寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
  曙町より(二十四)

 
 ある大きな映画劇場の入場料を五十銭均一にしたら急に入場者が
 
増加して結構総収入が増すことになったといううわさがある。事実
 
はどうだか知らない。しかし、「五十銭均一」という言葉には何か
 
しら現代の一般民衆に親しみと気楽さを吹き込むものがあるのでは
 
ないかという気がする。むつかしい経済学上の論理などはわからな
                              さいふ
いが、あの五十銭銀貨一枚を財布からつまみ出して切符売り場の大
 
理石の板の上へパチリと音を立てるとすぐに切符が眼前に出現する
 
ところに一種のさわやかさがある。これが四銭でいちいち三銭のお
 
つりをもらうのだったらどういうことになるのか。相手がドイツ人
 
かあるいは勘定の細かい地方の商売人だったらどうかわからないが、
 
少なくも東京の学生のような観客層に対してはこの五十銭均一のほ
 
うが経済観念を超越した吸引力をもっていそうな気がする。
 
 こんな事を考えていた時に偶然友人の経済学者に会ったので、五
 
十銭銀貨の代わりに四十七銭銀貨を作って流通させたら日本の国の
 
経済にどういう変化が起こるかという愚問を発してみた。これに対
 
する経済学者の詳細な説明を聞いた時は一応わかったような気がし
 
たが、それっきりきれいに忘れてしまった。 今までにずいぶんい
 
ろいろむつかしい事も教わったが、銭というものほど意味のわかり
 
にくいものに出逢ったためしはないようである
 
(昭和十年五月、渋柿)


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