玉井彰の一言 2006年3月 四国の星ホーム前月翌月

[2006/03/31]  遅すぎた決断

前原民主党代表辞任。あまりに遅すぎる決断でした。

自分の王様が詰んでいると分かっている将棋を何時までも指そうとする、往生際の悪さだけが目立ちました。偽メール事件のおかげで、「政権交代」が色あせてしまいました。

しかし、辞任するとそれ以上は叩かない国民性を考えると、人心一新で空気を換えることができるかもしれません。

小沢氏か菅氏を党首として、自民党には語れない未来を国民に提示していくべきです。

前原路線とは、「私たちは自民党と余り違いません。政権交代しても基本政策は変わらないのですから、どうぞ御安心下さい。」というものです。この路線がさほど支持されなかったところへもって、偽メール事件へのお粗末な対応で、「第2自民党」というイメージになってしまいました。

新執行部でコイズミのインチキ改革に対峙し、違いを明確にする野党として出直していただきたいと思います。 


[2006/03/30]  「地域防衛拠点」と産業振興

地方都市が郊外に拡大し「都市化」すると同時に、金太郎飴的な画一的な様相を呈した近年の動向は、それぞれの地域の歴史や文化を置き去りにする結果をもたらしました。

これに対するアンティテーゼが、各地で実践された「まちづくり」でした。中心市街地とは、これが本来の都市であり、少なくとも近世以降の産業や文化を記憶し物語る装置としての意味を持った存在であり、その地域の個性を体現しています。

私は、中心市街地をグローバル経済とは切り離された、その地域ならではの産業の基盤であると考えます。産業振興の拠点であり地域防衛の拠点である地区を戦略的に育成していくことが、(グローバル経済からの)地域防衛の要諦となります。


[2006/03/29]  グローバル経済と地域

経済がグローバル化し、その中で生きていけるDNAを獲得した企業は空前の繁栄を享受しています。

それに対して、地域の中で活動している企業は、グローバルなお金の流れから阻害されています。

(地域における経済循環)+(国からの交付金・補助金)で食いつないできた地方経済は、「三位一体改革」という名の国家的詐欺により、崩壊寸前の様相を呈しています。

この情況下で地域が生き残るには、グローバル経済に対抗する「地域防衛」という意識を持ち、自律的な地域経済を確立しなければなりません。


[2006/03/28]  「地域防衛」と「地域防衛拠点」

従来、「まちづくり」という、ほんわかした多義的な言葉を用いて地域づくりないしは地域振興が語られてきました。

これからは、「地域防衛」という言葉に置き換えるべきだと思います。地方切り捨てが加速します。この流れに対抗して生き残るのだという決意を秘めた言葉が必要です。

中心市街地は、地域防衛拠点。地域を守る要であるとの認識を共有できた所が、生き残り可能な地域です。


[2006/03/27]  合流派

この間の民主党の迷走で、おおよその推測がつきました。民主党のあるグループが裏で自民党の一部と通謀し、憲法改正問題を契機に合流する合意があったということです。もちろん、政治におけるカードの1つです。

偽メール問題で、そのグループが政治的に無能力であることが明確になってしまったために、身動きが取れなくなってしまいました。

民主党内の「合流派」は政治的なポテンシャルを失い、大技を仕掛けることができない状況となりました。「大連立」は大きな動きにはならず、一部グループの脱党騒動というレベルで終わるでしょう。

民主党が合流派を無力化し、自民党との違いを明確にした魅力的な提案ができる新体制をつくることに成功すれば、政権交代は意外と早いだろうと思われます。


[2006/03/15〜03/26]  インターネット接続できず

10分程度の停電でルーターに不具合が生じ、ネット接続ができませんでした。

インターネットが生活の一部になっていたことを痛感。


[2006/03/14]  政令市選出の道府県議

民主党・前原代表が政令市選出の道府県議について、「ほとんど仕事がない。神奈川県議会の半分以上が横浜、川崎から選ばれているのはおかしい」と述べ、時ならぬ論争に発展しているとのニュースがありました。

前原氏は京都府議の経験から、「府立高校、府警、一級河川。私に与えられた仕事は三つだけだった」と述べ、政令市の地域から選出する県議の必要性に疑問を投げかけています。

県(道府県)は何のためにあるのか。このことを考えるための素材として、面白い話題です。県は政令市や県都ではない地域のために存在すると理解する方が、その存在が明確になります。

弱い地域のために県がある。地域の防波堤としての役割が県にあるのだと考えれば、安易な道州制論よりも、中小零細自治体にとって、県は有効な枠組みです。

前原氏は県都選出の県議について述べたわけではありませんが、県の存在意義から逆算すると、県都とそれ以外の地域との関係についても、考えてみる必要があります。

さらに、「国は何のためにあるのか」ということから考えて、東京や大都市と地方との関係を考察する必要もあります。


[2006/03/13]  岩国市の住民投票

(産経新聞より)
小泉純一郎首相は十三日昼、米軍岩国基地への空母艦載機の移駐案受け入れをめぐる岩国市の住民投票で反対が賛成を大きく上回ったことについて「基地についてはどこで住民投票をやっても反対でしょう。それが安全保障の難しいところだ」と述べたうえで、米軍再編をめぐり、三月末に日米間で最終合意する方針に「変わりない」との考えを示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。

また、安倍晋三官房長官は同日午前の記者会見で、「事実として受け止めている」としたうえで、「九割が反対だったが、住民投票に否定的な人は投票していない。岩国市は近く合併を控えており、周辺地域には『なぜ今の時期に住民投票をするのか』と疑問を持っている人も多い」と不快感をにじませた。

(コメント)
国家は一人ひとりの国民に奉仕するためにある。国家は自治体や地域に奉仕するためにある。これが基本だと思います。

安全保障は国の仕事だ。自治体や住民は国に従っていればいいのだ・・・   こういう発想の総理大臣や官房長官が国政を担当しているという寒々しい現実。

国民が自治体の主役であり、国の主役です。自治体が集まって国家を形成するのです。国は、住民や自治体の意思を忖度して、政治を行うべきです。

どこに基地を置くか、どこに空母艦載機を受け入れてもらうかは、ねばり強い話し合いによって解決すべきです。

地域や自治体、住民を説得し、納得を得る過程こそが政治の存在意義であり、それを通じて防衛の必要性を確認し合えることこそが、政治家冥利というものではないでしょうか。


[2006/03/12]  過疎地活性化と団塊の世代

(読売新聞より)

2007年に始まる「団塊の世代」の大量退職を過疎地域の活性化に役立てる方策を探ろうと、総務省は15日に「人口減少自治体の活性化に関する研究会」(座長・島田晴雄慶大教授)を発足させる。

研究会は、都市部の定年退職者らが田舎に時折滞在したり、移住したりするには、自治体としてどんな取り組みが有効か、国はどんな支援が可能か、などを検討する。5月下旬をメドに具体策を策定する。

2004年度に総務省が都市住民を対象に行ったアンケート調査では、都市と田舎の両方に滞在拠点を持つ生活スタイルに興味を持つ人は約3割に上っている。同省は、過疎の市町村が工夫次第でこうしたニーズの受け皿になり得ると見ている。

(コメント)

都会にも田舎にも住みたい。これが多くの方々の本音だろうと思います。

時間にゆとりの出てくる団塊の世代の方々が過疎地に拠点を持って生活することで、双方にメリットのある形を追求すべきです。

住民税については、拠点となる地域に配分できる仕組みが必要です。地域での生活や活動が直接的な地域貢献になるだけでなく、自治体の収入面でも貢献できることになります。

この団塊パワーを受け入れる地域に課せられるテーマが、精神風土の開放性です。自民党にあらずんば人にあらずといった古色蒼然たる意識では、都市部住民を受け入れることは難しいのではないでしょうか。

多様な価値観を受け入れる風通しの良さが、地域に求められます。


[2006/03/11]  「99.99%ない」

小泉首相が昨年9月下旬、側近を通じて前原氏に自民・民主両党の 「大連立」を打診し、前原氏が断ったという報道がありました。

これに対し、 「それについては関知していない。連立の可能性は99.99%ない。 我々は選挙によって政権交代を実現したいという考えに全く変わりはない」と前原・民主党代表が否定しましたが、「99.99%ない」ということは「あり得る」ということではないか、との憶測を呼びました。

政治家が「99.99%ない」と言ったときは、「五分五分」と翻訳すべき場合があります。昨今の偽メール問題に対する自民・民主のやり取り、民主党執行部の態度(「自分の美学に反して、党を混乱させないために続投した」との前原発言等)を見ると、水面下で大連立の動きがあるのではないかとの疑念を抱かざるを得ません。

選挙制度上、大連立は事実上困難と考えられる方もいらっしゃるでしょう。しかし、与党側が1小選挙区に複数の候補者を抱え、小選挙区と比例区とを使い分ける方法(コスタリカ方式)を取って乗り切ることが可能です。

そうなると、政治は大政翼賛会状態となり、憲法改正等の大きな動きが出て来ます。この流れを阻止するにはどうすればいいのかということも、我が国の政治を考える上で重要です。

大連立だけなら、小選挙区制度の下でひっくり返ることがあり得ます。大連立→中選挙区という形になると、体制が固定化することになります。小選挙区で大仕事(憲法改悪)、中選挙区で体制の固定化。これをやられると、政治に希望が持てなくなります。


[2006/03/10]  「仕送り先でうな重・・」

(朝日新聞より)

地方の不足財源を補うなどのために国から地方に渡す地方交付税をめぐり、与謝野経済財政相が「仕送り先でうな重だ、と言う方もいる」と地方交付税の見直しの必要性を強調したのを受け、全国知事会長の麻生渡・福岡県知事は8日、同県庁で記者会見し「地方財政はうな重どころか麦飯、欠食児童。国の方が分厚いビフテキを毎日食っている」と反論した。

麻生会長は、地方公務員数が00〜05年度で5.1%減ったのに対し国家公務員数は2.5%減▽地方の一般歳出が95〜04年度で7.8%減ったのに対し国は同11.8%増――などと、地方の行革が国より進んでいる状況を強調。「一部を取り上げ、地方全体が大変ぜいたくをしている印象を与える発言は断固受け入れられない」と批判した。

また、全国市長会長の山出保・金沢市長も同日、「地方蔑視(べっし)だ。国の景気対策につきあった結果、交付税が膨れあがった事実に触れていない」などと反発した。全国町村会長の山本文男・福岡県添田町長も「幼稚な発言。もう少し実態を把握していれば、こんな言葉は出ないはずだ」と話した。

(コメント)

中央政治家・官僚の抜きがたい地方蔑視を表現したのが、与謝野発言です。 

地方財政の悪化は、金沢市長の指摘されるとおり、国の景気対策につきあった結果であることを忘れてはなりません。

中央集権国家において、国の財政発動に呼応して地方が公共投資を行おうとするのは、半ば必然です。今お金を使わずに将来の投資のために貯蓄に廻そうと考えても、国から補助金がもらえないだけであり、バスに乗り遅れるリスクを抱えます。

真の地方自立のためには、国の補助金をなくさなければなりません。地方交付税の議論から入るのは、御門違いです。


[2006/03/09]  視察受け入れの有料化

(朝日新聞より)

横浜市は、他の自治体からの視察や調査への回答を4月から有料化すると8日発表した。視察が集中し対応に忙殺されるケースが出ているためで、独自のノウハウがある25項目が対象。・・・

料金は視察者が1人の場合、1時間半5000円。1人増えるごとに1000円を追加する。調査への回答は1件50項目以内なら3000円で、10項目増えるごとに1000円追加する。

対象の25項目について、昨年4月からこれまで約600件の視察や調査があった。横浜市が進める先進事例が注目を集めるのはうれしいが、受け入れるとなると準備や対応に手間もかかる。

このため、問い合わせの数を抑える一方、財政に少しでも足しになるよう有料化することにした。料金は当該部局の収入になる。・・・

(コメント)

各自治体が知恵を競い合う時代になってきました。有料化は当然です。視察する側も、有料であることにより、緊張感を持って視察し、多くのものを得て帰ってくることにもなります。

行政や議会だけでなく、住民有志が自治体の紹介で視察をするという企画も、有料ならむしろやりやすくなるのではないでしょうか。地方自治を活性化させるには、住民の視察が有効です。

そうなると、横浜市の料金設定では安すぎるということになるかもしれません。もっと高くても、有意義ならニーズがあると思います。

もうひとつの提案。議員等の視察研修については、議員に一定割合で自己負担を求めます。例えば、全視察費用の10%を議員が負担する。こうすれば、無駄に遠くに行こうとする傾向が改まるでしょう。灯台下暗し。近くで学ぶべき事例が多いものです。


[2006/03/08]  国民年金と生活保護の支給額

国民年金(基礎年金)支給額より生活保護支給額の方が多くなる事例を挙げ、不公平だという議論があります。年金の掛け金を真面目に払った者より、未納だった者の方が優遇されるのは納得がいかないということです。

年金の受給は、正面玄関からの権利行使。これに対し生活保護は、資産・収入に関する要件等の諸条件を満たさなければならず、「権利」と言っても、勝手口からのものです。

このように説明したとして、不公平感が残ると言われるでしょう。そこで、生活保護については、公から個人への貸し付けとすべきだと考えます。いずれ(その日が何時来るかは別として)返済すべきものだとするのです。

生活保護の受給が100万世帯に上り、高齢世帯が多くなると見られます。「返済」が事実上不可能であるということを考えると、以上の説明でも納得がいかないとの反論が予想されます。

積極的に公に貸しをつくる。それを金銭評価してカウントするということは考えられないでしょうか。社会貢献(ボランティア)を数量化し、「ボランティア手帳」に記帳して、金銭以外の「納税方法」とするのです。

公に対して「貯金」できる。生活保護を受けても、金銭以外で「返済」できる。この方が発想として明るいと思います。厚生労働省が生活保護の支給額を削減する検討に入ったというニュース。こういう貧相な考えを卒業すべきです。


[2006/03/07]  運の良いコイズミと運の悪いコイズミ

参議院での審議で、民主党が「4点セット」をほとんど取り上げなかったことから、マスコミに元気がないと評価されています。これはいささか気の早い論評ですが、「4点セット」でどれだけ攻め込めるかが国民の関心事です。

手負いの獅子・前原氏には、会期内に自民党を追いつめることしか選択肢はありません。その見通しがないのなら、早期の体制一新しかありません。

「会期内に小泉政権を総辞職に追い込めなかったら、代表を辞任する」というくらいの大見得を切っていただきたいものです。それで討ち死になら仕方がないと思います。時間稼ぎだけはやめていただきたい。

このまま、小泉政権との違いを出せずに代表で居続けるとしたら、「運の悪いコイズミだった」という評価しか残りません。


[2006/03/06]  民主党の底値

衆議院千葉7区の補選で、自民党の候補者公募に200人を超える応募者があったのニュース。これに対し民主党は、予定されていた100余の衆議院選挙区の公募延期を決定。

これだけを見ると、民主党には大逆風が吹いているようですが、「株価」の底は見えてきました。

というのも、「二大政党」というイメージは民主党にとって有利だからです。自民党の支持率が50%を超えることは困難です。常に半数以上の有権者は自民党に批判的です。自民党をやっつけようと思ったら、「死票」になりにくい民主党に入れるのが効果的です。

自民党に対抗できるもう1つの大きな政党というのが国民のニーズであり、これに応えたのが民主党なのです。

そういう経緯からすれば、いかに頼りなくても、この政党の存在そのものが大切であることは、有権者がよく分かっており、所属国会議員もよく理解しています。自民党に救済してもらいたい人以外は、民主党の分裂は選択肢に入らないでしょう。

そう考えてみると、前原代表が「自分の美学に反して、党を混乱させないために続投した」と発言されているのは、理解不能です。今の民主党なら、代表辞任があれば、即座に人心一新が可能です。

代表選前倒し論は、多くの民主党国会議員が前原氏の身の処し方を見守っているということの裏返しです(代表を引きずり降ろしたと言われたくないが、代表辞任は当然である。早く新体制をつくりたい、ということです)


[2006/03/05]  愛媛FC

J2、愛媛FCの開幕戦。4日、県総合運動公園陸上競技場で、横浜FCを1−0で下して白星スタートを切りました。スタンドには約1万1000人の観客。

サッカー選手の一挙手一投足(「投」はあまり必要ないか)への関心より、地域づくりへの影響や経済効果に目が向いてしまう質(たち)なので申し訳ありませんが、スポーツが地域振興の核となることを期待しています。

気になるのは交通の便。パークアンドライド等、様々な対策が考えられているようですが、人が集まる施設は中心市街地に置くということが基本ではないでしょうか。

ぶらりと立ち寄れない施設だけに、継続的な集客を行うためには相当の努力が必要だと思います。

ともあれ、目指せJ


[2006/03/04]  「政権担当能力」

自民党には政権担当能力があるが、野党にはない。これが多くの方々の認識です。これが正しいのかどうか。

その昔、「私にも写せます」というカメラのコマーシャルがありました。その台詞の主、扇千景さんは、国土交通大臣を務め、参院議長。「私でもできますぇ」というのが政治の世界です。かのコイズミチルドレン・杉村太蔵氏でも、経済産業大臣にすれば、今すぐ務まるでしょう。

この自民党型政権担当能力とは、官僚システムの上に乗っかり、官僚の自動操縦で行政を運営する手法です。要は、どんな人でも「政治」ができるやり方です。心優しい官僚の皆さんは、漢字の読めない政治家にはカナを振ってくれます。カタカナが読めなければ、ひらがなを振ってくれます。

小泉氏のように、同じ文句を繰り返すしか能がなく、行政のトップに立つような哲学・見識がない人物でも、5年間総理が務まりました。官僚支配の上で「改革」を連呼し、チャンバラ劇を演じていたのが小泉政治です。この木戸銭がやけに高かったなあと気付いたときには、彼は辞めています。そのときには、違う役者が別の芝居を打っているでしょう。

「これでいいのだ」と、バカボンのパパのように言っていいのなら、どの野党にも政権担当能力があります。村山さんでもなんとかなりました。

問題は、「官僚による統治」から「国民による統治」への転換を目指す場合です。民主党による政権交代とは、これを実現するためのものです。この意味で理解するならば、民主党は未だ政権担当能力を備えるに至っていないことを自ら証明しました。もちろん、自民党にもその意味での政権担当能力はありません。

自民党が政権を担当してきたという事実をとらえて、政権担当能力ありと結論付ける人は、権力者が美しく見える病に侵されています。


[2006/03/03]  巨大な政治的空間が空いた

大きな事件が起こらない限り、しばらく民主党への信頼は戻らないでしょう。今回のメール騒動が深刻なのは、民主党の能力への不信感を招いたことです。

自民党は二世三世の集まりで、権力があるから何とかやってるだけだ。民主党には金も力もないが、頭が良さそうだから応援してやろう・・・

そう思っていた民主党の中心的な支持者が当惑するするような、党の混乱ぶりでした。「自民党は馬鹿だと思っていたが、より馬鹿なのではないか」という不信感を拭い去るのは大変です。

支持者が無党派化するのは避けがたいとして、「左」を振り向くと、「確かな野党」や「護憲」政党が力んでいるだけで、マジョリティーが納得できる政治勢力がありません。

巨大な政治的空間がポカリと空いてしまった情況下で、その政治的なニーズをどう受け止めるのかが問題になります。民主党が持つか持たないかというのは、二義的な問題であると考えます。


[2006/03/02]  そんな偉そうなことが言えるのか

麻原彰晃に心酔したオームの信者。永田議員の謝罪会見を見ての率直な印象です。うまく騙されたものです。

それにしても、自民党の公開質問状と武部幹事長の談話には、あきれてものが言えません。まるで正義の体現者。

被告人席にいた者が、突如として検察官席で御高説を垂れる。詐欺師・ホリエモンとつるんでいた連中が言える言葉ではありません。

もう少し居丈高に責めてもらえると、国民の側から、「そんな偉そうなことが言えるのか」という声が出てくるでしょう。


[2006/03/01]  「軽老精神」の帰結

前原民主党は、若さを売りにし、「定年制」を打ち出すなどして、世代交代を図ろうとしました。しかし今回、「若さ」が裏目に出ました。民主党内の高齢議員には、歴戦の勇士がいます。それらの方々を軽んじてこなかったか。

高齢社会です。定年延長の声が聞こえる昨今、生涯現役のライフスタイルを提唱することが、むしろ必要です。この流れに逆行した民主党。

若さを売りにし、「軽老精神」を発揮した付けを払わされているようでもあります。若さとは、瞬間的なもの。経験に裏打ちされた英知が必要とされる場合もあることを、肝に銘ずべきです。

有権者も高齢化します。時代は、「老」、「熟」をキーワードとした大人の段階に入ります。政治がお子様ランチでは、如何なものでしょうか。


玉井彰の一言 2006年3月 四国の星ホーム前月翌月