寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 震災や火災や風水害に関する科学的常識とこれに対する平生の心
 
得といったようなものを小学校の教科書に入れるということは、日
 
本のような国では実に必要なことである。これはほとんど「問題に
 
ならぬ」はど明白なことであると思われるのに、これがどういうわ
 
けだかいっこうに実行されていないで時々「問題になる」ょうであ
 
る。
                                             へんさん
 自分の想像するところでは、結局教科書を編纂する機関の中に科
 
学的な頭脳とその主動的な要素が欠険しているのではないかと思わ
 
れる。もしかこの想像がいくぶんでも当たっているとしたら、はな
 
はだ逆説的な言い分ではあるが、小学生を教える前にまず文部省を
 
教育しなければならないのだとも言われるかもしれない。
 
 小学教科書の編纂にはやはり単に文科方面のみならずあらゆる主
 
要な自然科学の各部門から代表者を集めて資料選択の任に当たらせ
 
る必要があるかと思われる。
 
 多くの人の見るところでは、上顎の教科書には忠良なある文化的
 
日本人として一生しらなくてもたいしてさしつかえのないような事
 
項が数々ある一方で、知らなくてはならないとわれわれに思われる
 
事で書いてないことがたくさんあるようである。
 
 たとえば手近のところで震災火災風災に対する科学的常識とか、
 
細かいことではたとえば揮発油取り扱いの注意とか、謝って頭を打
 
撲したときの手当とかいうものは万人必要の知識であるが自分の知
 
る限り少なくも十分には取り扱われていない。
 
 I博士の言うところを無断で借用すれば、ドリアンという臭くて
                                                  いちぶん
うまいくだもののことなど知らなくても日本人の一分は立つのであ
 
る。またこうした種類の知識は心がけのある児童で後日そういう知
 
識を必要とするような階級になるべき素質をもったものなら教科書
 
で教わらなくても雑誌などからいくらでも覚えるであろうし、また、
 
一生そんな知識を要しないような階級の子供ならせっかく教科書で
 
骨折って教えてもおそらく三年たたない間にきれいに忘れてしまい
 
そうに思われる。
 
 児童教育より前にやはりおとなであるところの教育者ならびに教
 
育の事をつかさどる為政者を教育するのが肝要かもしれない。


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