玉井彰の一言 2006年4月 四国の星ホーム一言目次前月翌月

2006/4/30(日)  掲示板」開設のお知らせ

閉鎖した「四国の星」HPでは、「伝言板」に様々な書き込みをいただき、私も可能な限り「返信」していました。

旧「伝言板」の「伝統」を引き継いだ「掲示板」を新たに開設しましたので、お知らせします。URLは下記。
http://www2.rocketbbs.com/624/yuttari.html


2006/4/29(土)  「愛党心」、「愛国心」の暴走 

日本共産党が、離党した筆坂元参院議員の著書[「日本共産党」(新潮社刊)]に揺れています。

「ここまで落ちることができるのか」「(党を攻撃しながら草の根の党員の代表を装う)厚かましさは、私の経験にはほとんど前例がない」という不破氏の反論の激しさに、驚きを感じる人もいます。

共産党は、戦前の弾圧の歴史から、組織防衛に取り分け神経を使う政党です。これは仕方のないことです。しかし、これが様々な局面で異様な印象を与えることになります。

組織を離れて党を批判する人物に対して、これほど厳しい反応をする政党は多くありません。少なくとも、自民党や民主党はそれほどの批判はしないでしょう。昨年の総選挙で「刺客」を差し向けた自民党も、人格批判はしていません。

「反共」「反党分子」という、共産党が多用する言葉は定義が曖昧で、無限定に拡張されて用いられています。これらの言葉の激烈さは、裏を返せば共産党の方々の使命感ないしは「愛党心」が過剰であるための副産物であると思います。そうであるが故にやっかいなものです。

教育基本法改正で「愛国心」が議論されていますが、過剰な心情を抱くことは、その反面で感情的な暴走が途方もないものになりかねないということを認識しておく必要があります。

共産党における「愛党心」の暴走は、「愛国心」の暴走の相似形であるということを肝に銘ずべきです。「愛国心」は取り扱い危険物であると申し上げてきおきます。


2006年4月28日(金) 公的ボラバイト 

過疎地の経営はこれから極めて困難になります。従来型行政では住民サービスができなくなったということで、平成の合併が強行されました。住民側も、大きな自治体になりサービスが維持されるのであれば仕方がないと同意しました。

しかしながら、起こりつつある現実は過疎地切り捨てです。高齢化が益々進行する地域では、住民自治云々という言葉が白々しいものになりつつあります。

私は、国ないしは自治体が失業者や求職者を公的ボラバイト(公が賃金を出すボランティア的なアルバイト)として雇用し、地域に居住してもらうべきだと考えます。年間50〜100万円で地域に住み込んでもらいます(完全ボランティアでもいいのですが、これは保留)。

居住は、空き家を提供するか居候。食事も共同炊事。地域からの差し入れ可。こんな具合で地域に住み込み、地域のために奉仕作業を行います。

事務能力のある方なら、「地域事務局」として住民自治を下支えします。ITを駆使するなどすれば、「狭域自治」が実践できます。(自治体職員による「地域事務局」構想については後日)。

100万円×100万人でも予算1兆円。人海戦術型地域振興策。従来型の発想を一度解体して、どうすれば地域が活性化し、埋もれている人材が活用できるか、知恵を絞ってみるべきです。


2006年4月27日  ホリエモンの保釈金は妥当か 

3億円の保釈金でホリエモンが釈放とのニュース。罪証隠滅および逃亡の危険がなければ、被告人の身柄が解放されることは権利と言うべきです。それはそれとして問題にしたいのは、ホリエモンの場合、3億円の保釈金が逃亡を心理的に抑制することになるのかということです。

保釈金の額は、被告人が逃亡したときに大きな痛手となる金額になると言われ、資産家・高額所得者にはそれなりの金額が提示されます。そこで、3億円がホリエモンにとってどういう意味があるのか、考えてみる必要があります。

私は、ほとんど意味のない金額であると思います。これから株主による訴訟など、各方面から損害賠償の訴えが予想されるホリエモンは、早晩破産の運命を免れません。そうだとすると、3億円も自分の金ではなく他人の金だと見限ってしまえば、何のことはない話になります。もっとも、ここまで実質的な判断(予期される民事裁判の行方をも勘案しての判断)をすることは、現行の司法では許されないのでしょう。

抑止力にならない保釈金を積んでの釈放になりますが、まあ、逃げることはないだろうと思います。


2006年4月26日 思考停止の5年間だった

小泉政権の丸5年。一言で言えば、思考停止の5年間でした。

中味がきちんと分析できていない大きな概念を振りかざし、それを連呼する。訳の分からないままに、大衆がそれに追随してしまう。「改革」が連呼され、反論は「抵抗勢力」の一言で片づけられる、大雑把すぎる思考スタイルが社会を覆いました。

それ流れが極まったのが、昨年の郵政解散でした。「郵政民営化、是か非か」、という緻密な分析を真っ向から拒否する問いかけを、マスコミがそのまま受け入れてしまいました。

概念をきちんと整理し、権力側のプロパガンダに対抗する議論を展開すべき報道機関が、逆に政府広報機関と化してしまいました。

この5年間の思想ないしは思考の空白を埋める作業が必要となります。全体主義に寄り切られやすい我が国の体質を変えるために。


2006年4月25日  共謀罪・・「疑わしきは制定せず」でありたい

国際的な組織犯罪を防止し、これと戦うための協力を促進することを目的とする「国際組織犯罪防止条約」が2000年に国連総会で採択され、すでに発効しています。

この条約に加入する条件として、国際組織犯罪対策上、共謀罪などを犯罪化することが必要とされています。我が国の現行法上の罰則には組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀行為を処罰する罪がないので、「組織的な犯罪の共謀罪」を新設する必要があるとされています。

今国会で「共謀罪」が上程され、衆議院で審議入りが決まりましたが、民主党などの野党が対決姿勢を取っています。犯罪処罰の必要性よりも国民の自由が脅かされる危険の方が大きいのではないかとの懸念があるからです。これまで何回も廃案になった、いわく付きの法案が、自公絶対多数の今度こそ、という与党側の執念によって強行される可能性があります。 

犯罪結果が発生した場合に処罰される。または、犯罪結果が発生する現実的危険がある行為(実行行為)が処罰される(未遂罪処罰規定がある場合)。さらに、重大犯罪において未遂の前段階の予備を処罰する。ここまでが、我が国で犯罪とされていました。

それよりも前の段階である「共謀」が処罰されるというのですから、これは相当慎重に考えておく必要があります。処罰の必要性が過剰に意識されると、国民の自由が軽視されることになります。ここのバランスの取り方が大切になってきます。バランスの取り方で大失敗した例が、戦前の悪法、治安維持法でした。この法律で、我が国における言論の自由、国民の自由は根こそぎ奪われてしまいました。

もちろん、「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という態度ではいけません。しかし、処罰の必要性に比して過剰な自由の制約がありはしないかということが意識される必要があります。この判断は極めて微妙であり、「疑わしきは制定せず」(疑問があったら立法を断念する)という態度が必要であると考えます。

審議のあり方も、拙速であってはならず、慎重の上にも慎重な態度が求められます。あらゆる論点がつまびらかにされ、国民の前で議論が尽くされるべきです。その意味で、強引に審議入りした今回の与党の態度は批判されるべきです。

対象となる犯罪主体(団体)の範囲が曖昧ではないか、対象となる犯罪が不必要に多くないか、捜査手段である盗聴が無制限に行われ、結果として監視社会になってしまうのではないか等々、厳密な議論が行われる必要があります。

今回の法案については、処罰の必要性が過剰に語られてはいないかとの疑問があります。もっともっと処罰の範囲を絞り込む努力が必要だと思います。そして、マスコミも「審議拒否」など、表面的な事象を追うのでなく、本質的な議論を正確に報道していただきたいと思います。


2006年4月24日  ポスト小泉

千葉の補選で民主党が勝利したことが、自民党の総裁選に大きく影響しそうです。来年の参院選が両党にとっての正念場となります。ここで勝てる総裁を選びたい自民党ですが、人気の安倍氏でいいのかどうか、難しい判断を迫られます。

千葉補選における自民党の敗因の中で問題になりそうなのが、「改革の継続」でいいのかどうかということです。地方では、小泉さんには早く辞めてもらいたいという声が、とりわけ保守層の中で充満しています。地方の「ニーズ」を読み誤ると、1人区で民主党が大勝ちする可能性が出てきます。

「改革の継続」がポスト小泉のレースを勝ち抜く重要なキーワードのように思われてきました。しかし、「改革」の連呼に飽きてきた有権者がそっぽを向く可能性が出てきました。

小泉の亜流が総理・総裁になることは、自民党崩壊への第一歩になるのではないかとの予感。そういう意味で、私は小泉路線の継承者にポスト小泉を担って欲しいと願っています。

もっとも、狡さでは天下一品の政党だけに、「飛んで火に入る夏の虫」とはいかないのだろうなと思います。


2006/4/23(日)  生き残れ、公務員!

自民党政権のターゲットは、今や公務員です。取り分け地方公務員は、地方住民の所得が低下している中で、怨嗟の対象になりつつあります。

実際は、地方公務員の給与は地域経済を支える柱です。しかし、公務員の給与が高すぎるという批判は、所得減少に悩む中小零細企業に勤める勤労者や自営業者には心地よく響きます。

公務員が公務員の論理で自らを防衛しようとする限り、結果として自らを不利な立場に追いやるということを自覚する必要があります。

それではどうすればいいか。公務員が、「官民峻別の論理」を卒業しなければなりません。自分たちは住民の一員であり、公務を担う24時間型の市民であるとの自覚を持つことが出発点になります。

公務員である所定時間が過ぎれば、最も自覚的な市民になればいいのです。現在の年収が700万円だとします(法定福利費、退職金積立額を加えると800万円を超します)。正当な年収が500万円だと考えて、残り200万円(ないし300万円)分はボランティア労働で地域のために活動して補っていく。ここまでやれば、公務員は地域住民にとってなくてはならない存在、いや、身を挺して守らなければならない存在になります。

また、給料の一定割合を「地域通貨」で受け取り、公務員の給料が地域経済を支える柱であることをアピールします。地域にお金を循環させることにより、地域経済を防衛する必要があります。公務員の給料が目に見える形で地域に循環していけば、公務員は地域住民の味方であることがはっきりします。

「良い会社」に就職したという優越感からの卒業が自らの地位を守ることになるのだということを、声を大にして公務員の皆さんに申し上げておきます。


2006年4月22日 「地方自治の本旨」と平成の合併 

「地方自治の本旨」とは、住民自治と団体自治をその要素とする、と教科書的には叙述されます。それでは、住民自治と団体自治は如何なる関係に立つのでしょうか。

住民自治が民主主義の要請によるものであり、団体自治が自由主義および権力分立の発想に基づくものであることは容易に推測できます。

問題は、その関係です。私は、住民自治を本体と考え、住民自治を実現する手段が(地方公共)団体であると考えます。地方自治とは、地域住民の意思を団体を通して決定するシステムであると定義しておけばいいと思います。

以上を前提として、自治における基礎的団体は、住民と住民とが互いに人間的な関わり合いの持てる範囲の地域に関する事項について意思決定を行うものであって、地域住民の福祉のための施策を遂行する機関であると定義すべきです。

結局、「地方自治の本旨」とは、地域住民の意思が、福祉実現の手段である団体によって実現されるプロセスが保障されることだと考えられます。

平成の合併は、地方公共団体の福祉実現能力を強化することを大義名分として行われたものですが、結果として、自治の本旨・目的である住民意思実現のプロセスを弱体化することにより、主役であるべき地域住民を置き去りにする結果を招くものであって、「地方自治の本旨」に反するものであると考えます。


2006年4月21日 地方自治規制法としての「地方自治法」

私は、地方自治法を「地方自治規制法」だと考えています。

例えば、議員定数。自治体の人口規模により議員定数の上限を定めています。自治体の判断に任せると碌なことをしないから中央が上限を決めてやろうということです。

しかし、こんなことは地方で決めればいいことです。おかしなことを議会がすれば、住民が立ち上がればいいのです。この程度のことも地方では決められないということが、地方自治法の前提になっています。

国が「親」として「子」である地方の立ち居振る舞いに干渉するパターナリズム(父親的干渉主義)に立脚するのが地方自治法です。

地方ないし地域が決めればよいことを事細かに規定することが地方自治への規制だということ。そして、そのことが地方の精神的な自由度を奪い、地方の自立を妨げているといるということが、もっと意識されるべきです。


2006/04/20  あおり運転と「鷹の目」

あおり運転、即ち、車間距離を異常に狭めて前走車を威圧する車がいます。これに対して制裁を求める声が多く、警察庁が本腰を入れる模様です。

愛媛県警でも、県警高速隊がレーザーで車間距離を測定する機器1台を導入し、取り締まりを始めるとの報道がありました。

「ホークアイ」 (鷹の目) と名付けられたこの機器。レーザー距離計と走行状況を撮影するカメラ、違反場所を特定する全地球測位システム(GPS) の機器がセットになっていて、パトカーに積載して使用します。10cm単位で測定。1台が500万円。

違反となる車間距離は法律で定められていませんが、目安として時速100キロで100メートルといわれています。極端に距離が短い場合は道交法違反(車間距離不保持) となり、普通車で反則点1点、反則金6千円を徴収されます。

事案によっては、暴行罪(不法な有形力の行使)、あるいは脅迫罪(生命・身体に対し危害を加える可能性があることを、あおりという動作によって告げる)に問えるのではないかと思います。

こういう場合の犯罪化は結構。「タカ派」歓迎。


2006/04/19  サラリーマン的ライフスタイルからの脱却

商店街の衰退が叫ばれて久しいものがあります。その原因の1つとして、後継者難があります。

後継者難は、商店街衰退の結果のようでもありますが、商店主がサラリーマンのライフスタイルに対抗できる自営業者のライフスタイルを確立できず、子女がサラリーマンやその妻になることを積極的に後押ししたことによってもたらされた面も大きいと思います。

高度成長期以降、大企業の労働力確保のため、マスコミを総動員してサラリーマン的ライフスタイルが国民の脳裏に刷り込まれました。

結果として、商業者であることは標準的な人生とは見なされないこととなり、子供世代に引き継ぐべきライフスタイルではないという考え方が支配したのではないでしょうか。

リストラばやりの昨今、サラリーマン的ライフスタイルを相対化し、様々なライフスタイルを等価値的に眺めて、主役である自分が人生を選択するという、当たり前の感覚を取り戻す契機にしたいものです。


2006/04/18  小さな政府が冷たい政府になる

我が国の公務員数が他の先進諸国に比して少なく、小さな政府を実践している米国よりもさらに小さな政府が既に実現しているということが、少しずつ知られるようになってきました。

そうであるにもかかわらず小泉政権が進めようとしている「小さな政府」とは、現在の小さな政府(大きいとすれば、外郭団体の部分)を、国民へのサービスを切り捨てる冷たい政府にすることになります。

現実の財政状態を勘案して公務員数の削減が避けられないとしても、行うべきは管理部門の削減です。国民に直接サービスを提供する分野の公務員と予算は維持しつつ、管理部門の人員と予算は大胆にカットする必要があります。

これを実現するのが地方主権型社会です。国の補助金を全廃するということは、霞ヶ関の官僚が実質的に失業することを意味します。しかし有能な彼等には明日があります。霞ヶ関の失業と振り替えに、地方政府の権限と人材を充実させる(官僚の方々の再就職を含む)ことで、地方から富を生み出す構造をつくることができます。

官僚達に温かく、国民に冷たい政府をつくろうとするのが、小泉政権の掲げる「小さな政府」であり、偽装改革です。官僚達に、チマチマと補助金の査定をするような詰まらない生活をやめてもらい、もっとやりがいのある人生を提供し、彼等を精神的に解放する。そして、国民に温かく、地方に活力をもたらす真の改革が必要です。


2006/04/17  「横田めぐみさん」以降が問題

北朝鮮による拉致の問題については、当時中学1年生だった横田めぐみさんの拉致が象徴的に取り上げられています。御両親の真剣な活動ぶりが報道されることと相俟って、涙なくしては聞くことができない悲話として、日本国民の心を痛めています。

このところ、めぐみさんの「夫」が韓国人の拉致被害者であるとか、めぐみさんの目撃情報とかが、さかんに報道されるようになってきました。めぐみさんは日本に帰ってくるのではないか。その期待が高まってきました。

その期待とは裏腹に、「横田めぐみさん帰国」の一大政治ショーが演出され、国民が歓喜して思考停止状態に陥ってしまうのではないかとの懸念も出て来ました。

「めぐみさん帰国」が実現するとした場合、裏で北朝鮮との政治的取引が行われる可能性が大です。第1に金銭を含む援助。第2に拉致問題の幕引き。

横田めぐみさん以外の多数の拉致被害者の存在を、決して忘れてはいけないと思います。


2006/04/16  終身雇用・年功序列の見直し

先日小沢一郎氏がテレビで、終身雇用と年功序列を我が国におけるセーフティーネットとしてとらえる発言を行いました。

自由競争の世界で活躍することで自己実現できる人もいるでしょうが、それは一部です。大半の国民は、大勝ちしなくてもいいから、安定した人生を望んでいるのではないでしょうか。

自由競争による社会の活力維持は、トップを目指す人達の切磋琢磨によってなされるべきであるのに、現在行われようとしている「改革」は、競争に馴染まない人達を巻き込み、「負け組」に追いやってしまう暗い側面が顕著に出ています。

キャリア官僚については契約期間を設け、その代わり高給を保障する。官民を問わず、課長補佐(ないしは課長)位までは安定した待遇が保障されるが、それ以上の競争を望む人には能力主義の世界で生きてもらう。その方がより多くの人が幸せになれる社会になるのではないでしょうか。

もちろん、それに伴う格差は甘んじて受け入れていただかなくてはなりません。個人の意欲と能力による格差は積極的に認める。しかし、家柄や家庭環境の違いによる格差はなくなるようにすることが政治の責任です。

「競争」するかしないかを選べる社会。そして、競争のための実質的な機会の平等が保障される社会をつくることで、安定と活力とが共存すると思います。


2006/04/15  「欠席」「審議拒否」の見出しは妥当か

はや小沢流、対決色鮮明 審議拒否戦術、がん法案めぐり攻防
民主党は十二日、衆院厚生労働委員会への出席を終日拒否する“審議拒否戦術”に打って出た。同日は、政府提出の医療制度改革関連法案が審議入りしたが、民主党は議員立法で今国会に提出した「がん対策基本法案」の早期審議入りを主張。与党側がこれを拒否したため、社民党などとともに審議を拒否した。小沢一郎代表の就任早々、与党との対決姿勢を示した形だ。・・・」(産経新聞)

というような見出しや記事を見ると、野党が政府提案に対して「審議拒否戦術」や「欠席戦術」といったレトロなやり方をしているような予断と偏見を与えてしまいます。他紙でも、「欠席」「審議拒否」といった活字が踊っています。

よく読むと分かるのですが、実態は与党の審議拒否なのです。民主党が、がん対策を盛り込んだ法案を提出する。与党は、自分達の案がまとまらないうちに民主党案を審議することが面白くないので、民主党案を棚上げしたまま審議入りする。それはおかしいじゃないかと野党が抵抗するという図式です。

民主党の対応は、議会制の中での「正当防衛」というべきです。敷衍(ふえん)すれば、与党提案の内容が不条理(憲法違反)であったり、議事手続きが不適正(ないしは違法)であるような場合の抵抗戦術は、議会制の中での「抵抗権」ともいうべきものです。

多数決を背景とした与党の横暴に対して抵抗するのは、野党の権利であると同時に、野党の国民に対する義務であると理解すべきです。

ここを取り違えて、平板な多数決民主主義の土俵でしか議論しようとしないのが、現在のマスコミです。結果として、政府広報機関としてしか機能しない状態に陥っています。

日本国憲法下の民主主義は、多数決をもってしても侵すことのできない憲法的価値があることが前提になっています。野党の抵抗権や正当防衛権を揶揄するような表現を用いる言論機関の行為は、民主主義否定にもつながるものです。


2006/04/14  愛国心は自然の感情?

小泉首相が教育基本法改正で問題になっている「愛国心」について、「自然の感情でしょ」とのコメントを発しています。

自然の感情なら、力んで法文に書き込まなくてもいいはずです。そうではないと考えるから、教育基本法を変えようとするわけです。

「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という与党案。これ自体は悪くありませんが、それをテコに国家が教育に介入することが妥当かどうかが問題です。

国旗・国歌法ができたために、東京都では起草者の意図を超えた強制がまかり通る事態となっています。権力の走狗となった教育委員たちが、都知事に迎合する構図。全体主義国家でよくある話です。

国のために死ねる覚悟とは無縁の衆生。自らの立身出世や名誉欲のために、権力者に身を売る東京都教育委員のような輩が愛国心を鼓舞し、真面目な子供を戦場に追いやるのです。

戦前戦中、「生きて虜囚の辱めを受けず」と檄を飛ばしていた連中が生き残り、A級戦犯として裁かれました。東京裁判批判を展開する人達もいます。一部妥当ですが、何故裁判されるときまで彼等は生きてたの、というのが「靖国神社でまた会おう」と死んでいった英霊達の感想ではないでしょうか。

人に愛国心を説く者が最も利己的である。嫌な真実です。


2006/04/13  党勢拡大運動

自民党においても民主党においても、はたまた共産党においても、「党勢拡大運動」という間抜けな年中行事があります。

自民党の場合は権力を持っているので、それなりに基盤固めやキャンペーンとしての意義があるのだろうと思います。

問題は野党の場合。今日の新聞に共産党の元参院議員で昨年離党した筆坂秀世氏が党の内情を暴露した本を出版したという記事があり、その中に以下のことが紹介されていました。

・・・地方議員が「しんぶん赤旗」の販売拡張を迫られ年何十万円を立て替えて「議員を辞めたい」と疲弊しているとの話や、給与の遅配も珍しくない地方職員の話を書き、「党勢拡大運動がやる気を奪い、組織をむしばむ」として、政党交付金を受け、政党名も変えるべきだとしている。・・・(朝日新聞より)

「党勢拡大運動」が虚偽を生み、運動を形骸化させてしまうという現象があります。その時々の政治情勢や当該地域の状況如何によっては、数値目標を掲げて頑張ることで組織が飛躍的拡大を遂げるということもあります。

しかし、特殊情況下での成功体験を年中行事化することは、組織を硬直化させ官僚化させることにつながります。

「皇国の興廃この一戦にあり」のZ旗を掲げて日本海海戦でロシア・バルティック艦隊に完勝した連合艦隊は、その後しばしば「Z旗」を掲げて戦い、滅亡への道を辿りました。


2006/04/12  民主党は何故女性の支持率が低いのか

民主党支持者は男性が多く、女性が少ないと言われています。他党と比較して、顕著な特徴です。

民主党が掲げる「政権交代」のスローガンに問題があると私は考えます。「政権交代? それがどうかした?」、というのが女性の反応ではないでしょうか。

「政権交代」は、男社会での生々しい勝った負けたの話であって、女性が生活の中から感じる疑問に直接答えるものではありません。

子育てに関する具体的な悩みをどう解決するのかというような話から始まって、社会の矛盾を解決する究極の回答として政権交代後の社会が明示されなければ、女性は納得しないのではないでしょうか。

「総論→各論」の男性型発想とは別に、「各論→総論」のスタイルを併用する必要があるのではないかと考えます。

「マドンナ」が選挙に出ればいいという問題ではないと思います。


2006/04/11  手足から頭脳へ

地方は手足である。頭脳は中央=東京である。手足の分際で自由に考えるとロクなことはないから、頭脳=中央が手足=地方を統制する。この論理で地方から権限・財源・人材を取り上げたのが、我が国の中央集権体制です。

地方はものを考えない代わりに、中央は地方に交付税を与え、補助金で中央が目指す政策遂行を助成する。

この仕組みを破壊して地方の自立を促すのが、小泉政権が進めた「三位一体改革」です。結果は、地方交付税がカットされただけであり、官僚機構の生命線である補助金は温存されています。地方は、詐欺に掛かったも同然。

そして人材。この問題がなおざりにされたままで「自立」を言うこと自体が不誠実の極みです。即戦力の人材と長期的視野に立っての人材育成とが必要です。

地方の自立とは、手足から頭脳へのDNA変換です。そのために何を為すべきかが、政治の課題です。


2006/04/10  「場」の形成

知価社会における地方からの富の創出ということを考えて、昨日の「一言」で知価創造原資という言葉を用いました。

富の創出ということからすれば、ITの最先端技術やソフトを考えてしまいがちですが、俳句であれ陶芸であれ絵画であれ、分野を問わない発想が必要だと思います。

人間の精神作用の総和を高めるという観点から、人と人との相互作用による知的化学変化が得られる「場」の形成が必要だと考えます。

それは、歴史的には「大学」に求められた機能ですが、大学が制度として確立されすぎたが故に、融通の利きにくいものになっています。

「産官学」などという巨大組織に奉仕するものではなく、地域に奉仕する教育or学習機関の創設が求められます。

たとえば、教授1人の大学、大学院。かつての私塾のようなものをイメージすればいいと思います。学生はシニアでも結構。教授には特別な資格は設けない。引退した大学教授というのも面白いでしょう。知的レベルの保障のためには、大卒検定というのを実施してもいいでしょう。

事前審査や巨大な資本投下なしに、地域で知価創造原資を高める教育機関を簡便に設置すべきです。

「村の大学」もいいじゃないですか。 


2006/04/09  知価創造原資

現在の地方経済は、崩壊寸前にあります。これが顕在化しないのは、これまでのストックがあるからだと思います。

「景気回復」が喧伝されるなかで、グローバル経済と地域経済とがリンクしないのは、ゼロ金利で家計部門から企業部門に富が移転しているからかもしれません。

私はそれ以上に、「知価社会」における「知価創造原資」である「知力の含有量」の問題であると考えます。都市部における総教育量(総学習量)が、地方における総教育量を圧倒しているのです。そのことによる格差が拡大する可能性があります。

地方ほど教育の問題が大きくのしかかっているのだという現状認識を持つ必要があります。

要するに、地方における人材と教育の問題なのですが、「知価創造原資」という概念を定立したいがために、まわりくどく述べてみました。


2006/04/08  ネームバリュー

(民主党代表選挙における小沢一郎氏の立会演説の後半部分より)<江田五月氏のHPに要旨が掲載されています。>

・・・私自身が戦いの先頭に立ちます。その準備として既に13年前に世に問うた、「日本改造計画」を更に具体化させ、新しい日本の設計図を国民に明示する著書を執筆中であります。その設計図を元に党内論議を更に深め、合意を得た上で民主党の政権構想を高く掲げて、来年の統一地方選挙、参議院選挙を戦い、必勝を期そうと考えております。・・・

・・・最後に、私は今、青年時代に観ました、映画「山猫」のクライマックスの台詞を思い出しております。イタリアの統一革命に身を投じた甥を支援している、名門の侯爵に、ある人が、あなたのような方が何故、革命軍を支援するのかと尋ねました。バート・ランカスターの演ずる老貴族は静かに答えました。変わらずに生き残るためには、変わらなければならない。横文字で言いますと、“We must change to remain the same.”ということだそうですが、確かに人類の歴史上、長期にわたって生き残った国は、例外なく自己改革の努力を続けました。

 そうなのだと思います。より良い明日のために、かけがえのない子どもたちのために、私自身を、そして民主党を改革しなければなりません。まず私自身が変わらなければなりません。そして皆さまに支えていただきながら、民主党を改革し、そして日本を改革しようではありませんか。私はこの戦いに政治生命の全てをつぎ込んで、ひたすら目標に邁進し続けることを皆さまにお約束いたします。皆さまのご理解とご支持をお願いいたします。有り難うございました。(拍手)

(コメント)

新しい民主党への脱皮を期待します。地方で抜群のネームバリュー。小沢民主党への期待感が、切り捨てられつつある地方から湧いてくる展開になれば、政治が面白くなります。

「新・日本改造計画」が待たれます。


2006/04/07  取材不足

テレビ出演する民主党議員の中で、小沢氏とは話したことがないということを得意気に語る人がいます。もう少し恥ずかしそうに言ってくれないと困ります。

どの代表候補に投票するのかは、立合演説会を聴いてからだと言う議員もいます。いかにも公平無私の人のように見えますが、では、その場の雰囲気で決めるのでしょうか。(基準があるとは言うのでしょうが・・・)

これらの方々に対して、馬鹿も休み休み言えと申し上げておきます。

「政権交代」を常にに叫んでいる民主党議員が、誰を党のリーダーに担いで政権を取りに行くべきか、日常的に取材もしていなければ、予めの結論もないというのでは、政治家とは言えないのではないでしょうか。

支持したい人が出馬しないので、どうしようか迷っているというのなら、それは心情として理解できます。しかし、ベストでなければベターは何かということを、様々な問題について考え抜いていくのが政治であるとすれば、自らの党のリーダー選びについて瞬時の決断ができないのは、政治家としての資質に欠けるところありと言わざるを得ません。

それにしても、知名度抜群の党内リーダーを取材していないというのは、取材不足、否、努力不足も甚だしいと思います。それとも、「小沢。俺に挨拶がないぞ。」と言いたいのでしょうか。  (午前10時記載。午後の投票)


2006/04/06  三手の読み

偽メール事件で明らかになったことは、民主党の前執行部に「三手先」を読む力がなかったということでした。

「ホリエモンが武部氏の息子に3000万円渡した証拠がこのメールだ。」

「そのメールは真正なものか?」

「えーと・・・」

という展開。政治家というより、およそ社会人として大丈夫かというレベルです。

今回の党首選びで、生徒会民主主義で行こうとする動きがあります。この方々には三手の読みがあるのでしょうか。

例えば、推薦人20人という要件を問題にする意見。推薦人の要件を緩和すると、どういうことが起こるか。外部からの介入(=買収等々)がやりやすくなるということです。

野党第一党の党首選びは、与党にとって重大関心事です。権力闘争の一場面として、外部の謀略に引っ掛からない配慮が当然のこととして求められます。

選挙をやるにしても、その後の挙党一致が担保されていなかったら、「猿蟹合戦」並みの喧嘩になりかねません。小沢氏が慎重な態度を取り続けたのも、民主党には一手先しか読まない、凄い奴が多いからです。

「総理。どうすれば民主党がまとまれるのかお教え下さい。」などという質問をする議員が出ないことを祈っています。


2006/04/05  「話し合い」が理想

民主党の代表選び。マスコミの「談合」批判に、有力者が振り回され過ぎているように見受けられます。

昨年9月の代表選挙を間近に見た者として、さわやかな印象だったことは申し上げておきます。まるで生徒会長選挙のような立合演説会をやっての選挙。ガチンコ勝負でした。

今回は、生徒会型の選挙を国会議員が勝手にやるべき状況かどうか疑問です。地方組織の意向も踏まえ、国会議員が充分に話し合うべきです。国会議員だけの選挙の実質的正当性についても考えるべきです。

この「話し合い」のやり方に工夫を凝らすべきです。日本のあり方について代表候補を含む有志が公開で討論する機会を設け、それを受けて新しい民主党をつくりあげるためのリーダーを話し合いで選ぶべきです。

生徒会型民主主義だけが民主主義ではありません。 


2006/04/04  怪我の功名

前原路線が、民主党にとっては悪くない形でコケてくれた。こういう見方もできるのではないでしょうか。

前原氏の路線を全否定するつもりはありません。正論というべきものも多々ありました。しかし、自民党コンプレックスがあったのか、「改革競争」の罠にはまり、魅力ある政策を掲げて自民党を圧倒する布陣を敷くことができませんでした。

メール問題がなければどうなったでしょうか。「四点セット」を攻めきれず、かと言って大きな失敗をしたわけではないということで、9月に前原氏が再選されたでしょう。結果、第2自民党的なイメージで参院選を戦わねばならなくなり、選挙は負け。その後で自民党から「大連立」が仕掛けられ、翼賛政治に道を譲ることになったかもしれません。

党の存続が危ぶまれるような情況下で、小沢待望論が出てくる展開。民主党支持率がゼロになってもおかしくないのに、まだ10%以上の支持があります。土砂降りの後に虹が見えてきました。

怪我の功名。代表選びを、政治ショーとして盛り上げていただきたいものです。


2006/04/03  「地域防衛予算」

地方切り捨てが進行する中で、まちづくり=地域防衛、中心市街地=地域防衛拠点、と再定義すべきであることは既に述べたところです(3月28日〜30日の「一言」)。

各自治体への地方交付税が激減しており、これまでの予算は各分野で軒並み減らされることになります。しかし、それではジリ貧です。

地域防衛のための予算、地域防衛拠点づくりのための予算を手厚くする必要があります。地域経済の崩壊を招かないためには、ダブルスタンダードも是認されるべきです。


2006/04/02  小沢一郎が嫌いという「民主党若手」

民主党代表候補として、小沢一郎氏と菅直人氏の名前が取り沙汰されています。小沢氏の名前が出てくると必ず、「民主党若手の反発・警戒感」が取り上げられます。

これは自民党筋と気脈を通じた意図的なキャンペーンであると思います。自民党の政治家が唯一コンプレックスを持つ民主党政治家が小沢氏であるとことから、マスコミを使ったネガティブキャンペーンが行われるのですが、これに軽々しく乗っかってしまうのは残念です。

民主党が地方で政治資金パーティーを開催するとした場合、小沢氏に来てもらうと相当の集客が見込めます。次が菅氏だろうと予想します。小沢氏を担いでおれば、保守系の方からの違和感がなくなります。

この小沢氏を民主党所属議員が活用しようと思わないというのは信じられません。「若手」と言われる人達に自信がないのか、それとも自民党への憧れがあるのか分かりませんが、小沢氏を担いで勝負を懸ける決断力がなければ、無気力な万年野党になってしまいます。

私の意見は、菅代表・小沢幹事長です。都市部に強い菅氏、地方で期待感がある小沢氏。このコンビが実現すれば、来年の参院選は面白くなります。菅氏が多くの民主党支持者が持つ民主党のイメージに最も近い政治家であることは否定できません。

代表、幹事長は逆でもいいと思うのですが、「若手脱党」(=いずれ野垂れ死に)というシナリオが見え隠れするのが煩わしいところです。


2006/04/01  世代交代是非論の愚

前原民主党の挫折が「若さ」によるものであり、その反省から後任は経験あるベテランをという意見が出ています。

この意見は厳密には不正確であると思います。年齢なり経験というのは個人的なものであり、年齢が若くても思考が硬直している者もいるし、高齢であっても柔軟な発想を持っている人物がいます。

戦国時代の雄・毛利元就が中国地方の覇者となったのは、人生五十年(平均寿命はもっと下)と言われた当時、六十才。北条早雲が相模全域を統一したのが八十半ば。これに対して、明治維新の立役者は二、三十代。

要するに、年齢ではなく能力。「若さ」を強調する政治家に馬鹿が多いのも事実です。自分がいずれ年を取るということへの想像力が欠如しており、現在只今しか見ていないということを自ら表明しているのですから。自分が若さを発揮できる10年、20年で結果を出して引退するというのなら、敬意を表しますが。


玉井彰の一言 2006年4月 四国の星ホーム一言目次前月翌月