寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




  いぬぽうぎき
 犬吠岬の茶店の主人の話だそうである。三十年来の経験で、自殺
                                                  おうのう
者心中者はたいてい様子でわかる。思案にくれて懊悩しているよう
 
なのはかえつて死なない。写真でも撮らせたり、ひどく元気よくは
                                                                   い
しゃいでいるのが怪しいということである。いったい死ぬほどに意
きしょうちん                         なわ
気銷沈したものなら首くくりの縄を懸けるさえ大儀な気がしそうで
 
ある。それをわざわざ遠く出かけて、しかも三原や浅間に山登りを
 
する元気があるのは不思議なような気がする。こういう種類の自殺
 
者は、悲観のためではなくてみんな興奮のために死ぬるのだろうと
 
思われる。


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