読者のぶりぶり通信〔MAIL&FORMDECORD篇〕【No.033】

◆ 私が中学生のときは - まさこ大学生 BACK

1998/05/10/01:01
国語の授業を受けていて、何で、こんな小説の主人公の気持ちを4行に1時間もかけたりしてやるんだろう。読めば判るのに。小説とかって、読んで自分で考えて、それで良いんじゃあないかな、と思っていました。

山田詠美を授業で取り上げるのは、先生は自由な考え方をしていて、それを実行に移す勇気ある人間だ、という自己満足をもたらすにすぎないのではと、不安です。何故なら、山田詠美の小説は、ごく個人的な部分を刺激するために、大人数で扱うには適さないと思うからです。

クラス全員の前で将来の夢を本気で語ることに、気恥ずかしさを感じるのと同じで、私が生徒なら、先生が授業をしている時に、ふーん先生ってこういう人なのか、と教師の性格やこれまでの人生なんかを想像する位で、自分の感じたことは、外に表さないと思います。

一部をプリントして配って、それで良いのではないでしょうか。
山田詠美さんの文章、少し読んだだけで、十分良さが伝わると思うんですよね。



★ たまぶり ★

まさこ大学生さん、はじめまして。感想をご投稿いただき有り難うございました。
詠美の小説が持つ作品(あるいは教材)としての力は認めつつも、私自身は詠美ファンではないので(ファンの皆さんには叱られそうですが…)、別に彼女の「文章」の「良さ」を伝えたいなんてことは考えていません。(授業の結果の一つとして、生徒たちが彼女の作品の「良さ」を感じ取るのは、もちろん自由ですけどね。)それに、我が高校の読書嫌い・国語嫌いの生徒たち45人を集めた高3の選択講座で取り上げてみた後はじめて「彼女の作品は読書嫌いの子をも惹きつける力を持っている」と気づいたくらいですから、私の中には彼女の作品を取り上げることがカッコいいことだという認識は今でもないのです。強いて言えば、詠美作品がウケたから、といった程度の理由ですかねえ。

まあ、そんなことで「先生は自由な考え方をしていて、それを実行に移す勇気ある人間だ」なんて瑣末な自己顕示欲を生徒たちの前で満たしても仕方がないと私も思っています。

では、「山田詠美さんの文章」の「良さ」を伝えることではなく、国語教室で私がやりたいことは何なのか。長くなりますので詳細は「清水義範『トンネル』の授業」あたりをお読みいただけると有り難いのですが、ここでは簡単に述べておきますね。

私は読むことや表現することが好きです。勤務校で1年間図書館係もやりましたが、入試を経て我が校(私立の男子高校です)に入ってくる生徒たちの多くは読書の習慣を身につけていません。漫画週刊誌の定期購読も「読書」の範疇に入れれば、その数は大幅に違ってきますが…。つまり、多くの生徒たちが読む楽しさ自体を知らないんです。「一部をプリントして配って」もゴミ箱に直行が関の山です。(実際のところ、赴任当初はテキストとして使っているプリントでさえ、授業後はゴミ箱あるいは床に散乱してました。)

それでも、めちゃくちゃ荒れている高校というわけでもなかったので、「静かにしろ!」と一喝すれば教室はとりあえず何分間かは静かになります。しかし、目の死んだ生徒たち45人の前で、私は彼らの心に届かない言葉を50分間しゃべり続け、板書し続ける…これが週に15〜18時間あるわけです。そして、これを繰り返すことが彼らをますます読む楽しさから遠ざけることになっているとしたら、どうですか? 自分が好きでやっている営みなのに、そのことで生徒たちの国語嫌いがどんどん増幅されていくとすれば、国語の授業なんてないほうがマシですよね。そして、そんなことに時間を費やすのは馬鹿馬鹿しいと私は思いました。

あえて「自己満足」という言葉を使うとすれば、私は虚しい時間を過ごしたくないという自分の欲求を満たそうとしていたということになるでしょうか。あるいは、教育的ではないと揶揄されそうですが、みんなで読んだら面白かったねえ…という「自己満足」を得たということだと思います。

私が所謂「正解」にあたる言葉を語ってしまわないためには、生徒たちの感覚から遊離していない作品、しかも教材として手垢のついていない作品が必要でした。(となると、やはり現代作家の作品ということになりますが…。)そういった意味で、鎌田敏夫・清水義範・鷺沢萠などもたまたま選んだに過ぎません。

小説に仕掛けられたカラクリを読み解く楽しさ(例えば、「鎌田敏夫『会いたい』を読む」をご覧ください。これ自体は学外での公開授業の記録ですが、そこに盛り込んだ読解の作業はすべて我が生徒たちとの共同作業の結果なのです)や意見を表明する楽しさに一旦気づくと、あとは教科書教材であれ、教室の雰囲気は随分と違ってきます。まさこ大学生さんが感じたような国語教室の雰囲気には、我が生徒たちだってずっと辟易してきていたことだけは間違いありません。

人は誰しも自身の経験を基準にしてしか考えられないものですし、私の視点でまとめた授業記録は、当然ながら私の主観に彩られていることでしょう。詠美作品は「大人数で扱うには適さないと思う」というまさこ大学生さんの意見もご自身の感覚や経験の中から発せられたものですから、それはそれとして妥当なわけです。ただ、私の経験から言えば、「大人数で扱うこともできる」場合もあるということです。

これまた長いのでこのホームページにはアップしていませんが、私の著書『《読み》のたちあがる場をめざして』の中に「風葬の教室」の授業についてまとめた章があります。どこかの図書館か書店ででもご覧いただけると幸いです。高1の2クラスの生徒たちの感想を(部分的なものも含めて)すべて網羅する形で掲載しています。詠美作品の教室での反響を窺い知ることは出来ると思います。



◆ 【No.033-2】たまぶりさんへ - まさこ大学生
1998/05/12/20:29

書き込みが気になって、再度訪れました。教室で、真摯に取り組んでいる方を前に、随分と失礼な書き込みをしたと、恥ずかしく思います。

清水義範「トンネル」の授業を読んで、教室で行おうとしていることが、よく判りました。と同時に、私に欠けているものが、浮き彫りにされたように思います。現在、就職活動をしていますが、あなたの生徒になったつもりで、最後の文章をよく読もうと思います。私も、投げやりな自分から抜け出そうと必死なのです。

軽い気持ちで書き込みをした結果、こうして、自分を振り返ることになろうとは思いませんでした。不愉快な書き込みにも、きちんと応えて下さって、ありがとうございます。



★ たまぶり ★

まさこ大学生さん、「失礼」とか「不愉快」だなんて感じてはいないですよ。あなたの投稿の内容は、改めて読み返してみても、真剣な問いかけとして受けとめ得ると思います。

あなたも我が生徒たちと共通する世代的な感覚と時代状況の中で生きておられるわけで、まあ、自分の思いを率直にぶつけてみることでしか、次が見えてこない場合もあるだろうし、若いからとか、女だからとかいうことで壁に阻まれる場合もあるだろうし…。

まずは就職活動、頑張って下さい。とはいっても、肩肘張って頑張る必要もないとは思いますが……。最早モーレツ企業戦士として生きる時代でもないですからねえ。
等身大の自分を生かせる舞台が見つかるといいですね。



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