学会警察
英国の物理学者Dとオーストリアの物理学者Bとが日本へ遊びに
来て大学や理化学研究所で講演をしたがいずれも満員以上の盛況だ
ったそうである。
Dは数年前にも一度来朝したが、その後ノーベル賞をもらって世
界第一流の学者としての折り紙をつけられた。Bはこれに比べれば
今のところ第二流の仲間である。それが偶然にDといっしょに日本
へ来たので、同時に肩を並べて歩き、同じ演壇で講演をした。B一
人で来たら講演会が催されたかどうかというようなことが学界ゴシ
ップの話題になった。
Dを大学の某研究所に案内していろいろな業績を見せた。前に来
たときはかなりいろいろの事に興味を示したそうであるが、今度は
いっこうにそっけなくて何を見せても冷淡な態山度しか見せなかっ
た、とにかくそういうふうにその研究所の人たちには感ぜられたそ
うである。
以上の事実はいろいろな意味で記録しておく価値があると思われ
る。
ずっと前にアインシュタインが来朝したときのことをいろいろ思
い出す中に一つあまり従来記録されていないと思うきわめて興味あ
る現象がある。
アインシュタインが大学内を歩いているときにはいつでも、その
後ろに学界の長老たちが影のように附き添って歩いていた。集会の
席でも護衛兵のように引さ添って立ったりすわったりしていた。珍
客を遇する礼として当然のことと思われた。自分らのような弱輩の
せきがく
ものがこの碩学に近づいて何か話でもしようと思うと、その護衛の
まゆ ひそ
かたがたの中には急に眼を見張りあるいは眉を顰めてその近よるも
のが何を言い出すかといったような緊張と不安の表情を正直に露出
する人もあった。それでたいていの気の弱いものは近寄りたくても
近寄れないで遠方からながめるだけであった。なるほど弱輩なもの
が突拍子もないまずい質問をしたりしては失礼にもなるしまた日本
ちじょく
の学界の恥辱になるという心配もあることであろうと思われたこと
であった。
それから後は、もう西洋から有名な学者が来てもあまり近よらな
いことにした。第一言語が不随意で思ったことの三分一も言えず先
方のいうこともどれだけわかったかわからないかさえわからないか
らわざわざ危険を冒して近よることもないと思ったのである。ただ
ふうさい
遠方からその風采や態度をながめることの興味で満足していた。
それでも、どうかすると自分の研究室へ外来の学者を案内して来
られることがある。その案内者が親しい同僚だけであればなんでも
ないが、しかしその中に学界の監察官のようなかたが一人でもいて
こうちゃく
来客の肩の後ろで厳粛な顔をしていられると自分の口は自然に膠着
いてしまって物が言えなくなる。
こうした監察官も日本の名誉のために必要かもしれない。
とにかく以上の事実は記録に値する。これは自分だけの体験した
事実ではなくてかなり多数の同学者が多少ちがった程度と形式とで
体験した事実だからである。
(昭和十年六月)