寺田寅彦『柿の種』
短章 その一



 
 ベルギー皇帝がただ一人で自動車を運転していて山の中の崖から
 
墜落して崩御された。そのいたましい変事の記障がまだ世人の記憶
 
に新しいのに、今度はまた新しい皇帝が皇后とスイッツルの湖畔を
 
ドライブしていたとき、不慮の事故を起こして、そのために若く美
 
しいアストリード皇后陛下はその場で崩御され皇帝も負傷され、た
 
だうしろの座席に乗っかっていた運転手だけが不思議にかすり傷一
 
つ負わなかった。
 
 皇帝が前の座席の左側にすわってハンドルを握り、皇后はその右
 
側にすわって一枚の地図を拡げ何か皇帝にお尋ねになると、皇帝は
 
右を向いてその地図をのぞき込まれた、その瞬間に車の右の前輪が
 
道の片側を仕切るコンクリートの低い土手の切れ目にひっかかった。
 
そのはずみで土手を飛び越えて道の右側の斜面に走り込んだ車はそ
 
の右の横腹を立ち樹にぶっつけて、ぐいと右に方向を転じ、その際
 
に皇后は運悪く頭を立ち樹にぶっつけて即座に絶命すると同時に草
 
原の上に投げ出された。車はさらに進んで第二の立ち樹にその左の
 
横腹をぶっつけて傷ついた皇帝を投げ出した。そうしてずるずると
                                       あし
斜面をころがりながら湖水のみぎわの葦の中へ飛び込んではじめて
                                                                 とっさ
その致命的な狂奔を停止した。うしろにすわっていた運転手は咄嗟
           ぼうぜん
の出来事に茫然としてどうすることもできなかった。道路をそれて
 
樹にぶつかるまでの時間は一秒の十分の一にも足りない勘定になる
 
ので、まったく考えるよりも速い出来事だったに相違ない。そうし
 
て運転手が眼前の出来事を意識した瞬間にはもうすべてが終わって
 
いたわけである。
 
 これが昔の日本であったら、この二代続きの遭難はきっと何かし
 
らもっともらしい迷信でつづられた因縁話の種を作ったかもしれな
 
い。
 
 しかし因縁が全然無いこともない。それは先代の皇帝も今の皇帝
 
も自分でハンドルを握って墜落の危険の絶無ではないような道路を
 
走らせることに興味を持たれたという事がたしかに一つの必然な因
 
縁でつながれているのである。すなわち一つの公算的な因果の現わ
 
れだともいわれるであろう。
 
(昭和十年十月十五日)


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