寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
 からだの自由に動かせない病気で十日も寝ているとむやみにかん
 
しゃくが起こっておもしろい。今朝は呼び鈴のコードを手近に置く
 
べきのをだれかが遠くに押しのけてあったので大声でオーイオーイ
                                                     ふしど
と呼んだが階下にいる五人のだれにも聞こえない。臥床の脇に置い
 
てあるステッキでやけに障子や敷居をたたいて呼んでもまだ聞こえ
 
ない。障子と敷居をいいかげん疵だらけにしたころに、細君が上が
 
って来た。
 
「お隣に大工さんが来て仕事しているのだと思った」そうである。
                しんせき              ちゅうき
 子供の時分に親戚や知人の家に中気でからだの不随な老人がいて、
 
よくかんしゃくをおこしているのを見た。家族はもうすっかり馴れ
 
っ子になってほどよくあしらつているだけである。それがまたいっ
 
そう老人の不満をつのらせるらしかった。
 
 今度の病気で昔の中風老人たちを想い出して、この天下に普遍な
 
家庭小悲喜劇の心分析を試みる横会を得た。
 
 亡友K君が眼病で手術をして一時失明したことがあった。かんし
 
ゃくが起こりはしないかと開いたら、それどころか反対に一生懸命
 
細君にもその他の家族にも従順にしてきげんをそこねないようにし
 
ているという。どうしてかと開くと、もしや今家族に見放されたら
 
たいへんだという気がして、自然にそうなるのだということであっ
 
た。
 
 自分の場合のかんしゃくは結局、病気がたいした事でないという
                                                              に
潜在的な自覚から、いくらやんちゃを言っても家族が大丈夫遁げ出
 
さないという自負、いを獲得しているせいかもしれない。


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