寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



                                             ととの
 大きな百貨店へ行けば大概の品はいつでも調えられるものと思っ
 
ていたが、実際はなかなかそうでないという事を経験してきた。む
 
しろ望みどおりの品のあったた」めしは少ないくらいである。
 
 十月の初旬病床で暖かい日に蒲団の代わりにかけようと思って旅
 
行用の夏の膝掛けを買いにやった。そうしたら、来年の夏まで待た
 
なければ店には出ないといった。
 
 それから、夜中に肩の冷えるのを防ぐために鳥の羽根入りの肩蒲
 
団を採しにやったら、もう一月くらいすれば出ますといったそうで
 
ある。時候に合わない品だから無理もないが、しかし百貨店という
 
所はやっぱり存外不便な所である。
 
 もっとも、今ごろ本屋でスコットの「湖上の美人」やアーヴィン
 
グの「スケッチブック」やニーチェの「ツァラツーストラ」でも探
 
すとしたらすぐに手に入るかどうか心もとないような気がする。マ
 
ルクス。エンゲルスが同様な羽目になるときがいつかは来るかもし
 
れないという気がするのである
 
(昭和十年十月十四日)


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