閑吟集 小歌

 
  なに                 いちご
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ
(55)

大意……

何になるだろう、まじめくさってみたところで。
どうせ、一生は夢だ。ただ、狂えばいい。


 



 強烈な現世肯定の歌ですね。「狂う」とう語には、常軌をいっした行動をするというという意味もあるし、気が違ったようにように、ある物事に集中する意味もあります。びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るよりは、ただひたすらに「狂う」ように集中して生きろ。そんな風にも読むことが出来ます。
何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり (51)
ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あじきなき世や (52)
夢幻や 南無三宝 (53)
くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)
 浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。古希まで生きられる人間が「古来まれ」でもかまわない。「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、すべてを肯定して「狂へ」ばいい。

 この世の儚さをしっかりと受け止め、一期の夢と見切る覚悟があればこそ、人は「狂う」ことが出来るのでしょうか。


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