紆余曲折ひとり言

 思いつくままの戯言集です。

 雰囲気が変わりました?01/09/24)

 減量宣言?01/07/28)

 本日、絶不調2001/5/13)

 選手権大会に学ぶ (2001/4/1)

 初心に還る! (2000/12/10)

 ありきたり訪中報告2000/11/03)

 「感じて動く」体術講習会に参加して2000/10/9)

 H・Mさん自作の剣2000/8/8)

 陳式2路に決めました2000/7/16)

 アドバイスに感謝2000/6/03)

 剣の作製について2000/4/2)

 J.T氏のこと (2000/1/1)

 腹式呼吸について  (1999/10/24)

 簡化二十四式太極拳について (1999/10/3)

 呼吸について1999/7/24)

 訪中団に参加して1999/6/29)

 套路について1999/6/23)

              

 

套路について

 一般的には太極拳は套路によって学ぶ。では、套路とは何かということで、中国語の辞典で「套」という漢字を調べると「まねる」とある。同じく「路」は「方法」とある。ここからも、套路とは太極拳について学ぶ術(すべ)であることが分る。

 太極拳を学ぶ者の大半は套路から太極拳の型や動きを学ぶ。ある程度の情熱を注ぐことによって、ある程度までは進むことは出来るが、大きな壁を感じるようになる。そして、少し勘違いをして、気功や導引等の気のエキスに興味を持つようになる。出来れば、エキスとしての気を太極拳の世界に持ち込もうとする。そこに無理が生じる要素が潜んでいる。

 太極拳の気と気功等の気とは同質でもあり、異質でもある。気功等で学んだ気を持ちこんだ太極拳は、気とそれを支え育てる身体との調和を欠き、真の太極拳とは「似て非なるもの」となる。

 では、真の太極拳を学ぶには、ということであるが、「透明な力」という本の中で、佐川幸義氏は見えないところに本当に大事なものがあると言われています。ここから考えると、見える套路から型、動きを学び、この積み重ねの中から隠れて見えない気を求めることこそが、一見遠回りに見えても、本当は近回りではないか。

 気功するもよし。ヨガをするもよし。そこから学ぶべきものは沢山ある。でも、求める太極拳の本質を見失うことなく、熟度にあわせた課題や目標を持ち、套路を積み重ねることが何よりも大切である。套路は太極拳を学ぶものにとって、最高の教科書であると思う。

              

 

訪中団に参加して

 今月、第8次阪神太極拳愛好会研修訪中団の一員として天津市を訪れ、主に陳式太極剣を学んできました。指導して下さったのは、ここ7年程お世話になっている御年66歳の明桐林老師で、58の動作からなる古い剣の套路(明老師が若い時に学んだもの)で、勁の流れ、発勁、用法などを中心に詳しく教えてもらい、満足、満足の研修でした。

 でも、最も感激もし、驚いたのは明老師が見せてくれた陳式太極拳の表演の中での放鬆で、言葉では伝えきれない程見事な放鬆の極致で、我々のレベルのように、まず放鬆ありきではなく、動作そのものが放鬆そのものであり、放鬆そのものが力であるというような、放鬆と力が無意識に同化し、常に身体の中に無意識に置かれているということを、まさしく見せてもらったことです。

 放鬆について、長々と尤もらしい説明、指導する人は多く見かけたが、言葉の中だけで分ったような分らないような動作を見せる人がほとんどで、本当の意味での説得力には程遠いものを感じていたので、地味で見栄えのしない套路であるかもしれないが、明老師の指先に至るまでの身体全体の動きには心が揺さぶられる感さえありました。どうも、うまく言葉では表現出来ないので、興味のある人は、是非天津に行き、明老師に会うことをお薦めします。

             

 

呼吸について

 普通、呼吸をするという点に関して言うならば、特別な技術や能力を必要としない。生きている限り、誰でも無意識の状態で問題なく呼吸を行っている。

 しかし、太極拳をしていると武術呼吸、逆腹式呼吸などといった言葉をよく耳にすることがある。これについては、いずれの時期かにバーチャル道場にて取り上げる予定で、今ここでは教科書的に「初心者は自然呼吸で太極拳を行う。」程度に止め、呼吸についての雑感を以下で述べたいと思います。

 この6月から機会があり、再び108式太極拳の練習をしているところですが、約10年程前に指導を受けたケ洪藻老師に最初に言われたことは、呼吸のことでした。それも老師にしては珍しいぐらい繰り返しぶりで、それは「呼」と「吸」を意識し、「吸」(xi)「呼」(hu)のリズムで呼吸に合わせ(動作にあわせ)、しっかりと運用するということで、誤解を恐れず表現するなら、「吸」のときに身体全体を伸びやかに緩め、空気とともに力を蓄え、「呼」のときに用法に応じて勁力を発するということでした。

 即ち、呼吸と動作は不可分一体の関係であるということで、これは特に才能、素養のある人は別にして、文化教室的な学び方では、体得するのは難しいのではと常に感じています。

(天津大学校内)

 少し話はそれますが(初めからそれっぱなしと思います)、時々、腹式呼吸が出来ないという人に出会うことがあります。こういう人も、きっと赤ちゃんのときにはお腹で呼吸(腹式呼吸)をしていたであろうし、寝ているときもお腹で呼吸をしていることと思います。人間は立って歩くようになり、動物らしさ(?)を失うと呼吸の仕方も忘れるようです。意識をするとうまく腹式呼吸ができない人のために、一度動物になることを勧めます。

 具体的には至って簡単、手と膝で四つんばいになってみてください。そして、ゆったり自然に呼吸をしてみてください。できた筈です。誤解のないように一言、腹式呼吸が良く、胸式呼吸が悪いということではなく、肺の隅々まで空気を取り入れ、肺機能を高めることによって、健康を守ることができる胸式呼吸も絶対に必要で、要は何事もバランスの問題であり、腹式呼吸と胸式呼吸を上手く使い分けることが必要です。

 話のついでに、なぜ腹式呼吸かについてですが、気血同一思想や勁力関係や腹腔神経節等々の議論ある話は取敢えず除き、私自身は難しく考えないで、少なくとも腹式呼吸により横隔膜が下がる(広がる)⇒腹圧が上がる⇒腹部の血液が押し出される⇒血液の循環が良くなる⇒各臓器に栄養が満たされる⇒身体機能が活性化する程度で、水も流れが悪くなると腐る例えがあるように流れを良くするだけでもメリットはあると信じ、ケース・バイ・ケースで腹式呼吸と胸式呼吸を楽しんでいます。

               

 

簡化二十四式太極拳について

 日本で一番ポピュラーな太極拳は、俗に簡化と呼ばれている簡化二十四式太極拳であると思うが、中国では既に簡化ではなく、四十二式総合太極拳が中心のようである。

 これには勿論内容の多彩性等々の理由があるが、簡化自体は非常によくできた套路で、太極拳の基本中の基本は網羅されており、一生大切にしたい套路である。今でも身体のリズムや調子を整えるための準備体操的な意味合いも含め、心から楽しんでいるが、敢えて簡化の欠点を言うなら、高齢者もできるようにとの配慮からか、時間が短いことであるかもしれない。

 しかし実は、これが私にとって大きな利点ともなっている。それは休憩をはさむことなく,最低でも2〜3回は連続して出来ることで、1回目の気になる点や、直したい箇所に対しての集中が比較的に安易に出来ることである。結果的には、4〜5回連続することもあるかも知れないが、1回、1回分けて行うよりは、効果は絶大である。分けるとどうしても身体の動きや、身体の中も途切れることにつながるので勿体無いと思う。

 だから簡化をするときは、是非2〜3回連続してすることを勧めたい。それと1回当たりの時間も、時には3分程度にまとめたり、8分程度掛けたりして(勿論これら場合も、例えば腰で正確に動く等の基本的要求は満たすこと)変化させ、動き全体を通して自己確認することも勧めたい。

 なお、最後に太極拳の理論等に、興味のある方は日本財団のHPを参照してください。

                 

 

腹式呼吸について

 私の友人であるT氏(心身道宗家、程派高式八卦掌第六代伝人)が発行している会報「心身道 風のうわさ」の中で、同氏が呼吸について、簡単明瞭に記述されていますので紹介させてもらいます。

「腹式呼吸による滞りの無い気血の流れのもとでの、動作の基本とは

以上に集約できると思います。」

「私がいつも言い続けている事、体術を楽しみ、その本質を知り、深く探求する為には必ず腹式呼吸法を会得しておかなければ、限界があります。

 中国武術の本質には『精神と肉体』の表現があります。その本質の表現の為には自己との対話が必要です。

 自己との対話の時、気を沈め、穏やかで重厚な腹式呼吸が必要です。

 日本人の大きな勘違い!を敢えて指摘します。

 太極拳の講習会でも、ヨガの講習会でも、少なくても、私が参加した講習会での指導者の『自然呼吸』は『胸式呼吸』でした。

 腹式呼吸を指導しながら、深呼吸の時に、胸式呼吸しかできない指導者もいました。

 我々日本人の多くは、胸式呼吸が習慣かしてしまっている為に『胸式呼吸』を『自然呼吸』と勘違いしてうるのです。

 大陸人や日本人でも赤ちゃんの呼吸の基本は『胸式呼吸』です。

『自然呼吸』とは呼気と吸気のリズムが1対1であって、呼吸のリズムを敢えて意識しない『腹式呼吸』です。

 私は体術と呼吸の関係を、特に重視しています。」

 同氏の大意は以上の通りです。文書の前後を省いていますので、少々分り難い点もあるかと思いますが、ご容赦をお願いします。

 なお、語るべき対象者の熟度が千差万別の中、一般論として呼吸について文書で表現すると、どこまでも言い尽くせない思いが付き纏いますが、私も同氏の大意と同感で、少なくても太極拳上達の要件の一つは呼吸であり、抜きにしてはありえないと思います。

 正しく太極拳の練功を重ねることにより、腹式の呼吸は自分自身にとって最も楽な意識しなくてもよい、自然な呼吸法とかわります。

            

 

.T氏のこと

 .T氏は、太極拳を始めた頃より、「あ〜や」「こ〜や」と言いながら(実は教えられることの方が多かったが)、一緒に学んだ仲間でしたが、惜しくも阪神大震災で亡くなられました。J.T氏は練習熱心であるばかりでなく、太極拳はもとより武術全般の知識、情報にも精通しておられることに、心の中で何度も驚かされたものです。亡くなられる前は、陳式太極拳の勁の流れ、動き等の確認検証をされていたように思います。

 震災から5年の年月が過ぎようとしていますが、そのJ.T氏との思い出に、今から15年ぐらい前に頂いた私信から、J.T氏の太極拳観を紹介します。ただ、一昔以上前のものなので、もし生きておられたら、もっと違うものにたっている箇所も多くあることと思います。

 太極拳は、複雑で観念的神秘的なものでは決してなく、完全に整理し尽くされて、動きも考え方も単純素朴なものです。

 太極拳の功夫の目安については、次のように思います。

第一層

@外形の正しいあり方を学ぶ

A次に気沈丹田、放松を理解し、纏糸勁ができるようになる。動作が外見的に安定している。発勁が一応、完整一気となる。内勁が自覚できはじめる。

第二層

 内勁をマスターする段階。放松ができ、全身に内勁が通るように努める。外形と内勁が一致しはじめた段階。動作にパラツキがあったり、所々で不安定なところを自分で自覚するのは、まだ二層の段階。

第三層

 外形の動作は完全に熟練し、内勁によって外形が現れる。全身の隅々まで内勁が貫き通る段階。発勁、化勁が自由、しかし未だ完全に内勁を自由に出来ず、内勁貫通初期の段階。

第四層

 発勁、化勁が自在、自然。大圏→小圏

第五層

 神明

 

 現在のところ、大勢の人は第1層の@の段階で立ち往生している。Aからのことは、本でも色々語られいるし、説明する人は日本人の中にも多く、外見上は如何にも上手に見せている人は多いけれど、正直なところ、Aの段階に入っている人は勿論、入りかけている人さえ殆どいないようです。

 太極拳を学ぶ時、まず24式、そして48式を、それから楊式とか陳式に進む。そして、一応形を覚えてしまうと、それ以上は何をすればよいか分からなくなり、八卦掌とか形意拳などに目を向ける。それも、やはり形だけで、結局は@の段階で立ち往生してるのが現状である。

 中国まで学びに行っても、教えてもらうのは外形上のことまでで、それ以上は教えてもらえていないようです。結局色々なことを、広く浅く学び、多芸は無芸に終わってしまっています。

どうしたら@の段階の壁を突き破れるのか、それが最大の課題です。その突破口になるヒントをケ 洪藻老師は、教えてくれたようです。老師は「套路を何度もやるよりも、雲手と攬雀尾だけを両腰に気を沈めながら、30分以上やるように」と、実際にやってみせてくださいました。そしてまた「放松の感じを明確に感じ取るように」と。

内勁が自由に身体を通るような状態をつくることが放松です。放松とは、意識して力を抜く、リラックスする、ということではなく、何処にもこわばりのない、ひっかかりのない状態、全身が五感を備えて、目覚め、呼吸し、感じ、自由なつながりをもった状態、最も明快な適切な表現として、「通りやすい」と言った状態を言います。何が通りやすい状態か?それは創造された新しい力である勁が、です。つまり消極的なリラックスではなく、積極的創造のためのリラックス状態、それが放松です。放松が理解でき、自覚でき始めると、余り強くない突き、蹴りなら、放松した差し手で楽に流せるようになります。放松は、しっかりと安定し、自由に動ける下半身があってこそ成り立ちます。安定には、常に微妙なコントロールが必要で、それが自然に無意識になされるよう練習しなければなりません。全く無意識のうちに出来なくても、出来るだけ多く、自然に調整できるようにならなければなりません。また、安定している状態は調和感があり、楽で快いものです。最後に放松は顔の表情に現れます。表情が緊張している時、放松は出来ていません。

 通常、健康法として行われている逆腹式呼吸と拳法の逆腹式呼吸との違いについて、腹式呼吸では、順式、逆式を問わず、前部だけが腹であるとの先入観があります。また顧留馨老師の著書にも、逆腹式呼吸について、呼気の時、下腹部が前に膨らむと図解までしてあります。そのため逆腹式呼吸のとき、息を吐きながら、意識して下腹部を膨らませようとしがちです。そして下腹部に余分な力が入り、特に太陽神経叢のあたりを緊張させてしまいます。日本にも昔から伝わる健康法としての丹田強化法としての逆腹式呼吸も総て、わざと下腹部を緊張させ、力を込めるようにしています。

 正しく下腹部に力が入った状態は、腹の前だけでなく、左右にも後ろにも膨らむ感じがします(外見が膨らむという意味ではありません)。併せて、ぐっと下腹部に重心が落ちている感じがして、押してみると、柔らかく、奥からの弾力ある強い力を感じます(何炳泉老師が弓歩で気沈丹田の姿勢をとった時、下腹部や腰を触ってみた実感として)。単に下腹部に力を入れているのでは、決してありません。

 また、少し慣れてくると、気沈丹田は呼気のときだけでなく、吸気のときでも、呼吸を自然に続けているときでも、その状態をつくることができます。太極拳では、どんな場合でも、例えば発勁の時であっても、一瞬たりとも息を詰めることはありません。

 動きに必要な力は、その動きの起きる前に、動く部分より大地に近い部分から出なければなりません。動きはじめてから力を入れたり、動きつつある力点の部分に先に力が入っては、決して効果的な結果は生じません。一つの例として、古流実践空手のある流派では、踵をトンと落とした反発力で掌底を突き出す練習をすることがあります。習熟すると、これだけでもかなりの威力があります。

 このように運動のエネルギーは、はずみ(大地の反発力)が基本になります。しかし、発勁は、はずみに更にタイミングがぴったり合って、加速され、加力されて生まれた、はずみ力だと言えます。

 纏糸とは、放松した身体に最もスムーズに最も効果的に必要なエネルギーを身体の中に順次通し、生み出してゆく経路をいいます。本などでは、よく纏糸の経路を、身体に糸を回したように図解してあり、その経路を意識して巡らせるように書いてあったりしますが、練習の際、纏糸の経路を実感するのは困難なことで、言葉だけの説明に過ぎないようです。次々に意識を経路に巡らせるというのではなく、特定のある部分的な意識(最も掴みやすい部分として、一番大地に近い部分である、踵や膝の回転)を手がかりにすると、勁が自然に次々と巡り、回転していく状況を容易に掴むことができるようになります。

 そして、発勁の際、踵から自然にブルルンと、竜巻が急激に瞬間的に巻きあがるような状況になる練習をします。これが陳式太極拳における「抖勁」です。これは今言った部分的な意識、踵、膝から巻きあがる纏糸を掴むことによって、直に出来るようになります。単に身体をブルルンと震わせることではありません。ほとんどの人がこの当たりを誤解しているように思えます。注意しなければならないのは、書物などの説明では、よく足の順纏は膝が内から外へ回るように書いてありますが、これは間違いです。手の順纏と違って、足の場合は、内に回すのが順纏です。これはネジの構造を考えると分かります。ネジは、右に回すと前に進み、ねじ込みます。足の順纏も、踵からみて右へ回す、つまり膝を内に回すのが順纏で、このようにして力は踵から膝、腰に上がって行きます(何炳泉老師によると、左足の場合は逆になります。)。

 次に、纏糸と、先端に行くに従って放松された身体のムチとしての働きを結合させなければなりません。ムチが最後の瞬間に、例えばハンマーとなるように…。次々と伝わっていくうちに、高速度が生まれるような、つながりの構造を内的に創り出すことが必要です。また、意識して無理して早く動こうとするより、澄み切った研ぎ澄まされた感性の中で、瞬間的に動けるように練習を重ねます。ゆっくりした動作も、無理にそうするのではなく、それが自然であるように…。また、ひとつの身体の動きは、その伝わり方、スムーズな経路がはっきり掴めるようになると、スイッチの切り替えで、瞬時に現れたり、跡も残さず消え去り、自由に次の無数の動きにつながることができるようにしなければなりません。虚領頂勁にして、百会穴の窓を開けておくようにすると、そのような状態を創る有効な助けになります。

陳式の金剛搗碓は、大地の反発力を丹田に感ずるのが目的です。それが、はっきりと感じられるようになると、必要以上に強く、地面に足を叩きつけなくても、軽くタンと踏み下すだけで充分に感覚は掴めます。発勁の際、丹田内の反発力が急激な呼気と共に、命門穴を支点にして爆発します。だから、発勁は、大地に働きかけて生じたエネルギーが、纏糸により加速され、丹田の爆発によって、更に新しいエネルギーが加えられて、先端から対象深部に噴出する動き…だといえます。基になる足先が如何に大地と係わっているか…。足先から膝の纏糸にはじまって、滑らかに加速され、瞬間にエネルギーを通し、丹田の爆発力が加わり、滑らかに先端に伝わり、伝えられたエネルギーを明快強力に噴出させ、如何に対象に働きかけ、完成するか…。

 一身五弓と命門穴のあり方を練習して、しっかりと掴むことも必要です。発勁の呼気は、一部分は下腹部前に、一部分は上腹部に、そして一部分は集中した力点から噴出する意識を持ちます。実際は発声を伴って吐き出します。呼気はタイミングよく、口から吐き出さないと、丹田からの爆発力が、脳神経を直撃し、頭がビーンと痛くなったりします。発声は人によって、また発勁の態様によって異なります。沢井憲一先生は、グエツというような声を出すそうですが…?ハッであろうと、フンであろうと自分が自然に出る声いい訳です。

以上のことがある程度実現できるようになると、第二層に入っています。これまでのことを振り返ると、何よりもまず、ケ老師がヒントを与えてくださった気沈丹田が、@の壁を突き抜ける課題となるということです。

 立身中正、含胸抜背などは、身体を気沈丹田にすると自然に、その姿勢になってしまいます。つまり気沈丹田の姿勢が、外見的には、立身中正であり、含胸抜背になっているということです。初歩の場合、外形を整えるため、立身中正、含胸抜背の姿勢をとることに注意しますが、@の壁を通り越せば、自然にそうならざるを得ず、発想の逆転が必要です。

 今、改めて見ても参考になる記述箇所も多々あると思います。個人的には、初心の頃が懐かしく思い出されるだけに、大切にしていました。

 あの阪神大震災から5年が過ぎようとしています。太極拳に熱心であったJ.T氏のことを何かの形で残したいと思っていたので、私信を掲載しました。

 最後にJ.T氏のこと田中二郎氏のご冥福を祈り…合掌。

           

 

 

太極剣の作製について

 昨年の6月から、陳式の剣を楽しんでいます。剣は、天津の明桐林老師から頂いたものと、友人から譲っていただいたものとで、計二本所持し、共にバランスがよく、気に入っていますが、日に日に剣に対して愛着が強くなり、突然無性に自分で作りたくなり、剣作りに挑戦しました。

 基本は、自分の体格、体力、剣のバランス、最後に銃刀法に触れないという事で、アルミ材を中心にサイズを決め、空いている時間を利用し、実質3日間程度で仕上げました。苦労をしたのは、剣身と剣柄を固定することと、剣のバランスをとるための剣柄でした。自分では、予想以上の出来あがりに満足はしています。(写真は完成品です)

 しかし、まだまだ工夫、研究の余地はありますが、以外に簡単に、そして少ない費用(塗料まで含め1,500円)で作製できることがわかりましたので、機会を見つけて、また挑戦しょうと思っています。

 結構楽しく時間を過ごせたので、是非、興味のある人はマイ剣を!

 (参考)

  3月5日材料購入

   アルミ材 3×30×100=670円(穴あけ加工賃含む)

   木材 410円

  3月12日

   2時間かけアルミ材を剣の形に切り、ヤスリがけ。

      完成品(剣身79cm 剣身以外21.5cm )

  

  3月19日

   柄の木部全般を作り、剣身と仮合わせ。

  3月26日

   剣全体のバランスをとるため、柄の中に針金を蒔き込み、柄を取付け、最後に剣首にビスで

  固定。これでほぼ完成。

  4月1日

   塗装。

           

 

アドバイスに感謝

 先日、T氏(心身道宗家、程派高式八卦掌第六代伝人)が指導している会場の一つに行った折、隅を借用して陳式太極拳を練習させてもらった。当然、氏の視界にも入っていたので、套路を数回終えた時点で、アドバイスをお願いした。

 氏からは、下半身の動きについての適格な意見を得た。内容的には、陳式太極拳を練習するものにとっては当たり前のことであったが、ついつい認識する気持ちが薄くなり、動きが甘くなっていた事を気づかされた。当たり前のことを当たり前として積み重ね、体得することの大切を再認識でき、氏には感謝をしている。

 最近では、技量より経験が重んじられ、余り注意をされなくなり、寂しい思いをしているが、やはり、上達するためには、客観的な目によるアドバイス等は欠かせないと思う。これがないと、一人よがりに陥り、太極拳の道を踏み外すことにもなりかねない。

 一説では、自己解釈の太極拳(?)を撒き散らしているような指導者もいると聞く。

 私自身は指導者ではないが、そうならない様に素直な耳と心を心掛けたいものである。

 T氏さん、これからもYOROSHIKU!

             

 

 

陳式2路に決めました 

 妻がこの5月に第1回兵庫太極拳親睦会訪中研修団に参加し、陳式2路を学んで帰ってきました。実は諸般の事情により叶いませんでしたが、私も6月に訪中をする予定でしたので、訪中時の学習テーマとして、陳式剣をすべきか、刀をすべきかで迷っていましたが、負けじと陳式2路に決めました。(阪神太極拳愛好会研修訪中団の一員として、10月11日から訪中予定)

 太極拳を始めて20年以上になりますが、最初の頃は猛烈に色々な套路を短期間に覚えようとした時期もありましたが、ここ10年ぐらいはよく言えば完成度をじゅっくりと求めていた(本当は年とともに記憶力も衰えてきて、覚えることが億劫になっていたところもある)ので、主には2つ(陳式1路、楊式108)の套路を中心にやっていたように思う。それがこの1、2年は、本能的ぼけ防止(予防)の意図もあるが、相互作用効果を求め、再び、新たな套路に挑戦する気持ちが強く涌いてきている。この延長線上の2路である。(この緩急が長続きの理由か?)

 陳式2路について学ぶのは、全く初めてすが、数年前に明老師からテキストは頂いていたことと、幸いにして、妻も明老師に2路の指導を受けてきたので、型に関しては不安はありません。しかし、テキストでは用法が分りにくいところ(語学力の欠陥が理由)が所々あるので、今秋にはそこのところを是非確かめたい。そのためには、套路は一通り覚えて臨むのと、覚えないで臨むのとでは、習得効果に雲泥の差があるので、身体に套路を覚え込ませた状態で訪中したいと考えています(これは勿論真実ですが、中国で楽々と過ごしたという魂胆もあります)。こうして、宣言して自分を追い込んでいくタイプなので、敢えてここに書き込みました。

             

 

 

H・Mさん自作の剣

 剣の練習をしていると、どうしても自分にあった剣が欲しくなるもので、小柄なHさんも中々自分にあった剣に出会えず、とうとう自分で製作をされました。

 その作品が下の写真にあるもので、本体はアルミ材で柄は木目を生かしたニス仕上げで、美しい出来です。なお、サイズは剣身約61p、全長約82pで、勿論バランスは抜群の出来に仕上がっています。 

 

 その秘密は柄の中にあり、鉛のテープを巻き調整をされたようです。私もバランスをとるため、針金を巻込んでいますが、鉛のテープのほうが、簡単なうえ、優れているようです。

 経費は1千円前後だと思いますが、製作の過程の楽しみは金額に換えることができない程、充実した時間となります。

              

   

  

「感じて動く」体術講習会に参加して

先日、阪神太極拳愛好会主催の特別講習会に参加し、呼吸や姿勢について学ぶ機会を得ました。講習会の狙いは、呼吸一つ、また姿勢一つ正しく出来ていない人が多く見受けられるので(これは参加者や特定の人のことではなく、一般的太極拳愛好者全般についての私の個人的想像?)、人間が持っている自然の動きを通して、体験しながら、これを感じ獲ってもらおうとすものであった。

 カリキュラムは腹式呼吸法(順、逆)を中心に、@立身中正(起勢)・観察・傾体(仙人の昼寝)A旋回・スワイショウ(でんでん太鼓、振り子)・拍手B虚実分明・重心移動・旋回移動(8の字)野馬分そう、雲手と、いずれもゆったりと動きながらのもので、1時間30分を有意義に過ごさせてもらった。

 特に納得もしたし、感心もしたのは、「肩幅に立ち、手のひらに微細な塩か砂がべったりと付いたと想定し、両手の掌を速く速く上下させ払い落とす」という動作で、非常に分かり易く、自分にとって最も力(もちろんリラックスした状態からの力)の出るポジションを、手の交わる位置で示してくれることと、手を速く動かそうとすることによって、腰との関係が不可欠であることが理解しやすいという点であった。

 身法等について、上手く言葉で伝えることは難しく出来ないが、上記の方法なら太極拳を学ぶ上での手や腰について、比較的簡単に体感してもらえると思うので、是非お勧めをしたい。

               

  

 

ありきたり訪中報告

 第9次阪神太極拳愛好会研修訪中団に参加して、今年も天津に行って来ました。4泊5日という短期間でしたが、明老師とのマン・ツー・マンの練習は本当に充実したもので、とても満足感に満ちた研修でした。今回は、陳式2路を中心に、1路及び剣の復習をしてきましたが、いつものことながら沢山の助言等を頂くことができました。

 套路を覚えることは意外に簡単なことですが、内容を高めることは容易でなく、何時まで経っても、老師との功夫の差は縮まることはありませんが、何時ものことながら老師から私自身の問題、課題を明らかにしてもらえたことは、何よりの幸いでした。勿論、指摘と併せて、課題解決のヒントも頂けたので、今はそれに夢中です。       

 これとは直接関係ありませんが、練習中のメモから面白そうな所(?)を少しだけ紹介します。  

 (明 桐林 老師)

  1. 粘について:老師の厚く大きい手と手の間の空気だけが、特別に密度が高   いが如く、両手の動きと合わせて空気が水飴のように粘っているように見えるのに対し、私のは動きが滑らかだけなのである。何故か。目線(眼法)対する意識の不足に原因がある。目線を決しておろそかにしないことである。
  2. 連貫について:あるべき姿勢になる前の位置で楽をして留まっているから、動き全体が作為的とならざるを得ない状況になっている。。きっちりとあるべき姿勢までなると、全てが自然と次の動きになり、脚、膝も円運動となる。この延長線上に連貫はある。

 どれも常識的な初歩の初歩だけに、出来ていると自己満足したり、忘れがちとなりますが、初心忘れるべからずです(自分自身への戒めです)。

             

  

初心に還る!

 最近、太極拳について、我が欠点がやたらと気になってきた此の頃です。その欠点も難易なものではなく、至って基本的なことばかりです。

 今にして思うに、どの欠点も初期の頃の基本練習不足が招いた結果であり、今頃になって、その埋め合わせをしょうと、初心に還って、基本を大切にがんばっています。

 初心者の頃は誰でも一度は通る道かも知れませんが、(勿論、自分では一生懸命やっているつもりでしたが)次々と新たな架式に興味を奪われ、うわべの理解(頭で理解して、身体が付いてきていない状況)だけで過ごしてきた点も多々あったようです。

 やはり基本的な事は、若い時分にしっかりとやっておくべきだったと反省することしきりの毎日ですが、今は遅まきながら、一つひとつの動作を確認しながら取組んでいます。

 これによって、少しづつですが明らかに今までとは異なる世界を体感しています。

 最後に余計なお節介ですが、後々くれぐれも後悔をしないように、一つひとつの基本を大切にしましょう。

             

 

選手権大会に学ぶ

 先日、久々に武術太極拳選手権大会を見てきました。

 友人の応援もありましたが、人の振り見て、我が振り直せではありませんが、自分自身の間違い探しを目的に、出場者の演技を観察させてもらいました。

 少し前から、腰の動きを指摘されていたので、選手の腰の動きに注目していましたが、どうも大概の人が、私同様の課題が抱えていることを再確認してきました。

 腰の位置は動いているが腰は回っていない、回しているつもりだが回っていない、腰の中で八の字に動く、腰の中心を軸に全体が動く、等々。

 太極拳に限らず、腰の動きが基本中の基本、今の時点で一から見直すことにしました。

 それにしても、審判は大変ですネ。とうとう点数については、最後まで意味合いが分かりませんでした。

            

 

本日、絶不調

 連休も仕事に追われ、思うように身体が動かせない日々が続いていましたが、漸く、先週、定例の練習会場に行ってきました。

 早速、身体を動かしましたが、どうもしっくりとこない。力が入っており、うまく抜けない。また、バランスも悪い。こういう日は、迷わず簡化24式である。一つひとつ動作を確認しなが、それも、ゆっくりとゆっくりとである。

 すると何と呼吸もうまくできていないことに気がつく。最悪の状態である。

 こうなるとすることは一つである。まず、姿勢をただし、雲手を納得するまで徹底的にする。それから、套路である。姿勢に気を配り、繰り返し、繰り返し、繰り返す。そうするうちに、少し力も抜け、呼吸も楽になってきた。

 今回は、毎日、例え少しだけでも継続することの大切さを知らされました。

            

 

 

減量宣言?

 やたらと暑い日が続いており、少し動いただけでも大汗をかき、嫌なもんです。しかし、これとは別に太極拳の練習による発汗は爽快さがあります。

 最近、肥ってきたこともあり、大いに汗を出そうと、長拳のさわりを習ってきました。会場の体育館の中は、冷房がなく、望むところと号令に合わせ、若者に混じり、足を上げたり、拳を打ったりの2時間足らずだったと思いますが、普段とは違ういい汗をかいてきました。そして、習ったことも、太極拳と無関係ではなく、大いに参考になりましたが、残念ながら、減量には貢献しませんでした。

 もともと、肥るタイプの体質ですが、度を越す状態になれば、今までは太極拳を中心に長期間をかけ、計画的に減量をしてきましたが、よる年波のせいか、今年は中々思うようにいかず苦戦をしています。それでも、なんとか1ヶ月1キロを目標に、8キロぐらいの減量を目指しています。

 しかし、ビールが飛びっきり美味しい時期を迎え、どうなるのやら…………?

             

 

 

雰囲気が変わりました

 私の相棒(妻ですが!)が、9月の中旬、天津で陳式太極拳を学んできました。もちろん、陳式は以前から日本でもやっていましたが、ほんの2日半ほど、私の師である明桐林老師の指導を得ただけで、中国に行く前と日本に帰ってからでは、套路の表情?とういか、全体の雰囲気が明らかに変化をしていました。

 直接的には、重心をしっかりと移動させることによって、下半身が安定し、上体の動きもスムーズになったことが一つありますが、套路に曖昧な部分がなくなり、自信が持てるようになったことによる、心のあり様が全体に余裕を生じさせたことが大きな理由であると感じています。

 前から、やればある程度はできると分かっていましたが、自信がないことから、全体的に力がなく、見ていても面白さのない太極拳であったものでしたが、いい方向に変わったのに驚いています。

 やはり、ある程度の自信は必要だということですが、くれぐれも謙虚におごらずの姿勢は、忘れてはならないと思っています。

 追伸:減量継続中なれど、苦戦中(次回、報告予定)!