教育のツボ


教育雑感//98/04/20≫
視点2――身近な他者との葛藤体験/生徒Aの事例から

 1997年3月1日、3年間持ち上がった生徒たちの卒業を見送った。ただし、1人だけ同じ日に母校を巣立つことのできない生徒がいた。私のクラスの生徒A(高3・男子)である。彼は無期限の卒業延期処分を受けたのだが、それには次のような経緯があった。

 遅刻の多かった彼は1週間の追加登校を課された。のみならず、学年末考査で3教科が赤点であったため、同期間中に実施される追試を受験しなければならなかった。ところが、追加登校3日目(2月15日)を終えた時点で、彼は友人たちとスキー旅行に出かけてしまう。2月19日実施の追試(日本史と英語R)を受験すべく前夜帰途についたものの、事故による高速道路の渋滞に巻き込まれ、追試時刻に間に合わなかった。かくて、追試2教科を未受験の上,翌20日実施の追試(宗教)は再び赤点であった。

 遊びを理由とする「前代未聞の追加登校さぼり」(教務主任)に加え、これまた「前代未聞の追試さぼり」(同)という事態に、判定会議では原級留置の声も出た(Aの件に関しては1時間に及ぶ審議となった)が、結局のところ、問題行動も処分歴もない生徒であったことから、担任からの厳重注意と無期限の卒業延期、卒業日決定までの担任による登校指導が課されることとなる。

 追試の終了した2月21日以降(日祝日と卒業式の日を除き)、Aは8時半に登校して午前中は図書室で自習、自習後に自省日記を記入、昼食をとりながら担任との対話、帰宅後は午後を自由に過ごし(大抵は家業を手伝っている)、就寝前に自省日記を書くという取り組みを(彼の卒業式となる3月29日の前日まで)毎日続けた。しかしながら、登校指導の初期の段階では、次のような“事件”も持ち上がっている(それぞれの当該日の自省日記の記述を括弧内に示した)。

  1. 卒業文集作りのため登校したクラスメイトたちと飲食禁止の図書室で大声で談笑しつつ菓子を食べているところを、高2の証明写真撮影準備に来合わせた教頭に発見される。
    《2月24日(月) 1限目にポッキーを食べてしまった。ついいつもの様に友達がいると何でものってしまう。この性格を卒業までに直す。もうこんなつらい思いはしたくないから。》

  2. 再追試の範囲を担当教員のもとに確認に行ったついでに、職員室内で若い講師と大声で談笑している姿を、偶然通りかかった教務主任に見とがめられる。
    《2月28日(金) 反省しているからといって笑ってはいけないと思わない。きのう職員室で僕は悪い事をしたとは思っていない。声の大きさで反省しているかどうかを決められたら気分が悪い。》

 Aは快活で機転のきく反面、やや軽率で気が弱く周囲に流されやすい傾向も持っている。だから、これらの“事件”はAの(ある意味で)他意のない素直な性向を浮き彫りにするものではあったものの、そこに共通しているのは彼の中で(自身に反省を迫る)他者の視線が意識化されていないということである。それは、反省を迫られている自身の立場を(他者の目で)捉え返せないということでもあり、つまるところ、自分を捉えきれていないということにもなるだろう。

 スキー旅行の件について、個別的な聞き取りの中で、彼は次のように語っている(ただし、[4項]は他の生徒から今回の聞き取りの前段階で得た情報でもあった)。

  1. スキーには、バイト先の先輩(専門学校生・大学生)たちと出かけた。当初もっと早い時期を予定していたものの、先輩の都合が悪くなり、今回の日時に延期された(Aの追試後や 卒業式後まで延ばすと、帰省する者もあり、全員が揃うことができない)。また、宿泊先としてAの父親所有の別荘を利用することになっていたので、彼は同行する必要があった。

  2. 1月20日の昼休み、校内巡視指導中の教員にクラスメイト4名が中学部校舎裏での喫煙で補導されたが、Aは教員を振り切って逃走する。(他の生徒たちもAの名を出さなかったため)結局、Aは捕まらず、ひとり処分を免れた。

  3. 追加登校期間中、クラスメイトMが自分の入学する専門学校の新入生歓迎行事への参加を許可され、そのために欠席した日数分については期間終了後に追加登校するという代替措置の取られたことを聞いた(大学受験のため欠席した生徒たちも同様であった)。

  4. 心配する両親や先輩には大丈夫だと告げた。2月15日出発当日、やはり心配になって制止する両親の目を盗んで出かけていった。

 旅行メンバーが年長者ばかりであったため(3項)、遠慮してはっきり言えなかった面も(ひょっとすると)あったかも知れない。とはいえ、すべてはスキーに行きたいという当人の思いに都合のよいよう理解されている。5項の代替措置は学期中であれば公欠扱いとなる事由に対するものであったが、(Aにとっては「抜けた分は後で補えばいい」という軽いノリで)単純な数量化の問題にすりかわっている。また、4項が「見つからなければ構わない」という考えの“補強材”として作用した点を彼は認めている。Aの中で、おのれの欲求を容認しうる他者のみが選択されているさまは、6項の制止する両親の目を逃れて3項の所謂“先輩の都合”が重視され、4項においても喫煙を認め合う仲間と寄り添って教員の指導からは逃れていることや、5項でも追加登校の意義を力説した学年主任の言葉よりクラスメイトMのそれに寄りかかっていることなどに見てとれるだろう。

 先に述べた他者の視線の意識化の欠如は、換言すれば、俗に言う“心の中での天使と悪魔の葛藤”が存在しないということでもある。すなわち、「自我のなかで対話しているはずの自己と他者(自分ともうひとりの自分)とが、その境界線があいまいなまま癒着している、ベタベタに未分化な状態にある」(庄井良信「思春期相談のアンソロジー――春を呼ぶ青年教師たちへ」『学びのファンタジア――「臨床教育学」の新しい地平へ』渓水社、1995年)のみならず、ひいては外なる他者とも同じように癒着的な関係ばかりが選び取られていく。

 しかし、無期限の卒業延期(つまり、いつ卒業できるかは担任にも両親にも本人にもわからない)ゆえに、登校指導の中盤にあたる頃、本人のみならず(理解者・協力者であるはずの)両親や恋人(短大生)も苛立ちを隠せなくなり、やがてAと彼らとの間に軋みが生じてくる。その頃の自省日記には、他の生徒たちの卒業を機に「自分だけが取り残された気がする。」、「やはり自分だけ取り残されている。」といった記述が散見されるし、「親とけんかして、このまま学校続けていけるか、わからなくなった。」、「親に何か言われたらすぐにうっとしいなと思ったりおこったりする。」、「学校へ来て、何をしてもチェックされ、家に帰っても自分のやる事に反対される。今、本当につらい。」、「今日、彼女と電話でけんか。」、「最近、彼女とうまくいってない気がする。僕はまだ卒業できずに学校へ行って、会ったとしてもすぐに家に帰ってしまう。彼女も、学校の事とか友達の事バイトの事とかでいろいろとなやみがある。それを僕が上手に相談にのってあげられない。だからこの関係がくずれてくるのだと思う。」、「結果的には、またつき会うことになったけど、こんな時に別れ話をされるのはかなりつらい。」などと綴られている(このことは、昼食時の私との対話の話題にもなってきていた)。

 それは、いわばAが「自分だけ取り残され」、他の同級生たちと“同じもの”になれなかったことで生じたものである。この身近な他者(両親や恋人)との間の軋み─―葛藤を経て、自省日記の記述も少しずつ変わってくる。

  1. 3月16日(日) 今日はいつもとちがった感じで勉強できた。彼女に勉強のやり方を教えてもらった。いつも僕は彼女に教えられることばかりだ。僕には彼女に教えてあげられる事は何もないけど、もし何かで彼女がこまっていたらすこしでも彼女の役にたちたい。

  2. 3月17日(月) 今日は特進科の生徒たちが来ていてやけにうるさかった。約1ヶ月前、僕もここでポッキーを食べながらさわいでいたのだと思う。自分ではうるさいと気づいていなくても他人から見たらメチャ迷惑やと気づいた。何事も自分の事だけを考えずに他の人の立場になって行動していかなあかんと実感した。

  3. 3月22日(土) 自分を見つめ直してみると、親に何か言われたらうっとしいと感じてすぐにおこってしまうのは、本当なら学校へ行かなくてもよいのに、なんで自分だけ学校へ行って勉強して帰ってくるのやろと思っていたからだと思う。こんなすぐに腹を立ててもそっと見守っていてくれている親に感謝したい。

  4. 3月28日(金) 最後に、スキーの件やポッキーの件については、目先の事しか考えずに後の事は何も考えずに行動して、失敗するという自分の性格がよくわかった。(中略)このノートは今日で最後やけど、これから日記を書きたいと思う。このノートは自分の宝物として大切に持っておきたい。

 ここには、葛藤相手としての他者の捉え返し(引用7・9)と、自身の対象化(引用8・10)がなされているさまを看取しうるだろう。

 祇園祭の終わった頃、Aから久しぶりに、例の元気な声で電話があった。日記はいまでも続けているということである。



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