玉井彰の一言 2005年5月 四国の星ホーム前月翌月

[2005/05/31]  自民党の公募

(ニュース)
衆院群馬2区選出で自民党県連会長の笹川尭氏(69)は28日、後援会の役員総会で、次期衆院選に群馬2区から出馬せず、比例代表(北関東ブロック)に転出する意向を伝えました。

民主党が県議・石関貴史氏(33)の擁立を決めたのに対抗し、自民も世代交代を促して「若手後継者を育成」するということです。

比例転出について笹川氏は「年配の議員が比例、若手は選挙区で戦うのがベスト。余力を残して比例に回れば、若手を育成できる」と説明。自民比例候補の「定年」が適用される73歳前の「早期決断」を強調しました。後継者選考では「世襲はしない。参院、他選挙区からのくら替えもない」とするなど、公募制導入を視野に新たな人材の発掘を進める考えを示しました。

(コメント)
政権維持のためにはどんなことでもできるのが自民党です。笹川氏の決断により、若手を公募して民主党の若手と選挙区で戦わせる方式が広がってくる可能性があります。

公募候補対公募候補という図式が各地で見られそうです。パフォーマンスだけを見ると、どちらが民主党の候補か分からないということにもなります。4月の統一補選で、宮城2区ではそういう光景が見られました。

民主党的な選挙手法の取り入れ。政策的には小泉政権流の改革つまみ食いの似非改革路線(擬態戦術)。さらに、安倍晋三型・ピリピリ保守の右バネ路線(国家主義的パフォーマンスで国民の欲求不満を解消する手法)。様々な高等戦術が駆使されてくるでしょう。

結局は政策の勝負になります。5月28日の「一言」で紹介した大前研一氏の警告を真摯に受け止めることは当然必要です(大前氏に「錯覚」があることは、「一言」で述べた通りですが)。

ローカルマニフェストにより、地域発展の道筋を示す大胆な提言も必要だと思います。昨日の「一言」は、そういう観点からのものです。


[2005/05/30]  新・天下三分の計

(ニュース)
総務省は27日開かれた政府の地方制度調査会(諸井虔会長)の専門小委員会で、都道府県をブロック単位に再編成する道州制の検討材料として、地方整備局など国の地方出先機関の管轄区域などに沿って全国を8−12区域(団体)に分ける5種類の区域案を提示しました。同省が道州の具体的な区域案を示したのは初めてです。

区域案は、地方出先機関の管轄区域のほか、都道府県の分割は原則行わないとの方針で作成されました。最も大きくくくったのが、北海道、東北、関東甲信越、中部、近畿、中国・四国、九州、沖縄の八つに分割する案です。

(コメント)
道州制が県のリストラをカムフラージュするものであってはなりません。国の権限をどこまで 道州に移譲するかがポイントです。中央集権から地方主権への流れが明確に示されない案では、地方の発展はありません。現在の中央官庁からそのような案が出る可能性はないと思います。

さて、四国はどうなるのでしょうか。人口410万人。地理的なまとまり具合と、これからの人口減少を考えると、四国で産業政策を実施することには無理があるように思います。しかし、中・四国州(1180万人)では、四国が「半島」になってしまいます。

中国・四国・九州の「西日本ブロック」=「西国(さいごく)」(2650万人)を構想し、東アジア、さらにはユーラシア大陸に向けて経済を解放し、政治がそれを支えていく戦略が必要であると考えます。

孫の代に、「東京?それは何処にある町だ?」と言えるくらいにならなければ、地方から富を生み出す仕組みをつくることはできません。

魏(九州)・呉(中国)・蜀(四国)の鼎立構造が安定感を有し、四国にとっては恩恵が大きいと思います。

新・天下三分の計。


[2005/05/29]  現在進行形の太平洋戦争

(ニュース)
フィリピンに出征した旧日本兵らでつくる「曙光会」の近藤敏郎さん(83)によると、昨年12月20日にフィリピンから帰国した厚生労働省の遺骨収集団から、ミンダナオ島のキバウエ東方で中内続喜(つづき)さん(85)=高知県明治村(現・越知町)出身=ら3人が生存しているとの連絡が入ったということです。

近藤さんは「3人は現地のモロ族という部族に保護されているらしい。同島には旧日本兵の生存者が57人おり、半数が帰国を希望していると聞いた」などと話しました。

(コメント)
横井庄一さん、小野田寛郎さんが帰還したときも、日本中がびっくりしました。あれから、31年。まだ、日本兵がいたのか。

この話、この先どうなるか不透明ではありますが、太平洋戦争は現在進行形であったということです。

中国・韓国の「反日」運動に対して、何時まで蒸し返すのだと苛立っている国民も多いでしょう。しかし、日中戦争・太平洋戦争は、歴史の彼方のできごとではないのです。


[2005/05/28]  大前研一氏の「錯覚」

小学館の雑誌「SAPIO」6月8日号で、大前研一氏(「最強のビジネスマン」講座)が民主党を批判しています。

曰く。民主党の躍進は有権者の錯覚にすぎない。自民党の政策が「提供者の論理」「中央集権による大きな政府」「規制導入」を柱とするのに対し、民主党が「生活者の論理」「地方分権による小さな政府」「規制緩和」を柱とした政策で対立軸をつくれば分かりやすくなる。

しかし、民主党は自治労を支持基盤とする旧社会党左派が勢力を持っており、自治労が小さな政府に反対する。自治労を含む連合に頼っているため、党内で小さな政府に関する政策論議ができない。自治労・旧社会党左派と決別すべきだ。

中国・韓国との関係で、「戦前回帰型か否か」という対立軸が形成可能なのに、党内でイデオロギーに関する議論ができない。

民主党は自民党のマイナーリーグでしかない。小選挙区制になり、自民党1位グループが自民党に、自民党2位グループが民主党に来ている。民主党が政権を取りたければ、解党的出直しを行い、政策とイデオロギーでの内部矛盾をなくし、「生活者の論理」「道州制」「規制緩和」の政策を具体化し、自民党との対立軸を明確化して、国民の7割を占める都市型無党派層のサイレント・マジョリティーを代表する政党にならなければならない。

民主党の躍進は、「二大政党の時代になった」という国民の錯覚によるものである。半年以内に従来の状況から脱皮できなければ、次期総選挙は自民党に惨敗する。

(コメント)
日本を代表する論客・大前研一氏。彼の分析力は図抜けており、160キロ・剛速球を投げる剛腕投手を思わせるものがあります。ビジネスの世界では、彼の分析に従うことで成功が半ば約束されることになるのであろうと思われます。

しかし、政治の世界に進出した大前氏は、惨敗します。彼が出馬した都知事選挙で当選していたら、東京都も日本も大きく変わったと思います。しかし、当選したのは青島幸男氏。都民は大前氏の構想や政策を理解しませんでした。

青島幸男、石原慎太郎、石原慎太郎。錯覚続きの都知事選挙。有権者は錯覚するものであり、3〜4年に1度の選挙では錯覚し続けるものでもあります。大前氏の想定する有権者は実在しないのです。もし大前氏の言う通りの行動を有権者が取るのであれば、「大前研一敗戦記」を書いて撤退する必要もなかったでしょうし、都知事選挙に2度目の出馬をしていれば当選したはずです。

衆議院議員選挙は政党を選ぶ選挙であり、政権選択の選挙です。候補者は総理大臣を選ぶ「選挙人」としての意義を有します。しかし、現実にはそうはなりません。個別選挙区の総和が衆議院であり、個別事情の集積が選挙の結果を左右します。政党内部の整理整頓も、個別候補者を一刀両断に斬り捨てることができなければ事実上不可能です。

自民党政権は、カメレオン的な保護色を身にまとい、国民の錯覚を利用して延命してきました。小泉政権の「構造改革」も国民の錯覚を利用した似非(えせ)改革です。「道州制」も「県の合併」をカムフラージュするために自民党に利用されるでしょう。

小泉政権による「改革つまみ食い」の擬態戦術に4年間騙され続けた国民は、まだ騙されたがっています。「あなただけはと信じつつ恋に溺れてしまったの・・・」「どうせわたしを騙すなら、騙しつづけて欲しかった・・・」という唄もありましたが。

政治とは錯覚であり、政治の一部は詐術です。騙し方の上手い政治家は絶賛されることすらあります。

最大多数の勢力に支持されるはずの政策を提供すれば勝利するというのは、残念ながら大前氏の錯覚です。彼自身が実験済みのテーマではないでしょうか。

巨視的には正しいテーマが個別選挙では多数を形成できないという現実には、正直なところ嫌気が差すこともあります。個々の有権者が、供給者でありつつ生活者であり、大きい政府に安心感を持つ都市住民であったり、純然たる生活者でありつつ政府を支持する宗教団体の信者であったりする生の現実を組合せるジグソーパズルを完成させた者が政治の世界で勝ち残るのでしょう。

民主党においても、大前氏の示す道筋を理解しつつ、現実というパズルを完成させなければならないのだと思います。


[2005/05/27]  「若手」は若手に負けるのか(2)

自民党と民主党とで政策に違いがないのだとすれば、若さをアピールした新鮮な候補が勝つ可能性が高くなります。従来の「若手」は売り物がなくなり、新旧交代という図式になります。

しかし、自民党政治の延長線上に未来がないということが明らかになれば、有権者の選択の基準は、「若さ」ではなく「政策」になってきます。

政策が勝負ということになると、自民党は55年体制下で実行したように、民主党の政策を丸飲みする路線を採用することを考えるはずです。

ところが、自民党が自民党であろうとするかぎり、中央集権のシステムの中で、霞ヶ関の官僚と結託した政治を精算する自由はありません。

この本質を覆い隠したままで「民主党スタイル」を演ずることには、所詮無理があります。若いのに「直球主体」ではない不自然さが見え隠れしてくることで、有権者に見抜かれてしまいます。「若いのにどうしたんだ・・・」

問題となるのは、民主党の「若手」が改憲論に踏み込み、勇ましい見解を主張し始めた場合です。改憲論が前面に出ることで、自民党との違いは見えにくくなります。

私は、民主党にとって改憲論は鬼門だと思っています。「正論」を主張したつもりが、自民党の若手に足下をすくわれることになります。そのとき「何故だ?」と言っても、遅い。

まず、政権交代。政権交代により国民が主権者として振る舞うことが可能になった後で、憲法論議をすべきだと思います。

なお、100年前の今日。「天気晴朗なけれども波高し。」


[2005/05/26]  「若手」は若手に負けるのか(1)

今週号の週刊朝日に、民主党の若手がオヤジ化し、自民党の公募組・若手に負ける可能性があるということを指摘する記事が出ていました。

確かに民主党の若手は、自民党のオヤジを食って勝ち上がってきました。そのようなパターンが繰り返される可能性は、一般論としてありうると思います。

面白いのは、若手の政治家志望者が、政党の枠組みにそれほどこだわらず、「政治家=国会議員」という職業それ自体に憧れ、就職先の1つとして志望しているということです。

主義主張は後からくっついてくるのであり、何のために政治という苦しい道を選ぶのかが不明確なまま、どの政党でもいいから政治家になれればいいという割り切った発想があるようです。

そういう形で政治家になった場合、即ち、「若さ」を売りにして「政治家」になった場合は、政治家としての耐用年数は自ずと短くなります。「使い捨て」ということにもなります。そのことを予見する者は、政治家として何をやるでもなく、自己保全のために(政治家で居続けるために)活動を続けるということにもなります。

そうならないようにする方法。政治を目指す原点を明確化し(バッジが付くとすぐ忘れます)、年とともに政治家としての存在感と力量を増す為の自己鍛錬が必要となります。

本物の政治家は、「若手」には負けません。


[2005/05/25]  市民電子会議室

(ニュース)
総務省は、ネット上で住民同士が意見交換したり行政に意見を出す「市民電子会議室」や「電子アンケート」を活用して、地域社会や行政への住民の参加を促進しようと、有識者らによる研究会(座長・石井威望東大名誉教授)を設けます。

2002年の民間調査では、ホームページに電子会議室を設けている自治体は全国に約700あります。しかし、ほとんどは利用者がなかったり、無責任な書き込みが横行するなど、十分活用されていません。

研究会は、IT活用のガイドラインや、電子会議室の運営マニュアルを作成。大都市と地方の2カ所で実証実験をします。

また自治体が電子会議室や電子アンケートの結果を施策に生かす場合、議会など既存の機関との関係が問題になるため、これらの仕組みを行政運営の中でどう位置付けるかなども検討します。

(コメント)
住民参加の一形式としての市民電子会議室の構想は、21世紀型自治のあり方として、研究に値します。

しかし、ネット上の議論の匿名性、無責任性は、責任ある市民の言動とは本質的な部分で異なります。

顔の見える関係としての自治を考えるならば、匿名であることは矛盾します。自治体の構成員として意見を述べる以上、責任の所在を明確化し、言ったことに対する責任を負担してもらう必要もあります。

それを前提として、市民の様々な意見が述べられる場を確保することの意義は大きいと思います。

ただし、交通整理は大変ですし、行政が関わることの問題もあると思います。NPO方式で行うべきではないでしょうか。

なお、このホームページの「伝言板」について。政治家のホームページで、発言者に対して「回答」する形式のものがあまりないことに気付きました(国政を目指している者および現職国会議員の場合)。

「回答」を即座に行うのは大変です。しかも、即座に回答しないと、継続できません。しかし、臨機応変にやり取りができる議員を目指すならば、「回答」を忌避してはいけないと思います。毎日、2〜3までなら回答します。この方針でこれまで通りやっていきます。

お願い。調べなければ答えられないことは御遠慮下さい。くだらない発言は無視します(削除もあり)。


[2005/05/24]  政治家の家族

「プレス民主」1頁目下段のコラム「東西南北」は、国会議員の回り持ちで記事が書かれています。

NO.124(5月20日号)で、衆院議員・篠原孝氏(比例北陸・信越<長野県1区>)が、家族のことを書かれていました。

篠原氏が国会議員になったときに中学生の次男が言ったこと。

○級友に親が国会議員とバレたら登校しない。

○国会質問でも記事になるような目立ったことはするな。

政治家の身を案じた長男が政治面の記事に関心を持ち、新聞を読む時間が大幅に増えたので、そのために成績が下がったと、奥さんからのクレーム。

学歴詐称が問題になったとき、長男、次男が、「お父さん、ワシントン大学の卒業証書はどこにある」と問い、何度も引っ越したのでどこにあるか分からないと答えると、「やっぱり卒業していないんだ」と2人が真っ青になった。

次男が1人でパソコンに向かい、篠原氏のホームページを開いてはカウンターの数を増やしていた。長野1区の人があまりホームページを見ていないという会話を聞いての反応。

(コメント)
政治家の家族は大変だろうなと思います。特に奥さんは。お子さん達も大変な気苦労を背負い込んでいるようです。

政治家が、「オレはオレ。家族は家族。」というスタイルを確立できれば政治がスマートになると思います。政治家本人が背負いきれる範囲で政治をやらせてもらえないと、有為の人材を政治の世界に送り込むことが困難になります。

以前、「猫の手は借りても、嫁の手は借りない」と宣言したら、結構受けました。政治を家業化しないこと。これを目標の1つとしていきたいと考えています。

篠原氏は民主党における農政のエキスパートで、愛媛にも来ていただいたことがあります。再度来ていただいて、民主党の農政について講演をしていただきたいと思っています。特に、農林水作業が主力産業である南予(4区・浜口金也総支部長)で。


[2005/05/23]  「なぜ体を張って反対せぬ」

(ニュース)
22日に大阪市で開かれた全国特定郵便局長会の総会で、「郵政族のドン」と言われた野中広務・元自民党幹事長が、郵政民営化に消極的な総務省幹部を交代させた小泉首相の人事に関連して、「なぜ体を張って反対しなかったのか」と同席していた麻生総務相を痛烈に批判する一幕がありました。

麻生氏が「ポスト小泉」候補のひとりに名前を挙げられていることを念頭に、野中氏が「『解任するなら、おれの首をとれ。首をとらなければ、おれがやめる』と言うのが、将来の日本のリーダーたるべき人だ」と指摘すると、会場からは大きな拍手がわきました。

(コメント)
度胸、気迫、決断力で、自民党「中二階組」は小泉氏の敵ではありません。

頭は悪いが度胸がある。このペテン師に4年間やられ続けた政界も、重大な反省が必要です。


[2005/05/22]  立憲民主制

郵政法案に関し、民主党は審議拒否をしています。

22日のテレビ朝日・サンデープロジェクトで、中川秀直・自民党国会対策委員長が出演し、かなり強気の発言をされていました。小泉政権への高支持率を背景として、「郵政解散」も辞せずとの姿勢でした。

中川氏の発言が、民主主義は多数決主義だということが当然の前提とされている点に懸念を覚えました。

現行憲法における民主主義とは、単純に多数決主義で割り切れるものではありません。基本的人権が保障され、司法府において違憲立法審査権があり、憲法規範に抵触する法律は無効であるとされる現憲法下では、少数者の権利が護られること、少数意見が尊重されること、憲法規範が保障しようとする価値・利益が手続きによって護られていることが、多数決主義の前提とされています。

適正手続きを重視し、少数意見を尊重する。それを前提とした意思決定こそが民主主義の名に値します現行憲法の予定する民主主義とは、立憲民主主義なのです。単純な多数決主義は、「民主独裁」を招く危険性を内包しているということを指摘しておきます。(ナチス・ドイツも民主主義の制度下で成立したのです。)

立憲民主制の否定。これが自民党流の国会運営です。「審議拒否」を日常的に行っているのが自民党です。報道機関の意識が低いため報道されませんが、野党の提案は干され、棚上げされ、国会で議論されないことが多いのです。

与党の審議拒否とのバランスを欠いた「出てこい」コールは、多数のごり押し以外の何者でもありません。


[2005/05/21]  守らない野球

小泉純一郎。この希代のペテン師が主張する「郵政民営化」は、アメリカの対日要求に応え、郵貯・簡保の資金をハゲタカファンドにたたき売る、売国的な施策です。

また、市町村合併、「三位一体改革」に続く、地方斬り捨ての第3弾です。《これに続くのが、県の合併(自民党は「道州制」と言ってます)です。》

百歩譲り、これらの主張を封印したとしても、「民間にできることは民間で」という、彼が念仏のように唱えていた「改革の本旨」にも反するものです。既に飽和状態の金融・保険の分野に官業が「民業」に衣替えして入っていく意味は何なのでしょうか。民業を圧迫する官業の肥大化という意味以上のものがあるとは思えません。

ここが重要なポイントですが、民間企業になるということの本質的な意味は、「倒産の自由」があるということです。民間企業とは、日々倒産の不安に怯えながら、自己改革をして利潤を得ることを目指す組織体です。

今回の郵政民営化は、株主たる国の信用で「会社」が業務の拡大を目指すものであり、倒産のリスクは国が負担し、業務拡大の利益は「会社」に帰属することになります。

プロ野球の新球団・「楽天」は、投打に劣勢であり、苦戦を続けています。これに対し「郵政会社」は、守る苦労のない打つだけの野球を楽しむことが許される野球チームのようです。

「守らなくてもいいからね。打つだけでいいんだよ。」という甘えた巨大企業が民業を圧迫し、民間でできることを国がやることをもって「改革」と強弁することがまかり通ろうとしています。


[2005/05/20]  民主党の政治スクール

(朝日新聞より)
民主党は政治家を自前で養成する「政治スクール」を9月に開講します。研修は2年間。毎年10人程度採用。月20万円の生活費支給。

選挙応援や議員秘書のインターンなど実地研修をたっぷり積み、「成績優秀」なら公認候補への道が開けるシステム。「高学歴だが足腰が弱い」といわれる民主党の弱点克服を狙います。

研修生は定期的に党本部で公選法や政治論などを受講。日頃は主に現場。議員の選挙区で秘書インターンとして街頭演説や支持者まわりを学んだり、連合や産別労組での政治活動を研修したりします。春と秋の衆参統一補選の応援に入り、冬場は党の基盤の弱い地域で運動します。

党職員の政策作りの手伝い。研修生だけの政治資金パーティーを企画・開催。進級審査会あり。研修態度によっては退学も。

研修生は、公募して筆記と面接で選ぶか、県連で優秀な人を推薦してもらう方式。研修生には生活費だけでなく、地方での滞在費や交通費も月15万円まで支給されます。政治家秘書や党職員の職もあっせんしていきます。成績優秀者は国政選挙だけでなく、地方選挙にも擁立します。

今月中にも党常任幹事会で計画を正式決定。7月ごろ党本部に人材育成局を新設し、運営にあたる予定です。学長は岡田代表、運営責任者の学頭には政治家OBや有識者を起用。できるだけ現役政治家の関与を避け、「党内派閥」をつくるきっかけにしないようにします。

(コメント)
凄いことになってきたものです。自民党もまねをするでしょうから、政党の「予備校化」が加速します。

指摘しておきたいことがあります。若ければいいという昨今の風潮ですが、若いということは人生において多くのリスクを抱えているということでもあります。

確かに、若くして政治の世界に入ることは、その後の「のびしろ」があり、国家を背負う政治家に成長する可能性に満ちているということを意味します。

しかし、長期にわたる政治生活を維持しようとすると、かなりの無理が生じるということもあり得ます。「落選すればただ以下の人」というリスクを若い頃から背負って政治生活を送る人生を想像すると、私だったら嫌だなと思います。

以前この欄で書きましたが、公務員は40歳以上で採用するのがいいと思います。それ以前の人生で、様々な体験をした方が有意義です。

政治家も40歳以上がいいように思います。ただし、地方自治が「民主主義の学校」と言われるように、コミュニティーや市町村、県(or道州)で勉強することには意義があります。

15歳から地方参政権を与え、18歳から地方被選挙権を与える(道州or県の被選挙権は30歳から)。18歳から国政参政権を与え40歳から国政被選挙権を与える。こういう制度も面白いと思います。

若さだけを追求すると、政治家だか歌手だか分からないような使い捨てが進行する危険があります。


[2005/05/19]  内政干渉

小泉首相は衆院予算委員会の集中審議で、民主党・仙谷政調会長の質問に対し、靖国神社参拝について「どのような追悼がいいのか他の国が干渉すべきではない」と述べ、中国、韓国に不快感を示しています。

確かに、靖国参拝問題は国内問題であり、他国からどうこう言われる筋合いのものではありません。

それでは、小泉首相はアメリカの対日要求に対して、「内政干渉に及ぶ要求は御遠慮願いたい」と言ったのかどうか。

アメリカに言われると、イラクにまで自衛隊を派兵している小泉政権。「改革の本丸」郵政民営化も、アメリカの対日要求に盛り込まれている項目を忠実に実行しているだけではないでしょうか。

小泉氏における正義の観念とは何か。「強きを助け、弱きをくじく」なのでしょうか。 


[2005/05/18]  愛媛における高額納税者の減少

年収100億円サラリーマンの出現で、話題をさらった高額納税者の公示。

10億円以上納税の「大長者」が前年の2人から6人に。3億円以上納税が85人から107人に。公示対象者(1000万円以上所得税納税)も、75,640人と4年ぶりに増加傾向ということです。

ところが、愛媛新聞によると、県内高額納税者は492人で、9年連続の減少となっています。四国でも1423人と、公示方法が所得額から納税額に変わった1983年以降の最小を更新しています。ピーク時(1991年の3460人)の4割に落ち込んでいます。

大都市と地方との格差が高額納税者の世界にも表れています。自民党の地方斬り捨て政治の結果ということもできます。

個人レベルの所得格差も問題です。一握りの成功者が巨万の富を得、多くの人がその影で泣いているアメリカ型社会が到来したということでもあります。

「年収300万円時代」(この言葉を普及させた森永卓郎氏によれば、年収300万円というのも楽観的すぎたということです)の到来。


[2005/05/17-2]  松山市民

本日より、生活の拠点を松山市に移します。住民票は既に移転済み。民主党本部からの要請に応えたものです。

一昨年、負けを覚悟で総選挙直前、急遽伊予市から愛媛1区で立候補しました。何故地元・愛媛2区から出ないのか、繰り返し質問されました。

1つは、当時の党内事情。もう1つは、伊予市から出馬すると多くの人に御迷惑をお掛けすることになるということでした。

より大きな視点でとらえると、松山市で民主党が議席を取らないと、愛媛は変われないであろうと思います。

「松山市が、日本政治の203高地」という認識を持っております。

合併後の伊予市長選挙も終わりましたので、これから松山市民として政治活動を本格化させたいと思っています。


[2005/05/17]  安倍氏への拒否率

5月15日(日)のフジテレビ「報道2001」で、安倍晋三・自民党幹事長代理をゲストに迎え、「あなたは、安倍晋三・自民党幹事長代理に将来、総理大臣になってほしいと期待しますか。」というアンケートの結果が報告されていました(首都圏の男女500人への電話アンケート)。

YESが47.2%、NOが 45.2%、 (その他・わからない)が7.6%という結果。

YESが多いのは、マスコミが煽った「成果」です。拒否率が高いのが面白いところです。期待していないだけだという見方もあり得ますが、タカ派的言動への懸念を持つ人が多いことの表れと見た方が自然です。首都圏住民へのアンケートであることを割り引いても、「安倍政権」というのは自民党にとってリスキーな選択になる可能性があるように思います。

小泉氏によるパフォーマンス政治が終わった段階で、国民の深刻な不信感ないしは虚脱感が政治的遺産として残るであろうと予想されます。その情況下で、マスコミの空騒ぎで総理大臣になったとしても、高い支持率は期待できないと思われます。「総理就任・即解散」という挙に打って出ても、投票日まで支持率が持たないでしょう。

「北朝鮮専門総理大臣」に期待している自民党の政治家は、情勢を見誤っていると思います。アメリカも、「こいつは○○だから使える」と読んだ可能性はありますが、別の選択肢も用意しているでしょう。

選挙前にテポドンが発射された場合はどうなるか分かりませんが。


[2005/05/16]  戸別訪問

選挙における戸別訪問は、日本では公職選挙法上違法です。しかし、英国では戸別訪問が選挙運動の最高の手段であるとされています。個々の有権者と候補者との対話が必要であると考えるのです。

毎日新聞のコラム(記者の目、5月10日)に、英国総選挙での自由民主党女性候補に同行取材した記事がありました。

この記事によると、英国の有権者は不意の訪問を嫌がらず、候補者に様々な不満や問題点をぶつけます。候補者はこれに対しきちんと自分の意見を述べます。こうした対話を繰り返していくわけです。取材対象となっている候補者は、選挙期間中(4月5日に解散することが発表されてからの1ヶ月間)に同じ家を2、3度訪問(して毎回会話)する場合もあるそうです(もちろん全部の家ではないでしょうが)。

日本と英国との条件の違い。

戸別訪問を買収・利益誘導の温床と見なし、有権者を信頼しない法制度の日本と、有権者と候補者との対話を重視する英国の選挙に対する見方の違い。

有権者が過剰なプライバシーの意識を持ち、戸別訪問を迷惑がる日本の有権者と、候補者の訪問を契機に意見を言おうとする英国有権者の意識の違い。取り分け、近年日本で流行るセキュリティ機能付きマンションにおける社会との隔絶ぶりには顕著なものがあります。

もう1つ。1つの選挙区での平均有権者数・34万人の日本と7万人の英国との違い。

最後の点をもう少し検討します。1選挙区・3万世帯の英国だと、候補者は戸別訪問により有権者と対話することが物理的に可能です。これが15万世帯に及ぶ我が国では、一部世帯の訪問しかできない計算になります。

おまかせ主義の我が国の政治風土と、主権者意識の発達した英国の政治風土との違いは、戸別訪問に対する法制度、社会の意識、選挙区の大きさの違いにも影響されているものと思われます。

リストラばやりの昨今。議員定数削減が時代の潮流ですが、リストラされているのは有権者の権利なのだという視点もお忘れなく。


[2005/05/15]  降格人事

ネタは良くないのに、「コイズミ郵政ドラマ」のハチャメチャ劇で自民党が視聴率を稼いでいます。

郵政民営化に非協力的だと判断した総務省の松井浩総務審議官と清水英雄郵政行政局長を郵政行政担当から外し、事実上降格する人事を内定した小泉政権。

首相官邸が中央省庁の局長クラスの人事に介入するのは極めて異例であり(それ自体は民主党政権でもやっていい話ですが)、自民党内の反発を招いています。

これがまた、支持率を上昇させる要因になりそうです。「郵政改革を不退転で行う決意」というパフォーマンスで、中身のない「改革」を演出する手法。

これに対抗するには、分かりやすい反論を展開するとともに、政権交代で何が変わるのかを明確に具体的に説明し続けるしかないと思います。

内容の乏しい「改革」論議。権力闘争だけの政治。パフォーマンスに明け暮れる小泉政権が国民の意識を麻痺させることができるのも、あと僅かの期間です。

馬鹿馬鹿しいドラマを見終わった観客が、もううんざりだと失望することが予想されます(政治不信が小泉政治の唯一の遺産になります)。ここでキチンと本格派のドラマを提供し、政治への期待がもてるように、ストーリー(政策)に磨きを掛けていきたいと思います。

そのストーリーも、地方の実態に即したものが求められています。地方版マニフェストを完成させていきたいと考えています。


[2005/05/14]  読売新聞のおわび

(ニュース)
読売新聞は13日、JR福知山線脱線事故のJR西日本の記者会見の席で、同社大阪本社の記者に不穏当・不適切な発言があり「明らかに記者のモラルを逸脱した」として、社会部長名でおわびを掲載しました。

当該記者は、会見に出席したJR幹部に対し「あんたら、もうええわ、社長を呼んで」などと声を荒げ、感情的発言をしていました。

会見は5月4日から5日未明にかけて、社員がボウリング大会や懇親会に参加していた経緯の説明がテーマでした。会見で罵声を浴びせる記者の姿が、テレビや週刊誌で取り上げられたため、多くの苦情が寄せられていました。

大阪本社社会部長名で出された談話では、「使命感や熱心さのあまりとはいえ、常に心がけるべき冷静さを欠いたと言わざるを得ません。日ごろの指導が生かされなかったことに恥じ入るばかりです。」としています。

週刊新潮5月19日号は、「『記者会見で罵声』を浴びせた『ヒゲの傲慢記者』の社名」として、読売新聞の記者である旨の記事を掲載しました。

(コメント)
記者の罵声については、元気があっていいと思います。問題は、その「元気」を発揮する場面が間違っているということです。打たれ続けている人物に、追い打ちになる罵声を浴びせるのは、「武士の情け」がない話です。

権力に立ち向かっていくときには、蛮勇が必要になります。説明責任を果たせない政治家に罵声を浴びせるくらいの気概がなければ、国民のための政治報道はできません。

権力者の発言に奢りがあり、しかも、誰も異議を申し立てない場面で、勇気ある「罵声」を浴びせて欲しいものです。それなら、拍手喝采。


[2005/05/13]  防犯ボランティア

(ニュース)
防犯パトロールなどの自主防犯活動を行う地域住民・ボランティア団体(防犯ボランティア団体)が、2004年末現在で全国で8079団体(構成員数52万1749人)に上ることが警察庁の調査で分かりました。

町内会・自治会員による団体は4230団体(同27万5289人)。クラブ活動などを中心にした大学生による団体が20団体(同5907人)。

警察庁は今年度、総額2億2500万円をかけて「『地域安全安心ステーション』モデル事業」を進めています。現在、全国100地区で地域の自主防犯活動の核となる団体を選定中で、懐中電灯などのパトロール用品の無償貸与やボランティア保険の加入費用の補助などの支援をします。

(コメント)
警察官ではなく、「保安官」を創らなければならない時代です。NPO保安隊を創設して地域の警護をする。それにボランティアが加わって任務を分担するという図式です。

それらがネットワーク化されて犯罪情報を交換し合い、相互親睦も行っていけばいいと思います。

過疎化していく地域などでは、NPOに予算を割り振り、地域ビジネスの一環として位置付けてもらうということも考えられます。

消防署と消防団の関係に類似する面もありますが、NPO保安隊が警察を監視するという意味合いも持たせればいいと思います。ということは、警察の天下り組織にしないということです。 もちろん、交流は必要であり、情報交換、技術支援もなされるべきです。      1(26)


[2005/05/12]  出納長、収入役

(ニュース)
総務省は、都道府県の会計事務をつかさどる「出納長」と市町村の「収入役」を廃止する方針を固めました。情報技術の進展で会計事務が効率化し、特別なポストを設ける必要性が薄れたと判断したためです。会計事務を副知事や助役が代わりに担うことで、地方行政をスリム化する狙いがあります。

総務省は次期通常国会にも、出納長と収入役の設置を原則義務づけている地方自治法の改正案を提出する方針です。地方自治のあり方を審議している地方制度調査会に諮り、全国知事会など地方団体からも意見聴取を進めます。

出納長と収入役は、公金の保管や支出などを公正に実施するため、首長とは別に設けられています。就任には議会の同意が必要で、任期は4年。政治的な責任を負う特別職です。

(コメント)
地方自治法は地方自治規制法です。地方自治に関する規制を撤廃すべきであるというのが、私の持論です。

地方における行政機構を合理化することには反対ではありません。しかし、それは地方が考えることであり、総務省にその様なことを考えるゆとりがあるのなら、総務省のリストラを進める方が、より合理的です。


[2005/05/11]  「昭和天皇は退位すべきだった」

民主党の菅直人・前代表は、8日のフジテレビ「報道2001」で、日中間の歴史認識問題に関連して、日本自身がやったことを日本人がどう判断するかが問われているにもかかわらず、負ける戦争をやった責任を何一つ問わなかったことが問題であるとの見解を示しました。

そして、明治憲法下で天皇は、基本的には天皇機関説的に動いており、天皇に直接的な政治責任はないが、象徴的には責任があり、一つのけじめを政治的にも象徴的にもつけるべきだったとして、昭和天皇は敗戦時に退位して戦争責任を明確にすべきだったと述べました。

たまたま、この部分だけを聞いていました。後で新聞の見出しになるだろうと思っていたら、案の定取り上げられていました。

南京で何万人、何十万人虐殺したかどうかというような歴史的事実については、資料を厳密に調査して解明すべきです。「あった」「なかった」と過剰に論争しても不毛です。

忘れられているのが、我が国自身の総括です。何故負ける戦争をしたのか。国家というものは、負ける戦争をすることは国民への裏切りです。やるなら勝つ戦争をしなければなりません。この冷酷な命題から逃げるべきではありません。憲法の平和主義とは異なる次元の議論です。私が繰り返し取り上げているテーマです。

負ける戦争をしたことを総括できなければ、同じ間違いを繰り返すことになります。戦争ということではありません。国家としての合理的な意思決定ができないが故の大失敗が繰り返されるということです。

文の官僚機構の暴走を食い止められないが故に起こった経済敗戦を総括することと、武(軍)の官僚機構の暴走による日中戦争、太平洋戦争の敗戦の総括は、並行的(パラレル)に行われるべきです。そういう作業がなおざりにされてきたことを問題視すべきです。

敗軍の将たる昭和天皇に責任あり。経済敗戦の元凶たる霞ヶ関の官僚システムと自民党政権に責任あり。


[2005/05/10]  空気

JR西日本・福知山線での大惨事。脱線の当日にJR西の宴会が挙行され、民主党衆議院議員が同席していたとのニュースが大きく報じられています。

この話は、自分がその場に置かれてどう対応したかと考えると、簡単ではないように思います。「宴会を即時中止すべきである」と断言できる人物が、この国にどれだけいるのでしょうか。

場の空気というものがあります。そこで異を挟むと、「まあ、そう堅いことを言わずに・・」となだめられることが往々にしてあります。その場で瞬時に「反対」することは、場の空気を乱し、「人間的に幅がない」「変わり者」との評価を受けることを覚悟しなければなりません。

宴会を主催した責任者の判断を尊重しながら、招かれた者として行動しなければならないと考えるのが普通の大人です。我が国に、主催者の立場を無視して正義の味方を演ずることが許される文化があるようにも思いません。

大勢の側にいることは安全であり、安心です。私の場合、たった1人自分だけが反対という場面を何度も経験しています。しかしその私でも、今回のような場合に「反対」と言えるのかどうか、自信がありません。

想定外の事象であり、あらかじめ結論を持っておくということができない話です。後知恵で語るのは簡単ですが、こうした場面できちんとした対応ができるためには、相当の修練が必要です。

今回の宴会等の催事は確かに不謹慎な話です。しかし、その場に居合わせて「反対」することが極めて難しいということも分かって上で批判すべき事柄であると思います。

「空気」に負けない主体性を持ち、想定外の事態でも自覚的な行動をしなければならないということを肝に銘じたいと思います。


[2005/05/09]  単純小選挙区制

(ニュース)
5日の英国総選挙で労働党が3連勝を果たしましたが、得票率は35.2%と与党としては第2次大戦後で最低でした。646選挙区(定数13減)の小選挙区で戦われ、労働党が356議席(改選前410)、保守党は197議席(164)、自由民主党は62議席(54)、その他30議席。全野党との議席差は161から67(候補者急死の1選挙区除く645選挙区で確定)。

野党第1党の保守党との得票率の差は3%弱。しかし、議席数では159もの差を付けました。得票率と議席の差の食い違いは、英国が伝統的に採用する単純小選挙区制によるものです。主要3党の得票数は労働党956万票(得票率35.2%)、保守党877万票(同32.3%)、自民598万票(同22.1%)となっています。

単純小選挙区制は、いわゆる「死に票」が大量に出てバランスの取れた民意を反映しにくいとの批判がある一方で、得票率のわずかな差が大幅な議席差に結びつくこともあるため、有権者の政権選択の判断が明確に表れるとして、英国の2大政党制を支える重要な要素となってきました。

今回の選挙では、国論を二分したイラク戦争に、2大政党の労働、保守の双方が賛成したため、主要政党で唯一イラク戦争に反対した自民党は、全国で反戦票を集め、得票率は前回より4%近く伸びました。しかし、議席は前回に比べ思うように増えませんでした。

「英国では、接戦区の票の行方が議席に大きく影響するため、各党とも接戦区だけに力を集中する傾向があり、民主的でない比例代表の制度を組み合わせるべきだ」とする意見もあります。

(コメント)
単純小選挙区制度の下では、完全な「無風区」ができあがり、有権者から見て変化の可能性が奪われた形の選挙区が増えてきます。現職が強い場合、チャレンジすること自体が困難になります。

我が国の衆議院選挙では、比例代表の制度が加味されているため、強い現職がいてもチャレンジして頑張れば比例区で復活当選の可能性が残るので、単純小選挙区よりも選挙区レベルでの変化の可能性が期待できます。

しかし、我が国の比例区は定数が多く(180)、第3の政党がキャスティングボードを握ることになる可能性が単純小選挙区よりも大きくなります。比例区は削減すべきです。とりあえず、100議席でいいのではないでしょうか。その代わり、比例ブロックを拡大し、あるいは全国区とします。

前回の総選挙で民主党が候補者を擁立できなかった選挙区での候補者擁立が進めば、2大政党での政権選択の選挙が実現できます。

その際、各候補者は総理大臣を選ぶ選挙人としての意義を有することになります。これは、アメリカ大統領選挙が直接選挙ではなく、選挙人を選ぶ間接選挙であるのと同じことです。この発想が我が国の有権者に求められます。


[2005/05/08]  政治家のホームページ

与野党を問わず、現職・新人を問わず、ホームページによる情報発信が活発に行われています。ブログ形式のものもどんどん出てきました。

最近、政治家のホームページを更新の新しいものから掲載しているホームページを発見しました。2種類、御紹介します。

http://amezonews.com/
http://a.hatena.ne.jp/dpj/

熱心に更新されている方も多く、刺激になります。私が「毎日更新」を目標とし始めたのが2001年9月。最初は、「伝言板」を使って「一言」を書いていました。更新が楽だったからです。

3年8ヶ月。「三日坊主」と言いますが、二日坊主でさえなかった過去を考えると、我ながら良くやっていると思います。

「エレログ」という政治家のブログを掲載しているホームページ(URL、下記)もあります。簡単に意見を書き込めるので、開設当初面白がって投稿したのですが、「コメント」「トラックバック」への対処方法が分からず、遠ざかっています。

http://www.election.ne.jp/

ホームページを自分で編集できるのが理想です。それができないので、リニューアルを業者さんに頼んだきり、向こうがこちらのパソコンに手を加えてくれる日程を設定できず仕舞いになっています。(2年前は自分である程度やってましたが、わけの分からないことになってしまい、ギブアップして「一言」欄の更新でお茶を濁しています。)


[2005/05/07]  アメリカ詣で

自称・他称「次期総理候補」が、連休中アメリカ詣でに精を出しました。

野党がアメリカとの関係を戦略的に構築するというのなら、それなりに理解可能です。しかし、与党の有力政治家が政府同士の関係を超えて、ことさら個々に競ってアメリカ詣でをするというのは、如何なものでしょうか。

「アメリカ→東京→地方」型の政治をこれまで通り繰り返していいのでしょうか。これからの我が国と地方の発展戦略を真剣に追求していくならば、別の発想があって然るべきです。新時代のリーダーを自認するのなら、アメリカにお墨付きをもらうという発想から脱却する必要があるのではないでしょうか。

安倍晋三氏をマスコミが追いかけていましたが、彼が仮に首相になってもアメリカの「ポチ」にしかなり得ない政治家であることを自ら証明したに過ぎません。「おじいさん以来こうなんだ」という家業伝承者型の政治しか頭の中にない政治家が過剰にもてはやされる光景にうんざりします。

随伴マスコミの見識も疑われます。JR西日本には、被害者感情を背景に正義の刃(やいば)を振りかざすマスコミが、政治の分野では与党政治家の提灯持ちしかできないこととのギャップをどのように考えているのでしょうか。


[2005/05/06]  企業内の常識と社会の常識

JR西日本・福知山線での惨事に際し、JR西日本の職員が事故に遭遇していたにもかかわらず出勤を重視し事故現場で救出活動に参加しなかったということ、それについて上司が勤務の方を重視した指示を行っていたこと、事故当日、他の車掌区の職員がボーリング大会を行い、懇親会を挙行し、3次会まで参加していた者がいた等々。JR西日本への非難の声が高まっています。

企業としてのJR西日本としては、個々の職員が勝手な行動をすることを自制し、企業人としての合理的な行動を取ることが企業全体にとって最大の利益を生むという意味において、独自の企業文化を形成してきたのだろうと思います。

ところが、極限状態の中で、企業文化と社会常識とが決定的に乖離したことにより、JR西日本の企業文化ないしは企業の姿勢に対する社会の非難が沸騰してました。JR西日本の常識は世間の非常識とでも言うべき事態を生じています。

これは、JR西日本だけの問題ではないと思います。我が国の企業の多くは、従業員を企業内の文化に染め上げ、世間の常識とは乖離した企業内文化を確立してきました。

このことで思い出されるのは、20年位前の「豊田商事事件」です。会長の永野という人物が暴漢に殺害されたとき、報道関係者はカメラを回すのみで被害者を助けようとしませんでした。今回の事件で、報道関係者が「正義の代弁者」としてJR西日本の幹部に厳しい言葉を浴びせかけている光景を見て、奇異な印象を受けました。

個人として、あるいは、社会人としての判断に枠がはめられ、後から冷静に考えれば常識はずれだったと思えるような行動をとってしまう心理的なメカニズムを追求すると、オカルト的な宗教にのめり込む心理、ファシズムの体制に奉仕する心理などと共通するものがあるように思われます。  6(23)


[2005/05/05]  子供の数

(ニュース)
総務省によると、ことし4月1日現在、我が国の15歳未満の子どもの人口は1765万人で、去年より15万人減少しました。

総人口に占める子どもの割合は13.8%。過去最低です。子どもの人口は、昭和20年代の第1次ベビーブームと昭和40年代の第2次ベビーブームのころに一時的に増えたものの、その後は減少傾向が続いており、昭和57年以降24年連続で減少したことになります。

昨年10月現在で、人口に占める子どもの割合を都道府県別に見ると、最も高いのは沖縄県で18.6%、最も低いのは東京都で12%でした。

(コメント)
少子化の流れを止める政策は?

子供に金が掛かることが少子化の一因です。子供が「打ち出の小槌」を持って生まれてくるのなら、子だくさんの家庭もでてきます。後進国は、子供が労働力とみなされるから子だくさんなのです。

「打ち出の小槌」とはいかないまでも、乳幼児期の子育て費用と子供の教育費(大学、大学院まで)が無償であれば、子供を産むことへの抵抗の多くはなくなってくるでしょう(教育クーポンという形を想定)。

子供部屋減税、および、子供部屋補助金。そして、子供1人につき1000万円までの貸し越し口座を付与。

婚外子を差別しない制度の確立と、働く女性の環境整備。乳幼児の保育について規制を解除し、商店街の空き店舗活用への助成、子供の祖父母が保育する場合に補助金を支給。

これだけやれば、子供は打ち出の小槌を持って生まれたに等しいことになります。

予算の問題もありますが、少子化問題を解決できれば採算が合ってきます。波及効果の怪しい公共事業よりもはるかに有効な経済政策であると思います。 

夢ある政策を!


[2005/05/04]  自営業者、企業経営者に失業給付を

労働者(公務員を除く)は、雇用保険に加入して、失業時には失業給付を受けることができます。自営業者や企業経営者にはこのような制度はありません。任意の(民間の)失業保険があるという話も寡聞にして知りません。

これからの日本は、起業をしやすくする環境を整え、リスクを取る人を讃えていく社会にしていかなければなりません。

その為には、失敗しても立ち直れる仕組みが必要です。自営業者や企業経営者に雇用保険類似の制度を認め、倒産、廃業時に失業給付を受けられるようにすべきです。

任意の制度として認め、保険の掛け金を課税対象から外します。上限を設定することにし、勤労者と同等レベルの給付を受けられる限度では「失業」時を想定した保険料を支払う権利を認めるべきです。敗者復活のルールが明確であれば、チャレンジする勇気が湧いてくる社会になります。

公務員にも雇用保険加入を認めるべきことは、繰り返し述べている通りです。    5(7)


[2005/05/03]  護憲的改憲を

憲法論争が熱を帯びています。自民、民主が憲法改正の議論を深め、社民、共産が護憲を唱えるという図式です。

私は、現行憲法と実質的に全く同一の憲法を再度制定するための「改正」を行うべきだと思います。日本語として熟していない箇所の訂正と、文言と解釈がずれてしまっていることにほぼ争いのない89条だけの改正にします。

このことの第一の意義は、現行憲法の再確認です。占領下で制定されたということをあげつらう方々に対抗する意味で、現行憲法が国民に支持されているということを確認するのです。58年間我々を護ってくれた現行憲法への御礼という意味も込めたいと思います。

第二の意義として、国民が憲法制定権力を有することの確認です。国民が主権者であり憲法を制定できる存在であることを確認することにより、国民主権を実感できる機会とします。

第三に、憲法改正の予行演習としての意義を持たせます。実際に憲法を改正する場合にどのような問題が生ずるのか、一度試してみて、実質的な改正が行われる場合に混乱がないようにしておくということです。

これまでの護憲論が、国民を憲法規範から遠ざける、過保護の議論であったことを反省すべきです。邪悪な勢力が改憲を仕組んでおり、それから国民を護るのだという意味合いで護憲を叫ぶことは、国民が憲法制定権力を有することを忘却させ、真の主権者として振る舞うことを阻害する議論です。

「青葉マーク」で、一度憲法を改正してみる。これが我が国における真の民主主義の第一歩ではないでしょうか。


[2005/05/02]  コンパクトシティー

<朝日新聞社説、「まちづくり 郊外から街中へ」>
(5月1日の朝日新聞社説は、山形県鶴岡市を例に取り、中心市街地活性化の必要性を説いています。)

(前段略)

クルマ社会の到来で1970年代からバイパス建設が始まったショッピングセンターが建ち、核家族化も手伝って住宅地が郊外へと広がった。古い市街地では住民が3分の1に減った町もある。郊外にニュータウンがつくられ中心市街地が空洞化する「逆都市化」である。

危機感が芽生えるなかで、(鶴岡)市はまちづくりの計画を練り続けてきた。その集大成が4年前につくった「都市計画マスタープラン」だった。

市街地の拡大にブレーキをかけ、公共施設など暮らしに必要な機能を、郊外ではなく中心部に置く。この考えを基本に、あらゆる施策を束ねていく。

その一例が街中にあった市立病院の建て替えだ。広い駐車場が確保できる郊外への移設の要望も強かったが、近くの工場跡地に移した。旧病院跡には国の出先機関の庁舎をまとめることにした。

さらに商店街の空き地などを利用して、市民がお年寄り向けの福祉活動などに使う拠点を整備する。「歩いて暮らせるまちづくり」が合言葉だ。

英国やドイツでは、日本より30年も早く、郊外から撤退し中心地に住民を集める都市再生の作戦が始まった。

郊外に延びた上下水道や道路などのインフラを維持するには費用がかさむ財政負担を抑えながら、住民の高齢化や環境保全といった課題にこたえる。そんな成熟した街が求められている。

それに気づいた日本政府も「コンパクトなまちづくり」を掲げ、法制度の手直しに動き出した。たとえば、90年代後半から一気に広がった大型商業施設についても、建設を抑える方向に政策を転換しつつある。

(中略)

「逆都市化」は地方都市だけではなく、東京のような大都市も直面している難題だ。経済の理屈だけに押し流されず、役所の意のままにもならない。そんな心がけで、住民が「わがこと」として、まちづくりに参加していくことが大切だろう。

(コメント)
都市の郊外への発展は、中心市街地の空洞化を招き、都市の魅力を損なうと共に、全国均一の無個性な景観をもたらしました。

クルマ社会に適合できる人にとっては、便利な社会です(コンビニとスーパーがあれば不自由しない)。しかし、超高齢社会が到来します。現在、後期高齢者(75歳以上の人)が1000万人を超えています。

2000万人を超える日もそう遠くではありません。加えて、クルマに乗れない18歳未満の未成年者のことも考慮しなければなりません。「歩いて暮らせるまちづくり」が是非とも必要です。

財政のことも考えなければなりません。都市の拡大はインフラ整備により都市財政を圧迫します。環境面への配慮も必要です。

コンパクトシティーを目指し、環境負荷を軽減した持続可能な都市の発展を志向すべきです。中心市街地の活性化による都市の魅力づくりと、歩いて暮らせるまちづくりとが都市経営の基軸に据えられなければなりません。

「我がまち」を大切にしたいと考える、住民の主体的参加による「まちづくり」が必要とされます。「地域コミュニティーの核」であり、「まちの顔」となる、中心市街地の意義を行政と住民とが理解して協働することが求められる時代です。


[2005/05/01]  「仙波さんを支える会通信」御紹介

愛媛県警の不正経理について内部告発した現職警察官・仙波敏郎氏を支えようと、「仙波さんを支える会」(代表・東玲治氏)が活動をしています。

そのホームページを御紹介しておきます。インターネットも活用しての活動になるとは聞いていましたが、どうなっているのかなと思い、「仙波敏郎」で検索したところ、簡単に分かりました。(ヤフー、グーグル、インフォシークで確認)

この活動は、是非とも継続していただきたいと願っています。オジャマしない範囲で協力しようと思います。

http://ww7.enjoy.ne.jp/~j.depp.seven/


玉井彰の一言 2005年5月 四国の星ホーム前月翌月