ことばのお祭り
教育のツボ
オートバイ乗りは、いまや「バイカー」なのか?
 「バイカー」!?
 
 例のごとくFM大阪をかけっぱなしで机に向かっていると、私とほぼ同世代のDJが大型バイクに乗っていて転んでケガをしたという話題になっていた。そこで彼が何度も何度も自称として繰り返していたのがこの言葉である。
 
 サーフィンするのがサーファーで、ボードするのがボーダーだから、バイク乗るのはバイカーということなのだろう。私の前の職場の同僚の数学教師が、冗句として、ハンドボール部員をハンドボーラー、バスケットボール部員をバスケットボーラーと呼んでいた類(たぐい)だな、こりゃ。
 
 しかしながら、30歳過ぎて仕事上の必要から普通免許を取るまでずっと中型二輪免許しか持たずバイク乗りを通してきた私にとって、「バイカー」ってのは全くしっくり来ない単語だ。しかも、自身も自動二輪に乗っているという人物の言葉だから余計にダサイと感じてしまったのだが……。
 
 まあ、だとすれば、私たちの子供時代の某少年誌の連載漫画は『750バイカー』で、あの変身ブームを巻き起こした、悪の秘密結社ショッカー(←この用例もそうなのか?)と戦うバイクに乗ったヒーローは『仮面バイカー』なわけか。うーむ、やっぱりダサイような気がする。
 
 英語の動詞に「-er」や「-or」等の接尾語を付けて名詞化する場合があるというのは、私たちが既に中学校で学んだところだが、何にでも適用してしまうのはやはり違うのではないだろうか。さらに言えば英語の法則的な部分を形骸ばかり真似して、結果的にはその言語の特性に対する無知・無理解をさらけ出しているだけのような気がする。
 
 あんまり突き詰めてしまうと、上記2作品の標題も『750単車乗り』あるいは『仮面単車乗り』にすべきだ、という議論に行き着いてしまいそうだが、考えてみると、カタカナ語であればかっこいいという感覚がいまだに私たちの中に根強いことだけは確かなようだ。
 
 『デビルマン』はさしずめ『悪魔男』か? 『トリプルファイター』は『三闘士』、『ミラーマン』は『鏡男』、『ウルトラセブン』は『超七』、『タイガーセブン』は『虎七』(江戸落語の登場人物みたいだな、こいつら)、『ファイヤーマン』ってのは『消防士』ではないか!(これらが変身ヒーローの名前であるところが笑える。)しかし、『ジャンボーグA』や『バロム1』や『電人ザボーガー』、あるいは『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』はどう邦訳したらいいのだろう? 「機械」だから『人造人間キカイダー』、ロボットの「兄弟」だから『宇宙鉄人キョーダイン』というのは日本語の遊びとして別の意味で笑える気もする。
 
 ここでさらに、試みにいまの日本のロックバンド名や国産車名をすべて日本語になおしてみたらどうだろう。あまりにもダサ過ぎないか。私たちがかっこいいと感じていても、その言語を母国語として使っている人が聞いたら「なんやねん、それ!」と言われてしまいそうなものはけっこう多い。
 
 私が文学研究科の大学院生だった頃、アジアからの留学生(とりわけ中国・韓国からの留学生)の数がずいぶん多かった。中国ではアメリカ映画のタイトルでも漢字化してしまうが、韓国では多くは原題で上映されていたようである。留学生たちとアメリカ映画の話をしていた時に、その題名が異なっていることでずいぶん弱ったことがあった。
 
 原題の「the」を外しているだけというのはまだいい。
 
 例えば、『The Goonies』が『グーニーズ』、『The Poseidon Adventure』が『ポセイドン・アドベンチャー』、『Monty Python Live at the Hollywood Bowl』が『モンティ・パイソン・ライブ・アット・ハリウッド・ボウル』、『The Darkside of the Moon』が『ダークサイド・オブ・ムーン』など。日本語に冠詞を付ける習慣がないので仕方があるまいと笑って許そう。
 
 とはいえ、一方で『Year of the Dragon』→『イヤー・オブ・・ドラゴン』、『Conan the Barbarian』→『コナン・・グレート』と、「the」の付いたものも共存するという混迷ぶりではあるが……。(なぜ「バーバリアン」を「グレート」に変更できるのかは謎だ。)だが、英語の題を別の英語の題に置き換えるという類(たぐい)になると、「おいおい、ちょっと待たんかい!」という気がしてくる。
 
 『Indiana Jones』が『インディ・ジョーンズ』に、『Big Guns』が『ビッグ・ガン』になっているぐらいなら、あるいはカワイイ(?)ものだが(アホをさらしているという点では変わらぬが)、『The Wheels of Fire』が『ファイヤー・マックス』、『The Don Is Dead』が『ザ・ファミリー』、『The Osterman Weekend』が『バイオレント・サタデー』、『Cracker Jack』が『ハードジャッカー』、『Terminal Choice』が『ホスピタル・インフェルノ』となると、よっぽどのヒット作でないかぎり、複数の国の友人同士でその映画の話題を共有することは難しくなるだろう。
 
 ただし、こんなふうに書いてはきたが、邦訳の中にもふるったもの、しぶいと感じさせるものがあることについて、私は決して否定するものではない。(笑えるものや首をかしげてしまうもののほうが多いのかも知れないが…。)また、興業・宣伝上、観客にわかりやすい邦題を付けることがあることも知ってはいるが、それにしても著作物でもあるはずの作品の題名を勝手に変えてしまっていいのだろうか。英語から英語へという作業は翻訳というレベルではないわけだし、著作権の問題は生じてこないのだろうか。まあ、日本にある関連会社(いわば自社の日本支店)でやってるから問題はないわけか。
 
 邦画でも映画化に際して小説などの原作とは違う題名を付けることはある。だが、仮に『リング』という原作の題名をそのまま付けた映画が仕上がった場合を考えてみよう。映画のクレジットには『リング』と表示されるにもかかわらず、『連環死の恐怖』といった題名で宣伝して売り出すようなものだ。あるいは『らせん』という標題で仕上がった作品を宣伝・公開の段階で『連環死の恐怖2』、『パラサイト・イヴ』を『バイオレント・イヴ』などと改題するようなものである。こんなことは許されまい。
 
 最後に、もう売っていないかも知れないが、私がペン立て代わりに使っているMJBの《MIDNIGHT SHOT》というコーヒー豆の500グラム缶にこんなことが書かれている。
 何を言いたいのか理解された方はどうかお教え願いたい。《ミッドナイトゲームは/アクティブに/そしてしなやかに……/トレンディなライフシーンをサポートするMIDNIGHT SHOT/ツーショットで/イメージフィルムを……/Produced by MJB》
まろやかな酸味とほどよいコク/Basic Blend
執筆日時:
1998/08/04

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