ことばのお祭り
教育のツボ
サポーターたちの「君が代」
 前回に引き続き、今回も歌の歌詞についてである。
 
 フランスで開催されている1998年ワールドカップ。昨夜は日本の初戦だったが、日本代表チームはなかなかの健闘だったようだ。(1998年6月14日;対アルゼンチン1−0)
 
 私自身は後半が始まったところで銭湯に出かけたのだが、いつもは混んでいる時間帯だというのにガラガラで、私が小1時間ほどいた間の最高人数は、なんと4人だった。
 
 翌日のニュースで、サポーターたちが「君が代」を大合唱している姿を見た。なんだか少し妙な気がした。とはいえ、ここでサポーターたちの必死な姿を腐したいわけではないし、教育現場で問題とされているような国歌談義(あるいは国旗談義)をぶち上げてやろうというのでは毛頭ない。
 
 強豪と言われるアルゼンチン代表を相手に健闘する日本代表チーム。怒号にも似た喚声とともに熱狂的な応援を続けるサポーターたち…。「頑張れ、ニッポン」は現地に結集した者のみならず、おそらくこの夜の多くの日本人の思いであったろう。そして、一丸となったサポーターたちによってスタンドで合唱される応援歌。「君が代」の大合唱はそうした一連の場面の中の1つでしかなかったわけだ。
 
 「君が代は千代に八千代にさざれ石の…」。「君が代」の「が」は所有格だから「君の代」であり、現代語訳すると「大君の御代」ということである。
 
 上述したごとく、日本代表チームの健闘とサポーター(あるいは日本中)のいわば民衆的盛り上がりの中で「大君の御代」を称(たた)える歌詞が大合唱されているという状況のある種の不協和のようなものを感じたのであった。
 
 私自身、武道系の体育会に所属していたから、大会などにおける「君が代」には随分馴れてはいるものの、民衆的な盛り上がりの中で唱和しうる歌詞バージョンがあってもいいのではないだろうか。
 
 まあ、こんな程度のことを書いたくらいで、右だの左だのと言われることはないだろうが、状況と歌詞内容といったレヴェルで雑感を記してみただけのことである。これまた阿呆なオジンの戯言(たわごと)に過ぎないことは言うまでもあるまい。皇道派の諸君、どうか軽く読み流してくれ給え。
執筆日時:
1998/06/15

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