寺田寅彦『柿の種』
短章 その一




 
 学校を卒業したばかりの秀才が先生になって講義をするととかく
 
講義がむつかしくなりやすい。これにはいろいろの理由があるが、
 
一つには自分の歩いて来た遠い道の遠かったことを忘れるというせ
 
いもあるらしい。
 
 若い学者が研究論文を書くと、とかくひとり合点で説明を省略し
 
過ぎて、人がよむとわかりにくいものにしてしまう場合が多い。こ
 
れもいろいろの理由があるが、一つには自分がはじめてはいった社
 
会の先進者の頭の水準を高く見積もり過ぎるためもあるらしい。


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