寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
  笑 い 声

 
 初夏のある日友人と京橋近くの七階楼上で昼飯を食った。すがす
 
がしい好晴の日で食卓から見下ろす銀座方面のながめははればれと
 
明るくいきいきと美しいものであった。一隅の別室からにぎやかな
      かんけつてき
爆笑が間款的に聞こえて来る。その笑声から判断すると、どうして
 
も女学校の生徒の集会らしい。食卓を囲む制服を着たおさげやおか
 
っぱの一団を想像させた。
 
 席を立って帰りがけに開け放したその別室をのぞいて見ると、意
 
外にもそれは「制服の処女」たちではなくて、みんなもう三十前後
 
の立派な奥さんたちの集会であった。
 
 奥さんたちの笑い方と女学生の笑い方とはたしかに区別があるは
 
ずである。それだのに別室で開いた笑声はどうしても十五、六、七、
 
八の女生徒の集団にのみ開かれる笑声であった。
 
 やはりどこかの女学校の第何回卒業同窓会であろうと思われた。
 
同窓の顔が寄り合った機会に彼女たちの十余年昔の笑いが復活した
 
のではないかと思われて、なんとなくほほえましい気持ちのしたの
 
はあながち青葉時の好時の天気のせいでもなかったようである。


前へ 次へ
[寺田寅彦] [文車目次]