寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
 友人の科学者で陶器を作るのを道楽にしている男がある。自分の
       かま
邸内に窯を造って専門の職人を雇い込んで本式にやっている。御当
 
人はもちろんであるが、その細君もまたおかあさんもそれぞれ熱心
 
なアマチュア芸術家である。このあいだその友人が大きなふろしき
 
包みをかかえて飛び込んで来た。新聞紙で包んだものを取り出すの
 
を見ると、この家庭芸術家三人の作品のたぶん代表的なものであろ
 
う、分厚で長方形のシガレットケース――これは科学者の作、それ
                                                            ヽ ヽ ヽ
から半月形の灰皿――これは美しい令夫人の作、それから手どくで
はくゆう  へきりょく
白釉に碧緑の色を流した花瓶――これは母堂の作である。
 
 今病床の脇の小卓の上にこの三つの陶器がのせてあるのをつくづ
 
くながめていると、この三つの作品のそれぞれの個性がだんだんに
 
はっきり眼についてくる。角箱には鼻っ張りの強い負けぎらいの気
 
性とオリジナルで鋭いしかもデリケートな才能の動きが地味な褐色
 
の釉薬の底から浮き出しているといったようなところがある。
 
 灰皿のほうは肉の薄味、線の丸さ、波形の郁のうねり、その他ど
 
う見ても優しいそうして膿まやかな感じの持ち主の手になったもの
 
としか思われない。
                                                             わんきょく
 花瓶のほうをよく見ていると手づくねの筒形の胴の表面の彎曲、
              まだらもよう
釉薬の自然な斑模様、そういったもののきわめて複雑な変化の中に、
 
いかにも世の中の苦労という苦労を舐め尽くして来たかのような、
 
しかもいかにも女らしい一種の心ばえのようなものがありありと読
 
みとられるようである。
 
 これではうっかり団子も丸められない。
 
(昭和十年十月十日)


前へ 次へ
[寺田寅彦] [文車目次]