寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(二十三)

   あ べ よしげ       けいじょう               ひとばしら
 安倍能成君が「京城より」の中で「人柱」ということが西洋にも
 
あったかどうか
 
という疑問を出したことがあった。近ごろルキウス・アンネウス・
 
フロルスの「ロ−マ史摘要」を見ていたら、ロムルスがその新都市
 
に胸壁を築いたとき、彼と双生児のレームスが「こんなけちな壁な
 
んかなんにもならない」と言ってひととびに飛び越して見せた。そ
 
のために結局レームスは殺されたのであるが、しかしロムルスの命
 
令によって殺されたかどうかは不明だとある。そうして「いずれに
                        ヴィクティマ
してもレームスは最初の犠牲であって、しかして彼の血をもって新
 
市の堡塁を浄化した」とある。
 
 この話は人柱とは少しちがうが、しかしどこかしらだいぶ似たと
 
ころがある。
                                いけにえ
 豚や牛のように人間を殺して生贄とすることは西洋には昔はよく
 
あったらしいが、それが神をあがめ慰めるだけでなく、それによっ
 
て何か難事を遂げさせてもらうための先払いの報酬のような意味で
 
神々にささげる事もあったとすれば、結局は人柱と同じことになる
 
のではないかと思う。
 
 同じ書物にまた次のような詰もある。
 
 あまり評判のよくないほうで有名なローマの最後の王様タルキヌ
 
スがほうぼうで攻め落とした敵の市街からの奪掠物で寺院を建てた。
 
そのときに敷地の土台を掘り返していたら人間の頭蓋骨が一つ出て
                                                           ずいちょう
来た。しかし人々はこれこそこの場所が世界の主都となる瑞兆であ
 
るということを信じて疑わなかったとある。われわれの現在の考え
 
方だと、これはなんだかむしろ薄気味の悪い凶兆のように思われる
 
のに、当時のローマ人がこれを主都のかための土台石のように感じ
 
たのだとすると、その考え方の中にはどこかやはり「人柱」の習俗
  こんてい
の根柢に横たわる思想とおのずから相通ずるものがあるような気が
 
する。
                                            き び
 以上偶然読書中に見つけたから安倍君の驥尾に付して備忘のため
  しる
に誌しておくことにした。
 
(昭和十年三月、渋柿)


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