寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
   ノルマンディー

 
 今度フランスで造った世界一の巨船ノルマンディーに関する記事
                     さしえ
がたくさんの美しい挿画や通俗的な図解で飾られてリリュストラシ
 
オンに載せられている。七万九千トン十六万馬力、船の全長三百十
 
三メートル。食堂、社交室、喫煙室の壮大はもちろん、劇場、教会
 
堂、水泳プールから保安警察のようなものまで具備している。全く
 
掛け値なしに海上のビルディングである。
 
 数週前の同じ雑誌には大西洋横断旅客飛行機リュートナン・ドゥ・
 
ヴェーソー・パリ号のことが出ていた。重量三七トン、動力五千三
 
百馬力で、三四トンの荷物を積み、毎時一七五キロメートルないし
 
二二〇キロメートルの速度で大西洋を無着陸で飛ぼうというのであ
 
る。
 
 フランスに現在「世界一熱病」の流行していることがうかがわれ
 
る。
 
 日本もいろいろな精神的なことでは世界一を自信しているようで
 
あるが、科学とその応用方面でどれだけの自信があるか疑わしい。
                                                                 き ひ
多くの方面ではむしろ反対に一生懸命「世界一」になることを忌避
 
しているのではないかと思われるふしがある。日本人の出した独創
 
的な破天荒なイデーは国内では爆発物以上に危険視される。しかし
 
同じ考えが西洋人によって実現され成効するのを見ると、はじめて
 
やっと安心して、そろそろその成果の模倣をはじめる。「外国のに
 
劣らぬものができた」とい
 
うのが最高の誇りである。しかしそれができたころには外国ではも
 
う次の世界一が半分できかかっている。
 
(昭和十年七月十三日)


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