寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




            て が ぬま                            お お と ね
 去年の秋手賀沼までドライヴしたついでに大利根の新橋まで行っ
                                                    ぼうだい
てみた。利根川の河幅はこの橋の上流の所で著しく膨大して幅二キ
                                                           ほすすき
ロメートル半ほどの沼地になっている。それにただ一面に穂芒が茂
                             さざなみ
り連なって見渡す限り銀色の漣波をたたえていた。実にのびのびと
 
大きな景色である。橋のたもとの土手を下りて見上げると、この長
 
さ一キロメートルのまっすぐなコンクリートの橋の下にそれと並行
                                                                おもちゃ
して下流の鉄道の鉄橋が見え、おりから通かかった上り列車が玩具
 
の汽車ででもあるように思われた。
 
 今までいっこう聞いたこともないこんな所にこんな絶景があると
 
思うことはここに限らずしばしばある。そういう所はしかしたいて
 
い絵にかいても絵にならず、写真をとってもしようのないようなと
 
ころである。有名な名所になるための資格が欠けているのである。
 
 こういう所の美しさは純粋な空間の美しさである。それは空虚は
                                                                  じゅう
空間ではなくて、人間にいちばんだいじな酸素と窒素の混合物で充
てん                         こうしつてき          ぞうがん
填され、そうしてあらゆる膠質的浮遊物で象嵌された空間の美しさ
 
である。肺臓いっぱいに自由に呼吸することのできる空気の無尽蔵
 
の美しさなのである。
              こすげ
 往復ともに小菅の刑務所のそばを通った。刑務所の独房の中の数
 
立方メートルに固く限られた空間を想像してみたときに、この大利
 
根河畔の空間の美しさがいっそう強烈に味わわれるような気がする
 
のであった。


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