寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
 住み家を新築したら細君が死んだという例が自分の知っている狭
 
い範囲でも三つはある。立派な邸宅を新築してまもなく主人が死ん
 
でその家の始末に因っているという例を近ごろ二つ聞いた。
 
 しかし家を立ててだれも死ななかった例は相当たくさんにあるで
 
あろうから、厳密な統計的研究をした上でなければ「家を建てると
 
人が死ぬ」というような漠然とした言明は全然無意味である。
 
 しかしまた考えてみると、家を建てると人が死ぬということも、
 
解釈のしようによっては全然無意味だともいわれない。
          ずまい
 今まで借家住居をしていた人が、自分の住宅を新築でもしようと
 
いうことは、その家庭の物質的のみならず精神的生活の眼立った時
 
期を劃する一つの目標である。今までは生活の不如意に堪えながら
わきめ
側目もふらずに努力の一路を進んで来たのが、いくらかの成効に恵
 
まれて少し心がゆるんでくる。そういう時期にこの住宅の新築とい
 
う出来事が起こるという場合がしばしばある。そういう時にもしも
 
その家の主婦が元来弱い人であり、どのみちそう長生さをすること
 
のできない人であったと仮定する。そうするとその主婦の今まで張
 
り詰めていた心がやっとゆるむころには、その健康はもはや臨界点
 
近くまでむしばまれていて、気のゆるむと同時に一時に発した疲れ
 
のために朽ち木のように倒れる。そういう場合もかなりありうるわ
 
けである。
 
 また従来すでに一通りの成効の道を進んで来た人が、いよいよ隠
 
退でもして老後を楽しむために新しい邸宅でも構えようというよう
 
な場合にも、やはり同じような事がいわれようかと思う。
 
 植物が花を咲かせ実を結ぶ時はやがて枯死する時である。それと
 
これとは少しわけは違うがどこか似たところもないではない。
 
 いつまでも花を咲かせないで適当に貧乏しながら適当に働く。平
 
凡なようであるが長生きの道はやはりこれ以外にはないようである。
 
(昭和十年十月十一日)


前へ 次へ
[寺田寅彦] [文車目次]