは違う概念である)などの詭弁に陥りました。

規範(そうあるべきこと)と事実・実態(そうであること)を混同して得意気な総理大臣。露骨な詭弁を弄するこの人物にレッドカードを出さなければ、こんなことも通用してしまうでしょう。

「現在、他国の領土で他国の軍隊と日本の自衛隊とが砲撃をし合っていますが、これは戦争ではありません。我が国は憲法9条で戦争(武力の行使を含む)をしないことになっているのですから、自衛隊は戦争をすることができません。自衛隊が行うのは自衛行為です。戦争ではありません。」


[2004/11/18]  地方で政策を

17日は、岩國哲人氏の講演。

地方で政策をつくるべしとの提言に納得。愛媛のマニフェストをつくってみたいものです。


[2004/11/17〜18]  四国ブロックの自治体議員フォーラム

民主党主催の勉強会。ホテル奥道後にて。


[2004/11/17]  横田めぐみさんの消息

(ニュース)

平壌での日朝実務者協議を終えて帰国した政府代表団は、「横田めぐみさんの遺骨」という人骨を持ち帰りました。

めぐみさんの夫とされるキム・チョンジュンさんがめぐみさんの土葬から2年半後に墓から掘り起こし、骨つぼに保管していたとのこと。骨は焼かれているため、DNA鑑定は困難とみられています。

まためぐみさんの消息について、北朝鮮は当初、「93年3月13日に自殺した」と説明していましたが、9月の前回日朝協議で「93年10月までの入院記録があった」と修正。

さらに今回は「94年3月に(再)入院し、同年4月13日午前10時ごろに自殺した」と再修正しました。めぐみさんを拉致した実行犯については、「00年11月に脳出血で死亡した」と説明しています。

キムさんは、めぐみさん娘のキム・へギョンさんの3人が一緒に写っているいう写真を見せましたが、提供を拒否。日本側が本人確認のために写真撮影や毛髪の提供を求めたのに対し、「特殊機関勤務」を理由に協力しませんでした。

16日、めぐみさんの写真3枚が公開されました。1枚は制服を着た写真。

(コメント)
「人命は地球より重い」と言われることがあります。量的に考えるとおかしいと言う意見もあるでしょう。しかし、一人ひとりの人生の価値を直視した言葉だと思います。

北朝鮮による拉致事件を象徴するのが横田めぐみさんのケースです。めぐみさんは中学2年生の時、日本で家族と過ごすはずの人生を奪われました。そして、その犯人は金正日。

彼の目から見れば、人の人生は1個2個と数量で数えられるものなのでしょう。彼の国では、人の命が軽々しく扱われ、人生がいとも簡単に破壊されています。

ある人が不幸な出来事で亡くなった場合、遺族の悲しみは想像を絶するものがあるでしょう。しかし、事実が確定している場合には、時間という特効薬が心を静めてくれる可能性があります。

北朝鮮拉致事件が残酷なのは、安否不明者と特定失踪者の人生だけでなく、家族の人生がストップしたままであり、現在進行形の不安と悲しみを引きずり続けているということです。

拉致されて1、2年後と思われるめぐみさんの写真。家族は胸が張り裂ける思いでしょう。

横田早紀江著「めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる」(草思社)では、母親の苦悩・不安が切切と語られています。


[2004/11/16]  ジャーナリストの戦死

(ニュース)

110カ国以上の記者らで作る国際ジャーナリスト連盟(IFJ、本部ブリュッセル)は、今年に入って各地で殺害されたジャーナリストとメディアスタッフの数が12日までに100人を超えたと発表し、「2004年は年間記録で過去最悪になるかもしれない」との警告を発しています。

IFJの最近の年次報告では、殺害された犠牲者は2001年100人、2002年70人、2003年92人で推移しています。04年が最悪ペースなのはイラクの治安悪化が著しいためです。

イラク戦争が始まった昨年3月以来、62人が殺害され、今年5月末にはフリージャーナリストの橋田信介さんと小川功太郎さんが射殺される事件がありました。

IFJは、「改めて暴力の悪循環を終わらせる努力を行わなければならない」とアピールしています。

(コメント)
ジャーナリストが事実を取材し報道することを使命とする以上、ともすれば危険と背中合わせとなることを否定することはできません。

安全地帯で取材し報道することしかしないとすれば、ジャーナリズムの自己否定につながります。

我が国では、報道機関がイラクで取材することができず、個人のジャーナリストがこれを補完してきました。小川功太郎さんの場合は、NHKの記者という安定した立場を捨ててイラクに赴いたのでした。

ところが、4月のイラク人質事件で「自己責任論」が猛威を振るい、危険地帯に行くこと自体を国賊視する考え方が台頭してきました。

この行き着くところは、大本営発表垂れ流しの官報報道です。

世界には、橋田さん、小川さんを含むジャーナリストの「戦死者」が大勢います。彼等の屍の上に真のジャーナリズムがあるのだと思います。

どうでもいいような首相の一言コメントしか報道できない我が国の報道機関のあり方に失望の念を禁じ得ません。


[2004/11/15]  地方交付税は仕送りなのか

近年、都市部住民が地方交付税や補助金を大都市から地方への「仕送り」ととらえ、都市部の住民が搾取されているかのような議論が幅を利かせています。

本当にそうなのでしょうか。馬鹿息子の地方が何時になっても自立しないので、親である国が都市部住民の財布からお金を抜き出して面倒を見てやっているのでしょうか。

このような議論は、現在只今のお金の流れだけを微視的にとらえたものに過ぎません。我が国の近代化、そして戦後の高度成長期に大都市中心に資本投下をして、(地方では食えなくしておいて)地方から人材を供給したことが、我が国が工業国として発展する礎となりました。この歴史を忘れてはなりません。

人材を供給した対価として、現在の地方交付税や補助金が多額だとは言えないと思います。大都市に偏重した資本投下の是正という側面も強調すべきでしょう。

そしてもう一つ。中央集権国家であることをやめようとしない我が国では、地方は自立しようがないのです。権限、財源、人材を中央が握ったまま地方に自立を呼びかけても無理というものです。

手足を縛っておいて自由に泳げと言うのですから、阿漕(あこぎ)な話です。ロープで引っ張ってもらわないと、前に進めないし、溺れてしまいます。

中央集権、官僚支配をやめ、権限、財源、人材が地方に与えられた後、一定の猶予期間があってまだ自立していなければ、その時には地方が責められるべきでしょう。

地方は押しまくって中央から権限、財源、人材の「三点セット」を勝ち取るべきです。その為には、政権交代も視野に入れるべきです。「三位一体」などというオレオレ詐欺的な煙幕で誤魔化されてはいけません。


[2004/11/14]  榊原英資氏の郵政民営化反対論

月刊・Voice12月号に慶応大学教授(元大蔵省財務官)・榊原英資氏の「郵政民営化に反対する」という論文が掲載されました。

郵便サービスについては、400余りの島を抱える我が国では完全民営化は困難。民営でなければサービスの効率化ができないという訳ではない。

かつては郵貯・簡保が公社・公団に貸し出されていた。しかし、1999年に「資金運用部資金法等の一部を改正する法律」ができ、2001年度から財政投融資改革が実行されたため、郵貯と簡保は財政投融資から完全に切り離された。従って、郵貯・簡保の民営化により財政投融資の出口である公社公団の経営がよくなるという議論の前提がなくなった。

巨大資金を持つ郵貯と簡保が民営化されるということは、巨象を野に放つ行為である。郵政公社・生田総裁は、優秀であるが故に民間の感覚で拡大志向になる。効率化の枠を超えた拡大志向は金融システムに混乱をもたらすことになる。郵貯・簡保は縮小し、最終的には廃止すべきである。

・・というのが、荒っぽい要旨です。

(コメント)
11月4日、5日に「郵政公社は頑張るな」という「一言」を載せました。効率化は必要だが拡大主義は混乱を招くことになるという論旨は共通しています。

財政投融資の改革については、知識がありませんでした。榊原氏がこの分野の専門家であることからすれば、この説は信用性が高く、財政投融資の入口・出口の改革という文脈で語られてきた改革話の前提が崩れることになってきます。

郵貯・簡保については、資金運用能力のない巨大金融機関が誕生することの意味を冷静に考えた方がいいと思います。

公社職員の雇用を守りつつ、郵政事業の効率化を図り、金融の分野における漸次撤退のシナリオを書くべきです。


[2004/11/13]  犯罪被害者

(ニュース)

自民、公明、民主3党は、犯罪被害者の支援・保護施策を総合的に実施するための「犯罪被害者等基本法案」に合意しました。衆院内閣委員長提案の形で国会に提出し、今会期中に成立する見通しです。

法案は、「すべての犯罪被害者等は、個人の尊厳が重んぜられ、ふさわしい処遇を保障される権利を有する」と、犯罪被害者の権利を明記。行政機関に被害者対策を実施する責務を課し、国民にも協力を求めています。

取り組むべき課題として、(1)被害者への情報提供や助言(2)損害賠償請求の援助(3)給付金制度の充実(4)心身回復のための保健医療・福祉サービスの提供(5)刑事手続きへの参加機会を拡充する制度の整備などを掲げます。

(コメント)
これまでの刑事法が加害者の人権擁護を中心に構成されており、被害者が蚊帳の外に置かれていたことへの反省が必要です。

国家が刑罰権を独占し、私的制裁を禁じたこととの均衡を考えれば、被害者の感情への細やかな心配りが必要です。

被害者の遺族からすれば、犯人を殺しても飽き足らない思いがあります。その思いを汲んだ刑事手続きが求められています。

勿論、そのこと故に刑事被告人の人権が侵害されることがあってはなりません。

従来の立法・解釈・運用に欠けていた「被害者」というファクターを折り込んだ刑事法となることを期待します。


[2004/11/12]  知事会の抵抗手段

(ニュース)

国と地方の税財政改革(三位一体改革)を巡り地方自治体が国への対決姿勢を強めています。

全国知事会(会長・梶原拓岐阜県知事)は11日、都内で総会を開き、政府・与党で浮上している国庫補助金負担率引き下げが強行された場合、法定受託事務の返上や国直轄事業の地元負担拒否などの対抗手段を検討することを決めました。

この方針は梶原会長が12日の政府主催の全国知事会議で訴え、小泉純一郎首相の地方案に沿った政治決断を促します。

地方6団体が8月に3兆2000億円の補助金削減案をまとめて以降初めての知事会。

同案に対する関係省庁などの姿勢について梶原会長は「各省庁の改革精神の欠如、族議員の無理解など、地方は対決せざるを得ない状況に追い込まれている」と強調。33人の知事が出席し、改革実現に向けた今後の対応を協議しました。

(コメント)
政府の「地方分権」とは、仕事を地方にやらせ、首根っこは国が押さえていこうとするものです。

この似非分権に対抗するためには、地方が「ストライキ」を行うことも有力な手段です。即ち、法定受託事務(法令により都道府県、市町村等が処理することとされる事務のうち、国が本来果たすべき役割に係るものであって、国において適正な処理を特に確保する必要があるものとして法律又は政令に特に定めるもの)の返上、国の直轄事業の地元負担の拒否です。

中央集権対地方主権(分権)との対決になります。


[2004/11/11]  批判精神

(天木直人氏のホームページより)

・・・・米国のイラク攻撃を弁護できる余地は一つもない。小泉首相の過去一年半のイラク攻撃に関する言動に正当性はこれっぽっちもない。

何故メディアはもっとストレートに批判しないのか。テレビに出てくる解説者も、つねに評論家としての姿勢を崩そうとしない。

かつて私はテレビ番組の収録で徹底的に小泉外交を批判した。そうしたらそれが放映される予定の日に番組が変更されて、以来いつまでたっても放映されなかった。ボツになったのだ。それ以降テレビ番組からお呼びがかからなくなった。日本のテレビはメディアを提供するより時間つぶしの娯楽番組になってしまっている。それが批判精神をなくするのだ。

私がもっとも不快に思うのは、毎日流される小泉首相と官邸記者とのインタビューである。あれは小泉首相の宣伝なのだ。今までの首相にはあのようなインタビューはなかった。記者は困らせるような質問や本質的な質問をしない。総理のおかしい答弁に反論しない。それどころか総理のふざけた答えに対し画面の後ろから記者のキャーキャーと笑う声がたびたび聞こえてくる。自分の子供のような年頃の不勉強な記者を相手に、これまた不勉強な小泉首相がふざけた答弁を繰り返す。これはもうバライテー番組だ。・・・
http://homepage3.nifty.com/amaki/pages/ns.htm

(コメント)
「さらば外務省」「さらば小泉純一郎」(いずれも講談社)の著者・天木直人氏のホームページ中・「マスメディアの裏を読む」・11月10日分を引用しました。

ファルージャ掃討作戦の報道への批判が展開されています。

小泉政権登場後、マスメディアが小泉広報隊と化していうことに多くの方がお気付きでしょう。小泉政権を厳しく批判する人物は登場する機会を奪われているようです。

大本営発表型の報道の裏を読もうとする意識がなければ、いいように騙されてしまう危険があります。

騙されないために、天木氏のホームページを「お気に入り」に加えて下さい。メルマガもあり。

天木氏のHPの表紙 http://homepage3.nifty.com/amaki/


[2004/11/10]  橋本大二郎氏の場合

日経ビジネス11月1日号・「敗軍の将、兵を語る」のコーナーで、橋本・前高知県知事が辞任の原因となった13年前の選挙資金疑惑問題について語っています。

発端はある建設業者の無理な要求です。これを知事が断ったことから、13年前の選挙の「メモ」が出てきたということです。

この問題も争点となった昨年の知事選挙で県民の審判が下っています。それにもかかわらず、議会の知事への嫌がらせがやまず、辞職勧告決議案に発展していきました。

談合がまかり通っていた状態から、橋本知事の下で落札率が大幅に低下。このことで旨みを失った一部の人達の怨念が感じられます。

13年前、熱狂の内に高知県民に乞われてやって来た橋本氏としては、県民に訴えてけじめをつける機会を持ちたかったということです。

長野県もそうでしたが、利権に切り込むことの難しさを感じます。そして、担がれた候補者が選挙の実務をほとんど知り得ないということにも、選挙経験者として理解できるものがあります。

選挙の実態を最も熟知している自民党が「正義の味方」を演じているところに、不自然なものを感じてしまいます。


[2004/11/09]  「踏切で一時停止するな」

8日付、日経新聞に面白い記事がありました。

衆議院議員・原田義昭氏(自民)へのインタビュー記事。氏は、踏切での一時停止の義務づけをやめる運動を展開しています。

義務づけをやめると、交通の流れが1.7倍〜2倍となり、年間約2千億円分もの経済ロスの解消になるとのこと。省エネ効果も原油換算で年間50万キロリットル。

踏切ノンストップで懸念される踏切事故も、開いている踏切に車が突入した事故の例はなく、むしろ、一時停止した後に踏切でエンストした場合を考えると、ノンストップの方が安全ではないかと主張されています。

一時停止を義務づけているのは、日本と韓国だけだそうです。

記事の最後で原田氏はこう語ります。

「国民一人ひとりがまず刷り込まれている規制の根拠や常識を疑ってみることが大事ではないでしょうか・・・」

なるほど。踏切一時停止に疑問を持ってこなかった自分が随分頭の固い人間に思えてきました。

ところで・・・まてよ・・・

この原田氏。それほど昔ではない時期に新聞記事で見た記憶が・・・

ネットで調べてみると、アメリカの大学院を「卒業」したと記載した学歴詐称問題で注目されていました。

学歴が大切だという固定観念も打ち破らなくては。


[2004/11/08]  ケリー氏のその後

米民主党大統領候補・ケリー氏は、大統領選敗北後、上院議員に復帰するそうです。

こういう制度は、日本でも検討されるべきです。

選挙に出るということは大変なことです。家族や周囲の反対があります。特に、奥さんは「候補者の妻」というデリケートな立場に置かれ、心身をすり減らします。立候補者の多くは、奥さんから「離婚」を持ち出されます。そして、プライバシーの開示・・

そういう問題を克服したとして、敗北後の生計をどうするのかという難問があります。家業政治家が跋扈(ばっこ)する原因の1つは、一般の方が選挙に出ることの著しい難しさにあります。

元の職業に復帰できる保証があれば、チャレンジできる環境づくりの一助になるでしょう。

無責任あるいは軽率な立候補を防ごうとするならば、「公職」に復帰できる要件を「惜敗率」(当選者の獲得投票数に対する落選者の獲得投票数の割合)○○%というようにすることも考えられます。


[2004/11/07]  3選禁止?

(ニュース)

国・地方財政の三位一体改革をめぐり、全国知事会と自民党の攻防が本格化する中、同党は知事の3選禁止の法制化を検討し始めました。

表向きは「行政の停滞」など多選の弊害を理由としているが、三位一体改革で権限が強化される知事側を揺さぶる意図も透けて見えます。

改革では、知事会など地方側が国から地方への税源移譲に伴い、治山・治水事業や義務教育などで約3兆2000億円の補助金削減案をまとめました。実現すると、知事は公共事業の実施場所の選定など、これまで中央省庁が握っていた権限の多くを手にします。

このため自民党内では、「地元への利益誘導が難しくなる」(ベテラン議員)として危機感が強いのは確か。総務相在任時から三位一体改革の旗振り役である片山虎之助参院幹事長も「これだけ権限、財源を首長に渡すと大統領、独裁者が出来上がる。何らかの仕組みがいるのではないか」と多選禁止を推進する姿勢を示しました。

(コメント)
余計なお世話。

多選の弊害は考慮しなければなりません。しかし、それは自治体が自ら考えるべきことです。

「法律」で決めるということ自体が地方自治への干渉であるとの認識を持つべきです。

中央集権的発想を卒業することは、特に自民党にとって難しいのでしょう。中央集権、官僚支配を前提とした自民党政治が地方を雁字搦めにしてきた歴史を総括すべき時期に差し掛かっています。


[2004/11/06]  共産党の方針

(ニュース)

日本共産党は次の衆院選で、党の各県委員会に対し、全選挙区での公認候補擁立を義務づけない方針を決めました。

自民、民主の2大政党化が進み、党勢退潮に歯止めがかからない中で、現実的な対応を迫られたものです。民主党などとの選挙協力を念頭に置いた方針転換ではありませんが、共産党が候補者擁立を見送る選挙区が出れば、反自民の票が民主党など野党候補に流れ、選挙結果に影響を与える可能性が出て来ます。

小選挙区制が導入された96年以降の3回の衆院選で共産党は、全小選挙区での候補擁立を基本方針としました。例外は、1回だけ。

小選挙区で議席を得たのは96年の2議席だけです。昨年の選挙では235人が供託金没収となりました。

2日の全国都道府県委員長会議で志位委員長は、次の衆院選でも全小選挙区擁立を目指すものの、「全選挙区での立候補は、すべての県に一律に義務づけることはしない」とし、理由としては「現在の党の力量を考えてのこと」と説明。「日常的な活動なしに選挙の時だけの候補者活動を繰り返しては、かえって党の国政に対する真剣さが問われる」との趣旨の話をしたということです。

衆院選の小選挙区選挙では、野党側は民主、共産両党などが競合するため、野党候補の得票計が与党候補を上回りながら議席を得られない例が少なくありません。

(コメント)
共産党の現実路線の始まりかもしれません。逆に、不戦敗で恥をかかないよう、各県での日常活動の活発化を要請したものともとれます。

しかし、現在の同党の力量を客観視する限り、現実路線に踏み込まざるを得ないと思われます。

衆院選で法定得票数に達しない場合、供託金を没収されるだけでなく公費助成の分も支払わねばならず、供託金・300万円+α(100万円〜300万円)が選挙費用にプラスされることになります。400万円×235人として、9億4千万円です。これは厳しい。

公明党と同様の路線を採用してキャスティングボードを握って影響力を持つという路線を採用するとするならば、これは驚異です。

他党の候補者を格付けし、一定水準以上の民主党候補がいる場合に、共産党が候補を立てても法定得票数に満たないと判断できる場合には候補を立てないという方針だとすれば、民主党への影響力が出てきます。1選挙区1万5千票が動く話ですから。

真面目な政党ですから、そんなことは考えないでしょうが・・


[2004/11/05]  郵政公社は頑張るな(2)

誤解を招くといけないので、もう一言、二言。

「民営化」は、大都市と地方とでは意味合いが異なってきます。

大都市においては、究極の姿として、意思決定部門(議会)と司法権以外は全て民営化可能です(憲法や法律を無視した場合)。民営化により、ビジネスチャンスが広がってくる可能性があります。

公務員の守秘義務など公務に付随する義務はどうなるかとの疑問もあり得るところです。しかし、民間でも職種により様々な法的義務はあるのですから、特に問題はありません。

地方ではどうでしょう。民間がやると採算割れのサービスがでてきます。過疎地・島嶼部が典型的ですが、地方においては公的部門がサービスを提供する場面が多くなります。

地方の現状を前提とする限り、公的部門が撤退するということは、その地域では住むなということになってしまいます。地方切り捨ての究極の姿です。

地方における公的部門の位置付けを明確にした上で、民営化の議論をするのでなければ、大都市だけの日本を構想するのと同じことになります。

それでは、地方抜きの大都市が成立するのでしょうか。国土とは何なのかという問題にもなります。

空き家はすぐ朽ちるといいます。空き家と化し、荒廃した地方を抱えた国土を維持するコストは膨大なものになるでしょう。

地方を維持するコストとは、国を維持するコストです。そのための公的サービスです。

地方が活性化する仕組みを築き(地方主権型社会)、地方から内発的に富が創出されることになれば、その段階で公的部門を縮小して民間でサービスを提供することが可能になります。

そもそも、人を市場原理にさらせば真面目に働くだろうという人間観が正しいのかどうかも疑問です。

私は、24時間型市民としての公務員像を提唱したいと思っています。利潤追求ではなく、公正な社会を目指す正義感をもって自己犠牲の精神で従事する職業としての公務。

公務を担う人間のあり方をまず問題にしていくべきだと思います。その基本がしっかりしておれば、公的部門に相応の人員を貼り付けることにより真に豊かな社会が実現するのではないでしょうか。殺伐とした競争原理の社会とは別の社会を構想することも可能ではないでしょうか(社会主義ではなく)。

そうこう考えてみると、郵政公社(=官業)が自由競争原理で頑張ることは、公的部門の守備範囲を逸脱することになると思われます。

公的部門にコスト意識は必要です。しかし、民業を圧迫する拡張主義は不必要です。

(「一言」で論ずるにはテーマが大きすぎた気もします)


[2004/11/04]  郵政公社は頑張るな

「郵政民営化」のスローガンが一人歩きし、中身の検証のないままに「賛成」、「反対」の議論がなされています。

しかし、「民間でできることは民間で」というのであれば、官業を民営化するのでなく、国が事業から手を引くという選択肢もあるはずです。

国鉄の場合と異なり、郵便局がやってきた事業には、民間で宅配便・メール便があり、銀行や保険会社があるのですから、国が事業をやめてもさほどの混乱はないでしょう。

勿論、郵便局で働く人のことを考えなければなりません。雇用を守ることが問題です。そのことを考えるならば、事業の縮小を計画的に行うことになります。

現在の職員の方々に迷惑を掛けることなく、事業から撤退することは可能です。

極論だと言われるかもしれません。しかし、現在郵政公社が頑張りすぎて民業を圧迫しつつある現状を見ると、民営化して頑張られても迷惑な場合があることが分かります。

私は、郵政民営化に反対です。国や自治体がやるべきことは何かを真剣に考え、官業のあり方を考えるべきであって、株式会社にすればそれでいいというものではありません。

郵便局(郵政公社)の職員の公務員としての身分剥奪だけを目的とする民政化にどんな意味があるのか、考え直すべきです。公務員の身分を剥奪してリストラしてやれ、というのは残酷な発想です。

官業のまま漸次撤退するという方法もあるのです。郵便事業をユニバーサルサービスとして残しつつ地方に重点をシフトし、過疎地・島嶼部では民間業者から郵便物の集配委託を受け付けるという手もあるでしょう。

貯金は限度額を1000万円から徐々に下げていけば、民間に資金が流れるでしょう。簡保も同様です。

郵政公社は「有能な経営者」が頑張りすぎています。無駄に頑張らない方が良いのではないでしょうか。


[2004/11/03]  家族のコメント

イラクで殺害された香田証生さんの家族は10月31日、「支えていただきました多くの方々に大変なご心労をおかけしましたことを心からおわび申し上げますとともに、お礼と感謝の気持ちでいっぱいです。このようになりましたが、イラクの人たちに1日も早く平和が訪れますようにお祈りいたしております」とのコメントを出しています。

勿論、立派なコメントです。こういうコメントを出せば、非難はされないでしょう。

しかし、息子を殺されたうえに、これほどまでの配慮が求められる日本の社会に嫌気が差します。

人質になった直後から、相当数の嫌がらせがあったようです。人を糾弾し、裁ける、「検事」や「裁判官」が我が国では急増しているようです。

ある意味で、イラクの犯人より卑劣な奴が横行する国に成り下がってしまいました。

それを、「世間様」と崇(あが)めなければならないのでしょうか。


[2004/11/02]  「より悪い政権」論

一部政党で、民主党が政権を取ると自民党より悪い政権になるとの教育がなされています。(だから、自民党政権下で党の独自性をだすのだという論法になります)

しかし、この議論はこの国の最大の矛盾に目をつむるものです。

政官業癒着の構造が国全体を雁字搦めにしている事実をどう見るのか。政権交代の決断ができない国民のままでこの国の民主主義が成熟することになるのかどうか・・

そういう議論はともかく、自民党が野党に転落して2〜3年経つと、権力が接着剤であるこの党は解体消滅することになります。

その後で、政策の違いによる政界の再編成を行うことにすればいいのです。そのときに、それぞれの政党の独自性を発揮していただきたいと思います。

「より悪い政権論」は、政党のリーダーが自己の人生を否定されたくないための我が儘(ないしは保身の論理)だと思います。次の世代のリーダーに党の矛盾を押しつけ、自分の人生は一貫していたと言いたいだけの議論。

若い人に気の毒な話です。


[2004/11/01]  青年の死

イラクで24才の青年、香田証生さんが惨殺されました。

青年の落ち度を批判する意見もあるでしょう。しかし、落ち度のあるのが若者。

人生100年時代。30才でやっと大人の仲間入りというところではないでしょうか。

沢木耕太郎著「深夜特急」に憧れて1人旅をしたのかな、とも思います。

危険があることに快感すら感じる人がいたからこそ、人類の様々な発見があったのだと思います。

無謀ではありましたが、この青年の感覚が分からなくはありません。

「いや、分からん。分かりたくない。」という貴方。もう、年なんだよ。

合掌。


玉井彰の一言 2004年11月 四国の星ホーム前月翌月